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第六章 幻想の襲来①

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 そこは、《神域》内にある元東京都庁の屋上――。
 巨竜オーロは、眼下の光景を悠然と眺めていた。

『……この短期間で、よくぞこれだけの数が集まってくれたものだ』

 月明かりで妖しく照らされた大地に集結せしは、数百もの幻想種の軍勢。
 今回の《魔女狩り》のために集った、勇猛なる戦士達だ。
 オーロは誇らしげにグルルゥと喉を鳴らす。と、

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ――――!!

 まるでそれに応えたかのように大地から轟く咆哮。
 彼らの士気は、この上なく高い。

『ふふ、何とも心地良い気勢よ。久方ぶりの大戦を前に、昂ぶっているのが分かるぞ。だが、まぁそう焦るな。後は先に潜入したガランの合図を待つだけ……』

 と、その時、オーロの双眸が微かに細まった。
 念願のガランからの合図が、念話によって届いたのだ。

『……くくく、いよいよ、か』

 そして、オーロは牙を剥き出して嗤った。


『――さあ、いくぞ。お待ちかねの《魔女狩り》の時間だ』


       ◆


「――馬鹿な! 彼は条件をクリアしたはずだぞ!」

 それは冬馬が目覚めてから五日後のこと。
 時刻は午後六時過ぎ。場所はPGC神奈川支部の地下三階にある模擬戦場。
 その中に設置されている観戦室は、今、騒然としていた。

「だが、この模擬戦の結果は――」

「我々の推測が間違っていたのか? やはりフィオナ嬢だけが特別なのか?」

 所構わず飛び交う団員達の議論――。
 そんな声を制服姿の雪姫は呆然と聞いていた。隣に立つフィオナも放心している。

「どういうことだ……。やはり、フィオのような真の信者でなければとダメだと言うことなのか……」

 片手で髪をかきむしり、重悟が呻く。
 続けて、模擬戦場の中で愕然と立ち尽くす制服姿の少年に視線を向け、

(……すまない、冬馬君)

 少年の目の前には、白い灰の山が積まれていた。
 たった今、少年がやむえず殴り倒したゴブリンの成れの果てである。
 ――そう。この日、初めて冬馬は《銃》を使用した模擬戦を行ったのだ。
 しかし、その結果は――。

「今までと同じ……。全く効果がないなんて……」

 雪姫が、ぽつりと呟く。
 訓練校で幾度となく繰り返したゴブリンとの模擬戦。
 今回の結果は場所が変わっただけで、それとまるっきり同じものだった。
 すなわち――冬馬は《銃》の力を手に入れられなかったのである。

「…………冬馬、……」

 少年の心情を慮り、雪姫が目を伏せる。
 と、少年がふらふらと歩き出し、ロッカールームへ向かい始めた。

「……柄森君。冬馬君が心配だ。すまないが彼の傍にいてやってくれないか」

 重悟が神妙な声で言う。雪姫はこくんと頷き、

「分かりました。今すぐ冬馬のところに行っていきます」

「わ、私も行きます!」

「……ごめん。フィオちゃん。冬馬、多分いま荒れてると思うから、もう少し後でもいい?」

「で、でも……」

「お願い。十分ぐらい経ったら来てもいいから……ね?」

 まるで幼子に言い聞かせるように雪姫は告げる。フィオナはいやいやと首を横に振っていたが、重悟が声をかけることで、ようやく渋々ながらも頷いた。

「ありがとうフィオちゃん。じゃあ、行ってくるね」

 そして、雪姫は駆け足で観戦室を出ていった。



 ――模擬戦場、ロッカールーム。

「……ははは、何なんだよ、これ……」

 ロッカーに額を押し付け、冬馬は渇いた声でそう呟いた。

(やっと、やっと手に入れたと思ったのに……)

 今日この日、冬馬は本当に興奮していた。
 前日の晩は全然眠れなかったぐらいだ。
 それほどまでに待ち望んだ日だというのに――。

 ――ガンッ!

 冬馬はロッカーに拳を叩きつける!

「ふざけんなよッ! くそがッ! 何なんだよこのオチはッ!」

(何のために! 何のために! 俺は一体何のために!)

 ガンガンッと我を忘れて、ロッカーを殴り続ける。
 今までの苦労がすべて水泡に帰し、冬馬は荒れていた。
 あの《黒庫》での苦労は勿論だが、何より今回は特に期待していた分だけ、あまりに失望が大きかったのだ。

「ちくしょうがッ! 何でだよ! 何でなんだよッ!」

 拳の皮膚が裂けて痛みを感じたが、それでも怒りは収まらない。
 冬馬は激情のまま、さらに拳を繰り出そうとするが――、

「冬馬ッ!」

 ピタリ、と拳が止まった。

「ゆ、雪姫?」

 振り返ると、怒っているような、悲しんでいるような表情の雪姫が立っていた。

「……冬馬。何してるの?」

 雪姫に問われ、冬馬は「い、いや」と呟きながら、傷ついた両手を背に隠す。
 そんな少年の態度に、雪姫は、はあっと溜息をつき、

「ベンチに座って。それから手を見せて」

 テキパキと指示を告げてくる。冬馬は一瞬ばつの悪そうな顔をするが、少女の有無を言わせない迫力の前に、渋々ベンチに座った。雪姫はロッカーの一つから救急箱を取り出すと、冬馬の隣にチョコンと座り、彼の両手の手当てを始める。

「もう。一体何してるのよ」

「……わりい。手間かける」

 慣れた手つきで冬馬の両手は包帯で包まれていった。

「流石だな。あっという間だ」

「…………」

「えっと、怒ってます? 雪姫さん?」

 返事をくれない少女に、冬馬は恐る恐る尋ねてみる。
 すると、雪姫はじいっと冬馬の顔を見つめ、

「ねえ、冬馬。訊いてもいい?」

「……何だよ」

「これでも、まだ銃を求めるの?」

 それは今の冬馬にとって、この上なく辛い質問だった。
 だが、どれだけ辛くてもこの質問に対する答えは一つしかない。

「ああ、そうだよ」

 その返答に雪姫は一瞬だけ目を伏せる。が、すぐに、

「あのね、もう一つ訊いていい?」

「……今度は何だよ」

 何となく想像はついたが、冬馬は雪姫に問う。

「……どうして、刀じゃダメなの?」

 やはりそうきたか、と冬馬は思った。
 冬馬が刀を使わないことに、雪姫が疑問を抱いているのは分かりきっていた。今までなら適当にごまかしてきたのだが……。

(流石にここらが潮時……かな)

 彼女にいつまでもこんな顔はさせたくない。
 冬馬は初めて胸の内を語ることにした。

「ちょっと昔話になるけど、いいか?」

 雪姫が目を丸くする。正直に教えてくれるとは思っていなかったのだ。
 そんな少女の態度に苦笑しながらも、冬馬は話を続けた。

「あれは三年前……。《首都血戦》でのことだよ」

「……《首都血戦》の日?」

「ああ。あの日、俺が東京にいたことは雪姫も知ってるだろ?」

「うん」

「その時にな、俺は出会ったんだ。あの男――ガラン=アンドルーズに……」

「……誰、それ?」

 もっともな雪姫の疑問。冬馬は気まずげに頬をかき、

「見た目は二十八歳ぐらいの金髪金目の英国紳士。しかし、その正体は――」

 刃のように鋭く目を細めて告げる。

「東京を襲った怪物どもの首領。――A級の幻想種だよ」

「え――、ウ、ウソッ! そんなA級って……」

 流石に動揺する雪姫。
 実は、彼女は未だD級以上の幻想種を見たことがなかった。
 訓練校の講義によると、幻想種はC級以上から格段に知能と戦闘力を増すらしい。B級ともなれば、人間顔負けの戦術まで駆使してきた事例もある。

 そんなB級さえも凌ぐ七王の側近。
 A級幻想種など想像もつかない怪物だ。

 雪姫の喉がごくりと鳴る。
 すると、冬馬が少女の緊張をほぐすように明るく笑った。

「ははは、俺も遭遇した時はマジでびびったよ。見た目普通の人間だったし」

 が、すぐに真剣な表情で、

「……俺さ、そいつと戦ったんだ」

「ッ!」

 言葉を失う雪姫。少年の話は淡々と続く。

「相手が自分より格上なのは一目で分かった。だから俺は奥義を以て挑んだよ」

「お、奥義……?」

「そう。八剣の奥義。簡単に言うと、手順がちょっと複雑な突進系の突きだ」

「手順って……。一体どんな技なの……?」

 純粋な好奇心で問う雪姫に、冬馬は、う~んと唸ってから答えた。

「そうだな。手順は四つか。①暗示で身体強化。②重心移動による初動加速。③さらにタイミングをずらしたかけ声で敵を惑わし、④敵が瞬きした瞬間に突進して突く、だ」

 ちなみに技名はないんだよ、と最後に付け加える。

「四メートルまでなら敵には消えたように見える突きだよ。多分時速で五十キロぐらい」

「ご、五十キロって、それって人間に出せる速度じゃないでしょう……」

 ただただ、呆然と雪姫は呟く。
 なんという凄まじい絶技なのだろう。まさに、回避不能――必殺の一撃だ。
 それほどの絶技ならば、たとえ相手がA級であったとしても――。
 と、思った時、

「刃は届いたよ。俺の刀は奴の喉元を貫いた」

 冬馬自身が彼女の推測を言葉にした。雪姫は興奮気味に瞳を輝かせる。

「す、凄いじゃない! A級幻想種を倒すなんて!」

 惜しみなき賞賛。だが、少年の表情は暗く……。

「……倒せなかったんだ」

「え?」

「奴の肉体の強度に耐えきれず、切っ先が折れてしまったんだ。奴は喉元に刃を突き刺したまま、ぴんぴんしていたよ」

「そ、そんな……」

 喉元を貫かれて、平然としていられる生物など考えられない……。
 思わず雪姫が、自分の喉元を押さえて絶句していると、

「その時なんだよ。俺が刀を見限ったのは……」

 冬馬が話の核心を告げてきた。

「……どういうことなの?」

 雪姫が慎重に問う。冬馬は少しの間だけ沈黙し、

「――あの後、奥義が通じず倒れ伏した俺に、奴はあることを尋ねてきたんだ」

「……あること?」

「奥義の術理だよ。あの技がよっぽど不思議だったらしい」

 そこで少年は皮肉気に笑い、

「あの時自暴自棄になっていた俺は、どうでもいいやって感じで術理を教えてやったんだ」

「…………」

「そしたら、あいつ何て言ったと思う?」

「……分からないわ。一体何を言ったの……?」

 冬馬は、ははっと笑う。

「『どうしてあなたは、ただ走ることにそんな手間をかけるのです?』だってさ」

 その言葉に、雪姫は訝しげに眉をひそめた。

「……何それ。どういう意味なの?」

 雪姫のその問いに、

「……あのさ雪姫。クマってさ、最高どれぐらいの速さで走ると思う?」

 まるで関係ない質問で冬馬は返してきた。首を傾げながらも雪姫は答える。

「……クマ? あの動物の? 大体四十キロぐらいじゃないの?」

 すると、冬馬はかぶりを振り、

「外れだよ。種類にもよるらしいけど、平地で時速六十キロぐらいだって」

「へえ、意外と速いんだ――って、それが今、何か関係あるの?」

 少し怒り気味な雪姫に、冬馬は「結局さ……」と呟いた後、

「俺、クマより足が遅いんだよ」

「……はあ? そんなの誰だって同じでしょう」

 冬馬の台詞に、雪姫は呆れ返った。
 クマより速く走れる人間などいない。
 一流アスリートでさえ三十五、六キロが限界だ。
 そんな状況でクマより足が遅いと言われても何を気にしているのか分からない。
 雪姫が眉をしかめていると、冬馬がぼそりと語り始める。

「俺の奥義は五十キロ。クマの足は六十キロ。そして、あの男の速度は――本人曰く、時速百二十キロ。……俺の二倍以上なんだよ」

 そして、小さな嘆息をもらした後、力なく言葉を締めた。

「それこそが、俺が刀を使わなくなった理由なんだ」

 少年の結論に雪姫が首を捻る。正直、今の説明では理解できない。
 仕方なく彼女は、もう一度問うことにした。

「……ごめん。よく分からない。もう一度教えて」

「…………」

 長い沈黙――。

「……はっきり言ってしまえばさ」

 冬馬はようやく口を開いた。

「……俺の捨て身の奥義は、あの男が、ただ走るのよりも劣るってことだよ」

「――ッ!」

「あの時、俺が感じたこと。それは人間の限界だ。結局どんだけ体や技を鍛えても、俺達の身体能力はクマにさえ遠く及ばない」

 そこで一度、ふうと脱力し、

「刀、槍、斧……どれも同じだ。所詮は人間の身体能力の延長にすぎない。その程度の補強で種族の差が埋まるほど幻想種は甘くはない」

「で、でも、私達は今まで戦ってこられたわ! それも四十年も!」

「それは今までA級以上が表に出てこなかったからだ。逆に言えば、今の武器で倒せるのはB級までなんだよ」

「そ、そんな……」あまりにも無情な冬馬の言葉に、雪姫は絶句していた。
 確かに歴史上、七王の側近であるA級が表舞台に出てきたことは、ほとんどない。
 とは言え、修練を積んだ一流の武人が、まるで敵わないとは思えなかった。
 だからこそ、雪姫は冬馬に反論しようとしたのだが、

「まあ、聞いてくれよ、雪姫」

 と、冬馬の声に遮られてしまった。少年はそのまま話を続ける。

「俺にだって、刀に愛着はあるよ」

 その言葉は偽りなき本心だった。――いや、愛着どころか、生まれた時から共にあった刀は彼の半身と呼んでもいい存在であった。

 しかし、現実は非情で――。

「けどさ、刀でA級以上を倒すのは無理なんだよ。刀じゃあ絶対に勝てないんだ」

 それが現実。彼にとって、あまりにも不条理な事実だった。

 ――対策は、何度も何度も考えた。

 例えば今の時代、鉄を超える素材の太刀はいくらでも存在する。

 だが、強靭な刃ならば、何でも斬り裂ける訳でもない。
 重要なのはもう一つ。その刃を振るう『力』だ。
 かつて冬馬の奥義を受けても微動だにしなかった怪物。その体重は恐らく数百キロにも至るだろう。体の硬度も合わせてまさに鉄の塊そのものだ。
 仮に炭素鋼の刃であっても、数百キロもあるような大質量の鉄塊を人間の単純な腕力だけで両断することなど不可能だった。同じ個所を何十回、何百回と打ちつけてようやく表層を削る程度が関の山だ。

 例えば古来より、鋼の鎧さえ貫く弓も存在する。

 人類の現主力武器。強力なものならば、厚さ五ミリの鉄板でもやすやすと貫通する。威力だけならば拳銃、軽機関銃をも凌ぐだろう。
 しかし、弓は威力を維持したまま速射性を得るのが難しく、鉄塊に通じるほどの強力な弓ともなると基本単発になってしまう。第二射までの十数秒のタイムラグはあまりにも厳しい。

 それ以前に、あの怪物ならば容易く攻撃を先読みして射線から退避するだろう。狙いを定める隙さえない。当てること自体が至難の業だった。

 他にも威力だけならバリスタや投石機などもあるが、これらは論外だ。
 鈍重すぎて弓以上に当てる事が出来ない。

 そもそも刀にしても弓にしても、本来は人や動物、要は『対生物』を想定した武器なのだ。B級まではいい。代表格であるリンドブルムにしてもその竜鱗は鉄ほど強固ではなく、まだ生物の範疇だと言える。事実、B級の討伐実績ならいくらでもある。

 ――だが、A級以上は違う。

 高い知能に加え、桁違いの運動能力を持つ巨大な鉄塊のごとき怪物――『俊敏に動く人型戦車』など、もはや生物とは呼べないだろう。
 時速百二十キロで跳びまわる戦車相手に刀や弓で挑むなどあまりにも無謀すぎた。

 だからこそ必要なのだ。

 個人で扱う武器の中で唯一『対戦車』までを想定している武器が。
 圧倒的な破壊力と速度。その上、速射性さえも兼ね揃えたあの武器が。

「だから、銃なの……?」

 雪姫の呟きに、冬馬は静かに頷く。

「銃だったら、身体能力に関係なく強くなれるからな」

 より正確にいえば、欲しいのは『対戦車アンチ・マテリアルライフル級の威力と速さ』だ。
 マッハ二・五。時速にして約三〇〇〇キロ。刀を含めた他の武器では決して出せない速度であり、恐らくは個人で放てる『最強の刺突』。
 それさえあれば、あの男に対する切り札になる。
 あの男と戦うことが出来るのだ。

 ――しかし。

(……戦う、か)

 やはり思ってしまう。
 本音を言えば刀を使いたい。あの『人外の怪物』相手に『人間の極限』を以て挑む。なんと魅力的なことだろうか。想像するだけで血が騒ぐ。
 その戦いで命を落としても、きっと自分は後悔しないだろう。

 だが、それは三年前ならば、だ。

 今は違う。
 今の自分の隣には一人の少女がいる。
 柄森雪姫。自分の親戚であり家族。初恋の少女。一番守りたい人。
 もう自分は決して負けられないのだ。
 たとえ、相手が『人外の怪物』であろうとも。

 そのためには《銃》が必要だった。
 そのために刀を捨てる必要があるのなら、潔く捨ててやる。
 相棒であり、友であり、半身でもある刀を捨ててやる。

 それで勝利を掴むことが出来るのならば。
 それで彼女を守れるのならば。

「結局さ、俺は何よりも勝利が欲しいんだ。だからこそ、銃を選んだんだよ」

 ――そう。何も惜しくなどないさ。
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