クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第9部

第六章 「シルクディス遺跡」①

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 翌日の早朝。旅は順調に再開した。
 天候もよく、馬車は草原が広がる道を軽快に進む。
 時折、動物の群れが遠目に見えて、観光としても楽しい光景だ。
 しかし、馬車のキャビンの中は静寂で包まれていた。


(……何なんだ? この空気は?)


 進行方向側の長椅子に座るアッシュは、訝しげに眉をひそめた。
 彼の左右には誰も座らずアッシュは一人、長椅子の中央に座っている状況だ。
 唯一肩に乗るオルタナだけが話し相手だった。


「……ムウ。トテモシズカ。ヘンジン、ナニカシタノカ?」

「いや、そんな覚えはねえんだが」

 
 そう言って、アッシュは右の窓側へと目をやる。
 そこには頬が大きく膨れあがった状態のエドワードとロック。顔面に結構強烈な一撃を食らわせたはずなのに、これといって目立つような痣も出来ていないゴドー。その足下には寝そべって眠る愛犬ランドの姿もある。
 彼らが沈黙するのは理解できた。ぶん殴られて流石に自粛しているのだろう。ニタニタと笑うゴドーだけは一切反省していないようだが、目的の遺跡が近付き、心がそちらに向いているように見える。


(けどよ)


 アッシュは左のキャビンの入口側に目をやった。
 そこには女性陣の姿があった。
 彼女達は一つ集まり向かい合わせにあって座っていた。進行方向の長椅子にルカ、サーシャ、アリシア。逆方向にオトハ、ユーリィが並んでいる。
 一見すると仲の良いグループのようだ。
 しかし、どうしてか全員がピクリとも動かなかった。
 姿勢こそ正しいが、互いの顔から視線を微妙に逸らしている。全員揃って表情は緊張しており、彼女達が座る席はまるで面接の待合室のような雰囲気に包まれていた。


(一体、何があったんだ?)


 いずれにせよこの空気は耐えがたい。
 アッシュは一番近くいるユーリィに声をかけた。


「なあユーリィ」


 すると、ユーリィはビクッと肩を震わせ、


「な、なに? アッシュ」


 と、まるで錆び付いた鎧機兵のような動きでアッシュの方に振り向いた。
 その顔はかなり赤くなっているように思えた。
 アッシュはボリボリと頭をかくと、おもむろに立ち上がり歩き出した。
 そしてユーリィの元へと近付いていく。するとユーリィだけではなく女性陣全員が表情をより強く強張らせた。普段はおっとりしているルカまでだ。
 アッシュはユーリィの前に立つと、視線を合わせるために片膝を屈めた。


「ユーリィ。どうしたんだ? 少し顔が赤いぞ」

「そ、そんなことない……」


 そう答えるユーリィは何故か視線を逸らしていた。


「こら、ユーリィ」アッシュは少しだけムッとした表情を見せる。「人と会話する時は相手の目を見てしろって教えただろ」


 そう言って、ユーリィの両頬を押さえると強引に視線を合わさせた。
 ユーリィは「や、やぁ……」とか細い声を零してアッシュの手首を掴んで抵抗する様子を見せるが、彼女にアッシュの力を振り払えるはずもない。


「こら。なんで暴れるんだよ」


 そう告げて、アッシュがユーリィを真っ直ぐ見つめた。
 至近距離から黒い眼差しに射抜かれ、ユーリィはそのまま硬直してしまった。
 そして顔の方はますます紅潮するばかりだ。その様子に女性陣は「あわ、あわわ」と動揺が混じった呻き声を上げた。
 が、アッシュは気にせずに会話を続ける。


「やっぱ顔が赤いぞ。熱も少しあるみたいだ」

「そ、そんなことない……」


 ユーリィは全く同じ返答をした。だが、その台詞には説得力が乏しく、今もどんどん顔が赤くなっている。翡翠色の瞳も微かに瞳孔が開いているようだった。
 様子がおかしいのは一目瞭然だ。


「いや、明らかに変だろ。もしかして体調が悪いのか?」


 言って、アッシュはユーリィの前髪を左手でかき上げた。
 そんな些細な行動に対してさえも、ユーリィは緊張する素振りを見せる。
 ――やはりこれはおかしい。そう思い、アッシュは表情を真剣なものに変えた。そして右手をユーリィの頬に添えたまま、おもむろに顔を近付け始めた。
 彼女の症状を間近で確認するのと額同士を当てて熱を計るためだ。ユーリィが幼い頃にはよくやった事なので、今回もアッシュは当然のように対処しようとした。


「――――っ!?」


 ユーリィが大きく目を見開いた。
 普段のユーリィならこれをあっさり受け入れた事だろう。内心では『娘』を脱却したいと考えていても、彼女はまだまだアッシュに甘えていたいのだ。
 だからこそ、こういった無条件で甘えられる機会があれば素直に甘える。
 それがアッシュに対するユーリィの基本的なスタンスなのだが……。


(ッ!?  ッ!? あ、あぁ……)


 しかし、今日だけは対応が違った。
 両の瞳をさらに見開き、小さな身体を震わせる。


(う、うあ……)


 微かな声さえも出せなかった。
 この事態に、ユーリィはただただ愕然としてしまった。
 か細い息が唇から零れ、翡翠色の瞳を涙で潤ませる。脳裏には昨晩から幾度に渡って繰り返されてきた結構過激な想像がフラッシュバックされた。妄想上のアッシュの姿と現実が重なって映り、ユーリィの顔はどんどん赤くなっていった。

 と、そうこうしている内にも、アッシュの顔は近付いてくる。
 まるで捕食寸前の小動物のように、ユーリィは完全に固まってしまった。


(………あ、あ。も、もうダメ)


 ここに至って覚悟(?)を決めたユーリィはギュッと強く瞳を閉じた。
 目尻から少しだけ涙を零し、祈りにも似た所作で両指を胸の前で組む。そして出来れば痛くしないでと訴えかけるように全身を微かに震わせていた。
 こうなった以上、後はもう受け入れるだけだった。


「??? ユーリィ?」


 アッシュは普段と様子があまりにも違うユーリィに疑問を抱く。
 ただ熱を計るだけなのに、どうしてここまで表情を強張らせるのか……?
 一旦額を近付けることも止めたが、すぐに思い直して再開する。ユーリィがこうも震えているのは本当に熱があるせいではないかと不安になってきたからだ。

 そうして、今度こそ額同士を当てようとした……が、


「――ま、待て! そこまでだ! クライン!」


 いきなりそこでオトハが動き出した。
 立ち上がるなり、ユーリィをアッシュから奪って引き寄せると豊満な胸に納めた。次いで硬直したままのユーリィを軽く抱きしめて――。


「(だ、大丈夫か? エマリア)」


 囁き声で、恐る恐るそう尋ねた。
 すると、ユーリィは何も返事はしなかったが、その代わりにぎゅうと強くオトハの腰を掴んできた。完全には思考停止していない。どうやらまだ意識はあるようだ。オトハはホッとして安堵の息を零した。
 それから少し涙目でアッシュを見やり、


「キャ、キャパオーバーだ! これ以上はエマリアが持たない!」

「へ? 何の話だ?」


 キョトンとするアッシュ。


「とにかくだ! エマリアに熱はない。心配するな! 他の連中も旅行で少しテンションが変になっているだけなんだ! それも気にするな!」


 と、オトハが怒濤の勢いで告げてくる。他の女性陣もコクコクと頷いていた。
 それに対し、アッシュはいまいち腑に落ちなかったのだが、


「う~ん、そっかぁ……」


 他ならぬ女性陣の引率者であるオトハの言葉だ。信頼に値すると考え、「けど体調には気をつけろよ」とだけ告げて元の席へと戻った。
 その様子を見届けてオトハを筆頭に女性陣は大きく安堵した。


「オトハさん。ありがとうございます。助かりました」


 と、アリシアが小声で礼を言う。


「ユ、ユーリィちゃん。大丈夫、ですか?」


 と、これはルカの台詞だ。


「うぐ、だ、大丈夫。けど、顔が沸騰するかと思った……」


 未だオトハの胸に納められたまま、ユーリィがぼそぼそと答える。
 次いでようやくユーリィは全身の力を抜いた。そんな少女に目をやりつつ、サーシャはじいっとアッシュの姿を横目で捉えていた。
 何か考え事をしているのか、サーシャは少しの間だけ沈黙していたが、


「……うん。あれは唐突で強烈だったね。ごめん。フォローも出来なかった……」


 おもむろに自分の胸元を片手で押さえて、申し訳なさそうにそう告げた。


「気にしないでメットさん」


 と、サーシャに答えるユーリィ。
 しかし、ややあって無念そうに呻いた。


「でもこれだとしばらくは抱っこの要求もできない。今やるときっと頭が噴火する」

「いや、それはしばらくじゃなくて、いい加減やめておけ」


 と、オトハが言う。
 ともあれ、どうにかしゃべれる程度には落ち着きを取り戻してきたユーリィを自分の正面に立させつつ、オトハは他の少女達の方にも目をやった。
 そして年長者らしく冷静な声で忠告する。


「それにお前達も。そろそろ本調子に戻れ。お前達の態度が挙動不審すぎてクラインの奴が完全に困惑しているぞ」

「いやいや」アリシアがパタパタと手を振った。「流石に昨日あんなことを教えれたら、たった一晩ぐらいじゃあ平静にはなれませんよ。むしろ、どうしてオトハさんはそこまで冷静なのか――」


 と、そこで彼女は片眉を上げてオトハをまじまじと凝視した。
 そうして数秒後、


「もしかして昨日の晩。お風呂の後、アッシュさんと何かありました?」


 恐るべき女の勘を見せつけるアリシアに、オトハはビクッと肩を震わせた。


「……そ、その。まあ、夜に少しだけ会話をする機会はあったが、特に何もなかったぞ。うん。特に何もなかったな。そもそも昨日の話は私がお前達に教えたことだぞ。語った本人が動揺するはずもないだろう」


 と、ユーリィを後ろからぬいぐるみのように抱きしめてオトハが言う。
 言い放った言葉は正論のようにも聞こえるが、どうにも怪しい。
 アリシアを筆頭に、その場にいる少女達は真顔になった。


「いや、昨日の話は別にしても絶対に何かあったでしょう」


「……う」と声を詰まらせるオトハ。
 昨日の晩のことは、当然ながら誰にも語っていない。
 あの時は明らかにテンパっていたオトハだったが、一晩経った今は冷静にもなり、明らかに自分が暴走してしまったことを自覚している。
 よくよく考えればアッシュのことだ。事前に相手の気持ちを確かめもせず部屋まで用意して事に及ぶなどあり得ない。まず間違いなく自分は勘違いした。
 それを踏まえて前日のことは顔から火が出そうなぐらい恥ずかしかったが、そこは自分も大人だ。表面上は必死に平静さを装い、今朝がたアッシュにも「昨日は少し疲れていたんだ。忘れてくれ」と告げている。

 あの一件は彼女の黒歴史としてすでに封印した――のだが、


「……詳しく教えて貰いましょうか。オトハさん」


 アリシア達はそれを許してくれなかった。
 アリシアとサーシャ、ユーリィはジト目でオトハを睨み付け、ルカは興味津々の眼差しで見つめていた。


「いや待て。お前達。昨日のことは――」

「さあ、語ってくれますよね。オトハさん」

「あ、あう……」


 少女達の迫力にオトハは言葉も継げなかった。
 全員の瞳が異様な光を放っている。
 彼女達が平常運転に戻るには、まだしばし時間が必要なようだった。




「………ふむ」


 その時、ゴドーがオトハ達を一瞥してポツリと呟いた。


「なかなか楽しそうな雰囲気ではないか」


 言って口角を微かに崩す。
 今回の旅行で見る限り、彼女達は本当に仲が良い。
 親友の娘達の友人関係が良好なのは、とても喜ばしいことであった。
 それに加えて――。


「しかし、やはりいいな。あの娘は」


 ユーリィの肩に両手を置いて談笑するオトハを凝視した。
 紫紺色の瞳と髪。精緻に整った顔立ち。さらには柔らかそうな桜色の唇。
 恐らく化粧の類は一切していない。それでもなおあの美しさだ。
 少し男勝りな性格のようだが、それもまた好みだ。今のように時折見せる羞恥で頬を染める仕草など実に自分の琴線に触れる。彼女を気に入った理由の一つだ。
その上、あの魅惑的なプロポーションときたら――。


「……ふふ」


 ゴドーは口元に獣のような笑みを浮かべた。
 あの美しい肢体を前にしては、男としての本能が強く刺激されてしまう。
 ――やはり欲しい。
 早くあの娘の心も体も、余すことなく堪能したかった。
 親友ガハルドにはそろそろ落ち着けと言われたが、こればかりはやめられない。
 素晴らしき女と出会ったのならば、当然手に入れるべきなのだ。
 他に男がいることや、自分の年齢を理由に自重するなどあり得ない。オトハに嫌われている事さえもゴドーにとっては些細な事柄だった。
 こう言ってはなんだが、ゴドーの妻達は美人ではあるが変わり者ばかりだった。半数以上の妻がかつてゴドーのことを毛嫌いしていたし、愛娘を産んでくれた四番目の妻に至っては出会い頭に自分を殺そうとまでしたものだ。

 まさに、一癖も二癖もある妻達。
 本来ならば決して結ばれる事のない関係だったが、ゴドーはそんな一筋縄ではいかない彼女達を根気よく口説き、時には力を以て自分の女にしてきたのだ。
 そうやって欲しいと思ったモノは、手段を問わずに必ず手に入れてきた。

 ――故に、あの娘も必ず自分のモノにする。
 ゴドーは改めてそう決めた。

 だが、そのためには……。


「…………」


 ゴドーはキャビンの中央に陣取る白髪の青年に視線を向けた。
 両腕と足を組んで寝ているようにも見えるが、ゴドーは気付いていた。
 あの男は自分を常時警戒している。
 実力は桁違い。恐らくは人外にさえ至っているだろう。
 しかし、自分の『本性』を全く見せない面白みのない男でもあった。


「――ふん」


 ゴドーはつまらなさそうに鼻を慣らした。
 自分の女が奪われるのが嫌ならば素直にそう言えばいいのだ。
 本当につまらない――いや、惜しい男だった。
 もう少し『本性』をさらけ出すのならば、俄然興味も湧いてくるのだが……。
 と、考えていた時だった。
 不意に眠っていたランドが顔を上げた。
 ゴドーは双眸を細めた。
 そしてランドは吠える訳でもなく、アギトをゆっくりと動かした。
 一拍の間。


「………ほう。そんな連中がいるのか」


 ゴドーの呟きに合わせてランドが進行方向を見据えた。
 その方向には遺跡付近の街――シルクがある。
 ゴドーもまた視線をそちらに向けた。
 そして――。


「面白そうだな。頃合いを見て接触してみるか」


 そう言って、ニタリと笑った。
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