102 / 499
第3部
第八章 妖しの《星》⑦
しおりを挟む
「ふふ、では共に逝きましょうか。《天架麗人》」
恍惚をした表情でカテリーナは告げる。
それはとても死を前にした者の顔ではなかった。
その姿が、状況を窺っていたアリシア達の背筋に悪寒を走らせる。
「あ、姐さん! やべえ! 逃げろ!」
「教官! 早く脱出を!」
と、エドワード達が青ざめた顔で呼び掛け、
『オトハさん! 今行きます!』
『うん。引き剥がす!』
一方、アリシア達は、彼女達の乗る《ユニコス》で広場のほぼ中央で動かない二機に近付こうとする。それに対し、眉をしかめたのはカテリーナだった。
「それはやめてくれますか。その非力な機体では土台無理ですよ。アリシアさんはどうでもいいですが、《金色聖女》に死なれては困りますし」
『うっさいわね、おばさん! やってみないと分からないでしょう!』
『……いや。この女の言う通りだ。近付くなエイシス』
と、気炎を吐くアリシアを止めたのは、オトハの声だった。
淡々としたその声音に、動揺の色はなかった。
「あら。一緒に死んでくださる気になったのですか」
『そんな訳があるはずもないだろう。カテリーナ=ハリス』
と、そこで一度間を開け、オトハは通告した。
『お前は私を舐めすぎだ』
「……えっ?」
カテリーナは一瞬眉根を寄せた――その瞬間だった。
いきなり《羅刹》の尾も含めた四肢が両断されたのだ。カテリーナは驚愕で目を見開いた。《鬼刃》は刀を動かしていない。いや、愛機の腹部に深々と突き刺しているのだから動かしようもない。だというのに――。
言葉もないカテリーナをよそに、オトハは苦笑を浮かべた。
『終わらせると言ったはずだ。エイシス達の行動は私も予想外だったが、私は私で何の策も用意していないとでも思っていたのか?』
クラインといい、私はそんな考えなしに見えるのか。
そう続けて、オトハは溜息をついた。
今や腹部に刺された刀のみで支えられる《羅刹》。
その操縦席でカテリーナが呻いた。
「……一体何をしたのですか。《天架麗人》……」
『なに。簡単な話だ。剣戟の最中にコツコツと恒力の刃を構築しておいたのさ。この上なく鋭くて丈夫なやつをな』
オトハとて闇雲に剣戟を繰り返していた訳ではない。
密かに、宙空に不意打ち用の恒力の刃を準備しておいたのだ。尋常ではない恒力を注ぎ込んだ刃。よくて数分しか持たないが、その切れ味は名刀にも劣らない。
それこそ《羅刹》の四肢さえ容易く両断するほどに。
「……あなたは小細工を弄しないと噂で聞いていたのですが……」
『ふん。私だって小細工はするぞ。苦手なだけで』
カテリーナの怨念じみた声に、オトハは苦笑を浮かべて返した。
そして《鬼刃》が愛刀「崋山」を手放した。直後、支えを失った《羅刹》は音を立てて地面に落下する。操縦席の中でカテリーナが呻き声を上げた。
『……「崋山」はくれてやる。煉獄に持っていけ』
「……ええ。そうします。ありがたく頂戴しますよ」
もはや、愛機を残して逃げるような無様な真似はしない。
オトハは一瞬だけカテリーナを一瞥した後、《鬼刃》を後退させた。
恐らくあと数秒後には《羅刹》は爆発するだろう。
傍観していたアリシア達は緊張から声も出せず、オトハはただ黙って強敵の最後を見届けようとした――その時。
『やれやれ。やっぱりそんな状況になっていましたか』
突如、上空からそんな声が届いてくる。続けて銀の戦鎚を持つ藍色の半人半獣の鎧機兵が広場に音もなく降り立った。大破した《羅刹》の丁度真横の位置だ。
いきなり現れた異形の鎧機兵にアリシア達は目を丸くする。
そして、それはオトハと、カテリーナさえも同様だ。
「ボ、ボルド様! ダ、ダメです! お逃げください! ここは!」
『ええ、大体状況は分かっていますよ。ですので少しばかり手荒になりますが、許してくださいね。カテリーナさん』
ボルドがそう言うなり、《地妖星》がその左手をカテリーナに向けた。
「――――え」
唖然とした声を上げるカテリーナ。《地妖星》の手は彼女の華奢な身体を掴み、《羅刹》から強引に引きずり出した。
「え? え?」
未だ状況が分からずカテリーナは困惑していた。
そんな彼女をよそに、《地妖星》は戦鎚の石突を《羅刹》の残骸に突き立て、さらには力任せに放り投げた。
十セージル、二十セージル……。
打ち上げられた《羅刹》はどんどん上昇する。そして――。
――ゴウンッ!
突然、夜空で開く真紅の爆炎。《羅刹》が遂に自爆したのだ。
その衝撃は地上にまで押し寄せた。《鬼刃》と《ユニコス》は咄嗟に身構え、生身のエドワード達は耳を押さえてしゃがみこんだ。
そして《地妖星》はカテリーナを爆風から守るように両手で抱え込んでいた。
そうして数秒後、ようやく爆風も収まった。
『……いやはや、自爆は初めて見ましたが、想像以上の破壊力ですね。半径十セージルという情報は完全に間違っています』
ボルドは苦笑を浮かべつつ、愛機の腕の中に納まった女性を見やる。
常ならば冷静沈着な彼女が、今はただ呆然としていた。
「な、何故、ボルド様がここに……」
そう呟くカテリーナに、ボルドはふふっと笑って冗談を口にする。
『なに。虫の知らせですよ。私の大切な「奥さん」に危機が迫っているってね』
「お、奥さん……?」
『ええ。この国では私達は「新婚夫婦」です。なら、私が大切な「リーナさん」の危機に駆けつけないはずもないでしょう』
「ボルド様ぁ……」
カテリーナが片手で胸元を押させ、陶然とした声を上げた。
どうも予想とかなり違う反応に、ボルドは少し頬を引きつらせた。
『えっと、あの、カテリーナさん? ですから、その「ボルド様」というのはやめてくれませんか。面映ゆいですし』
しかし、カテリーナはいやいやと首を振るだけだった。
そんな二人に、言葉をかけたのはオトハだった。
『……悪ふざけはそこまでにしてもらおう』
凛としたその声は殺気立っている。
ボルドは目を細めて《鬼刃》を見据えた。
『これはタチバナさん。相も変わらず《鬼刃》は美しいですね』
『……下らん世辞もいい。貴様、クラインはどうした……』
何故、《地妖星》がここにいるのか。
最悪の考えがどうしても脳裏をよぎる。
しかし、対するボルドの返答は、実にあっけらかんとしたものだった。
『どうしたも何も、結局今回も決着はつきませんでした。どうも私とクラインさんは、そういう星の下にでも生まれたのでしょうかねえ』
オトハは眉をしかめた。信じてもいいのだろうか。
いや、この男は無駄なうそはつかない。額面通りと取るべきか。
『……そうか。それで貴様は帰るついでに部下を拾いにきた、と?』
『ええ。まさにその通りですよ』
と、気軽に答えるボルド。オトハは不快そうに唇をかむ。
恐らく今、《地妖星》の中でこの男はにこにこと笑っているに違いない。
『随分と部下思いなことだな。犯罪組織の大幹部が』
ふん、と鼻を鳴らすオトハ。同時に《鬼刃》が拳を構えた。刀を失ったのは痛いが、無手での闘法も心得ている。いつでも戦うことは出来た。
オトハの殺気に、周囲にいたアリシア達もようやくハッとして動き出す。
「お、おいロック!」
「分かっている! 俺達は離れるぞ!」
『オトハさん! 加勢します!』
エドワード、ロックは森の奥に避難し、《ユニコス》は双剣を構える。
しかし、ボルドの方にその気はないようで――。
『ああ、待ってください。ここにはカテリーナさんの回収に来ただけです。すぐにお暇しますよ。クラインさんにもそう告げていますし』
そう言った途端、《地妖星》が勢いよく前足を上げた。
何かの攻撃か! 咄嗟に大きく間合いを取る《鬼刃》と《ユニコス》。
しかし、《地妖星》は何の攻撃もしてこなかった。前足をそのまま地面に叩きつけると、後方へ向けて凄まじい大跳躍をしたのである。
『ッ!? 正気か貴様! 海に落ちるぞ!』
オトハが目を見開き、唖然とした叫びを上げた。
右手に戦鎚。左手にカテリーナを抱えた《地妖星》は森を飛び越え、夜の海へと向かっていたのだ。鎧機兵は陸上用。水には浮かない。このままでは沈むだけだ。
だが――《地妖星》は違った。
当然のように水上に着水したのである。森の隙間からその光景を目の当たりにしたオトハ達は言葉を失った。しかもまるで地面の上のように走り出すではないか。
最も早く正気に返ったのはオトハだった。
『――ッ! しまった! 構築系か!』
遠目かつ、星明かりで輝く水上だったため判断が遅れたが、彼女の「銀嶺の瞳」でよく見れば、海面上に恒力の膜が張ってある。《地妖星》はその上を疾走しているのだ。
オトハは追撃を考えた。構築系は彼女の十八番だ。同じことは当然できる。
『くッ! 追うぞ! 《鬼刃》!』
『ダメ! 待ってオトハさん!』
しかし、一歩踏み出した《鬼刃》をユーリィが止めた。
『何故止める、エマリア!』
『あんなの失敗したら死ぬ。追うのなら命懸けになる』
ユーリィの声は厳しかった。何がなんでもオトハを止める気だった。
その決意を感じ取り、オトハは苦々しい表情を一瞬浮かべるが、すぐに大きく息を吐いて脱力した。ユーリィの指摘は実に正しい。
海上を鎧機兵で疾走するなど、正気の沙汰ではない。
オトハはグッと唇をかみしめた。
そして徐々に遠ざかる《地妖星》の姿だけを目に焼き付ける。
もはや誰も言葉を発しない。
ただ、森の中に静寂だけが訪れるのだった……。
一方、その頃――。
そこは海が一望できる高台。奇しくもサーシャの攫われた場所である。
今、その場には一機の鎧機兵が佇んでいた。
異形の鎧と四本の角。鬼の如き貌を持つ漆黒の機体――《朱天》だ。
近くの木には銀髪の少女が寄りかかる姿もあった。
「……はんっ。やっぱそのルートを選んだか」
愛機の操縦席でアッシュは両腕を組んで笑う。
眼下の海には、海上を走り抜ける藍色の鎧機兵がいた。
「てめえならそう逃げると思ってたぜ。ボルド=グレッグ」
アッシュは凶悪な面構えでそう告げる。
そして眠り続けるサーシャを一瞥した後、再度《地妖星》の姿を睨みつけた。
「俺の身内に手を出してただで済むと思うなよ。クソジジイ……」
アッシュがそう呟いた途端、《朱天》がアギトを開いた。
続けて大量の《星霊》を喰らい、四本の《朱焔》が同時に輝き始める。
グウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ――!!
夜空を切り裂くような《朱天》の咆哮。
そして、漆黒の全身からわずかに発光する真紅が滲み出てくる。瞬く間に真紅一色に変貌した《朱天》の身体が周囲を煌々と照らした。
――真紅の《朱天》。
恒力値が七万四千ジンにまで至った、アッシュの切り札だ。
「さて、ボルド=グレッグ」
紅く発光する《朱天》は、照準を合わせるように左手を《地妖星》に向けた。
続けて、ズシンと左足を踏み出し、尾が地面を叩く。
「菓子折りの『お礼』だ。まあ、遠慮せずに受け取りな」
そう告げて、アッシュはにやりと笑った。
直後、《朱天》が右腕を大きく振りかぶる。掌には莫大な恒力が集束していた。
そして、アッシュは「お礼」の技の名を呟く。
「――《大穿風》――」
◆
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――!!
突如、噴き上がった巨大な水柱に、カテリーナは目を丸くしていた。
大量の水飛沫に全身が呑み込まれる。流石の《地妖星》も、突然の事態に対処しきれないようだ。大きくバランスを崩し、危うく海中に沈んでしまうところだった。
カテリーナは心配げな瞳で藍色の機体を見上げ――絶句した。
「ボ、ボルド様!」
『ああ、大丈夫ですよ、カテリーナさん。走行には問題ありません。しかし……流石はクラインさん。最後にやってくれましたね』
と、苦々しく嘯くボルド。彼の愛機・《地妖星》は右腕を失っていた。
先程の途轍もない衝撃波――恐らくは放出系闘技の一種だろう――によって喰い千切られるように持っていかれたのである。
「ボルド様……」
カテリーナは眉をハの字にして哀しげに呟く。
ボルドが自分を助けに来てくれたことは本当に嬉しい。しかし、結局のところ、自分は何の役にも立てなかったのだ。その上、《羅刹》まで失った。
自分の無能さにはホトホト嫌気が差す。情けなくて涙が出そうだ。
カテリーナは吐息をもらしてから、ボルドへ謝罪する。
「……申し訳ありません。私が《天架麗人》に敗れなければ……」
『ははっ、何を言いますか。見事な働きでしたよカテリーナさん。なにせ、あのタチバナさん相手にあそこまで持ち堪えたのですから』
結果だけ見ればかなりの出費をした上、上級機体である《羅刹》を失い、そして今、愛機の右腕まで粉砕された。
何一つ得ていない敗戦だ。しかし、ボルドはとても上機嫌だった。
(ふふ、何も変わっていませんでしたね。クラインさんは)
カテリーナにも秘密にしていた今回の本当の目的。
彼の宿敵が未だ牙を失っていないことを確認できただけでも上出来だった。
ともあれ、今回はここで幕引きだ。
ボルドは優しげな眼差しをカテリーナに向けて告げる。
『ふふ、さあ、カテリーナさん。バカンスも終わりです。私達の国に帰りますか』
カテリーナは一瞬呆けた顔をしたが、すぐに微笑を浮かべて、
「はい。承知しました。ボルド様」
『いや、カテリーナさん。ですから、その「ボルド様」は……』
「仕事も滞っているかもしれません。早く帰りましょう。ボルド様」
『はあ……その呼び方、せめて職場ではやめてくださいね。お願いですから』
何故か自分を様付けする部下に、深々と溜息をつくボルド。
対し、カテリーナはどことなく嬉しそうだ。
そんな二人を乗せて《地妖星》は月光が降り注ぐ海上を疾走する。
こうして《黒陽社》の二人が起こした騒動は、幕を下ろしたのであった。
恍惚をした表情でカテリーナは告げる。
それはとても死を前にした者の顔ではなかった。
その姿が、状況を窺っていたアリシア達の背筋に悪寒を走らせる。
「あ、姐さん! やべえ! 逃げろ!」
「教官! 早く脱出を!」
と、エドワード達が青ざめた顔で呼び掛け、
『オトハさん! 今行きます!』
『うん。引き剥がす!』
一方、アリシア達は、彼女達の乗る《ユニコス》で広場のほぼ中央で動かない二機に近付こうとする。それに対し、眉をしかめたのはカテリーナだった。
「それはやめてくれますか。その非力な機体では土台無理ですよ。アリシアさんはどうでもいいですが、《金色聖女》に死なれては困りますし」
『うっさいわね、おばさん! やってみないと分からないでしょう!』
『……いや。この女の言う通りだ。近付くなエイシス』
と、気炎を吐くアリシアを止めたのは、オトハの声だった。
淡々としたその声音に、動揺の色はなかった。
「あら。一緒に死んでくださる気になったのですか」
『そんな訳があるはずもないだろう。カテリーナ=ハリス』
と、そこで一度間を開け、オトハは通告した。
『お前は私を舐めすぎだ』
「……えっ?」
カテリーナは一瞬眉根を寄せた――その瞬間だった。
いきなり《羅刹》の尾も含めた四肢が両断されたのだ。カテリーナは驚愕で目を見開いた。《鬼刃》は刀を動かしていない。いや、愛機の腹部に深々と突き刺しているのだから動かしようもない。だというのに――。
言葉もないカテリーナをよそに、オトハは苦笑を浮かべた。
『終わらせると言ったはずだ。エイシス達の行動は私も予想外だったが、私は私で何の策も用意していないとでも思っていたのか?』
クラインといい、私はそんな考えなしに見えるのか。
そう続けて、オトハは溜息をついた。
今や腹部に刺された刀のみで支えられる《羅刹》。
その操縦席でカテリーナが呻いた。
「……一体何をしたのですか。《天架麗人》……」
『なに。簡単な話だ。剣戟の最中にコツコツと恒力の刃を構築しておいたのさ。この上なく鋭くて丈夫なやつをな』
オトハとて闇雲に剣戟を繰り返していた訳ではない。
密かに、宙空に不意打ち用の恒力の刃を準備しておいたのだ。尋常ではない恒力を注ぎ込んだ刃。よくて数分しか持たないが、その切れ味は名刀にも劣らない。
それこそ《羅刹》の四肢さえ容易く両断するほどに。
「……あなたは小細工を弄しないと噂で聞いていたのですが……」
『ふん。私だって小細工はするぞ。苦手なだけで』
カテリーナの怨念じみた声に、オトハは苦笑を浮かべて返した。
そして《鬼刃》が愛刀「崋山」を手放した。直後、支えを失った《羅刹》は音を立てて地面に落下する。操縦席の中でカテリーナが呻き声を上げた。
『……「崋山」はくれてやる。煉獄に持っていけ』
「……ええ。そうします。ありがたく頂戴しますよ」
もはや、愛機を残して逃げるような無様な真似はしない。
オトハは一瞬だけカテリーナを一瞥した後、《鬼刃》を後退させた。
恐らくあと数秒後には《羅刹》は爆発するだろう。
傍観していたアリシア達は緊張から声も出せず、オトハはただ黙って強敵の最後を見届けようとした――その時。
『やれやれ。やっぱりそんな状況になっていましたか』
突如、上空からそんな声が届いてくる。続けて銀の戦鎚を持つ藍色の半人半獣の鎧機兵が広場に音もなく降り立った。大破した《羅刹》の丁度真横の位置だ。
いきなり現れた異形の鎧機兵にアリシア達は目を丸くする。
そして、それはオトハと、カテリーナさえも同様だ。
「ボ、ボルド様! ダ、ダメです! お逃げください! ここは!」
『ええ、大体状況は分かっていますよ。ですので少しばかり手荒になりますが、許してくださいね。カテリーナさん』
ボルドがそう言うなり、《地妖星》がその左手をカテリーナに向けた。
「――――え」
唖然とした声を上げるカテリーナ。《地妖星》の手は彼女の華奢な身体を掴み、《羅刹》から強引に引きずり出した。
「え? え?」
未だ状況が分からずカテリーナは困惑していた。
そんな彼女をよそに、《地妖星》は戦鎚の石突を《羅刹》の残骸に突き立て、さらには力任せに放り投げた。
十セージル、二十セージル……。
打ち上げられた《羅刹》はどんどん上昇する。そして――。
――ゴウンッ!
突然、夜空で開く真紅の爆炎。《羅刹》が遂に自爆したのだ。
その衝撃は地上にまで押し寄せた。《鬼刃》と《ユニコス》は咄嗟に身構え、生身のエドワード達は耳を押さえてしゃがみこんだ。
そして《地妖星》はカテリーナを爆風から守るように両手で抱え込んでいた。
そうして数秒後、ようやく爆風も収まった。
『……いやはや、自爆は初めて見ましたが、想像以上の破壊力ですね。半径十セージルという情報は完全に間違っています』
ボルドは苦笑を浮かべつつ、愛機の腕の中に納まった女性を見やる。
常ならば冷静沈着な彼女が、今はただ呆然としていた。
「な、何故、ボルド様がここに……」
そう呟くカテリーナに、ボルドはふふっと笑って冗談を口にする。
『なに。虫の知らせですよ。私の大切な「奥さん」に危機が迫っているってね』
「お、奥さん……?」
『ええ。この国では私達は「新婚夫婦」です。なら、私が大切な「リーナさん」の危機に駆けつけないはずもないでしょう』
「ボルド様ぁ……」
カテリーナが片手で胸元を押させ、陶然とした声を上げた。
どうも予想とかなり違う反応に、ボルドは少し頬を引きつらせた。
『えっと、あの、カテリーナさん? ですから、その「ボルド様」というのはやめてくれませんか。面映ゆいですし』
しかし、カテリーナはいやいやと首を振るだけだった。
そんな二人に、言葉をかけたのはオトハだった。
『……悪ふざけはそこまでにしてもらおう』
凛としたその声は殺気立っている。
ボルドは目を細めて《鬼刃》を見据えた。
『これはタチバナさん。相も変わらず《鬼刃》は美しいですね』
『……下らん世辞もいい。貴様、クラインはどうした……』
何故、《地妖星》がここにいるのか。
最悪の考えがどうしても脳裏をよぎる。
しかし、対するボルドの返答は、実にあっけらかんとしたものだった。
『どうしたも何も、結局今回も決着はつきませんでした。どうも私とクラインさんは、そういう星の下にでも生まれたのでしょうかねえ』
オトハは眉をしかめた。信じてもいいのだろうか。
いや、この男は無駄なうそはつかない。額面通りと取るべきか。
『……そうか。それで貴様は帰るついでに部下を拾いにきた、と?』
『ええ。まさにその通りですよ』
と、気軽に答えるボルド。オトハは不快そうに唇をかむ。
恐らく今、《地妖星》の中でこの男はにこにこと笑っているに違いない。
『随分と部下思いなことだな。犯罪組織の大幹部が』
ふん、と鼻を鳴らすオトハ。同時に《鬼刃》が拳を構えた。刀を失ったのは痛いが、無手での闘法も心得ている。いつでも戦うことは出来た。
オトハの殺気に、周囲にいたアリシア達もようやくハッとして動き出す。
「お、おいロック!」
「分かっている! 俺達は離れるぞ!」
『オトハさん! 加勢します!』
エドワード、ロックは森の奥に避難し、《ユニコス》は双剣を構える。
しかし、ボルドの方にその気はないようで――。
『ああ、待ってください。ここにはカテリーナさんの回収に来ただけです。すぐにお暇しますよ。クラインさんにもそう告げていますし』
そう言った途端、《地妖星》が勢いよく前足を上げた。
何かの攻撃か! 咄嗟に大きく間合いを取る《鬼刃》と《ユニコス》。
しかし、《地妖星》は何の攻撃もしてこなかった。前足をそのまま地面に叩きつけると、後方へ向けて凄まじい大跳躍をしたのである。
『ッ!? 正気か貴様! 海に落ちるぞ!』
オトハが目を見開き、唖然とした叫びを上げた。
右手に戦鎚。左手にカテリーナを抱えた《地妖星》は森を飛び越え、夜の海へと向かっていたのだ。鎧機兵は陸上用。水には浮かない。このままでは沈むだけだ。
だが――《地妖星》は違った。
当然のように水上に着水したのである。森の隙間からその光景を目の当たりにしたオトハ達は言葉を失った。しかもまるで地面の上のように走り出すではないか。
最も早く正気に返ったのはオトハだった。
『――ッ! しまった! 構築系か!』
遠目かつ、星明かりで輝く水上だったため判断が遅れたが、彼女の「銀嶺の瞳」でよく見れば、海面上に恒力の膜が張ってある。《地妖星》はその上を疾走しているのだ。
オトハは追撃を考えた。構築系は彼女の十八番だ。同じことは当然できる。
『くッ! 追うぞ! 《鬼刃》!』
『ダメ! 待ってオトハさん!』
しかし、一歩踏み出した《鬼刃》をユーリィが止めた。
『何故止める、エマリア!』
『あんなの失敗したら死ぬ。追うのなら命懸けになる』
ユーリィの声は厳しかった。何がなんでもオトハを止める気だった。
その決意を感じ取り、オトハは苦々しい表情を一瞬浮かべるが、すぐに大きく息を吐いて脱力した。ユーリィの指摘は実に正しい。
海上を鎧機兵で疾走するなど、正気の沙汰ではない。
オトハはグッと唇をかみしめた。
そして徐々に遠ざかる《地妖星》の姿だけを目に焼き付ける。
もはや誰も言葉を発しない。
ただ、森の中に静寂だけが訪れるのだった……。
一方、その頃――。
そこは海が一望できる高台。奇しくもサーシャの攫われた場所である。
今、その場には一機の鎧機兵が佇んでいた。
異形の鎧と四本の角。鬼の如き貌を持つ漆黒の機体――《朱天》だ。
近くの木には銀髪の少女が寄りかかる姿もあった。
「……はんっ。やっぱそのルートを選んだか」
愛機の操縦席でアッシュは両腕を組んで笑う。
眼下の海には、海上を走り抜ける藍色の鎧機兵がいた。
「てめえならそう逃げると思ってたぜ。ボルド=グレッグ」
アッシュは凶悪な面構えでそう告げる。
そして眠り続けるサーシャを一瞥した後、再度《地妖星》の姿を睨みつけた。
「俺の身内に手を出してただで済むと思うなよ。クソジジイ……」
アッシュがそう呟いた途端、《朱天》がアギトを開いた。
続けて大量の《星霊》を喰らい、四本の《朱焔》が同時に輝き始める。
グウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ――!!
夜空を切り裂くような《朱天》の咆哮。
そして、漆黒の全身からわずかに発光する真紅が滲み出てくる。瞬く間に真紅一色に変貌した《朱天》の身体が周囲を煌々と照らした。
――真紅の《朱天》。
恒力値が七万四千ジンにまで至った、アッシュの切り札だ。
「さて、ボルド=グレッグ」
紅く発光する《朱天》は、照準を合わせるように左手を《地妖星》に向けた。
続けて、ズシンと左足を踏み出し、尾が地面を叩く。
「菓子折りの『お礼』だ。まあ、遠慮せずに受け取りな」
そう告げて、アッシュはにやりと笑った。
直後、《朱天》が右腕を大きく振りかぶる。掌には莫大な恒力が集束していた。
そして、アッシュは「お礼」の技の名を呟く。
「――《大穿風》――」
◆
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――!!
突如、噴き上がった巨大な水柱に、カテリーナは目を丸くしていた。
大量の水飛沫に全身が呑み込まれる。流石の《地妖星》も、突然の事態に対処しきれないようだ。大きくバランスを崩し、危うく海中に沈んでしまうところだった。
カテリーナは心配げな瞳で藍色の機体を見上げ――絶句した。
「ボ、ボルド様!」
『ああ、大丈夫ですよ、カテリーナさん。走行には問題ありません。しかし……流石はクラインさん。最後にやってくれましたね』
と、苦々しく嘯くボルド。彼の愛機・《地妖星》は右腕を失っていた。
先程の途轍もない衝撃波――恐らくは放出系闘技の一種だろう――によって喰い千切られるように持っていかれたのである。
「ボルド様……」
カテリーナは眉をハの字にして哀しげに呟く。
ボルドが自分を助けに来てくれたことは本当に嬉しい。しかし、結局のところ、自分は何の役にも立てなかったのだ。その上、《羅刹》まで失った。
自分の無能さにはホトホト嫌気が差す。情けなくて涙が出そうだ。
カテリーナは吐息をもらしてから、ボルドへ謝罪する。
「……申し訳ありません。私が《天架麗人》に敗れなければ……」
『ははっ、何を言いますか。見事な働きでしたよカテリーナさん。なにせ、あのタチバナさん相手にあそこまで持ち堪えたのですから』
結果だけ見ればかなりの出費をした上、上級機体である《羅刹》を失い、そして今、愛機の右腕まで粉砕された。
何一つ得ていない敗戦だ。しかし、ボルドはとても上機嫌だった。
(ふふ、何も変わっていませんでしたね。クラインさんは)
カテリーナにも秘密にしていた今回の本当の目的。
彼の宿敵が未だ牙を失っていないことを確認できただけでも上出来だった。
ともあれ、今回はここで幕引きだ。
ボルドは優しげな眼差しをカテリーナに向けて告げる。
『ふふ、さあ、カテリーナさん。バカンスも終わりです。私達の国に帰りますか』
カテリーナは一瞬呆けた顔をしたが、すぐに微笑を浮かべて、
「はい。承知しました。ボルド様」
『いや、カテリーナさん。ですから、その「ボルド様」は……』
「仕事も滞っているかもしれません。早く帰りましょう。ボルド様」
『はあ……その呼び方、せめて職場ではやめてくださいね。お願いですから』
何故か自分を様付けする部下に、深々と溜息をつくボルド。
対し、カテリーナはどことなく嬉しそうだ。
そんな二人を乗せて《地妖星》は月光が降り注ぐ海上を疾走する。
こうして《黒陽社》の二人が起こした騒動は、幕を下ろしたのであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!
くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作)
異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」
チート魅了スキルで始まる、美少女たちとの異世界ハーレム生活
仙道
ファンタジー
ごく普通の会社員だった佐々木健太は、異世界へ転移してして、あらゆる女性を無条件に魅了するチート能力を手にする。
彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。
異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる
家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。
召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。
多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。
しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。
何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる