クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第4部

第一章 出会い①

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 カリカリ、と。
 その少女は帳簿に筆を走らせていた。
 年齢は十四歳。毛先の部位のみ緩やかに波打つ空色の髪と、雪のような白い肌。そして翡翠色の瞳を持つ、美麗な顔立ちの少女だ。
 実年齢より二歳ほど幼く見える華奢な身体には、白いつなぎを纏っている。
 彼女は卓袱台の前に座り、黙々と作業をこなしていた。
 と、その時、その少女――ユーリィ=エマリアは手を止めて身震いする。
 続けてキョロキョロと周囲を見渡す。
 何故だろうか。とても嫌な予感がしたのだ。
 しかし、特に誰かがいる訳ではない。
 いつもの畳に衾。『和』と呼ばれる様式の、見慣れた茶の間の光景だ。
 ユーリィは小首を傾げた。

(……一体何だったんだろう?)

 ともあれ、考えても答えは出ない。
 ユーリィは作業に戻った。今彼女が行っているのは今月の収支まとめだ。
 彼女の同居人。このクライン工房の主人であり、いずれは彼女の主人にもなる予定(※願望)の青年はこの手の計算が非常に苦手なため、家計簿を含めて金銭の動きはユーリィがすべて管理していた。

「…………」

 ユーリィは無言のまま、表情一つ変えずに筆を走らせる。
 が、不意に少しだけ口元を綻ばせた。帳簿を両手で取り大きく掲げる。
 そして、そこに記した数字を見て目を細める。

「……順調。この分ならオトハさんの借金も来月には無くなる」

 そう呟いて、ユーリィは再び微笑んだ。
 オトハ=タチバナ。
 ユーリィのもう一人の同居人であり、目下もっとも警戒すべき人物だ。
 なにせ、オトハはユーリィ同様、この工房の主人に想いを寄せているのである。
 そんな彼女はこの国に来るなり、自業自得な失態をした挙句、多額の借金までして無一文になった。それを見かねた工房の主人が居候を許可したのだ。

 ユーリィとしては面白くない。
 新天地に築いた二人の愛の巣に潜り込んだお邪魔虫。
 それが、オトハに対するユーリィの認識だ。
 だがしかし、数ヶ月かけてようやく借金も完済の目処がついた。これでオトハにこの工房に居座り続ける大義名分はない。
 やっと二人の時間が取り戻せる。相好も崩れるものだ。

「おっ、なんか上機嫌だな。ユーリィ」

 その時、茶の間に一人の青年が入ってきた。ユーリィと同じデザインのつなぎを纏い、黒い瞳と毛先だけがわずかに黒い白髪が特徴的な、痩身の青年だ。
 アッシュ=クライン。
 ユーリィの想い人にして、この工房の主人だ。
 かれこれ、六年以上の付き合いになる彼女の家族でもある。
 アッシュは工房での作業が一段落ついたのか、卓袱台を挟んでユーリィの正面に胡坐をかいて座った。それからユーリィを見据えて、

「なんか良いことでもあったのか、ユーリィ?」

 と、尋ねてくる。ユーリィはこくんと頷いた。

「今、収支計算をしていた。この分だとオトハさんの借金は来月には返済できる」

「へえ~、そっかあ。これでオトの奴も気が楽になんな」

 アッシュはあごに手を当て、感慨深げに呟いた。
 ちなみに「オト」というのは、アッシュがオトハに使う愛称だ。

「うん。これでオトハさんも大陸に帰って傭兵に戻れる」

 普段あまり笑わないユーリィがにこやかな笑みを浮かべた。
 が、それに対して、アッシュはキョトンとした表情を見せる。

「へ? 何言ってんだ? オトはまだ当分の間、大陸には戻んねえぞ」

「……え?」

 今度はユーリィがキョトンとした顔をする。

「ほら、あいつって今騎士学校の教官のバイトしてんだろ。あれって一年契約なんだよ。だから借金がなくても、あと半年ぐらいはいるぞ」

 まるで世間話のように、アッシュはとんでもないことを告げた。
 ユーリィの顔が一気に青ざめる。

「えっ、借金が無くなったら帰るんじゃないの?」

「ん? そういや言ってなかったか? まあ、あいつ今の仕事かなり気に入ってるみたいでな。今の教え子達が卒業するまで勤めようか、とか言ってんだよ」

 アッシュは腕を組んでそう宣う。
 ユーリィはますます青ざめた。まさかあの女、あと二年以上も居座る気なのか。

「よ、傭兵稼業ってそんなに休んでも大丈夫なの?」

「まぁ個人で三年近くも休業したら致命的だが、あいつの場合は傭兵団所属だかんな。次の長期休暇に一度セラ大陸に戻って《黒蛇》の団長に休業報告するってよ」

 と、アッシュは気軽な声で告げるが、ユーリィは忌々しげに歯がみした。
 もはや確信する。あの黒毛女、完全に居座る気だ。

「まっ、オトがいると俺も色々助かるしな」

 ユーリィの気持ちなど露知らず、アッシュは呑気に言う。
 ……まあ、ユーリィとしても、アッシュがそう思う気持ちも分からなくもない。
 アッシュはユーリィの父親代わりだ。しかし、男性であるがゆえに、ユーリィのことで彼の手には余るような事態も少なからずある。
 そんな時に、信頼できる女性であるオトハの存在は非常にありがたいのだろう。
 アッシュは常に、ユーリィのことを第一に考えている。
 だが、それでもユーリィは不満を隠せない。

(……むう)

 ここは楽観視せず、何かしらの対策が必要なのかもしれない。
 ユーリィは睨みつけるように、手に持つ帳簿に視線を落とす。アッシュが不思議そうに首を傾げているが、気にしないで考え込む。

(……やっぱりアリシアさんの提案は正しかった)

 それは、今から約二ヶ月前のこと。
 とあるホテルの一室で交わされた、ユーリィを含めた三人の少女達の密約。
 その内の一人。アリシア=エイシスが、アッシュに対しあまりにも親しすぎるオトハを警戒して提案した「少女同盟」のことを思い起こす。
 やはりアリシアの進言通り、オトハは全力で対処しなければならない「敵」のようだ。

「……? ユーリィ? どうしたんだ? さっきから黙り込んで」

 と、訊いてくるアッシュをよそに、ユーリィは緊迫した面持ちで顔を上げた。
 早急に対処方法を考案しなければならない。

(うん。何としてでもオトハさんを封じないと……)

 断固たる意志を込めて拳を握るユーリィ。
 しかし、この時、彼女はまだ知らなかったのだ。
 遥かなる大海原を越えて。
 今まさに、オトハと双璧を成す人物が、刻一刻と近付いてきていることに――。
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