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第2部
第三章 蠢く蛇③
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コンコン、と。
ドアがノックされ、ガハルドは視線をドアに向けた。
そこは市街区にある第三騎士団の詰め所。団長たるガハルドのための執務室だ。
ガハルドは執務机の上の書類に目を通しながら、
「……どうぞ。開いているぞ」
入室の許可をする。すると、「ああ、失礼する」という声を共にドアが開いた。
ガランはちらりと入室者へと目をやり、
「……なんだ、アランか」
と呟く。入室してきたのは彼の親友・アラン=フラムだった。
赤い騎士服を身に纏うガハルドと同世代の騎士。第一騎士団の上級騎士であるアランは実はガハルドの幼馴染でもあり、家族ぐるみの付き合いをするほど親しい人間だ。
「……しかし、相変わらずお前はいつも鎧を着ているんだな」
「ほっとけ。鎧とヘルムはフラム家の正装だ」
と、不貞腐れたように答えるアランは、右手にヘルムを、その身体にはブレストプレートを装着していた。そう。その姿が示すようにアランはサーシャの父親であった。
「そんなことよりガハルド。さっき、うちの団長から聞いたんだが、今回の三騎士団合同の遠征に騎士候補生まで使うのは、やはり本決まりなのか」
「……ああ、決まったよ。なにせ、《大暴走》が近い可能性がある。騎士候補生達も予備戦力として考えなければならないし、ならば少しでも実戦経験を、戦場の空気を経験させておいてやりたい、という意見が多くてな」
「……う~む。それには賛同できるが……しかし……」
眉間にしわを寄せて唸るアランに、ガハルドは苦笑を浮かべる。
「お前の気持ちは分かるよ。私もアリシアとサーシャが心配でならないからな。しかし、騎士を目指す以上、避けては通れない道だ」
「……ぬうう」
「……まあ、公私混同かも知れんが、二人には極力優秀な上司を付けるつもりだ」
そう言ってガハルドは立ち上がると、未だ呻き続ける親友の肩にポンと手を置いた。
「……ぬうう、お前がそう言うなら……しかし、《大暴走》とはな」
アランが苦々しく呟く。《大暴走》。彼にとっては思い出したくもない言葉だ。
「……ああ、備えはしてきたが、まさか、一年も早いとは……」
ガハルドの口調も固い。
《大暴走》――。それは、およそ十年に一度発生するこの国特有の災厄。
各町村、そして王都にまで押し寄せる魔獣達の大暴走を、シンプルにそう呼ぶのだ。
(……あれだけは、何度経験しても慣れんな)
ガハルドは過去の《大暴走》を思い浮かべ、険しい表情を浮かべた。
何故、魔獣達は暴走するのか。その原因はすでに判明している。
たった一体。たった一体の魔獣の存在が、すべての原因であった。
その元凶たる魔獣の名こそが――。
「……《業蛇》、か」
「……ああ、すべて《業蛇》のせいだ。奴がいるせいで《大暴走》は起こる。そう。奴さえいなければ……」
と、暗い情念を燃やすアランを、ガハルドが窘める。
「落ち着けアラン。気持ちは分かる。しかし、だからといって奴を倒すことは……」
ガハルドの呟きに、アランが口惜しいといった表情で唇をかみしめる。最強クラスの魔獣を一撃で殺し、喰らうような化け物など対応しようがない。
「……分かっているさ。《業蛇》に勝てないことは」
結局、そう納得するしかなかった。
最悪の魔獣――《業蛇》。
アティス王国は、長い年月をかけて《業蛇》について調べ上げていた。
百年以上前から伝わる過去の資料。それを紐解くと、どうやらかの魔獣はグラム島の固有種らしい。何でも《業蛇》はその数百年の長い生のほとんどを地中深くで過ごし、普段は休眠しているそうだ。そんな生態のためか、意外なことに、《業蛇》に殺された人間は過去数人のみ。本来は無害な魔獣だ。
しかし、十年に一度だけ。《業蛇》は不意に目覚めると地上に這い出て、いきなり暴飲暴食を始めるのだ。その間は一切眠ることもなく、優れた嗅覚で獲物を探しては一瞬で喰らい、また次の獲物へと。それを信じがたいペースで数カ月も繰り返すのである。
結果、樹海を縄張りにする魔獣達は、昼夜問わず《業蛇》の危機に晒され、遂に耐え切れなくなり、樹海から逃げ出すのだ。たった一体の魔獣を恐れて。
――そう。《大暴走》とはつまり《業蛇》から逃げ出した魔獣の群れなのだ。
恐怖で正気を失った数百の魔獣の群れが、街へと押し寄せる。
その悪夢のような光景を打ち破るのが、二千もの鎧機兵達だ。戦争経験のない平和な国がこれだけの戦力を有しているのは、十年に一度の災厄に備えてのことだった。
そして今、一年早い、九年目にして再び悪夢が訪れようとしている。
「果たして今回はどれほどの被害が出るのか……」
ガハルドは嘆息した。が、ふと気付く。
何やらアランが思い詰めたような表情を浮かべている。ガハルドは親友の心情を察し、先程よりも深い溜息をついた。
「……アラン。そう身構えるな。それに言っておくぞ」
「……何だ?」
不機嫌そうに問うアランに、ガハルドは鋭い眼差しで告げる。
「今回の遠征の目的は、騎士候補生に『ドラン』の魔獣との実戦を積ませること。そして《業蛇》の存在確認だ。間違っても《業蛇》に手を出そうなんて思うなよ」
「……それはさっきも言ったろ。《業蛇》には勝てない。手なんか出さないさ」
表情一つ変えずに返答するアランに対し、ガハルドは眉をしかめた。
「……どうだかな。《業蛇》はお前にとってはエレナさんの仇も同じだ。もし樹海で出くわしたら、お前、反射的に襲い掛かるんじゃないのか?」
「…………」
「沈黙するなよ。はっきり言うぞ。《業蛇》は人の手には負えない。立ち向かえば死ぬだけだ。エレナさん亡き今、お前まで死んだらサーシャは一人になるんだぞ」
「…………ぬうう」
愛娘の名を出され、思わず呻くアラン。
ガハルドは額に手を当てた。やはり《業蛇》に挑む気だったのか。
「あのなアラン。お前が死んだら、俺がサーシャの面倒をみるなんて期待するなよ。すぐさま嫁に出すから、覚悟しとけよ」
アリシアを守るためにもな、と小さく付け足すガハルド。
それはガハルドにとっては冗談、もしくは皮肉混じりの言葉だった。しかし、アランはその想定外の内容に驚愕し、目を見開いた。
「よ、嫁? は、はは、何を言っているんだガハルド。サーシャはまだ子供だぞ。嫁になんて……そもそも相手がいないじゃないか。は、はは、悪い冗談はよせよ」
「ん? いや、丸っきり冗談でもないんだが……もしかして、お前知らないのか」
眉根を寄せるガハルド。アランは困惑の表情を浮かべた。
「な、何をだ?」
「…………」
ガハルドは無言だった。ただ真直ぐ親友の顔を見据える。
困惑し続けるアラン。そしてしばらく経ってから、ガハルドはようやく口を開いた。
「……教えてやらん」
「ガ、ガハルドッ!?」
「知りたいなら生きて帰ってこい。その時教えてやる」
「ぐッ! ひ、卑怯だぞ! ガハルド!」
「卑怯もへったくれもあるか。さあ、雑談はここまでだ。こう見えても俺だって忙しいんだぞ。早く王宮に戻れ、フラム上級騎士」
そう言って席へ着き、ふんぞりがえるような姿勢で書類に目を通し始めるガハルド。その右手は犬を追い払うように動いている。
アランは「ぐぬぬ」と唸り声を上げながら、
「くそッ! ああ、いいだろう。生きて帰って来てやるよ! だから、その時は絶対に、絶っ対に話せよな! いいなガハルド!」
「…………」
「沈黙すんなよ!? 頼むから返事しろよッ!?」
「あー……分かった分かった。その時は嫁の話でも孫の話でもしてやるよ」
「――孫ッッ!? ランクアップしてる!?」
愕然とするアランを横目で確認して、笑いを堪えるガハルド。
そして、再びしっしと手を振り、
「早く行け。お前だって忙しんだろ。部下が待ってるぞ」
「ぐぬぬ、憶えておけよガハルド!」
そう捨て台詞を吐くと、アランはバタンッと勢いよくドアを閉めて退出していった。
静かになった執務室。ガハルドは書類を置き、じいっとドアを見据えた。
「……本当に無茶をするんじゃないぞ。アラン」
すでに去ったであろう親友に声をかける。
そして、ガハルドは祈るように天を仰いだ。
「どうか、アランとサーシャを見守ってくれ。……エレナさん」
◆
そこは、深い、深い森の中。
その蛇は蠢いていた。大樹の如き蛇体を唸らせ、矢じりで覆ったような鱗で大地や木々を削りとる。その眼光は血のように赤い。
蛇の目的はシンプルだ。
食べたい。食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい。
蛇はどうしようもなく腹が減っていた。常に何かを口に入れておかなければ、今にも発狂してしまいそうなほど、凶悪な飢餓感に襲われていた。
忌わしい。この空腹感は本当に忌わしい。
蛇はあまり食事が好きではなかった。はっきり言えば嫌いであった。何故なら何を喰っても味がしない。蛇にとって食事とは空腹感を抑えるための手段にすぎなかった。
対して、蛇は眠ることが大好きだった。
あれはいい。冷たい土の中、まどろみに包まれるのはまさに最高だ。
しかし、そんな睡眠もこの空腹の前では、中断するしかない。
不愉快だ。この上なく不愉快だ。
この空腹感を埋めるため、再びまどろみに包まれるため、蛇は獲物を探した。
――ズザザザザッ。
地を這いずる。そして見つけた。
黒い体毛に覆われた巨大な猿。その横には小さな猿もいる。
二体とも土ごと喰らった。少し口内で暴れているようだが、気にせず呑みこむ。
やはり味はしない。しかも、腹の足しにもならない。
蛇は次の獲物を探した。大きく息を吸うだけで、簡単に見つかる。蛇は近くの大樹に蛇体を滑らせ、一気に這い上った。そして空を跳ぶ。
そこには鷹がいた。大きな翼を羽ばたかせた空の王者だ。
人間ぐらい攫えそうなその大鷹を蛇は丸呑みした。翼の一部を喰らい損ねるが、まあ、いい。大体は喰えた。しかし、味はしない。
蛇は、ズズゥンと大地に着地した後、すぐさま次の獲物を求めた。
地中に潜り、突き進む。そして嗅覚が地上にいる獲物の匂いを捉える。
――ドンッ!
火山の噴火のように、蛇が地中から飛び出した。
同時に地上にいた四足獣らしき魔獣の腹を喰い破る。今度は少し食い出があった。
しかし、まるで足りない。この程度ではまだまだ腹は満たされない。
ああ、眠りたい。そのためには喰わなくてはいけない。
――次の獲物はどこだ?
そこは、深い、深い森の中。
その蛇は蠢き続ける。ただ腹を満たすための獲物を求めて。
ドアがノックされ、ガハルドは視線をドアに向けた。
そこは市街区にある第三騎士団の詰め所。団長たるガハルドのための執務室だ。
ガハルドは執務机の上の書類に目を通しながら、
「……どうぞ。開いているぞ」
入室の許可をする。すると、「ああ、失礼する」という声を共にドアが開いた。
ガランはちらりと入室者へと目をやり、
「……なんだ、アランか」
と呟く。入室してきたのは彼の親友・アラン=フラムだった。
赤い騎士服を身に纏うガハルドと同世代の騎士。第一騎士団の上級騎士であるアランは実はガハルドの幼馴染でもあり、家族ぐるみの付き合いをするほど親しい人間だ。
「……しかし、相変わらずお前はいつも鎧を着ているんだな」
「ほっとけ。鎧とヘルムはフラム家の正装だ」
と、不貞腐れたように答えるアランは、右手にヘルムを、その身体にはブレストプレートを装着していた。そう。その姿が示すようにアランはサーシャの父親であった。
「そんなことよりガハルド。さっき、うちの団長から聞いたんだが、今回の三騎士団合同の遠征に騎士候補生まで使うのは、やはり本決まりなのか」
「……ああ、決まったよ。なにせ、《大暴走》が近い可能性がある。騎士候補生達も予備戦力として考えなければならないし、ならば少しでも実戦経験を、戦場の空気を経験させておいてやりたい、という意見が多くてな」
「……う~む。それには賛同できるが……しかし……」
眉間にしわを寄せて唸るアランに、ガハルドは苦笑を浮かべる。
「お前の気持ちは分かるよ。私もアリシアとサーシャが心配でならないからな。しかし、騎士を目指す以上、避けては通れない道だ」
「……ぬうう」
「……まあ、公私混同かも知れんが、二人には極力優秀な上司を付けるつもりだ」
そう言ってガハルドは立ち上がると、未だ呻き続ける親友の肩にポンと手を置いた。
「……ぬうう、お前がそう言うなら……しかし、《大暴走》とはな」
アランが苦々しく呟く。《大暴走》。彼にとっては思い出したくもない言葉だ。
「……ああ、備えはしてきたが、まさか、一年も早いとは……」
ガハルドの口調も固い。
《大暴走》――。それは、およそ十年に一度発生するこの国特有の災厄。
各町村、そして王都にまで押し寄せる魔獣達の大暴走を、シンプルにそう呼ぶのだ。
(……あれだけは、何度経験しても慣れんな)
ガハルドは過去の《大暴走》を思い浮かべ、険しい表情を浮かべた。
何故、魔獣達は暴走するのか。その原因はすでに判明している。
たった一体。たった一体の魔獣の存在が、すべての原因であった。
その元凶たる魔獣の名こそが――。
「……《業蛇》、か」
「……ああ、すべて《業蛇》のせいだ。奴がいるせいで《大暴走》は起こる。そう。奴さえいなければ……」
と、暗い情念を燃やすアランを、ガハルドが窘める。
「落ち着けアラン。気持ちは分かる。しかし、だからといって奴を倒すことは……」
ガハルドの呟きに、アランが口惜しいといった表情で唇をかみしめる。最強クラスの魔獣を一撃で殺し、喰らうような化け物など対応しようがない。
「……分かっているさ。《業蛇》に勝てないことは」
結局、そう納得するしかなかった。
最悪の魔獣――《業蛇》。
アティス王国は、長い年月をかけて《業蛇》について調べ上げていた。
百年以上前から伝わる過去の資料。それを紐解くと、どうやらかの魔獣はグラム島の固有種らしい。何でも《業蛇》はその数百年の長い生のほとんどを地中深くで過ごし、普段は休眠しているそうだ。そんな生態のためか、意外なことに、《業蛇》に殺された人間は過去数人のみ。本来は無害な魔獣だ。
しかし、十年に一度だけ。《業蛇》は不意に目覚めると地上に這い出て、いきなり暴飲暴食を始めるのだ。その間は一切眠ることもなく、優れた嗅覚で獲物を探しては一瞬で喰らい、また次の獲物へと。それを信じがたいペースで数カ月も繰り返すのである。
結果、樹海を縄張りにする魔獣達は、昼夜問わず《業蛇》の危機に晒され、遂に耐え切れなくなり、樹海から逃げ出すのだ。たった一体の魔獣を恐れて。
――そう。《大暴走》とはつまり《業蛇》から逃げ出した魔獣の群れなのだ。
恐怖で正気を失った数百の魔獣の群れが、街へと押し寄せる。
その悪夢のような光景を打ち破るのが、二千もの鎧機兵達だ。戦争経験のない平和な国がこれだけの戦力を有しているのは、十年に一度の災厄に備えてのことだった。
そして今、一年早い、九年目にして再び悪夢が訪れようとしている。
「果たして今回はどれほどの被害が出るのか……」
ガハルドは嘆息した。が、ふと気付く。
何やらアランが思い詰めたような表情を浮かべている。ガハルドは親友の心情を察し、先程よりも深い溜息をついた。
「……アラン。そう身構えるな。それに言っておくぞ」
「……何だ?」
不機嫌そうに問うアランに、ガハルドは鋭い眼差しで告げる。
「今回の遠征の目的は、騎士候補生に『ドラン』の魔獣との実戦を積ませること。そして《業蛇》の存在確認だ。間違っても《業蛇》に手を出そうなんて思うなよ」
「……それはさっきも言ったろ。《業蛇》には勝てない。手なんか出さないさ」
表情一つ変えずに返答するアランに対し、ガハルドは眉をしかめた。
「……どうだかな。《業蛇》はお前にとってはエレナさんの仇も同じだ。もし樹海で出くわしたら、お前、反射的に襲い掛かるんじゃないのか?」
「…………」
「沈黙するなよ。はっきり言うぞ。《業蛇》は人の手には負えない。立ち向かえば死ぬだけだ。エレナさん亡き今、お前まで死んだらサーシャは一人になるんだぞ」
「…………ぬうう」
愛娘の名を出され、思わず呻くアラン。
ガハルドは額に手を当てた。やはり《業蛇》に挑む気だったのか。
「あのなアラン。お前が死んだら、俺がサーシャの面倒をみるなんて期待するなよ。すぐさま嫁に出すから、覚悟しとけよ」
アリシアを守るためにもな、と小さく付け足すガハルド。
それはガハルドにとっては冗談、もしくは皮肉混じりの言葉だった。しかし、アランはその想定外の内容に驚愕し、目を見開いた。
「よ、嫁? は、はは、何を言っているんだガハルド。サーシャはまだ子供だぞ。嫁になんて……そもそも相手がいないじゃないか。は、はは、悪い冗談はよせよ」
「ん? いや、丸っきり冗談でもないんだが……もしかして、お前知らないのか」
眉根を寄せるガハルド。アランは困惑の表情を浮かべた。
「な、何をだ?」
「…………」
ガハルドは無言だった。ただ真直ぐ親友の顔を見据える。
困惑し続けるアラン。そしてしばらく経ってから、ガハルドはようやく口を開いた。
「……教えてやらん」
「ガ、ガハルドッ!?」
「知りたいなら生きて帰ってこい。その時教えてやる」
「ぐッ! ひ、卑怯だぞ! ガハルド!」
「卑怯もへったくれもあるか。さあ、雑談はここまでだ。こう見えても俺だって忙しいんだぞ。早く王宮に戻れ、フラム上級騎士」
そう言って席へ着き、ふんぞりがえるような姿勢で書類に目を通し始めるガハルド。その右手は犬を追い払うように動いている。
アランは「ぐぬぬ」と唸り声を上げながら、
「くそッ! ああ、いいだろう。生きて帰って来てやるよ! だから、その時は絶対に、絶っ対に話せよな! いいなガハルド!」
「…………」
「沈黙すんなよ!? 頼むから返事しろよッ!?」
「あー……分かった分かった。その時は嫁の話でも孫の話でもしてやるよ」
「――孫ッッ!? ランクアップしてる!?」
愕然とするアランを横目で確認して、笑いを堪えるガハルド。
そして、再びしっしと手を振り、
「早く行け。お前だって忙しんだろ。部下が待ってるぞ」
「ぐぬぬ、憶えておけよガハルド!」
そう捨て台詞を吐くと、アランはバタンッと勢いよくドアを閉めて退出していった。
静かになった執務室。ガハルドは書類を置き、じいっとドアを見据えた。
「……本当に無茶をするんじゃないぞ。アラン」
すでに去ったであろう親友に声をかける。
そして、ガハルドは祈るように天を仰いだ。
「どうか、アランとサーシャを見守ってくれ。……エレナさん」
◆
そこは、深い、深い森の中。
その蛇は蠢いていた。大樹の如き蛇体を唸らせ、矢じりで覆ったような鱗で大地や木々を削りとる。その眼光は血のように赤い。
蛇の目的はシンプルだ。
食べたい。食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい。
蛇はどうしようもなく腹が減っていた。常に何かを口に入れておかなければ、今にも発狂してしまいそうなほど、凶悪な飢餓感に襲われていた。
忌わしい。この空腹感は本当に忌わしい。
蛇はあまり食事が好きではなかった。はっきり言えば嫌いであった。何故なら何を喰っても味がしない。蛇にとって食事とは空腹感を抑えるための手段にすぎなかった。
対して、蛇は眠ることが大好きだった。
あれはいい。冷たい土の中、まどろみに包まれるのはまさに最高だ。
しかし、そんな睡眠もこの空腹の前では、中断するしかない。
不愉快だ。この上なく不愉快だ。
この空腹感を埋めるため、再びまどろみに包まれるため、蛇は獲物を探した。
――ズザザザザッ。
地を這いずる。そして見つけた。
黒い体毛に覆われた巨大な猿。その横には小さな猿もいる。
二体とも土ごと喰らった。少し口内で暴れているようだが、気にせず呑みこむ。
やはり味はしない。しかも、腹の足しにもならない。
蛇は次の獲物を探した。大きく息を吸うだけで、簡単に見つかる。蛇は近くの大樹に蛇体を滑らせ、一気に這い上った。そして空を跳ぶ。
そこには鷹がいた。大きな翼を羽ばたかせた空の王者だ。
人間ぐらい攫えそうなその大鷹を蛇は丸呑みした。翼の一部を喰らい損ねるが、まあ、いい。大体は喰えた。しかし、味はしない。
蛇は、ズズゥンと大地に着地した後、すぐさま次の獲物を求めた。
地中に潜り、突き進む。そして嗅覚が地上にいる獲物の匂いを捉える。
――ドンッ!
火山の噴火のように、蛇が地中から飛び出した。
同時に地上にいた四足獣らしき魔獣の腹を喰い破る。今度は少し食い出があった。
しかし、まるで足りない。この程度ではまだまだ腹は満たされない。
ああ、眠りたい。そのためには喰わなくてはいけない。
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