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エピローグ

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 逆薙市防衛戦。それが一週間前に起きた戦闘の名称である。
 結局この戦闘は、首領格たるリンドブルムの指示による――幻想種の撤退で終わった。

 負傷者二千五百六十三名。死者百五十四名――。

《血戦》ほどではないとはいえ、あまりにも痛々しい被害だ。
 だが、朗報も二つある。
 一つはA級幻想種の討伐。
 今はまだ秘匿にされているが、これは人類初の偉業である。
 そしてもう一つは、戦闘に参加したPGC訓練生に一人も犠牲者が出なかったことだ。

 戦場に駆けつけたPGC戦闘班・四十三名及び、教師陣による獅子奮迅の活躍もさることながら、何より十倍近い戦力差が幸いしたらしい。
 弓兵やバリスタを主力とした堅実な戦いをこなすことで、負傷者こそいたが、死者はゼロという快挙を成し遂げたのだ。
 だからこそ、凄惨な戦いの後でありながらも校内の雰囲気はとても浮かれていた。

 そう、例えば――。

「なあなあ、八剣! 見てくれよ! カッコいいだろ!」

 冬馬の教室――《2のA》。朝のHRを前に、訓練生達は談笑に興じていた。
 その中でも特にハイテンションなのは、この坊主頭の白服生。
 冬馬の悪友・山田だ。
 山田は自席に座ってぐったりとしている冬馬に、先程からずっと話しかけてきていた。
 何気に朝に弱い冬馬は、眠気と戦いながら仕方なしに友人の相手をする。

「ふわあぁ……ねむ。……で、一体何がカッコいいんだよ?」

「これだよこれ! 名誉の負傷を覆う黒い包帯だよ!」

 そう語る山田の顔には、右目を覆うように黒い包帯が巻かれていた。一週間前の戦闘で受けた傷らしく、右目の上を浅く切ったそうだ。

「どうだッ! いかにも戦士って感じだろ!」

 と、その包帯を手でつつきながら、山田は興奮気味に言う。
 この一週間、山田の例に限らず学校全体がこんな感じだ。

(まあ、みんな初陣を見事勝利で飾ったからな。多少浮かれても仕方がないか……)

 冬馬は、やれやれと苦笑しながら、

「はいはい。けど黒い包帯なんてよく手に入ったな」

「いや、結局手に入んなくてさ。墨汁で染めて自作した」

「へ? 染め? 墨汁ゥ!? お前正気か!?」

 どうやらこの馬鹿は、少し自重させた方がよさそうだ。

「……まったく何してるのよ。あなた達は」

 不意に呼びかけられ、冬馬達が振り向くと、そこには手さげ鞄を持った雪姫が、呆れたような表情で立っていた。

「おはよ。雪姫」「おはよう。柄森さん」

 陽気に挨拶する冬馬達。雪姫も笑みを浮かべて、

「うん。おはよう。冬馬に、山田君」

 と返し、冬馬の隣の席にポンと鞄を置く。そこが雪姫の席だった。
 そのまま席に座って鞄を開く雪姫の横顔を、冬馬はちらりと窺った。

(……うん。どうやら大分落ちついたみたいだな……)

 雪姫の健康的な顔色を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
 この一週間、戦勝ムード漂う校内で、唯一雪姫だけは落ち込んでいた。

 だが、それも当然だろう。
 なにせ、彼女だけは戦死者が出る戦いに加わっていたのだから。

 あの日――殉職した団員は、百八名。
 その内、十一名が雪姫と共に戦った団員だった。

 戦闘中はまだ気分も高揚していた彼女だったが、戦闘が終了すると一気に落ち込み始めた。その日は、同様に落ち込むフィオナと共に、冬馬のコートの裾を掴んでずっと離してくれなかったぐらいだ。

 いっそこのまま迎撃士の道を諦めてくれたら、と思わなくもなかったが、元来強い心を持つ少女は少しずつ元気を取り戻し、今ではほとんど立ち直ったらしい。

(まあ、それでこそ雪姫、か……。フィオの方も、もう立ち直ったみたいだし)

 ふと、銀髪の少女のことを、冬馬は思い出した。
 あの少女はある意味現役の迎撃士だ。
 すでに覚悟も出来ており立ち直りも早かった。
 ただ、あの日以降、何故かフィオナは、時々子猫のように冬馬に甘えてくる。
 冬馬としては、妹が出来たようで嬉しくはあるのだが……。

(つい頭を撫でようとして、何度、高崎支部長に首を絞められたことか……)

 自分の喉を押さえ、ゾッと身震いする。
 上司との関係がいきなり険悪になったような気がするはどうしてだろうか。出会ってまだ一ヶ月ぐらいしか経っていないというのに。
 これからのことを考えると、思わず溜息がもれてしまいそうだ。

 ――現在、冬馬は非常に特殊な立場にいた。

 あの日、遂に《銃》の力を手に入れ、さらに人類初のA級幻想種の討伐までやってのけた冬馬は紛れもなく英雄だった。
 しかし、《銃》という特異な力に加え、まだ訓練生という立場からA級幻想種の討伐は秘匿にされ、冬馬の存在も表に出すのを控えられたのだ。

《メルザリオ神話》は、PGCの最高機密にして切り札――。

 幻想種がどう動くか分からない以上、可能ならば秘匿にしておきたいのである。
 その結果、冬馬はフィオナ同様、支部長直属の特殊迎撃士としてPGC神奈川支部に所属することになった。

 表向きは訓練生。有事の際には出撃を優先するという立場でだ。

 そのことをフィオナに伝えると、彼女は瞳を輝かせて大喜びしたのだが、

「――え? クロさん、ずっと神奈川支部にいてくれるんじゃないの、ですか?」

 詳細を聞いて、がっくりとうな垂れていた。
 が、それも束の間。彼女はすぐに立ち直ると重悟に詰めより、

「――……に通いたい、です」

「え、いや、でもフィオは十四じゃないか。それにお前は飛び級で大学もすでに……」

「……ダメなの、ですか? 義兄さん……」

「む、ぐう、で、出来なくはないが……。ぐぐぐ……」

 などと、ぼそぼそ話をしていたようだが、それは冬馬の知るところではなかった。
 ともあれ、そんなこんなで現在に至るのである。

(まあ、戦闘がない限り訓練生のままだし、給料も出るから結構悪くないかな)

 大きな欠伸をして、のんびりと冬馬がそんな風に考えていたら、

「お~い。みな席に着け。朝のHR始めるぞ~」

 担任のエリソンが、出席簿を持って教室に入ってきた。
 訓練生達が一斉に動き出し、それぞれの席に着く。
 エリソンは教壇の上に出席簿を置くと、クラス全体を見渡して、

「よし、みな席に着いたな。ぐふふ、今日は朝から朗報があるんだぞ」

 まるで悪代官のような笑みを浮かべて、そう告げる。
 言葉の意味が分からず、クラスメート全員が怪訝な顔を見せていた。
 そんな教え子達の反応に、エリソンは不満足げに唇を尖らせ、

「何だ面白みのない反応だな。だが、まあいい。彼女を見ても同じ反応が出来るかな?」

 と告げた後、ドアに向かって「入ってきていいぞ」と呼びかける。
 するとガラガラガラとドアがスライドして開き、そこから一人の少女が入ってきた。
 白い制服を纏い、腰まである銀の髪をなびかせる妖精のように美しい少女――。
 クラス全体から「おおッ」と声が上がる。
 ……まあ、冬馬と雪姫だけは、ポカンと口を開けていたが。

「彼女は編入生だ。実技の方は平均的ではあるが、座学においては歴代トップ――なんと満点を取っている。編入早々序列九位にくいこんだ才媛だ。みな仲よくするように」

「「「お、おお、おおおおおおおおッ!」」」

 山田を筆頭に、雄たけびを上げる男子達。
 女子達も「可愛い」「お人形さんみたい」と、それぞれ喚声を上げていた。
 唐突に騒がしくなった教室に、注目を浴びた少女は怯えたように後ずさる。彼女はしきりに「助けて、クロさん」と、冬馬に視線を送ってきていた。
 しかし、肝心の冬馬は混乱するばかりだ。

(と、冬馬! こ、これって一体どういうことなの!)

 同じく動揺した雪姫が、例の読唇術もどきで訊いてくる。
 だが、冬馬にも状況が分からないのに、答えられるはずもなかった。
 その時、エリソンがパンパンと手を叩き、興奮する場を静めた。

「やれやれ、お前達。少しは静かにしないか。彼女が挨拶できんだろうが」

 そう言ってから、少女に微笑みかけ、

「じゃあ、そろそろ自己紹介をしてもらおうかな」

 と、優しく促す。彼女はこくりと頷いた。
 そして銀髪の少女は、緊張した面持ちで唇を動かす。

「あ、あの、は、初めまして。えっと、わ、私の名前は――」

 その可憐な声は、教室内に響いていった――……。


 八剣冬馬。
 後世において《黒の砲神》と呼ばれる少年。
 彼の神話は、今まさに始まったばかりである。


〈了〉
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