骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第3部

第七章 兎と羊は拳を振るう⑦

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『――ご主人!』

 金羊が叫ぶ。

『何してたんスか! 遅すぎっスよ!』

「……これでも、相当急いできたのだがな」

 真刃は苦笑を零した。
 と、その時、ボボボと鬼火が現れる。
 骨の翼を持つ猿。猿忌だ。
 猿忌は眉をしかめて、痙攣するピアス男を一瞥した。

『このような下衆。主自らが懲罰する必要もなかったのではないのか?』

「……ふん」

 真刃も、ピアス男に目をやった。

オレとて、直接殴りたくなる輩もいるのだ」

 そう呟く。
 それから、ペタンと床に座り込んだ少女へと視線を向けた。
 少女は、未だ茫然としている。

「……大丈夫か? 娘よ」

 そう声を掛けてみるが、彼女は何も答えない。
 涙で溢れた蒼い瞳は、とても虚ろだった。
 心が、完全にどこかに行っている。
 真刃は、双眸を細めた。

(……トラウマか)

 この少女の過去は、金羊から聞かされている。
 数年前に、両親を海難事故で亡くしているとのことだ。
 そんな過去を持った上で、水を得意とする外道との戦闘である。彼女が抱いた恐怖が、どれほどのものだったのかは、察するには余りある状況だった。

(……確か、この娘の名は……)

 真刃は、少女と視線を合わせるため、片膝を突いた。

「……月子」

 少女の名を呼ぶ。
 茫然とした表情に、微かな反応があった。

「もう、大丈夫だ」

 真刃は、優しく微笑んだ。

「お前はよく頑張った。もう身構えなくともよい」

 そう告げると、少女はハッと顔を上げた。
 少しずつ、虚ろだった瞳に輝きを取り戻していく。
 そして――。

「……た、助けて……」

 真刃の顔を見つめて、そう呟いた。
 真刃は「ああ」と、強く頷いた。

「安心せよ。お前は――」

 と、言葉を続けようとした時、

「……さ、燦ちゃんを、助けてあげて……」

 真刃の腕を掴んで、月子がそう告げた。
 真刃は、軽く目を見開いた。
 少し驚いた。

(……この娘)

 ここまで心を追い込まれてなお。
 まず口から出てくるのは、友の身を案ずる言葉とは……。
 本当に、優しく善良な娘だ。
 だが、それはあまりにも……。

(……………)

 真刃は、一瞬だけ双眸を閉じた。
 そうして、

「……安心せよ」

 穏やかな声で、そう応える。

「あの娘も、見捨てる気はない」

 火緋神の少女。杠葉の遠き娘。
 あの娘は、遠き日に愛した少女の忘れ形見だ。
 決して、見捨てるような真似はしない。

「金羊よ」

 真刃は、彼女のポケット内に納められたスマホに宿っている金羊に命じる。

「そこの男のスマホから、あの娘の行方を探れんか?」

『うっス! 早速、ハッキング中っス!』

「うむ。頼むぞ」

 電脳の世界ばかりは真刃も無力。完全な門外漢である。
 ここは自らの従霊を信じて、すべてを託す。
 自分は、いま自分に出来ることをするだけだ。
 時折まだ表情が消えてしまう月子を見やる。

『……主よ』

 その時、猿忌が口を開いた。
 聡明な従霊の長も、この少女の危うさ・・・には気付いていた。

「……分かっておる」

 真刃は頷いた。
 そして「月子」と少女に呼びかける。
 月子は「え?」と顔を上げた。

「……お前は、頑張りすぎだ」

「………え?」

 真刃の言葉に、月子は目を瞬かせた。

「お前の過去は、ある程度だが、金羊が教えてくれた」

 真刃は、一度瞳を閉じる。

「お前はあの燦という娘に、強い友情と恩義を抱いているのは分かっている。それは、お前の性格の良さでもあるのだろう。しかし」

 一拍おいて。

「迷惑をかけたくない。心の奥では常にそう思っているのだろう? お前の優しい性格と立場なら当然とも言える。だが、だからと言って、お前が、自分の感情を無理やり抑えつけてもいいという話ではないはずだ」

 真刃は、真っ直ぐ少女の瞳を見据えた。

「お前は、誰かに甘えることが出来ているのか?」

「あ、甘える……?」

 呆然とした表情で、月子が反芻する。
 真刃は頷いた。

「子供としてだ。ただ我儘に。純粋に。感情をぶつけられる相手はいるのか?」

「そ、それは……」

 月子は、おどおどと視線を逸らした。
 その相手は、かつては母であり、父であった。
 けれど、両親が亡くなってからは……。

「何年、無理をしてきた? どれほど我慢をしてきた? 心が怯えている時にまで自分の感情を抑え込んでしまうのは、あまりにも危ういことだぞ」

「……わ、私は……」

 月子の蒼い瞳が、泳ぎ始める。
 真刃は、小さく嘆息した。

「……やはり、お前は頑張りすぎだな」

 月子は、どこか、かなたに似ている。
 ただ、かなたは心を閉ざすことで、ある意味、心を自衛してきた。
 一方、月子はずっと我慢をしてきたのである。恐らく本人も気付かない内に、心に強い負荷をかけ続けてきたのだろう。

 それは、いずれ、この娘の心に大きな亀裂をもたらすことになる。
 心を決壊させてしまう時が来るはずだ。

「……月子」

 真刃は優しく微笑み、大きな手で少女の頭を撫でた。
 月子は目を見開く。

オレは、火緋神家とは無関係な男だ。ゆえに気遣いなど不要だ」

 一拍おいて。

「自分の心を無理に抑え込む必要もない。今お前の目の前にいる男は、どれだけ迷惑をかけても構わない相手だからな」

 そう告げる。
 月子は、数瞬ほど唖然としていたが……。

「……月子」

 真刃は、再度彼女に呼びかける。

「今ここで無理をする必要はないのだ。素直に甘えてもいい」

 その言葉を受けて、

「うわあ、うあああ……」

 不意に、ボロボロと涙を零した。

「うああああああああっ! うわあああああああああああああああああああっ!」

 そして大声を上げると、立ち上がり、真刃の首に抱き着いた。

お母さんマーマも、お父さんパーパもいなくなって!」

 月子は、真刃にしがみついて想いを吐き出す。

「私は一人ぼっちになって! 誰も助けてくれてなくて、叔父さんは怖くて――」

 それは、何年も溜め込んだ感情の激流だった。

「なんで、なんで、なんでっ!」

 涙が止まらなかった。

「なんで、私だけがこんな目に遭うの!」

「…………」

 真刃は何も語らない。
 ただ、黙って、彼女の感情の受け口となる。

「わ、私は……私はっ!」

 月子は、そのまま感情を吐き出し続けた。
 今まで心の奥にしまい込んでいた不満。恐怖。怒り。哀しみ。
 それらを、初めて言葉にした。
 それは、およそ数分間にも渡って続いた。
 時折、叫びすぎて呼吸困難に陥ると、「大丈夫だ。呼吸を整えよ」と、青年は月子の髪を撫でて落ち着かせてくれた。
 そうして……。

「……ぐすっ、おじさまぁ……」

 ようやく少し平静さを取り戻した月子が、腕を離して真刃の顔を見上げた。
 少女の細い肩は、まだしゃっくりで少し跳ねていた。

「少しは、心の内を吐き出せたか?」

 そう尋ねる真刃に、

「………うん」

 月子は、まだ少し涙を零しつつも、こくんと小さく頷いた。
 その蒼い瞳に、先程までの危うさはもうない。

「……そうか」

 真刃は優しく笑った。

「それは良かった。しかし」

 そこで、ふっと苦笑を零す。

「折角の綺麗な顔が、随分と台無しになってしまったな」

 言って、両手で月子の頬に触れる。
 親指で涙の跡を拭い始めた。

「……やあぁ、やめてェ、もう。おじさまの馬鹿あぁ……」

 月子は、頬を朱に染めて恥ずかしがった。
 けれど、恥ずかしがっているだけで嫌がってはいない。
 少しの間、されるがままに頬を撫でてもらってから、

「……もう。子供扱いしないで。おじさま」

 真刃の両手に、そっと触れる。
 それから、数秒ほど、真刃の顔を見つめて……。

「……おじさま……」

 月子は、再び真刃の首に両手を伸ばした。
 今度は、激情に任せたような跳びつきではない。
 ゆっくりと、両腕を回して抱き着いた。
 どうしても、確認しておきたかったのだ。
 そして、青年の温もりを感じた。

(………あ)

 トクントクン、と自分の高鳴る鼓動が聞こえる。
 心が、とても落ち着いてくる。
 心の奥が、暖かいもので満たされていく。

(……ああ。そっか。これが、お母さんマーマの言っていた……)

 うなじまで赤く染めて、月子は真刃の首にしがみついた。
 一方、真刃は、どこまでも優しい表情だ。
 ポンポン、と少女の背中を宥めるように叩いている。

『……ふむ』

 その様子を見て、猿忌が呟く。

『……なるほど。確かにこれは逸材。金羊が強く推すのも分かるな』

 と、その時だった。

『――ご主人!』

 突如、声が響く。金羊の声だ。
 それは月子のスマホから聞こえてきた。
 真刃と月子、そして猿忌も表情を変えた。

「――分かったのか? 金羊」

『うっス! あいつのスマホから、PCへと経由して調べまくったっス!』

 金羊は告げる。

『燦ちゃんの居場所が分かったっス!』

「……そうか」

 真刃は頷き、立ち上がろうとするが、

「……あ」

 少女の声が零れ落ちる。
 その時、月子はまだ真刃の首を両手で抑えていた。

「ご、ごめんなさい」

 月子は慌てて手を離そうとする。と、それは真刃が止めた。

「いや。構わん。まだ不安なのだろう? 心を抑えつけなくてよい」

 一拍おいて。

「月子。お前を抱くぞ」

「……え?」

 月子は一瞬、目を瞬かせた。
 ――が、すぐに耳まで赤くして真刃を見つめた。
 しばしの逡巡。

「……月子?」

「……あ、は、はい……っ」

 名前を呼ばれて、月子は反射的に頷いた。
 それを承諾と捉えて真刃は月子を抱き上げた。お姫さま抱っこだ。
 月子は「ふわっ!?」と目を見開いた。

(う、うそ……)

 まさか、これから……。

「ま、待って、おじさま。そ、その……」

 恐らくは魂力オドの増強。
 おじさまは、この場で《魂結びの儀ソウルスナッチ・マッチ》を行うつもりなのだ。

 それは一理ある。
 未知の勢力を相手に、燦を助けに行くのだ。
 人を怪物化させる道具以外にも、敵がどんな力を隠し持っているのか分らない状況だ。
 時間的にまだ余裕があるのならば、戦力は増強させた方がいい。
 けれど、それを行うということは――。

「~~~~~~ッッ」

 月子は、口元を片手で押さえて視線を逸らした。

「ん? 嫌だったか?」

「……え」

 そう問われて、きゅうっと月子の心が鳴った。
 まだ自分には早い。明らかに早い。
 それに、何より強い不安がある。
 なにせ、直前まで、最低な男に貞操を狙われていたのだ。
 その恐怖は、簡単には拭えない。
 だけど、おじさまは、あの男とは全然違っていて……。

 ……ぎゅっと。
 青年のシャツを強く握りしめた。

 鼓動は、ずっと跳ね上がっていた。
 月子は視線を伏せて、キュッと唇を噛みしめた。

 そうして、

「……い、嫌じゃ、ない、です」

 そう答えた。

(言っちゃった!? 私、言っちゃったよ!?)

 月子の蒼い瞳が、ぐるぐると回り始める。

(おじさまは燦ちゃんの好きな人なのに! 嫌じゃないって……OK・・って言っちゃった!? け、けど、燦ちゃんを助けるために必要なことだし……し、仕方がないよね?)

 瞳の回転は、さらに加速する。

(そ、それに、引導師の世界だとハーレムは当然だそうだし、ネットの噂だと、十二、三歳で経験がある子もいるそうだし、その、おじさまは燦ちゃんの未来の旦那さまで、私は燦ちゃんの相棒バディだから、きっとこれはもう遅かれ早かれで……だから、え、えっと、あ、私って《隷属誓文ギアスレコード》のアプリって持ってないけど大丈夫かな? 決闘の儀式は多分必要ないよね? あ、後は……とにかく頑張らないと! 頑張らないとっ!)

 ……プシュウっ、と。
 月子の頭は、ショートした。

 それから、コテンっと真刃の肩に頭を乗せる。
 彼女のうなじや耳は、もう真っ赤だった。

「月子? 大丈夫か?」

「だ、大丈夫、です……」

 月子は、視線は合わせず――正確には合わせられず、そう答えた。
 一方、真刃は「そうか」と満足げに頷くと、

「では、あの娘の元に行くぞ」

 そう告げた。

「………………え?」

 月子は顔を上げて、目を瞬かせた。
 てっきり、このまま近くの空部屋に行くとばかり思っていたのだ。
 けれど、おじさまの言葉は……。

「え? おじさま……?」

 月子は混乱するが、すぐに「あ」と気付く。
 抱く……とは、抱き上げること。

(あ……わああッ!)

 自分の勘違いを知って、月子はカアアっと顔を赤くした。

「……? どうした? 月子?」

「も、もうっ!」

 思わず涙目になる月子。

「言い方っ! もうっ! おじさまの馬鹿あぁ!」

 そう叫んで、ポカポカ、と両手で真刃の頭を叩いた。
 こんな姿も、今まで月子は誰にも見せたことがなかった。

「こらこら。暴れるでない」

 真刃が、優しい声で戒める。

「元気なのはよいことだが、今はあの娘の元に急ぐぞ」

「……うゥ、は、はいィ……」

 月子は少し不満だったが、こくんと頷いた。
 今は、燦を助けに行くことを、何より優先すべきだった。

(ううゥ、ごめェん、燦ちゃん。私の馬鹿ぁ……)

 深く反省しつつ、しっかりと真刃の首にしがみついた。

「うむ。しっかり掴まっていろ」

 そう告げて、真刃は、月子を抱き上げたまま歩を進めた。
 駆け足に近い早足だ。
 宙に浮く猿忌も、主の後に続いた。

「さて。金羊よ」

 廃ホテルの外に停めてある車の元に急ぎながら、真刃は金羊に問う。

「あの娘はどこにおるのだ?」

『うっス。それなんスけど、その前に報告したいことがあるっス』

「……なに?」

 真刃は眉をひそめる。

「それは何だ?」

『あのクズ野郎のPCを漁って分かったんス。本当に胸糞悪くなる画像や情報ばかりだったっスけど、そん中に、あいつらの目的を推測できる情報もあったんス』

 それは、とある儀式に関するモノだった。
 儀式を遂行するための必要な道具について記載されていたのだ。
 恐らく、奴らの目的とは――。

『急ぐっス。ご主人』

 そして、金羊は神妙な声で主に警告した。

『あいつら。とんでもないことをするつもりっスよ』
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