骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第4部

幕間二 灯る炎

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 その少女の名は、多江たえと言った。
 姓はない。養父の姓ならばあるが、養父が亡くなってからは一度も名乗ったことはない。だから、ただの多江だ。

 彼女の実父は、漂流民だった。
 生まれたばかりだった多江を連れて、この国に流れついたのである。
 小舟に乗って漂流する多江たちを助けてくれたのは、一人の漁師だった。

 しかし、実父はすぐに息絶えた。
 元々酷い怪我を負っていたらしく、数日と持たなかったそうだ。
 それで困ったのは、漁師だった。
 彼の手元には、褐色の肌を持つ赤ん坊が残されたのだから当然だ。
 漁師は赤ん坊を見捨てられず、『多江』と名を付けて育てることにした。
 流行り病で妻と娘を亡くしていたことも、彼の決断を後押ししたのだろう。

 漁師は、喧嘩っ早い人ではあったが、優しい養父でもあった。
 多江は、養父の大きな手で撫でられるのが、とても好きだった。

 だが、そんな養父が多江を育てられたのは、彼女が十三歳の時までだった。
 十三年後、養父は、病で亡くなってしまった。
 漁の最中に負った傷が炎症を起こし、体調を悪化させてしまったのだ。
 不運な結果だ。
 しかし、彼女が住んでいた漁村は、養父が死んだのは、多江のせいではないかと噂した。
 その褐色の肌の色から、彼女は村の中では腫れ物扱いをされていたのである。
 それでも、養父が生きていた頃は、彼が守ってくれた。

『俺の娘に、何を言いやがるか!』

 そう言って、時には拳で相手を黙らせたものだ。
 けれど、そんな養父も、もういない。
 多江は、村で孤立していった。
 それどころか、多江がこの村に来る前の流行った病さえも、彼女のせいにされ始めた。

 身の危険を察した多江は、村を飛び出した。
 故郷を追われた多江は、ある時は農村の作物を盗んで飢えを凌ぎ、ある時は、養父にも負けない腕っぷしで、どうにか生き延びていた。

 だが、そんな生活で生き延びていられたのも数年だけだった。
 いよいよ、どうにもならなくなり、多江は盗んだ鉈で一人の男を襲う決意をした。

 とある鉱山の街。
 夜遅く。酒に酔った青年だ。
 後で聞いたのだが、当時、十六だった多江よりも二歳だけ年上の青年だった。
 体格のいい大柄な男である。
 酔っていても、強盗をする相手としてはあまり適していない。
 だが、異国の血のせいか、並みの男よりも体格のいい多江としては、自分より小柄な男や女性を襲うよりも、心理的な抵抗が少なかった。

 その青年は呑み仲間と別れると、ふらふらと路地裏に進んでいった。
 多江は好機だと思った。
 そうして青年の背後に迫ると、

『……大人しくしな』

 後ろから羽交い絞めにして、刃こぼれした鉈を喉元に突きつけた。

『金を出しな。そしたら放してやるよ』

 そう告げると、男は、

『……おいおい。この声。そんで背中の感触。もしかして女か?』

『……いいから、金を出せ』

 多江が低い声で告げる。が、男は全く動じず、

『おうおう。いま出すよ……と』

 そう言って、いきなり多江の手首を取った。そして全身を強張らせる多江の腰を掴んで足を払う。相撲の上手投げだ。多江は容赦なく地面に叩きつけられた。
 多江は『ガハッ』と息を吐き、鉈を手放してしまった。

『ははっ! おいたが過ぎたな、姉ちゃん』

 男は笑いながら、仰向けに横たわる多江の顔を覗き込んだ。
 そして、

『……おい。お前さん』

『……………』

 多江は、無言で男を睨みつけた。二人はしばし視線をぶつけ合う。

『……そうだな』

 不意に、男が呟いた。

『今夜は女を買うつもりだったんだが、こういう夜もあるもんだな』

 言って、男は片腕で多江を持ち上げた。

『あ、あんた! 何を――』

 多江が何かを言う前に、男は彼女を担ぎ上げた。
 多江の腕と足を掴み、肩に担ぐ形だ。

『何をする気だい!』

『まあ、少し付き合えよ』

 男は笑って言う。

『俺はあんたが気に入った。ちゃんと金も出すからさ』

『――なっ』

 多江は目を瞠った。
 男の言わんとしていることはすぐに分かった。男は多江を買うと言っているのだ。
 しかし、これまで多江は自分の体を売るようなことはしなかった。

 所詮、自分は鬼の子だ。
 褐色の肌に、男にも勝る体格。
 自分には女の価値はない。そう思っていたからだ。

『あんた、自分が言っていることが分かっているのかい!』

 そう怒鳴るが、男は『はは』と笑い、

『まあ、俺の家は襤褸ぼろで少し汚ねえが、そこは我慢してくれよな』

 そう告げて、その男は多江を担いだまま、帰路に着いた。
 その夜。実のところ、多江が思っていたようなことは何も起きなかった。
 男は、自分に家に着くなり、多江に食事をさせてくれたのだ。
 不格好な握り飯である。
 半ば飢餓状態に近かった多江は、困惑しつつも、それに手を付けた。
 それは、本当に久方ぶりの人間らしい食事だった。
 ポロポロと涙を零す多江を、男は優し気な瞳で見つめていた。

 ――翌朝。
 多江は、これまた久方ぶりに、布団の中で目が覚めた。

『よう。起きたか。姉ちゃん』

 そう告げるのは、朝食の用意をする男だった。
 金堂岳士。それが男の名前だった。

『さて。姉ちゃん』

 朝食後、男は汚い袋を、ガチャリと畳の上に置いた。

『これが今の俺のほぼ全財産だ。これで俺は姉ちゃんを一月ひとつき買う』

『…………』

 多江は困惑しつつも、袋を手に取った。
 中には、それなりの額が入っていた。

『……どういうつもりだい?』

 多江がそう尋ねると、

『その金で、俺の食事やこの家の掃除をして欲しい』

 岳士は、そんなことを告げた。ますますもって怪訝そうな顔をする多江。

『まあ、要は姉ちゃんに、俺の面倒をみて欲しいってことさ』

 一拍おいて、岳士はニヤリと笑う。

『もちろん、夜の相手の方も込みだからな。とはいえ、そっちの方は強要する気はねえよ。姉ちゃんが構わねえっていうのならでいいよ』

『…………』

 多江は無言だった。何も返事をしない。
 岳士は、何も答えない多江を置いて、仕事に出かけた。
 全財産だという袋を置いてだ。
 多江は、しばし無言だったが、おもむろに立ち上がって家を出た。
 そして、

『……料理なんて、いつ以来だっけ?』

 そう呟いた。
 岳士と多江の奇妙な生活は、約束通り一月ひとつき続いた。
 最初は困惑も多かったが、いつしか二人は冗談も言い合うようになっていた。

 この生活が、生き疲れていた多江を癒すためのものだということは、流石に彼女も理解していた。粗暴に見える岳士が、その実、この上なく優しい人間であることも。

 ただ、それでも彼女が、岳士に体を許したのは、最後の夜だけだった。
 自分のような女に迫られては、岳士が困るだけだろうと思っていたからだ。

 最後の日の夜。自分でも出来るこれまでの感謝と、たった一夜だけなら、岳士も困らないだろうと思って、初めてねやを共にすることにした。

 岳士は、とても困惑した様子だったが、受け入れてくれた。
 破瓜はかの痛みは想像よりもきつかったが、不思議と幸せを感じることも出来た。
 そこでも、岳士が優しかったこともあるだろう。
 自分がこんな甘い声を出せるとは、自分でも驚いたぐらいだ。

『……ねえ、岳士』

 一時間ほど経って床の上。一糸も纏わぬ姿で横になる多江は、おもむろに尋ねた。

『どうして、あの夜、私を助けてくれたのさ?』

『……あんな目をした女を放っておけるかよ』

 同じく床の上。胡坐をかいた岳士が、ボソリと答える。

『人生に絶望しきった目。あん時のお前は、まるで死にたがってるみたいだった。とても放っておけなかったんだよ。けどよ……』

 そこで、ボリボリと頭をかく。
 それから、多江の腕を掴み、自分の膝の上にまで移動させた。

『……岳士?』

 多江が目を瞬かせると、

『本当はな。元気になったお前を、このまま行かせるつもりだった。なのに、なんで最後の夜にこんな真似をしやがるんだ。お前は日に日に綺麗になっていくし、俺がこの一月、どれだけ我慢してたと思うんだよ』

 岳士は、ムスッとした表情を見せた。

『た、岳士……?』

『この莫迦が……』岳士は、大きく息を吐き出した。

『なんてことをしやがるんだよ。最後にこんなことをされちまったら、もうお前を離すことなんて出来なくなっちまったじゃねえか』

『………え?』

 多江は、目を丸くした。

『あのな。多江』

 岳士は、多江を強く抱きしめた。

『俺はとっくにお前に惚れてんだ。お前は感謝のつもりだったかも知んねえけど、惚れた女にこんな真似をされて離せる男がいると思ってんのか?』

『た、岳士? け、けど……』

 多江は、困惑の表情を見せた。

『私、こんなのだよ。肌は黒いし、髪の色も変だし、背だって高い。腕力だって男並みだ。とても女だなんて……』

『お前は綺麗だよ』岳士は言う。『お前の代わりなんて俺にはいねえ。多江』

 岳士はニカっと笑った。

『俺のかみさんになってくれ』

『――――っ』

 多江は、言葉もなかった。

『というより、こうなったら、もう絶対、俺のかみさんにしてやるからな。そもそも今夜まではお前は俺の女なんだ。だから、今夜中に絶対「うん」って言わせてやる。こっから先は容赦なんてしねえから、覚悟しろよ、多江』

『へ? た、岳士?』

 困惑する多江。岳士は宣言通り、容赦なく、ありたっけの愛をぶつけてきた。
 翌朝。多江が岳士の家を出ていくことはなかった。
 その日から、ただの多江は『金堂多江』になったからだ。


(……岳士)

 今でも多江は思う。
 自分が岳士に出逢えたのは幸運だった、と。
 そして、いま初めて思った。
 八年前。岳士と出逢った夜。
 あの時の自分は、きっとこんな目をしていたに違いないと。

(……すずりちゃん)

 多江の傍らには、立花すずりがいた。
 良家のお嬢さまを思わす佇まい。多江とは違う本当に女性らしい少女。
 そんな彼女が、今は、ただただ虚空を見据えていた。
 その瞳は、どこまでも暗い。まるで闇の底のようだった。

「……――以上の十五名が、第四夜の脱落者ですわ」

 御堂に訪れた、黄金の女が告げる。
 周囲にはすすり泣きする女や、絶叫を上げる者もいた。
 愛する男を失った女たちの悲痛の声だ。
 多江は、ギリと歯を鳴らした。

「では、脱落者の伴侶の方は、私についてきてもらえますか?」

 黄金の女がそう促す。
 女たちは、ふらふらと立ち上がった。
 全員の眼差しには、絶望と共に、憎悪があった。
 これまでの女は皆そうだった。
 多江のみならず、ここにいる女たちは、すでに気付いていた。
 この黄金の女に連れていかれた者たちは、きっと、もう生きていない。
 この女についていき、愛する男の仇を討つために襲い掛かって返り討ちにあったか、それとも絶望のまま死を受け入れたのか。そのどちらかだ。

 すずりも、促されるままに立ち上がった。
 瞳は虚ろのままだ。恐らく、彼女は死を受け入れている。
 多江は、そんな少女を見やり、

(……ごめん。岳士)

 静かに、覚悟を決めた。
 こんな少女を、放ってはおけない。
 多江はすずりの片手を掴み、強引に座らせた。
 代わりに、自分が立ち上がる。

「……あら?」

 その様子に気付いた黄金の女が小首を傾げた。

「どういうつもりかしら? あなたの伴侶はまだ生きていますわよ?」

 女たちの顔など憶えてもいない黄金の女だったが、多江のことだけは認識していた。
 恐らくは、自分と同じく異国の血を引いているからだろう。

「分かっているさ」

 多江は、一呼吸を入れて、

「一つ聞かせな。あんたは連れて行った女たちをどうしたんだい?」

「とある薬を服用していただきましたわ」

 黄金の女は即答した。多江は「毒かい?」と尋ねた。

「いいえ。私とお館さまが調合した薬です。人の異能を引き出す薬ですの」

「なんだって?」多江は眉をひそめた。「なんでそんなものを?」

「まあ、これも舞台装置開発の一環ですわ。人工的な異能者を創る。そうすれば、演出の幅も大きく広がりますので」

 そこで、黄金の女は微笑む。

「ただ、まだ完成度が低く、死亡率が高いのが難点ですの。ですが、あなたたちにも役得メリットはありますわ。仮に適合できれば、その力で伴侶の仇を討てる可能性もありますから」

「……それを餌にして、薬の実験台にしてるってことかい」

 多江は、強く歯を軋ませた。多江だけではない。立ち上がっている女たちも、座り込んだままの女たちも、一様に黄金の女を睨み据えている。

「ええ。その通りです」

 黄金の女は言う。

「これまでの方は、それを承知で薬を服用しましたわ。ただ……」

 少し残念そうに、眉を八の字にした。

「適合者は未だいませんが」

「……そうかい」

 多江は、グッと拳を固めた。

「なら、私も連れて行きな」

「……あら? 今のお話、聞いていませんでしたの?」

 黄金の女が小首を傾げた。

「全員が適合できずに死んでいるのですわよ?」

「耳は遠くないさ。理解してるよ。それを承知で、この子の代わりに連れて行きな」

 多江は、座り込むすずりの頭に手を乗せた。
「誰かこの子を頼むよ」そう告げると、一人の女性が前に出て、すずりを抱きしめた。
 多江は知らないが、その女性は菊だった。

「これでも、体力と頑強さには自信がある。私は耐えてみせる」

 多江は、黄金の女に宣言する。

「そして、あんたを張っ倒してやるよ」

「……勇ましいですこと」

 黄金の女は、ふっと笑った。

「良いですわ。あなたの伴侶はまだ生きているので、連れて行くのは本来問題なのですが、あなた自身の意志ならば、お館さまもお許しくださるでしょう」

 確かに、体力的にもあなたが最も適合率が高いかもしれませんし。
 そう呟いて、黄金の女は背中を向けて歩き出す。
 ついて来いという意志だ。
 多江は歩き出す。立っていた女たちもだ。
 今の話を聞いてもなお、全員が歩みを止めない。
 生き残れば男の仇を。死んだとしても男の元に逝けるからだ。
 多江は少し立ち止まり、振り返った。
 茫然自失のすずりを抱きしめる菊と、視線が重なる。
 菊は告げた。

「……どうか、生き延びてくださいませ」

「ああ。その子を頼むよ」

 多江の言葉に、菊は静かに頷いた。
 多江は再び歩き出す。
 久しぶりに御堂から出た。
 多江は、眩しい太陽に双眸を細めた。

(ごめん。岳士)

 こんな無謀な真似をすることを夫に詫びる。

(けど、それでも、私はあの子を放っておけない。こいつらを許せない)

 静かに拳を固める。

(私は死なない。精一杯生き足掻いてみせるよ。だから、あんたも)

 多江は、遠い場所にいる夫に語り掛けた。

(生き延びて。また一緒にご飯を食べよう)

 そんなありふれた未来を望んで。
 強い灯火を胸に。
 金堂多江は、前へと進んだ。
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