クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第1部

第八章 夜の女神と、星の騎士⑤

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 胸を押さえ苦しむユーリィを、アッシュは慎重に観察していた。
 六年に渡り、《聖骸主》と幾度となく戦ってきたが、こんな反応は初めて見る。
 もしサーシャがジラールを倒したのなら、これは聖骸化が治まろうとする兆候のはずだ。

 アッシュは、すぐさま《万天図》を起動させた。
 《ホルン》の無事と、《最強の鎧機兵》がまだ健在なのかを確認するためだ。
 円形図には二つの光点が重なるように映し出されていた。
 ――良し。探査範囲内にいる。
 片方の異常な恒力値からすると、これが《最強の鎧機兵》とやらなのだろう。
 が、確認も束の間、二つの光点の数字は凄い速さで減数し、遂には消えてしまった。

 アッシュの顔から血の気が引く。まさか、相討ちなのか――。
 動揺する心を抑え、今度は《星読み》で気配を探る。
 消えた光点と気配の位置を照らし合わせて――ホッと息をついた。消えた光点の位置に二つの気配があったのだ。
 どうやらサーシャは無事のようだ。
 心底どうでもいいが、ジラールも生きているらしい。
 恐らく二機の鎧機兵が、相討ちとなって大破したのだろう。


(大破しちまったか《ホルン》。けどよくやったぞ。お前は主を守り通したんだな)


 アッシュは心の中で 《朱天》の兄弟機とも呼べる機体に賞賛を贈った。
 そして、


(……ありがとな、サーシャ……)


 アッシュは笑みを浮かべ、心から愛弟子を誇りに思った。
 全くもって彼女は凄い。
 あの子は途轍もない困難を乗り越えて、やり遂げたのだ。
 今まさに、最大の障害は取り除かれた。
 これで推測が正しければ、ユーリィは元に戻れるはずなのだが……。
 アッシュは、訝しげに眉をひそめた。


(……おかしい。なんでまだ星霊が現れねえ……?)


 反応が消えた《最強の鎧機兵》。そして、何よりも眼前のユーリィの異変。
 リセット現象が起きたのは疑いようもない。普通ならば、行き場を失くした星霊達が主人たるユーリィの元へと帰還するはずだというのに――。
 何故か、一向に星霊達が現れる気配がない。


(何かが邪魔してんのか? だとしたらこの場合、原因になんのは――)


 アッシュは、苦しむユーリィに視線を向ける。


『やっぱり、聖骸化かよ……』


 と、その時、


「――――――――――――――――――――――――ッ!」


 ユーリィが、再び言葉ではない怒号を上げた。
 胸を押さえる右手から一気に闇が噴出し、淡い桜色のドレスは再び漆黒に染まった。明滅していた黄金の髪も、星の輝きを取り戻す。


『……結局、最初から無理だったってことなのかよ……』


 アッシュは一瞬、絶望に歯を軋ませるが、


『いや、これは――』


 再度ユーリィの姿を見る。確かにドレスは闇夜に戻り、黄金の髪は輝きを取り戻した。
 しかし、少女の顔には怒りが浮かんだままだった。
 本来感情のない《聖骸主》が怒りを抱いている。確実に変化は来ているのだ。
 後は、星霊達が戻って来てくれさえすれば、きっと――ッ!


『……ああ、そうかよ。いいぜ、《聖骸主》の力が邪魔するってんなら……』


 アッシュは決断した。
 ユーリィの力を可能な限り弱体化させる。それしかない。
 どのみちこのままでは埒があかないのだ。
 ならば、少しでも可能性のある方に賭けるだけだ!


『ユーリィ! 今からお前の中の力を全部吐き出させてやる。覚悟しろよ!』


 研ぎ澄まされた直感が告げる。ここが勝負時だ、と。
 ――もう余力などいらない!


『《朱天》ッ! 全力全開だ! すべての《朱焔》を開け!』


 主の決意に、《朱天》が応えた。
 両の拳を胸元で合わせるように叩きつける。響いた音はまるで号砲だ。
 そして遂に、最後の《朱焔》に、真紅の鬼火が灯る。
 同時にそれは、《朱天》の――最後の変貌の始まりでもあった。
 唐突に《朱天》の全身が震えた。まるで猛毒に耐えるかのように、天を仰ぎながら小刻みに震えている。だが、変化はそれだけでは終わらない。
 漆黒の機体の至る所から、わずかに発光する真紅の色が滲み出てきたのだ。
 真紅は、侵食するように漆黒を塗り潰していき、瞬く間に《朱天》の全身を紅く染め上げた。

 グウオオオオオオオオオオッ――!!

 轟く《朱天》の咆哮。それに呼応して真紅に染まった全身が、紅く紅く輝き始める。
 業火の如き赤光を纏う――この姿こそが《朱天》の最後の変貌だった。
 だが、これは《朱天》の機能などではない。これは欠陥なのだ。機体が内包する恒力に耐えきれなくなり、赤熱発光しているのである。

 鎧機兵の動力源・恒力。それは恒星――すなわち、太陽の力だ。
 限界を迎えた太陽は、赤く赤く燃えあがり、最後には灰になるという。

 今の《朱天》の状態は、それに酷似していた。
 極限に至った恒力は、《朱天》の身体を紅く紅く灼きつくし、最後には溜めこんだ恒力を爆発させるかのように放出する。そして、機体を自壊させるのだ。

 それは、わずか一時だけの最強の力。
 すでに《朱天》の機体には微細な亀裂が走り、その内部――操縦席は、加速的に気温が上昇している。破滅の足音は刻々と聞こえ始めていた。
 恐らく、もって三分――。
 それまでに決着をつけなければならない。

 しかし、残された時間が少ないはずの《朱天》は何故かユーリィの元には向かわず、ただ静かに空を見上げていた。何かを考え込んでいるのか、微動だにしない。
 不可解な《朱天》の態度に、ユーリィは警戒の表情を浮かべる。
 そんな少女の様子に気付き、アッシュはふと微笑んだ。
 不謹慎かもしれないが、感情を取り戻しつつあるユーリィの姿につい嬉しくなったのだ。

 ああ、願わくはあの子の笑顔も見たい。
 だからこそ――。

 アッシュはもう一度、空を仰ぎ見た。


『……安心しな、ユーリィ。俺はもうお前を傷つけたりなんかしねえよ。お前の力をそぎ落とすんなら、もっと分かりやすい物があるからな』


 雲一つない晴れ渡った夜空。
 そこには、ユーリィが創り出した満月が輝いていた。


『……お前の力の象徴。悪りいが――ぶっ壊させてもらうぞ!』


 そう言うとアッシュ――《朱天》は大きく左足を踏み出し、右の拳を強く握りしめた。全身の人工筋肉が軋みを上げ、真紅の機体はさらに紅く発光する。
 今の《朱天》の恒力値は七万ジンをも超える。
 ――威力は充分。必ず届くはずだ。
 そして《朱天》の両眼が光り、アッシュは静かに呟いた。


『――《大穿風》――』






 静寂の中、ユーリィは、新たに驚愕の感情を取り戻した。
 両目を大きく見開いたまま、自らの力の象徴である満月を見上げる。
 ――そこには、巨大な掌の跡が、深く刻みつけられていた。
 まるで伝説の魔竜が現れ、握り潰そうとしたかのような裂傷。たった今《朱天》が放った恒力の掌低により打ちつけられた傷跡だ。あまりの威力に、もはや息を呑むしかない。
 傷つけられた月は、緩やかに自壊を始めていた。ユーリィは苦々しく表情を歪めて、唇を強くかむ。あの状態ではもう長くはもたない。

 ――だったら。

 ユーリィは後方に数度跳躍し、《朱天》から大きく間合いをとる。
 これからやることに巻き込まれないための間合いだ。
 彼女は《朱天》を指差し、滅びゆく月に最後の命を下す。

 ――標的はあれだ。






 巨大な影に遮られた天を見上げ、アッシュは思う。
 ――ああ、やはりそうくるか。


『壊れた月を直接ぶつける、か。……そうだな、ならこっちは――』


 鳴り響く雷音。《朱天》が後方に間合いをとる。
 月の落下軌道から外れた場所で、真紅の巨人は再び天を見上げた。
 ユーリィが目を細めて嗤う。――逃がしはしない。
 少女はすぐさま月の軌道を変更しようと、天に右手をかざす。

 ――が、その直前、二度目の雷音が轟いた。

 ユーリィは、思わず息を呑んだ。
 さっきまで地上にいたはずの《朱天》が、いきなり月の上に現れたのだ。
 月が地表に接近していたとはいえ、その高さは、まだ五十セージルはあるというのに。
 恐らく《雷歩》で跳躍したのだろうが、速度も移動距離も先程までとは段違いだ。
 まさに、真紅の《朱天》だからこそ出来る荒技だった。

 ユーリィが舌打ちする。唯一攻撃出来ない場所に移動されてしまった。
 一瞬、対応に迷う――が、すぐに次案を思いついた。
 月の上にいるのなら、重力の渦で圧縮してしまえばいい。壊れた月が暴走する可能性もあるが、むしろ好都合だ。月ごとまとめて葬りさってくれる!
 そして、黄金の少女は右手を再び月にかざして、


『なあ、ユーリィ。お前、この月を地面に落としてえんだろ?』


 青年の声に、ピタリと指の動きが止まり、


『せっかくだから、おとーさんが手伝ってやるよ』


 ユーリィは完全に硬直してしまった。
 ――手伝うって、一体何を……?
 と、困惑している内にも、《朱天》は動き出す。
 真紅の巨人は、ゆっくりと、右足を高く持ち上げて――。


 
 そして、三度目の雷音が、天を切り裂いた。



 小刻みに鳴動する大地。全方位に吹き荒れる突風。
 濛々と砂塵が舞う中、少女はただ唖然としていた。目を瞠り、前だけを見つめている。
 彼女の前方――。そこには、無残に砕けた月が、地表にめり込んでいた。
 衝撃で斜めに割れた月は、巨大なクレーターの中から二割ほどだけ顔を出している。
 まるで隕石の跡地のような光景に、ようやくユーリィは状況を理解した。

 ――《雷歩》による震脚。

 あの真紅の巨人は右足の一撃で、月を地表に叩き落としたのだ。
 直径二十セージルはある月の巨体を、それこそ、まるでビリヤードの玉のように。
 冗談としか思えない惨状に、少女は茫然自失となっていた。
 その時、ズドンッという轟音が空気を揺らした。
 ビクンッとユーリィの身体が震える。恐る恐る音のした方に視線を向けると……。
 そこには、月という足場を失ったため、落下してきた真紅の巨人がいた。
 クレーターのほぼ中央に落ちた巨人は、月の残骸を踏み潰しながら少女に近付いてくる。
 その姿はまるで《煉獄》から這い出る亡者のようで……。

 ――否、亡者などではない。
 灼熱に身を焼かれ、それでも闘い続けるその姿は、まさしく!


 ――《煉獄の鬼》――
 

 少女は今、完全に恐怖の感情を取り戻す。
 ――何なんだッ! このデタラメな怪物はッ! 
 恐怖から、一歩、二歩と少女の足が後ろへと下がっていく。
 そんな彼女とは対照的に、《朱天》は悠然と歩を進めていた。 
 ユーリィは、ギリと歯を食いしばる。
 取り戻しつつある心が告げていた。このままでは自分は消されてしまう。
 喪失の感情を取り戻したユーリィは、最後の賭けに出た。
 その小さな唇から大量の空気を吸い込む。
 もはや、あの《鬼》に生半可な攻撃は通じない。強力な武器がいるのだ。

 ――そう。天にたゆたう雲さえも貫く伝説の武器が。

 それを創るには全力を注ぎ込むしかない。
 少女の意志に応え、半径五百セージル内の大気に宿るすべての星霊が、ユーリィの元へと集結する。その莫大な力を以て、彼女は想い描く――最強の武器を。
 そして、少女の口から《願い》を込めた音が解き放たれた。


『……どうやら、最後の賭けに出たようだな。思い切りの良さは、お前らしいか』


 間合いを詰めていた《朱天》の足取りが、ピタリと止まる。
 少女の眼前で集束する光は、徐々にその輪郭を見せ始め――。


『……なるほど。《夜の女神》の神槍か。それもお前らしいな』


 それは、《悪竜》さえも葬りさりし黄金の神槍――クラウドザッパー。
 神話を蘇らせたユーリィは、無言で神槍を構えて《朱天》を睨み据える。
 しかし、彼女は動かない。
 恐らく星霊が安定するまでの十数秒間を待っているのだろう。
 アッシュが双眸を鋭くする。――ならば、こちらも万全の態勢で臨むまでだ。
 《朱天》が泰然と身構える。左足を前に、右足は後ろへと大樹の如く踏み下ろす。尾はしなり大地を打ちつけ、左腕はその掌を前へと突き出した。
 腰だめに構えた右の拳が、景色を歪めるほどの高温を放つ。

 《虚空》――。それが、この闘技の名前。
 全恒力の七割を拳一つに集束させ、自壊寸前にまで圧縮させた破壊の剛拳。
 一戦につき、ただ一度限りの《朱天》の切り札だった。

 張り詰めた静寂が二人を包み込む。
 そして――ユーリィが、遂に動き出す。
 いきなり彼女は、黄金の神槍を空へと放り投げた。
 天高く上昇した神槍は、くるくると回転しながら落下してくる。そして石突がユーリィを、穂先が《朱天》を直線で結んだ時、少女は神速の回し蹴りを石突に叩きつけたのだ。

 ――神槍クラウドザッパーが、恐るべき速度で撃ち出される!
 剛風で地を削りながら襲い来る黄金の神槍を、《朱天》は真直ぐに見据えた。
 そして真紅の拳が、螺旋を描くように動いて……。


 ――激突の瞬間、音が消えた。


 無音の衝撃波が地表を破砕し、大気を走り抜けた――直後、轟音が蘇る。
 いよいよ、最後の攻防が始まった。
 魔竜の咆哮のような轟音が響く中、黄金の神槍と真紅の剛拳は拮抗する。
 だが、それも長くは続かない。
 最強の一撃による真っ向勝負で力負けしたのは――《朱天》の方だった。
 両足が勢いよく火線を引き、その巨体ごと後方に押しやられる。その上、女神の槍が、巨人の拳に亀裂を刻みつけ始めていた。
 明らかな劣勢に、アッシュが歯を軋ませる。このままでは終われない。
 サーシャのおかげで、ユーリィを取り戻せるかもしれない所まで辿りつけたのだ。

 ――ここは何としてでも負けられない!

 しかし、劣勢を覆そうにも切り札はすべて使い切っていた。
 一体どうすれば、と気持ちばかりが焦っていく。
 そんな時だった。




(――大丈夫だよ、諦めないで。あなたなら、きっとあの子を助けられるよ――)




 その愛しい声に、ドクンッと鼓動が跳ね上がった。
 まさかと思い、後ろへ振り向く。求めるものは――黒髪の少女の姿。

 


(――だから、頑張って。トウヤ――)




 ……しかし、そこには誰もいなかった。
 ほんの一瞬だけ聞こえた、懐かしい少女の声。
 それは、きっと極限時におけるただの幻聴だったのだろう。
 自分が作り出した、あまりにも都合のいい幻だ。
 けれど――。


(……ああ、サクヤ……)


 それが、たとえ一瞬の幻だったとしても。
 《彼女》の声は、サクヤのエールは、アッシュの心に大きな力を与えてくれた。


『ははっ、そうだよな。こんな所で諦める訳にはいかねえよなッ!』


 そしてアッシュは雷を呼ぶ。地表を削る両足、さらには尾からも雷音が轟き、黄金の神槍を真紅の拳が押し返す。――が、これでもまだ足りない。


『まだだッ! 力を――振り絞れ《朱天》ッ!!』


 アッシュは再び渾身の力で雷を呼んだ。それは月を葬った《雷歩》の震脚だった。
 大気を弾く衝撃は、《朱天》の左足に亀裂を一気に刻みつける。しかし、その犠牲により生まれた雷の力は身体を通し、《虚空》の拳をさらなる高みへと押し上げる!

 そして――神槍クラウドザッパーは、完全に停止した。
 
 ビキビキビキビキビキビキッ――

 黄金の神槍に亀裂が入る。その傷は穂先から石突へと、瞬く間に走り抜け、

 ――パキィィィン。

 天に澄み渡る破砕音。遂に砕ける黄金の神槍――。
 神槍の欠片は粉雪のように舞い、そして、風の中へと散っていった。
 勝敗が決した瞬間だった。それを見届けたユーリィは、苦悶の表情を浮かべる。
 黄金の髪はすでに輝きを失っていた。闇夜のドレスも九割以上、元の桜色に戻っている。
 虚ろになりつつあるユーリィの瞳は、ただ真紅の巨人だけを映していた。

 無言のまま、向かい合う二人。
 すると、不意に《朱天》が天を仰いだ。つられてユーリィも空を見上げる。
 少女は目を瞠った。
 そこには夜空を埋め尽くすほどの光――百万にも届きそうな数の星霊がいたのだ。

 それは《最強の鎧機兵》の《創造》に使われた星霊達。
 主人たる黄金の少女の元へと還るため、この場に現れたのである。


『……本当に、お前の友達は凄い子だよ、ユーリィ……』


 感無量にアッシュは呟く。ユーリィはもはや呆然とするだけだった。
 そして、訪れる終焉の時――。
 夜空に舞う星霊達が遂に動き出す。すべての光が螺旋の軌道を描きながら一点に収束し、ユーリィへと一気に降り注いだ。眩いほどの輝きが地表を照らす。

 かくして、黄金の少女は影だけを残して、光の中へ消えていった――……。
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