クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

文字の大きさ
31 / 499
第1部

第八章 夜の女神と、星の騎士⑥

しおりを挟む
「あーー暑ちィ……。この状態の《朱天》はマジでサウナだな」


 全身から冷却剤を放出して二分後――。
 胸部装甲を解放した《朱天》の中でアッシュはしみじみとそう呟く。口調こそ軽かったが、その声には強い疲労感が滲み出ていた。
 少しでも体力を回復させるため、アッシュは深呼吸を繰り返した。
 そうして幾ばくか回復した後、漆黒の機体に戻った《朱天》から降りる――が、地面に片足を着けたところで、アッシュはふらふらとよろけてしまった。
 どうやら本人が思っている以上に疲労は重かったらしい。


(ここんところ、自主トレさぼってたからなぁ。こりゃあ随分となまってるわ)


 右腕を振り回しながら、「これは鍛え直しだな」と苦笑していると……。
 ズウゥン――と、突然、背後から轟音が聞こえた。思わずギョッとして振り返る。
 そこには、砂煙を上げて大の字に倒れた《朱天》の姿があった。

 横たわる相棒の姿を、アッシュは静かに見つめる。
 左足は今の転倒で完全に折れてしまった。
 いや、それだけではない。全身に刻まれた数え切れない弾創に加え、尾は千切れてかかっている。自壊にまでは至らなかったが《朱焔》を使用した代償も大きいはずだ。恐らく内部構造はまともに機能する状態ではないだろう。
 そして何より酷いのは、神槍と最後の攻防をした右腕だった。これに至っては肘より先が吹き飛んでいる。まさに、死力を尽くした姿だった。

 アッシュは最後まで共に闘ってくれた相棒に、心から感謝する。


(必ず直してやるからな、相棒。だが、今は――)


 そして、彼は視線を前へと戻す。そこにはユーリィが両膝をついて座っていた。
 ――淡い桜色のドレスを纏い、空色の髪を夜風になびかせて。
 アッシュは緊張と共に、ユーリィの元へ歩を進める。
 本当に、本当にこれで彼女は……。
 すると、アッシュが近付いてくる気配に気付いたのだろう。
 空色の髪の少女は、その愛らしい唇を開いて――。


「……あなたの頭カラッポなの? 助けにくるの遅すぎ。天罰いる?」

「……いらねえよ。つうか、もう死ぬほど天罰くらった後じゃねえか」


 アッシュは苦笑する。いつも通りのユーリィだ。
 その翡翠色の瞳も、無愛想な表情までもが変わらない。


(……はは、何も変わってねえよ。何もかも元通りのユーリィだ……)


 湧き上がる喜びと愛おしさで、思わず彼女を抱きしめたくなったが、――ここは我慢だ。
 まず、兄として、父として、怒らなければならないことがある。
 アッシュは拳を握りしめ、ユーリィの頭上へと落とした。少女は突然の折檻に、訳が分からないまま涙目で殴られた頭を押さえる。


「??? な、なんで叩くの?」

「叩きたくもなるわ! アホ! お前、なんで《最後の祈り》なんかを使うんだよ!」

「そ、それは……だって、そうしないとメットさんが……」

「その辺はメットさん本人から聞いてるよ! けどな! それでもな! もっと他にやりようがあっただろうが! どんだけ自分が無謀なことをしたのか分かってんのかよ! お前が今生きてんのは、間違いなく奇跡なんだぞ!」


 柳眉を逆立て、アッシュは怒鳴りつける。
 ユーリィは久しぶりに見る、優しい青年の本気の怒りの前に身体を竦ませた。
 そして、今日一日における自分の行いを省みて、ユーリィは眉をひそめた。

 ……確かに、アッシュの言う通りだ。反省すべき点は多い。
 まず根本的に闘技場でのこと。感情に流されて迂闊にも《黒陽社》を挑発してしまい、その結果、サーシャと共に攫われてしまった。
 そして、さらに最悪なのは、ジラールの館での対応だ。
 あの状況でユーリィがすべきことは、アッシュが来るまでの時間稼ぎだった。
 その方法はいくつかならある。例えば、今は力を使い果たしているから待って欲しいと言えば、交渉次第で引き延ばせた可能性は充分ある。
 しかし、ユーリィは友達を失うかもしれない焦りと恐怖から完全に視野狭窄に陥り、とんでもない手段に先走ってしまった。
 確証のない推測にすがり、あまりにも危険な賭けに出てしまったのだ。

 綺麗な顔をくしゃくしゃと歪めて、ユーリィはしゅんと肩を落とす。
 それを見てアッシュは、やれやれと嘆息した。
 この子がしでかしたことを考えれば、まだまだ叱りつけるべきなのだが……。


「……まあ、済んだことだし、反省したんならもういいさ。そこまで凹むなよ。それに今回は、俺も色々とヘマしてるしな。俺も反省しなきゃいけねえ」


 そう告げて、アッシュはユーリィの頭に手を置いた。


「お前がメットさんを守りたかった気持ちはよく分かるよ。大事な友達だもんな。けどなユーリィ。誰かのために死んでも、結局は誰にとっても、つまんねえことにしかなんねえんだぞ。それだけは憶えておいてくれ」


 そして、アッシュは少女の頭を優しく撫で始めた。ユーリィは顔を上げて、眼前の青年をじいっと見つめる。彼の黒い瞳には、慈愛と悲哀が映し出されていた。

 ――きっと《彼女》のことを思い出しているのだろう。
 命と引き換えに、彼の死を覆す奇跡を起こし《聖骸主》に成り果てた少女。
 そして、最後には彼自身の手で殺さざる得なかった――もう一人の《金色の星神》。 

 澄んだ湖のような、静謐の時が訪れる。
 愛しげに空色の髪を撫でていたアッシュだったが、不意に自嘲の笑みを浮かべた。
 先程からユーリィが神妙な瞳で自分を見つめているのに気付いたからだ。
 この子は本当に勘がいい。自分の心情などお見通しのようだ。


(……やれやれ、ユーリィには敵わねえな)


 ともあれ、重い空気を払拭するため、アッシュは話題を変えることにした。
 が、意外にこれと言った話題が思いつかない。


「う~ん……。それにしても……そうだな、うん! ユーリィ、お前なんつうか、エロくなってきたよなぁ」

「………………は?」

「《聖骸主》になってた時なんてドレス姿で生足を振り回すから結構ドギマギしたぞ!」


 明らかな作り笑いを浮かべ、ろくでもないことを口走るアッシュ。
 実のところ、これは話題が思いつかなかったアッシュの極めて不器用な冗談だった。
 あの極限の闘いの中、ユーリィの生足に見惚れる余裕など、彼にあるはずもない。
 それに十三の娘の生足に見惚れて《双金葬守》が後れをとっては、他の《七星》に合わせる顔がない。……というより、きっと六人がかりで袋叩きにされるだろう。
 所詮はその場つなぎの意味のない冗談である。

 しかし、そんなアッシュの思惑など、そもそもユーリィに分かるはずもなかった。
 ましてや恐ろしく鈍感なアッシュが、これまでセクハラまがいの冗談を言ったことは一度もなかったのだ。冗談だと気付けという方が無茶だろう。
 ユーリィは軽くパニックになりながらも、その思考を目まぐるしく活動させる。


(な、何? エ、エロくなった? これは遂にアッシュが私を『女』として認識し始めたの? これは好機? 本格的な侵攻はまだ二年先だったけど――これは予定を前倒しに出来るかも!)


 そして彼女は密かに決意した。――そうだ。ここは打って出るべきだ!
 覚悟を決めた少女は、頬を朱に染めながら言葉を紡ぐ。


「う、うん。私も日々成長している。エ、エロくもなってくる。最近は胸だって――」


 ………………………………………………。
 …………………………………。
 ……………………ちッ。


「で、でも! 来月には十四になるし、もう二年も経てば――結婚が出来る」


 ……誰と、とは聞くまでもないだろう。
 それはユーリィなりに、勇気を振り絞った遠回しのアピールだったのだが……。
 当然の如くアッシュには全く通じず、その代わりとばかりに彼は別のことを――一週間ほど前に、サーシャと交した雑談の内容を思い出していた。


「そっかぁ、お前ももう結婚できる歳になるのか……。う~ん、そうだな。だったらメットさんの話も、本気で検討すべきかもな……」

「……? メットさんの話って何?」

「ん? ああ、以前メットさんがさ、ユーリィもそろそろ年頃の女の子だから、家族同然でも男と二人で暮らすのは、教育上良くねえって」

「……………………え?」


 ぱちくりと目を瞬かせるユーリィ。
 そんな少女の様子にまるで気付かないまま、アッシュは明るい声で続ける。


「ほら、メットさんの家ってでけえだろ。けど、今は使用人もいなくて、部屋が余っているらしいんだよ。だから、良かったらお前を預かるって。中々いい話だろ?」


 思わず「ふざけんな、朴念仁が!」と、ユーリィは叫びそうになった。
 が、何とか踏み留まり、とにかくこの危機的状況を分析する。


(ど、どういうこと? まさかメットさんが私の最大のアドバンテージを崩す策を密かに実行していたの? 私に一切気付かれずに? あんなに警戒していたのに!?)


 恋敵の恐るべき手腕に、ユーリィはゾッとするほどの戦慄を覚えた。
 サーシャの笑顔が脳裏に浮かぶ。想像の中の彼女は、口元は笑っているが、目は笑っていない。その瞳に宿す光は、獲物を狙う猛禽類のそれだった。


(メ、メットさんは、やっぱり侮れない……)


 ガクガクと震え出すユーリィ。
 そんな少女をアッシュは首を傾げて見つめていた。
 ……何故この子は、小動物のように震えているのだろう?


(また悩み事か? う~ん、この年頃の女の子は気難しいからなぁ)


 と、おもむろに腕を組んだその時、


(ん?)


 不意にアッシュは後ろへ振り向いた。何となく人の気配を感じたのだ。
 視線の先には丁度森の中から出てくる少女が一人。
 今話題になっていたヘルムの少女だ。
 少しふらついているようだが、どうやら大きな怪我はなさそうである。
 彼女もこちらに気付いたようで、大きく手を振って近づいてくる。
 アッシュは優しく笑い、手首だけで手を振り返した。


「ふふ、どうやら、メットさんも無事みてえだな」


 言って、ユーリィの方に振り向き、


「――え?」


 思わずギョッとした。
 何故かユーリィが、全身から闘志を立ち昇らせていたのだ。


「ユ、ユーリィ? え、どうしたんだお前? なんで臨戦状態!? なんでそんな怨敵を見るような目でメットさんを睨んでんの!?」

「……アッシュは黙ってて。私はこれから最強の敵と闘わなければならない」

「最強の敵!?」


 アッシュの頬が引きつる。
 どうやら彼女達の間では、何かしらの確執があるようだ。
 巻き込まれてはたまらない。ここは傍観者を決め込むのが一番だろう。
 とりあえず少しばかり距離を取り、アッシュは少女達の様子を窺うことにした。
 《煉獄の鬼》でさえ怯むような声を出すユーリィと、その少女に抱きつこうとした姿のまま硬直するサーシャ。まさに、奇跡と呼ぶにふさわしい再会のはずなのだが、何故か臨戦態勢に入ってしまっている状況に、アッシュは呆れて頬をかいた。

 が、その皮肉気な態度とは裏腹に、彼の表情はとても優しい。
 穏やかな瞳で、眩しそうに大切な少女達を見つめていた。
 そして、アッシュは、心から想う言葉を呟く。


「生きて幸せになるか……。やれるだけやってみるよ。見ていてくれよな、サクヤ」


 思い出の中の少女が、優しく微笑んでくれたような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

チート魅了スキルで始まる、美少女たちとの異世界ハーレム生活

仙道
ファンタジー
 ごく普通の会社員だった佐々木健太は、異世界へ転移してして、あらゆる女性を無条件に魅了するチート能力を手にする。  彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる

家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。 召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。 多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。 しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。 何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~

ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。 食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。 最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。 それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。 ※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。 カクヨムで先行投稿中!

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...