骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第1部

第五章 骸鬼王の館②

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 ――骸鬼王の館。
 それは、都心から遠く離れた山奥にあった。
 森の中の寂れた公道を、バイクで走ること二時間。申し訳ない程度に整地された山奥へと続く横道に入り、さらに三十分。ようやく真刃とエルナはその館に辿り着いた。

「……ここが骸鬼王の館」

 真刃にバイクから降ろして貰いながら、セーラー服姿のエルナが呟く。
 その館は洋館だった。
 建築時期は昭和初期。その年数に相応しい寂れた建造物だ。
 四階まである壁には亀裂が走り、蔓がびっしりと張り付いている。窓ガラスもほとんどが割れていた。バイクを停めたこの場所も元は庭園だったが、当然ながら剪定などされておらず、時の流れに埋もれた廃墟のような様相となっていた。
 月光を背にするその館は、異様な雰囲気を放っている。
 エルナは、静かに喉を鳴らした。

「大正時代に帝都を襲撃した、万にも至る。《千怪万妖骸鬼センカイバンヨウガイキノ王》。火の神が宿る神刀を携えた火緋神の巫女によって討伐されたけど、完全には滅びなかった」

「……………」

 少女の独白に、真刃は沈黙しつつ耳を傾けていた。

「欠片である十数体の我霊は逃亡に成功した。そのほとんどは、当時の引導師たちの手によって討伐されたけど、一体だけ十数年に渡って逃げ延びて、この館に牙城を築いた。そして今もなお存在し続けている。骸鬼王の眷属。嘘くさい伝承だけど……」

 ――危険度カテゴリーAの案件。
 ここに棲むという我霊は、かつてないほどの強敵ということだ。
 エルナは無意識に、今日も身に纏う龍のジャンパーの袖を握った。
 否応なしに背中に寒いものを感じる。
 何より、エルナは古い館にトラウマに近い記憶があった。

「吞まれるな。エルナ」

 その時、黒いスーツ姿の真刃が、ポンと彼女の頭の上に手を乗せた。

「最初から臆しては、実力は発揮できんぞ」

「……は、はい」

 エルナは、師の顔を見上げた。

「そうですよね。じゃあ、先に敵の規模を少し調べてみますね」

 言って、エルナは柏手を打った。使う術は探査系。彼女の開いた掌を中心に周辺の映像が造られるが、そこには何も変化がなかった。

「あれ? 探査術サーチに引っかからない?」

「……流石にそれは無理だと思うぞ。エルナ」

 真刃は、苦笑した。

「基礎的な探査術はこの場では意味がない。ここは我霊の縄張りの目の前だ。危険度B以上の我霊の縄張りは濃度がまるで違うからな」

「……濃度ですか?」

「ああ」真刃は頷く。「上級我霊は濃霧のように低級我霊や人を惑わせ、誘い込むような気配を持っている。一種の結界領域だ。それは下位の術を阻害する効果もある」

「そ、そうなんですか?」エルナは驚いた顔をした。真刃は「うむ」と頷いた。

「領域内では物質転送も無理だと思った方がいいな。加え、今回のような危険度Aならば独自の異能さえ持っている可能性もある。よいか、エルナ。ここから先は本当に気を引き締めよ。能力以上に、年月を経た我霊は狡猾だ。知性だけはかなり人に戻りつつあるからな」

 と、真刃が、エルナに忠告した時だった。

『……人より狡猾なものはおらぬ』

 ズシン、と足音を立てて口を開く者がいた。
 バイクに憑依し、黒鉄の虎と化した猿忌の声である。

『そうとも聞こえるぞ。主よ』

「……己はもう、そこまで捻くれてはおらん」

 真刃は苦笑を零しつつ、エルナの頭を撫でた。

「少なくとも人は狡猾なだけではない。今はそれを理解している」

「……お師さま?」

 エルナは、小首を傾げた。
 しかし、真刃はただ優しい眼差しで、彼女の頭を撫でるだけで何も答えない。

「お、お師さま! それよりも!」

 流石に気恥ずかしくなってきてエルナは叫んだ。

「今回の件ですけど、一つだけ確認しておきたいんです」

「……? なんだ?」

 エルナは、神妙な眼差しで真刃の顔を見上げた。

「その、今回の件で勝利すれば、かなた隷者にするって話ですけど……」

「ああ、それか。すまんな。お前には説明を――」

「い、いえ、それはいいんです!」

 真刃の言葉を、エルナは手を突き出して遮った。

「兄もそうですが、一流の引導師が何人もの異性の隷者を持つのはもはや必然です。賛否両論もあるけど、確実に強くなるのは事実ですから。私もそのことは覚悟しています」

「いや、待てエルナ」真刃は困惑した表情を見せた。「お前、明らかに勘違いを――」

「――でも!」

 エルナは、再び真刃の台詞を両断した。

「さ、最初はっ!」

 そして耳まで赤く染めて、彼女は真刃に詰め寄った。

「二人同時と言っても、最初は、その、私からですよね? 最初に隷者にしてもらえるのは私ですよね? だって、私の方がずっと付き合いが長いし、弟子なんだし!」

 今にも泣き出しそうな顔で、エルナはそんなことを言い出す。

「……いや、エルナよ」

 真刃は疲れ切った表情で、自分の額に手を当てた。

「その、な。お前とは一度話を――」

『案ずるな。エルナよ』

 三度みたび、真刃の言葉を断ち切ったのは、真刃の従者だった。
 黒鉄の虎は言う。

『お主は隷者どころではない。誉れ高き第一の妻。妃たちを統べる長――壱妃候補なのだ。主がお主を無下にすることはないぞ』

「ホ、ホント?」エルナがわずかに瞳を輝かせる。虎は頷いた。

『無論だ。しかし、すまぬな。決戦開始まで後四十分。今宵は自動車に憑依すべきであった。さすれば、事に及ぶ場所を提供できたものの。お主の不安も事前に払拭できたのにな』

 猿忌の台詞に、エルナは「え?」とキョトンする。
 が、すぐに顔を真っ赤にした。

「え? ええッ!? 今ここで!?」

「……おい、猿忌」

 一方、真刃は従者を睨み付けた。

「貴様、外堀を埋めるどころか、天守閣を直接撃ち抜くような台詞を……」

『いい加減、据え膳を喰え。我も金羊と同意見だ。壱妃をいつまでも待たせるでない』

「……お前たちは」

 真刃が渋面を浮かべていると、クイクイとスーツの裾を引っ張られた。
 頬を紅潮させたエルナの顔が、そこにあった。

「お、お師さま……ううん、

 瞬間、トクンと心が跳ねた。

(……え?)

 エルナは一瞬戸惑うが、すぐにどこか覚悟した瞳で告げる。

「だ、大丈夫です」すっと自分のスマホを真刃に見せる。

「そ、その、《隷属誓文ギアスレコード》ならいつでも使えるようにアプリ化しています。だから真刃さんが望まれるのなら、私は車内でもどこでも……な、なんなら、今からあそこでも……」

 言って、震える手で繁みを指差した。
 一拍の間。

「正気に返らんか! エルナ!」

 流石に真刃も、パシンッとエルナの頭を軽くはたいた。
「はうっ」と頭を両手で押さえたエルナは、上目遣いをする。
 何とも愛らしい仕草だが、ここは大人としてエルナを叱った。

「まったく。お前は何を考えておるのだ!」

「そ、そうですよね。車内とあそこじゃあ、全然違いますもんね」

「……論点がずれておる。そうではない」

 真刃は、額に手を当てて嘆息した。

「その件は後だ。それより重要な説明をする。かなたについてだ」

「……? かなたについてですか?」

 エルナは首を傾げた。真刃は「……うむ」と頷く。
 そして弟子に伝える。現状、かなたが晒されている危険性を。
 エルナは、愕然とした。

「……それは、本当なんですか?」

「ああ。だが、今さらゴーシュ=フォスターや大門に中断の連絡を取るのも難しいだろう。そもそもゴーシュの方は己の話など一切信じず、呆れた顔をしそうだ」

「……そうですね」エルナは微苦笑を浮かべた。「確かに、兄の性格からして『何だそれは?』と鼻で笑いそうです」

「何よりこれが《魂結びの儀》である以上、互いに引けんしな。すまん。エルナよ」

 真刃は、エルナの横髪にそっと触れた。

「お、お師さま?」

 エルナは、少し緊張した様子を見せた。
 真刃は瞳を細める。いささか暴走気味なところもあるが、彼女はこの時代で最初に出会った大切な存在だ。真刃にとっては、最も守るべき少女だった。
 しかし――。

「本当にすまない。今回の《魂結びの儀》はお前の自由もかかっておる。己としては本来ならお前を最優先にしたい。だが、緊急度では、かなたの方が遙かに上なのだ。ゆえに……」

 そこで押し黙る。すると、エルナは紫色の瞳を閉じた。

「……分かっています」

 そして彼女は自分の髪に触れる真刃の手を、そっと両手で包み込んだ。

「今回はかなたにお師さまを譲ります。私のことは気にしないで。あの子を最優先にしてあげてください。けど……」

 エルナは、穏やかに微笑んだ。

「この件が終わった後。初めての夜は私からですからね。そこだけは絶対に譲りません」

「いや、そこはどうか正気に返ってくれんか? はぁ……」

 真刃は深い溜息をついた。

『もはや覚悟を決め切れていないのは、主だけのようだな』

 猿忌がくつくつと笑う。が、すぐに真剣な声色で。

『主はかなたの保護に専念せよ。主に代わり、エルナは我が守り抜いてみせよう』

「ああ、頼むぞ。猿忌よ。エルナを必ず守り通してくれ。そして――」

 真刃は、夜空を見上げた。

「……空気が変わったな。思いの外、奴も早く到着したようだ」

 巨大な骸鬼王の館の裏口。その方向から強い存在感が伝わってくる。
 ゴーシュ=フォスターと、杜ノ宮かなたが到着したのだろう。
 この決闘。真刃たちは正門から。ゴーシュたちは裏門からスタートする。
 そして、どちらの組が先に核となる我霊を討伐するかで決着する。
 時刻は二十二時二十二分。スタートまで、すでに四十分を切っていた。

(……さて)

 微かな自嘲を込めて、真刃は双眸を細める。

(人擬きの人助け、か。皮肉なものだ。だが、エルナさえも差し置く以上、あの娘は絶対に助けんといかんな)
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