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第8部
第二章 少女の挑戦①
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アティス王国王立闘技場。
前述した通り、この場所は娯楽施設である。
操手の腕を競い合う場所でもあるが、同時にショー的な要素も強い。
そのため、まるで悪ノリでもするかのように奇抜な衣装を好む者も多かった。
例えば、山賊のような衣装を好み、あえて悪役を演じる者達。
例えば、思春期に強くなる感性を爆発させたような黒いコートを纏う少年。
さらに言えば、その感性を極限までこじらせたような者もいた。
――そう。彼のように。
「はあああ、グレイテストオオォ……」
彼はタキシードに包まれた筋肉を膨れ上がらせる。
「デュ――――クッッッ!!」
と言う叫びと同時に、常人よりも遥かに大きく鍛え上げられた胸板を強調させ、グググッと両腕を腹部辺りで交差させた。
続けて、鉄仮面に接合されたシルクハットのツバを軽く触り、口角をニヤリと崩すと、タキシードの上に纏ったマントを揺らして、太い右腕にグッと力瘤を作る。
「フハハハハ! 今日も我が肉体は絶好調であるな!」
言って、彼は両腕を組んで哄笑を上げた。
鎧機兵をメンテナンスする広い一室に野太い声が響き渡る。
「…………」
と、その様子を冷めた眼差しで見つめる者がいた。
年の頃は十二歳ほどに見える。透き通るような白い肌と、肩にかからない程度まで伸ばした空色の髪を持つ小柄な少女だ。彼女はまるで人形のように整った綺麗な顔立ちを能面のようにしていた。翡翠色の瞳には呆れ果てた感情が宿っている。
彼女の名はユーリィ=エマリア。
街外れに構える鎧機兵の工房――クライン工房の従業員だ。
実際の年齢は十四歳である彼女は、視線を筋肉紳士から、まるでタキシードを彷彿させる黒い鎧装を持つ鎧機兵を黙々とメンテナンスする青年に移した。
年齢は二十代前半。鍛え上げた痩身に、そこそこ整った顔立ち。黒曜石のような黒い瞳と毛先だけがわずかに黒い白髪が特徴的な青年だ。
彼の名はアッシュ=クライン。
クライン工房の主人であり、七年近くも一緒に暮らしてきた家族同然の青年だ。
ただ、同時にユーリィにとっては密かに想いを寄せる男性でもあり、いずれは本当の家族になってみせると、心に決めている相手だった。
まあ、もはや致死レベルと呼んでもいいほど鈍感をこじらせている当人のアッシュは、彼女の決意にまるで気付いてなどいないが。
「……アッシュ」
ともあれ、ユーリィは工具箱を両手で持つとアッシュに近付いて助言する。
「少しぐらいなら友達を選んでもいいと思う」
「い、いや、ユーリィ」
アッシュは作業の手を止め、頬を引きつらせた。
続けて視線を、ポージングを決める巨漢の筋肉紳士に向ける。
「あいつは別に俺の友達って訳じゃねえぞ。呑み屋に行った時、ライザー経由で知り合ったんだ。友達の友達ってやつだ。その時は普通の奴だったし、色々と話した結果、今回仕事を回してもらうことになったんだが……」
そこでアッシュは小さく呻いた。
「まさか、闘技場だとあんな変人だったとはなあ……」
「フハハハ! 師匠よ! 我は変人ではないぞ! 紳士である!」
と、二人の話が聞こえていたのか、筋肉紳士――選手名『グレイテスト☆デューク』はアッシュとユーリィの元に、のしのしと近付いてくる。
巨大な壁を彷彿させる筋肉。その厳つさにユーリィは少し尻ごみする。
が、そんな頬を強張らせる少女の様子にも気落ちせず、
「それよりも師匠! 我が愛機・《デュランハート》の調子はどうであるか!」
と、両手を腰に当ててデュークは尋ねてくる。
一応お客さまである人物に問われたアッシュはふっと笑い、
「ああ、絶好調だよ。つうか、お前って――ええと、今は『デューク』って呼んだ方がいいのか? 意外と几帳面だよな。結構繊細に微調整を繰り返して来ただろ」
そう言って、操縦シートをひと撫でした。
まるでデューク本人を鎧機兵化したかのような機体。外見こそ悪ふざけの過ぎる機体だがその内部は今回のメンテナンスが不要なぐらい完璧に仕上げられていた。
「とてもイロモノキャラの機体とは思えねえよ」
と、そんな身も蓋もない感想を告げるアッシュに対し、デュークは首周りの筋肉を揺らして大仰に肩をすくめた。
「フハハッ、当然である! 紳士とは強くなければ紳士ではない!」
「いや、紳士って礼節とかを重んじる奴のことだろ? 強さは関係ねえんじゃ……?」
と、些細な会話を交わしていた時だった。
不意に、コンコンと部屋のドアがノックされた。
ユーリィが首を傾げてアッシュを見上げた。
「……もう選手入場? 係員が呼びに来たの?」
アッシュはドアを一瞥してから、ユーリィに視線を向けて答える。
「う~ん、それはどうだろうな。まだ三十分ぐらいあるし、少し早いだろ。なあ、デューク。もしかしてお前の友人とかじゃねえのか」
そう言って今度はデュークに目をやった。
「うむ! そうであるな! 我がファンである可能性は高い!」
「へ? いや、お前にファンっているのか……?」
と、アッシュはツッコみを入れるが、デュークは気にせずドアに向かった。
そしてガチャリとドアを開けると、
「……む。お主であったか」
そう言って、筋肉紳士は通路に出てドアを閉めた。
アッシュとユーリィは首を傾げた。彼らの位置からではほとんど客人の姿は見えなかったが、一瞬だけ白いコートが目に入ったような気がする。
「誰だろう? アッシュ」
と、顔を上げて尋ねてくるユーリィに、アッシュはあごに手をやった。
「そうだな。知り合いっぽいのは間違いなさそうだが……」
と、呟いた後、アッシュは機体から降りた。
すでにメンテナンスは完了してある。仕事は終わりだった。
アッシュは彼女から工具箱を受け取ると、くしゃくしゃとユーリィの頭を撫でる。
少女は満足そうに目を細めた。
「何にせよ、俺らの仕事はこれで終了だ。まあ、折角、闘技場まで来たんだし、デュークの試合でも見て行くか」
「うん。分かった」
こくんと頷くユーリィ。
するとその時、ドアがガチャリと開いた。デュークが戻ってきたのだ。
「おっ、話は終わったのか。デューク」
「……うむ。終わった。終わったのだが……」
アッシュの問いかけに先程までの気迫もなく答えるデューク。
そして筋肉紳士はアッシュとユーリィの元まで近付いてくる。と、
「すまぬ。どうやら急用が出来たようだ」
そんなことを告げて来た。アッシュとユーリィは軽く驚いた。
「ん? そうなのか。じゃあ今日の出場は辞退ってことか?」
どうやら見物は出来なくなったようだ。ユーリィが少し肩を落とす。
「ぬぬ。我も残念なのだ。本当にすまぬな」
と、デュークは額に手を当て、苦悩した素振りを見せてから告げる。
「では、代理は頼んだぞ。師匠」
「おう。そっか。任せておけ――って、はあ?」
アッシュが目を丸くする。
一体何を言っているのだろうか。この筋肉紳士は。
「おいおい、それってどういうことだよ」
「ふむ。実はな」
すると、デュークは何やら説明し始めた。
「闘技場のキャンセル料は結構するのだ。お主への報酬と、闘技場のエントリー代で今の我にはそれだけの金がない! だがしかし! なんとリザーブ選手さえ紹介すればキャンセル料は半額になるのである!」
と、何故か胸を張って告げるデュークに、アッシュは半眼を向けた。
「おいデューク。それって俺にお前の代わりに選手として出ろってことか?」
「うむ! 師匠ならば荒事はお手のものであろう!」
そこで両腕に力こぶを作って力説するデューク。
「それに加え、我が愛機にも操手として仮登録しておるからな! いちいち他の機体を用意する手間はいらないということだ! と言うより、今からリザーブ選手を探すのは正直厳しいのだ!」
「……ああ、なるほどな」
アッシュは苦笑を浮かべつつ、ボリボリと頭をかいた。
「そういうことかよ。要は、今から代わりの選手を見つける時間はねえから鎧機兵を貸すんで代わりに出てくれってことかよ」
一瞬、自分の愛機――《朱天》で出場を依頼されたかと思ったが、アッシュの愛機は普段は業務用だ。外装もない機体。そのままでは闘技場には出場できない。
そこでデュークは自分の愛機を貸すと言っているのだ。
「師匠ならば無用の心配だと思うが、我が機体が損壊した場合も修理費の請求などせぬ! どうだ友よ! 我の代わりに出てくれぬか!」
「いや、どうでもいいが、その姿で俺を友と呼ばんでくれ」
と、ツッコみを入れつつ、アッシュは両腕を組んだ。
はっきり言って荒事は得意分野だ。操る機体が《朱天》でなくとも《デュランハート》は隅々まで整備したばかりの機体。その特徴や性能は概ね把握している。
そして変人ではあるが、デュークはこれからお得意さまになる可能性が高い上客だ。ここは選手として出る程度のサービスぐらいはアリかもしれない。
しかし、アッシュはそこであごに手をやると――。
(けど、闘技場はなぁ)
渋面を浮かべて小さく嘆息する。
どうにも闘技場には、嫌な思い出があるのだ。
初めて来た日のことが――あの壮絶な『鬼ごっこ』が脳裏をよぎる。
「……アッシュ」
と、その時、ユーリィが呟く。
「面白そう。参加して」
彼女の翡翠色の瞳は爛々と輝いていた。
「いやいや、あのなユーリィ」
そんな愛娘の様子に、アッシュは小さく嘆息した。
「お前な、とにかく面白い方向に転がっておけって考え方はどうかと思うぞ」
と、無駄と知りつつも窘めてから、
「まあ、出場するぐらいはいいんだが、正直あんま目立ちたくもねえんだよ」
ポツリと本音の言葉もこぼす。
今のアッシュの職業は鎧機兵の工房の主人だ。
今更かもしれないが、本業以外で目立つのは不本意なことなのである。
すると、そんなアッシュの心配にデュークは「うむ!」と頷き、
「案ずるな師匠! ならば正体を隠せばいいだけである!」
言って、自分の後頭部に手を回し、カチャリと音を鳴らす。
そしてデュークは、シルクハット付きの仮面を外した。
それを見て思わずアッシュは目を丸くする。
「え? お前、そんな簡単に仮面外すの?」
「え? いや、だって師匠は俺の素顔知っているだろ?」
と、キョトンとした様子で答えるデューク。仮面を外したためか、彼のテンションは一気に下がっていた。口調まで完全に変わっている。
ともあれ、デュークは両手で持った仮面をアッシュに手渡した。
「さあ、これさえあれば何の憂いもない。存分に活躍してくれ」
「いや、お前さ、確かにこれなら顔は隠せるが……」
「なに。大丈夫さ。この仮面の秘匿性は俺が保証するよ。なにせ、今までバレたことはないしな。っと、それよりも本気でまずいな。そろそろ行かないと」
そう呟くと、デュークは「それじゃあ後は宜しく頼むよ師匠。今度一杯奢るからさ」と一言だけ告げて部屋から急ぎ出て行った。勢いよく開かれたドアを閉め忘れるほどの駆け足だ。思いのほか彼は焦っていたらしい。
何にせよ、残されたアッシュは仮面を手に呆然とした。
「……いや、仮面だけ渡されてもな。俺に一体どうしろってんだよ」
せめてコスチュームの方も置いていけと言いたい。
だが、それを告げるべき相手はもういなかった。
しばし部屋に沈黙を訪れる。と、
「……ふふ」
いきなり愛娘が声を零した。
アッシュは反射的に頬を引きつらせる。
そしてユーリィはアッシュの袖をギュッと掴み、
「アッシュ。頑張って」
そう言って、嬉しそうに笑った。
かくして本日に限り。
変人極まるお客さまと愛娘の後押しもあり、謎に満ちた仮面の職人――『マスター☆シューティングスター』が誕生したのだった。
(けどまあ、こうなるとはな)
そして誕生からおよそ三十分後。
マスター☆シューティングスターこと、アッシュ=クラインは苦笑を浮かべる。
そこは闘技場の舞台。右入場門前だ。
そして目の前に見える左入場門前。そこには見知った人物がいた。
まさかこんな流れになってしまうとは思いもしなかった。
とは言え、ここまで来るともう後には退けなかった。なにせ、デュークの言う通りキャンセル料は結構ふんだくられるのだ。その場合、代理を引き受けると決断したのが自分である以上、支払うのも自分になってしまい、その上、観客席のどこかに居る愛娘の期待も裏切ってしまう。『お父さん』としてそれは最悪だった。
ここは嫌でも押し通すしかなかった。
(まっ、それはいいとしても)
それにしても気になるのは、今回の相手選手だ。
アッシュはおどおどと佇む対戦相手を見やり、もう一度だけ苦笑を浮かべる。
果たして彼女の心境は、一体どういうものなのだろうか。
「まあ、本人がやる気な以上、これも仕方がねえか」
と、ポリポリと仮面をかき、呟くアッシュであった。
前述した通り、この場所は娯楽施設である。
操手の腕を競い合う場所でもあるが、同時にショー的な要素も強い。
そのため、まるで悪ノリでもするかのように奇抜な衣装を好む者も多かった。
例えば、山賊のような衣装を好み、あえて悪役を演じる者達。
例えば、思春期に強くなる感性を爆発させたような黒いコートを纏う少年。
さらに言えば、その感性を極限までこじらせたような者もいた。
――そう。彼のように。
「はあああ、グレイテストオオォ……」
彼はタキシードに包まれた筋肉を膨れ上がらせる。
「デュ――――クッッッ!!」
と言う叫びと同時に、常人よりも遥かに大きく鍛え上げられた胸板を強調させ、グググッと両腕を腹部辺りで交差させた。
続けて、鉄仮面に接合されたシルクハットのツバを軽く触り、口角をニヤリと崩すと、タキシードの上に纏ったマントを揺らして、太い右腕にグッと力瘤を作る。
「フハハハハ! 今日も我が肉体は絶好調であるな!」
言って、彼は両腕を組んで哄笑を上げた。
鎧機兵をメンテナンスする広い一室に野太い声が響き渡る。
「…………」
と、その様子を冷めた眼差しで見つめる者がいた。
年の頃は十二歳ほどに見える。透き通るような白い肌と、肩にかからない程度まで伸ばした空色の髪を持つ小柄な少女だ。彼女はまるで人形のように整った綺麗な顔立ちを能面のようにしていた。翡翠色の瞳には呆れ果てた感情が宿っている。
彼女の名はユーリィ=エマリア。
街外れに構える鎧機兵の工房――クライン工房の従業員だ。
実際の年齢は十四歳である彼女は、視線を筋肉紳士から、まるでタキシードを彷彿させる黒い鎧装を持つ鎧機兵を黙々とメンテナンスする青年に移した。
年齢は二十代前半。鍛え上げた痩身に、そこそこ整った顔立ち。黒曜石のような黒い瞳と毛先だけがわずかに黒い白髪が特徴的な青年だ。
彼の名はアッシュ=クライン。
クライン工房の主人であり、七年近くも一緒に暮らしてきた家族同然の青年だ。
ただ、同時にユーリィにとっては密かに想いを寄せる男性でもあり、いずれは本当の家族になってみせると、心に決めている相手だった。
まあ、もはや致死レベルと呼んでもいいほど鈍感をこじらせている当人のアッシュは、彼女の決意にまるで気付いてなどいないが。
「……アッシュ」
ともあれ、ユーリィは工具箱を両手で持つとアッシュに近付いて助言する。
「少しぐらいなら友達を選んでもいいと思う」
「い、いや、ユーリィ」
アッシュは作業の手を止め、頬を引きつらせた。
続けて視線を、ポージングを決める巨漢の筋肉紳士に向ける。
「あいつは別に俺の友達って訳じゃねえぞ。呑み屋に行った時、ライザー経由で知り合ったんだ。友達の友達ってやつだ。その時は普通の奴だったし、色々と話した結果、今回仕事を回してもらうことになったんだが……」
そこでアッシュは小さく呻いた。
「まさか、闘技場だとあんな変人だったとはなあ……」
「フハハハ! 師匠よ! 我は変人ではないぞ! 紳士である!」
と、二人の話が聞こえていたのか、筋肉紳士――選手名『グレイテスト☆デューク』はアッシュとユーリィの元に、のしのしと近付いてくる。
巨大な壁を彷彿させる筋肉。その厳つさにユーリィは少し尻ごみする。
が、そんな頬を強張らせる少女の様子にも気落ちせず、
「それよりも師匠! 我が愛機・《デュランハート》の調子はどうであるか!」
と、両手を腰に当ててデュークは尋ねてくる。
一応お客さまである人物に問われたアッシュはふっと笑い、
「ああ、絶好調だよ。つうか、お前って――ええと、今は『デューク』って呼んだ方がいいのか? 意外と几帳面だよな。結構繊細に微調整を繰り返して来ただろ」
そう言って、操縦シートをひと撫でした。
まるでデューク本人を鎧機兵化したかのような機体。外見こそ悪ふざけの過ぎる機体だがその内部は今回のメンテナンスが不要なぐらい完璧に仕上げられていた。
「とてもイロモノキャラの機体とは思えねえよ」
と、そんな身も蓋もない感想を告げるアッシュに対し、デュークは首周りの筋肉を揺らして大仰に肩をすくめた。
「フハハッ、当然である! 紳士とは強くなければ紳士ではない!」
「いや、紳士って礼節とかを重んじる奴のことだろ? 強さは関係ねえんじゃ……?」
と、些細な会話を交わしていた時だった。
不意に、コンコンと部屋のドアがノックされた。
ユーリィが首を傾げてアッシュを見上げた。
「……もう選手入場? 係員が呼びに来たの?」
アッシュはドアを一瞥してから、ユーリィに視線を向けて答える。
「う~ん、それはどうだろうな。まだ三十分ぐらいあるし、少し早いだろ。なあ、デューク。もしかしてお前の友人とかじゃねえのか」
そう言って今度はデュークに目をやった。
「うむ! そうであるな! 我がファンである可能性は高い!」
「へ? いや、お前にファンっているのか……?」
と、アッシュはツッコみを入れるが、デュークは気にせずドアに向かった。
そしてガチャリとドアを開けると、
「……む。お主であったか」
そう言って、筋肉紳士は通路に出てドアを閉めた。
アッシュとユーリィは首を傾げた。彼らの位置からではほとんど客人の姿は見えなかったが、一瞬だけ白いコートが目に入ったような気がする。
「誰だろう? アッシュ」
と、顔を上げて尋ねてくるユーリィに、アッシュはあごに手をやった。
「そうだな。知り合いっぽいのは間違いなさそうだが……」
と、呟いた後、アッシュは機体から降りた。
すでにメンテナンスは完了してある。仕事は終わりだった。
アッシュは彼女から工具箱を受け取ると、くしゃくしゃとユーリィの頭を撫でる。
少女は満足そうに目を細めた。
「何にせよ、俺らの仕事はこれで終了だ。まあ、折角、闘技場まで来たんだし、デュークの試合でも見て行くか」
「うん。分かった」
こくんと頷くユーリィ。
するとその時、ドアがガチャリと開いた。デュークが戻ってきたのだ。
「おっ、話は終わったのか。デューク」
「……うむ。終わった。終わったのだが……」
アッシュの問いかけに先程までの気迫もなく答えるデューク。
そして筋肉紳士はアッシュとユーリィの元まで近付いてくる。と、
「すまぬ。どうやら急用が出来たようだ」
そんなことを告げて来た。アッシュとユーリィは軽く驚いた。
「ん? そうなのか。じゃあ今日の出場は辞退ってことか?」
どうやら見物は出来なくなったようだ。ユーリィが少し肩を落とす。
「ぬぬ。我も残念なのだ。本当にすまぬな」
と、デュークは額に手を当て、苦悩した素振りを見せてから告げる。
「では、代理は頼んだぞ。師匠」
「おう。そっか。任せておけ――って、はあ?」
アッシュが目を丸くする。
一体何を言っているのだろうか。この筋肉紳士は。
「おいおい、それってどういうことだよ」
「ふむ。実はな」
すると、デュークは何やら説明し始めた。
「闘技場のキャンセル料は結構するのだ。お主への報酬と、闘技場のエントリー代で今の我にはそれだけの金がない! だがしかし! なんとリザーブ選手さえ紹介すればキャンセル料は半額になるのである!」
と、何故か胸を張って告げるデュークに、アッシュは半眼を向けた。
「おいデューク。それって俺にお前の代わりに選手として出ろってことか?」
「うむ! 師匠ならば荒事はお手のものであろう!」
そこで両腕に力こぶを作って力説するデューク。
「それに加え、我が愛機にも操手として仮登録しておるからな! いちいち他の機体を用意する手間はいらないということだ! と言うより、今からリザーブ選手を探すのは正直厳しいのだ!」
「……ああ、なるほどな」
アッシュは苦笑を浮かべつつ、ボリボリと頭をかいた。
「そういうことかよ。要は、今から代わりの選手を見つける時間はねえから鎧機兵を貸すんで代わりに出てくれってことかよ」
一瞬、自分の愛機――《朱天》で出場を依頼されたかと思ったが、アッシュの愛機は普段は業務用だ。外装もない機体。そのままでは闘技場には出場できない。
そこでデュークは自分の愛機を貸すと言っているのだ。
「師匠ならば無用の心配だと思うが、我が機体が損壊した場合も修理費の請求などせぬ! どうだ友よ! 我の代わりに出てくれぬか!」
「いや、どうでもいいが、その姿で俺を友と呼ばんでくれ」
と、ツッコみを入れつつ、アッシュは両腕を組んだ。
はっきり言って荒事は得意分野だ。操る機体が《朱天》でなくとも《デュランハート》は隅々まで整備したばかりの機体。その特徴や性能は概ね把握している。
そして変人ではあるが、デュークはこれからお得意さまになる可能性が高い上客だ。ここは選手として出る程度のサービスぐらいはアリかもしれない。
しかし、アッシュはそこであごに手をやると――。
(けど、闘技場はなぁ)
渋面を浮かべて小さく嘆息する。
どうにも闘技場には、嫌な思い出があるのだ。
初めて来た日のことが――あの壮絶な『鬼ごっこ』が脳裏をよぎる。
「……アッシュ」
と、その時、ユーリィが呟く。
「面白そう。参加して」
彼女の翡翠色の瞳は爛々と輝いていた。
「いやいや、あのなユーリィ」
そんな愛娘の様子に、アッシュは小さく嘆息した。
「お前な、とにかく面白い方向に転がっておけって考え方はどうかと思うぞ」
と、無駄と知りつつも窘めてから、
「まあ、出場するぐらいはいいんだが、正直あんま目立ちたくもねえんだよ」
ポツリと本音の言葉もこぼす。
今のアッシュの職業は鎧機兵の工房の主人だ。
今更かもしれないが、本業以外で目立つのは不本意なことなのである。
すると、そんなアッシュの心配にデュークは「うむ!」と頷き、
「案ずるな師匠! ならば正体を隠せばいいだけである!」
言って、自分の後頭部に手を回し、カチャリと音を鳴らす。
そしてデュークは、シルクハット付きの仮面を外した。
それを見て思わずアッシュは目を丸くする。
「え? お前、そんな簡単に仮面外すの?」
「え? いや、だって師匠は俺の素顔知っているだろ?」
と、キョトンとした様子で答えるデューク。仮面を外したためか、彼のテンションは一気に下がっていた。口調まで完全に変わっている。
ともあれ、デュークは両手で持った仮面をアッシュに手渡した。
「さあ、これさえあれば何の憂いもない。存分に活躍してくれ」
「いや、お前さ、確かにこれなら顔は隠せるが……」
「なに。大丈夫さ。この仮面の秘匿性は俺が保証するよ。なにせ、今までバレたことはないしな。っと、それよりも本気でまずいな。そろそろ行かないと」
そう呟くと、デュークは「それじゃあ後は宜しく頼むよ師匠。今度一杯奢るからさ」と一言だけ告げて部屋から急ぎ出て行った。勢いよく開かれたドアを閉め忘れるほどの駆け足だ。思いのほか彼は焦っていたらしい。
何にせよ、残されたアッシュは仮面を手に呆然とした。
「……いや、仮面だけ渡されてもな。俺に一体どうしろってんだよ」
せめてコスチュームの方も置いていけと言いたい。
だが、それを告げるべき相手はもういなかった。
しばし部屋に沈黙を訪れる。と、
「……ふふ」
いきなり愛娘が声を零した。
アッシュは反射的に頬を引きつらせる。
そしてユーリィはアッシュの袖をギュッと掴み、
「アッシュ。頑張って」
そう言って、嬉しそうに笑った。
かくして本日に限り。
変人極まるお客さまと愛娘の後押しもあり、謎に満ちた仮面の職人――『マスター☆シューティングスター』が誕生したのだった。
(けどまあ、こうなるとはな)
そして誕生からおよそ三十分後。
マスター☆シューティングスターこと、アッシュ=クラインは苦笑を浮かべる。
そこは闘技場の舞台。右入場門前だ。
そして目の前に見える左入場門前。そこには見知った人物がいた。
まさかこんな流れになってしまうとは思いもしなかった。
とは言え、ここまで来るともう後には退けなかった。なにせ、デュークの言う通りキャンセル料は結構ふんだくられるのだ。その場合、代理を引き受けると決断したのが自分である以上、支払うのも自分になってしまい、その上、観客席のどこかに居る愛娘の期待も裏切ってしまう。『お父さん』としてそれは最悪だった。
ここは嫌でも押し通すしかなかった。
(まっ、それはいいとしても)
それにしても気になるのは、今回の相手選手だ。
アッシュはおどおどと佇む対戦相手を見やり、もう一度だけ苦笑を浮かべる。
果たして彼女の心境は、一体どういうものなのだろうか。
「まあ、本人がやる気な以上、これも仕方がねえか」
と、ポリポリと仮面をかき、呟くアッシュであった。
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