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第4部
プロローグ
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冬が近付く季節。やや肌寒い朝。
その少年は、黙々と修練を積んでいた。
手に持つ槍を右に左にへと軽やかに動かし、神速の如き突きを何度も繰り出す。
周囲は見渡しの良い庭園。綺麗に剪定された木々が並び、白い石畳の道には等間隔で木製の長椅子が設置されている。近くには朝日に輝く噴水。遠目には少年の実家である荘厳な館の姿が確認できる。普段ならば館の中にある訓練室で修練を積むのだが、今日は気分転換に場所を屋外に変えてみたのだ。
「……ふう」
槍を真直ぐ構え、少年は呼気を整えた。
そして少年は柄の一部をわずかに捩じった。途端、カシュッと音を立て、槍の柄が短くなる。一部の騎士に愛用されるギミック付きの携帯用の槍だ。
「……今朝の修練はここまでにするか」
と呟き、少年は腰のホルダーに短剣ほどになった槍を納め、近くの長椅子に座った。
庭園の中で椅子に座る。ただそれだけで彼は絵になる少年だった。
年の頃は十五、六。黒を基調にした騎士服を身に纏った、整った顔立ちの少年。
真紅の髪と瞳が印象的な、気品を漂わせる少年であった。
彼はおもむろに懐に手を入れると、服の内側から一枚の絵を取り出した。
精巧な作りの絵。それは、写真機で撮った一枚の写真だった。
「……はあ」
溜息をつく少年。写真には一人の少女の姿が写っていた。
年齢は十二歳ほどか。白い法衣を着た、空色の髪を持つ美しい少女だ。
恐らく少女自身は写真機で撮られている事に気付いていないのだろう。写真に映る彼女は横顔であり、宝石を思わせる翡翠色の瞳はどこか別方向を見つめていた。
「……はあ、ユーリィ様」
少年は再び溜息をついた。
彼にとって誰よりも大切な少女は、今や遥か海の向こうだ。
それを思うと、溜息が出るのも仕方がない。
少年は世を嘆くように片手で額を押さえて、長椅子の背もたれに寄りかかった。
「……まったく。姉さんがもっとしっかりしていれば……」
「なに? アタシのこと呼んだ?」
「――ッ!?」
突如後ろから聞こえてきた声に、少年は息を呑む。
慌てて振り向くと、そこには背もたれに両肘を掛けて一人の女性が立っていた。
年齢は二十一歳。背は少し長身でスレンダーな体型。少年と同色の瞳を持ち、肩まである真紅の髪にはきつめのウェーブがかかっている。猫科を思わせるような少し険のある面持ちをしているが、充分すぎるほど美女で通る容姿の女性だ。
少年の実姉、ミランシャ=ハウルである。
「ね、姉さん……いつからそこに?」
ササッと写真を服の中に隠しつつ、少年――アルフレッド=ハウルは問う。
ミランシャは少年と同じ黒い騎士服と、その上に白のサーコートを纏っていた。
アルフレッドは眉根を寄せる。
「姉さん。確か今朝は副団長に呼ばれていたんじゃないの?」
彼らハウル姉弟は、共にグレイシア皇国騎士団に所属していた。
そして今日。姉のミランシャは朝早くから副団長に呼び出され、ラスティアン宮殿に出向いていたはずだった。
「それならもう終わったわよ。簡単な話だったしね。けどさ、アルフ」
ミランシャは弟の顔をまじまじと見つめ、
「あんたさ。ユーリィちゃんの写真見てニマニマ笑うのやめなさいよね。不気味だし、何より未練たっぷりすぎてお姉ちゃん情けなくなるわ」
「なッ!?」
姉のその言い草に、アルフレッドは驚き以上にカチンときた。
「何が未練だよ! まだまだ終わってないよ! 第一今の状況は、はっきり言って姉さんが不甲斐ないせいじゃないか!」
と、立ち上がって吠えるアルフレッド。今度はミランシャの方がムッとした。
「……なによそれ。アタシが不甲斐ないってどういう意味よ」
「そのままの意味だよ! 姉さんがアシュ兄を、ちゃんと繋ぎとめておかないからユーリィ様までこの国から出ていったんじゃないか!」
「ぐっ! だ、だってさ……」
弟の気迫に圧され、ミランシャはもじもじと指を動かした。
「アシュ君が鈍感なのは、アルフもよく知ってるじゃない。アタシだってそれなりに頑張ったのよ? けど全然伝わんなくって……」
成果もなく努力だけ語る姉を、アルフレッドはジト目で睨みつけた。
「……あれだけ一緒にいたのに。そもそも今の状況は姉さんもまずいと思っているんでしょう? 副団長の話だとアシュ兄とオトハさん、いま同棲してるって……」
何気なく呟いた台詞。直後、ミランシャがどす黒いオーラを放つ。
アルフレッドの頬が引きつった。
「ね、姉さん……?」
命の危機さえ感じて思わず後ずさるアルフレッド。
「……同棲じゃないわ」
ミランシャは呟く。
「ただの居候よ。アシュ君は優しいからお金がなくて困っているオトハちゃんを見かねて居候させて上げてるだけなのよ。そこは間違えちゃダメよ、アルフレッド……」
「そ、そうだね。僕が間違えてたよ」
全く感情の宿っていない姉の声に、アルフレッドはコクコクと頷く。
否定すると、とんでもないことになりそうだ。
ともあれ、アルフレッドは話を切り替えることした。
「と、ところで姉さん。副団長の話って何だったの?」
無難な話題を上げる。と、意外にもミランシャの喰いつきは良かった。
暗い表情から一転。パアッと瞳を輝かせて。
「うふふ。なに? 聞きたいの?」
「う、うん。聞きたいな。教えてくれる? 姉さん」
アルフレッドが顔を強張らせてそう告げると、ミランシャは満足げに微笑んだ。
そしておもむろにサーコートの裏側に手を入れて、
「ふふっ、とくと見なさい! 我が弟よ!」
そう威勢よく告げ、ミランシャはそれを取り出した。
アルフレッドは眉をひそめた。
「それは……手紙?」
ミランシャが取り出したのは三通の手紙だった。内二つは白い封筒に入ったもの。そして残った一つは他二つに比べ、やけに分厚い薄紅色の封筒だ。
「何だい? その手紙」
アルフレッドは率直に姉に訊いた。
対し、ミランシャは手紙を両手でかざしたまま、ふふんと笑う。
「この手紙はね。副団長と、さる高貴なお方からお預かりした大切な手紙なのよ。私は今朝、副団長からこの手紙を『ある人物達』に届けて欲しいと頼まれたの」
「はあ? そんなの郵送すればいいだけじゃないか」
アルフレッドがもっともな意見を告げる。
すると、ミランシャは再びふふんと笑った。
「確かに副団長の手紙だけなら、それもOKだけど……よく見なさい。こっちの薄紅色の手紙の封蝋を。見覚えない?」
「見覚えって……」
アルフレッドは眉をひそめつつ、手紙に顔を近付けた。
そして――ハッとする。
「え? こ、この紋章って!」
封蝋に刻まれた見覚えがありすぎる紋章に、アルフレッドは唖然とする。
まさか、この手紙の送り主とは――。
「流石にこれを郵送する訳にもいかないでしょう。だから運び手に私が選ばれたのよ」
ミランシャはとても慎ましい胸を張ってそう告げる。
アルフレッドは未だ硬直していたが、不意に我に返り、
「そ、そんな手紙、誰に届けるの? もしかして他国の要人?」
若くとも、アルフレッドもれっきとした皇国騎士の一人。普段ならば身内であっても任務の詳細など問い質さないのだが、この時ばかりは彼も動揺していた。
すると、ミランシャはいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「ふふ、聞きたい? いいわよ。そもそもこの任務は私達二人に任されたものだしね」
そう告げるなり彼女は弟の耳元に顔を近付け、ぼそぼそと任務の詳細を伝えた。
途端、アルフレッドの顔色が変わる。
「ね、姉さん! それ本当なの!?」
「ふふ、そんなつまらないうそを、アタシがつく訳ないでしょう」
そう嘯いて、ミランシャは三通の手紙をサーコートの裏側に戻した。
そして未だ困惑する弟に堂々と告げるのだった。
「さあ! 忙しくなるわよアルフ! なにせ、これから海を越えるんだからね!」
その少年は、黙々と修練を積んでいた。
手に持つ槍を右に左にへと軽やかに動かし、神速の如き突きを何度も繰り出す。
周囲は見渡しの良い庭園。綺麗に剪定された木々が並び、白い石畳の道には等間隔で木製の長椅子が設置されている。近くには朝日に輝く噴水。遠目には少年の実家である荘厳な館の姿が確認できる。普段ならば館の中にある訓練室で修練を積むのだが、今日は気分転換に場所を屋外に変えてみたのだ。
「……ふう」
槍を真直ぐ構え、少年は呼気を整えた。
そして少年は柄の一部をわずかに捩じった。途端、カシュッと音を立て、槍の柄が短くなる。一部の騎士に愛用されるギミック付きの携帯用の槍だ。
「……今朝の修練はここまでにするか」
と呟き、少年は腰のホルダーに短剣ほどになった槍を納め、近くの長椅子に座った。
庭園の中で椅子に座る。ただそれだけで彼は絵になる少年だった。
年の頃は十五、六。黒を基調にした騎士服を身に纏った、整った顔立ちの少年。
真紅の髪と瞳が印象的な、気品を漂わせる少年であった。
彼はおもむろに懐に手を入れると、服の内側から一枚の絵を取り出した。
精巧な作りの絵。それは、写真機で撮った一枚の写真だった。
「……はあ」
溜息をつく少年。写真には一人の少女の姿が写っていた。
年齢は十二歳ほどか。白い法衣を着た、空色の髪を持つ美しい少女だ。
恐らく少女自身は写真機で撮られている事に気付いていないのだろう。写真に映る彼女は横顔であり、宝石を思わせる翡翠色の瞳はどこか別方向を見つめていた。
「……はあ、ユーリィ様」
少年は再び溜息をついた。
彼にとって誰よりも大切な少女は、今や遥か海の向こうだ。
それを思うと、溜息が出るのも仕方がない。
少年は世を嘆くように片手で額を押さえて、長椅子の背もたれに寄りかかった。
「……まったく。姉さんがもっとしっかりしていれば……」
「なに? アタシのこと呼んだ?」
「――ッ!?」
突如後ろから聞こえてきた声に、少年は息を呑む。
慌てて振り向くと、そこには背もたれに両肘を掛けて一人の女性が立っていた。
年齢は二十一歳。背は少し長身でスレンダーな体型。少年と同色の瞳を持ち、肩まである真紅の髪にはきつめのウェーブがかかっている。猫科を思わせるような少し険のある面持ちをしているが、充分すぎるほど美女で通る容姿の女性だ。
少年の実姉、ミランシャ=ハウルである。
「ね、姉さん……いつからそこに?」
ササッと写真を服の中に隠しつつ、少年――アルフレッド=ハウルは問う。
ミランシャは少年と同じ黒い騎士服と、その上に白のサーコートを纏っていた。
アルフレッドは眉根を寄せる。
「姉さん。確か今朝は副団長に呼ばれていたんじゃないの?」
彼らハウル姉弟は、共にグレイシア皇国騎士団に所属していた。
そして今日。姉のミランシャは朝早くから副団長に呼び出され、ラスティアン宮殿に出向いていたはずだった。
「それならもう終わったわよ。簡単な話だったしね。けどさ、アルフ」
ミランシャは弟の顔をまじまじと見つめ、
「あんたさ。ユーリィちゃんの写真見てニマニマ笑うのやめなさいよね。不気味だし、何より未練たっぷりすぎてお姉ちゃん情けなくなるわ」
「なッ!?」
姉のその言い草に、アルフレッドは驚き以上にカチンときた。
「何が未練だよ! まだまだ終わってないよ! 第一今の状況は、はっきり言って姉さんが不甲斐ないせいじゃないか!」
と、立ち上がって吠えるアルフレッド。今度はミランシャの方がムッとした。
「……なによそれ。アタシが不甲斐ないってどういう意味よ」
「そのままの意味だよ! 姉さんがアシュ兄を、ちゃんと繋ぎとめておかないからユーリィ様までこの国から出ていったんじゃないか!」
「ぐっ! だ、だってさ……」
弟の気迫に圧され、ミランシャはもじもじと指を動かした。
「アシュ君が鈍感なのは、アルフもよく知ってるじゃない。アタシだってそれなりに頑張ったのよ? けど全然伝わんなくって……」
成果もなく努力だけ語る姉を、アルフレッドはジト目で睨みつけた。
「……あれだけ一緒にいたのに。そもそも今の状況は姉さんもまずいと思っているんでしょう? 副団長の話だとアシュ兄とオトハさん、いま同棲してるって……」
何気なく呟いた台詞。直後、ミランシャがどす黒いオーラを放つ。
アルフレッドの頬が引きつった。
「ね、姉さん……?」
命の危機さえ感じて思わず後ずさるアルフレッド。
「……同棲じゃないわ」
ミランシャは呟く。
「ただの居候よ。アシュ君は優しいからお金がなくて困っているオトハちゃんを見かねて居候させて上げてるだけなのよ。そこは間違えちゃダメよ、アルフレッド……」
「そ、そうだね。僕が間違えてたよ」
全く感情の宿っていない姉の声に、アルフレッドはコクコクと頷く。
否定すると、とんでもないことになりそうだ。
ともあれ、アルフレッドは話を切り替えることした。
「と、ところで姉さん。副団長の話って何だったの?」
無難な話題を上げる。と、意外にもミランシャの喰いつきは良かった。
暗い表情から一転。パアッと瞳を輝かせて。
「うふふ。なに? 聞きたいの?」
「う、うん。聞きたいな。教えてくれる? 姉さん」
アルフレッドが顔を強張らせてそう告げると、ミランシャは満足げに微笑んだ。
そしておもむろにサーコートの裏側に手を入れて、
「ふふっ、とくと見なさい! 我が弟よ!」
そう威勢よく告げ、ミランシャはそれを取り出した。
アルフレッドは眉をひそめた。
「それは……手紙?」
ミランシャが取り出したのは三通の手紙だった。内二つは白い封筒に入ったもの。そして残った一つは他二つに比べ、やけに分厚い薄紅色の封筒だ。
「何だい? その手紙」
アルフレッドは率直に姉に訊いた。
対し、ミランシャは手紙を両手でかざしたまま、ふふんと笑う。
「この手紙はね。副団長と、さる高貴なお方からお預かりした大切な手紙なのよ。私は今朝、副団長からこの手紙を『ある人物達』に届けて欲しいと頼まれたの」
「はあ? そんなの郵送すればいいだけじゃないか」
アルフレッドがもっともな意見を告げる。
すると、ミランシャは再びふふんと笑った。
「確かに副団長の手紙だけなら、それもOKだけど……よく見なさい。こっちの薄紅色の手紙の封蝋を。見覚えない?」
「見覚えって……」
アルフレッドは眉をひそめつつ、手紙に顔を近付けた。
そして――ハッとする。
「え? こ、この紋章って!」
封蝋に刻まれた見覚えがありすぎる紋章に、アルフレッドは唖然とする。
まさか、この手紙の送り主とは――。
「流石にこれを郵送する訳にもいかないでしょう。だから運び手に私が選ばれたのよ」
ミランシャはとても慎ましい胸を張ってそう告げる。
アルフレッドは未だ硬直していたが、不意に我に返り、
「そ、そんな手紙、誰に届けるの? もしかして他国の要人?」
若くとも、アルフレッドもれっきとした皇国騎士の一人。普段ならば身内であっても任務の詳細など問い質さないのだが、この時ばかりは彼も動揺していた。
すると、ミランシャはいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「ふふ、聞きたい? いいわよ。そもそもこの任務は私達二人に任されたものだしね」
そう告げるなり彼女は弟の耳元に顔を近付け、ぼそぼそと任務の詳細を伝えた。
途端、アルフレッドの顔色が変わる。
「ね、姉さん! それ本当なの!?」
「ふふ、そんなつまらないうそを、アタシがつく訳ないでしょう」
そう嘯いて、ミランシャは三通の手紙をサーコートの裏側に戻した。
そして未だ困惑する弟に堂々と告げるのだった。
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