骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第5部

プロローグ

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 シン、と。
 室内の空気は、何故か張り詰めていた。
 それが、すでに数分ほど続いている。
 誰もが、眉をひそめていた。

 ――どうして、御前さまは何も語られないのか……。
 そこは、火緋神邸の御前の間。
 火緋神家の当主である御前さまにお目通りする部屋だ。
 そして今日、御前さまに面会しに現れたのは、一人の青年だった。
 黒髪に黒目。年齢は恐らく二十代後半。身長は百七十台半ばほどか。
 前髪を上げたその風貌は精悍であり、そこそこに整っている。
 正中線の通った正座から、相当に鍛え上げられていることも分かる青年である。

 名は、久遠真刃。

 ――先日。火緋神家の至宝とも呼ばれる『双姫』。
 彼女たちが誘拐されるという事件が起きた。
 その事件を迅速に対応し、見事、双姫を救い出したのが、彼だった。
 今日は、その感謝と謝礼について彼を呼び出したのだ。
 とあるえにしから、すでにこの青年と知り合いであったという守護四家の一角、大門家の当主の案内でこの御前の間にまで赴いた久遠真刃。
 しかし、名乗りを上げた彼に対し、御前さまは未だ沈黙したままだった。
 誰もが、訝し気に思うのも当然だった。
 当の本人である久遠真刃も、内心ではそう感じているだろうが、流石に礼儀として眉をひそめるような真似はしない。
 ただ、ピクリとも動かず、次の言葉を待っていた。

 ――と。

『……失礼、いたしました』

 ようやく、薄布の囲いの向こうから声が響いた。

『いささか、考え事をしておりました』

「いや。気にされることはない」

 久遠真刃がそう返す。
 すると、薄布越しの人影が微かに揺れた。
 まるで何かに驚き、肩でも震わせたかのようだった。

「火緋神家の長ならば多忙のはず。在野の引導いんどう……引導師ボーダーと、こうして会う機会を設けるだけでも、破格の厚遇であると承知している」

『……いえ』

 御前は言う。

『あなたは一族の者の恩人です。長たる者が直接お礼することは当然です』

 一拍おいて、

『改めて感謝を。燦と月子を救っていただき、心から感謝いたします』

 そう告げて、人影が頭を下げる。
 この場にいる守護四家。そして燦の父親である火緋神巌が目を見開く。
 まさか、御前さまが、頭まで下げると思わなかったのだ。
 四家の一人が声を上げようとするが、別の者が手で制した。
 御前さまは、一族にとって尊き御方だ。
 その御方が、一族の長として誠意を見せようとされているのだ。
 在野の引導師ボーダー風情に、御前さまがそこまでせずとも――。
 そう思う気持ちは、誰しも抱いていた。
 だが、人としてその筋は正しい。
 一族としては、長に倣うべきだった。
 火緋神巌、大門紀次郎。そして残る守護四家の当主たちもまた頭を垂れた。

「面を上げられよ」

 一方、久遠真刃は言う。

「危地にある子供を救うのは当然の行為だ。あなたが頭を下げられることではない」

『……お心遣い、感謝いたします』

 そう返して、御前は頭を上げた。
 他の者たちも、少し遅れて頭を上げる。
 そうして、火緋神の御前と久遠真刃の会合は始まった。
 その内容は、淡々としており、至って事務的なモノだった。
 久遠真刃は、火緋神家に深く関わるつもりはない。
 それゆえの対応だった。

 最終的には、予定通りこの件は謝礼金を後日支払って、終了することになった。
 最初の不可解な沈黙の時間を除けば、特に問題もない会合だった。

「では、これにて失礼する」

 一礼して、久遠真刃が立ち上がる。

「御前さま」

 大門紀次郎が、御前に視線を向けて告げる。

「私が、久遠殿をお送りいたしましょう」

『はい。お願いします』

 御前はそう答えた。
 大門もまた立ち上がる。と、その時だった。

「最後に一つだけよいか?」

 おもむろに、久遠真刃がそう口を開いた。
 部屋にいる全員が、青年に注目する。

『……何でしょうか?』

 御前がそう尋ねると、彼は少しだけ遠い目をした。
 そして――。

「あなたに尋ねたい。あなたは……」

 一拍おいて、

「火緋神杠葉という人物を知っているか?」

 その瞬間。

(―――――あ)

 薄布の囲いの中にて座る、御前と呼ばれる女性。
 すなわち、火緋神杠葉の心は、強く震えた。
 思わず、自分の口元を片手で覆う。

「古い人物だ」

 真刃の言葉は続く。

「百年も前の人物になる。火緋神の直系だった。彼女に関する情報を知らないか?」

 杠葉は、さらに強く口元を押さえる。
 彼が自分の名を呼んでくれた。
 ただそれだけのことに歓喜が込み上げる。
 どうしようもなく、心と体が震えた。
 が、今は必死に堪えて――。

『……百年前ですか……』

 平然を装いつつ、声を絞り出す。

『……申し訳ありませんが、憶えのない名です。火緋神一族は数多く、その間には凄惨な戦争もありました。当時の一族の者には、行方知らずとなった者も少なからずいます。代々の系図も戦火にて紛失しておりますので、調査も難しいかと』

「……そうか」

 真刃は、少し悲しそうに眉尻を落とした。
 認識阻害の術式を施した薄布の囲い。
 だが、杠葉の方からならば、はっきりと真刃の表情を読み取れる。

(――違う!)

 杠葉は、叫びそうになった。

(――私はここにいる! ここにいるの! 真刃!)

 立ち上がって、そう告げそうになってしまう。
 けれど、

『お役に立てず申し訳ありません。ですが……』

 声を震わせないように懸命に耐えながら、杠葉は尋ねる。
 これだけは、聞きたかった。

 ――怖い。
 とても恐いけれど、どうしても知りたかった。

『どうして、彼女のことをお知りになりたいのですか?』

 憎んでいるから?
 その死に様がどうだったのか、それを知りたかったから?
 彼が、自分を憎むのは当然だ。
 自分は、彼を裏切り、殺したのだから。

(……ああァ……)

 杠葉は尋ねてしまった恐怖に、体を強く震わせる。
 けれど、目の前の彼は、哀しくも、とても優しい眼差しで――。

「詮なき話だ。ただ、オレは知りたかった」

 彼は、言う。

「彼女は幸せになれたのか。彼女には、どうか幸せになって欲しかった」

 ……本当に詮なき話だな。
 そう呟いて、彼は皮肉気な笑みを零した。

(ああ、ああァ……)

 杠葉の心臓は、この上なく締め付けられた。
 ボロボロ、と大粒の涙が零れ落ちる。
 ひたすら、強く下唇を噛んだ。

「では、失礼する」

 そう言って、彼は背中を向けて歩き出す。
 大門も彼の後に続いた。
 杠葉は、真刃の後ろ姿に見入っていた。
 徐々に去って行くその背中に、思わず両手を伸ばした。

 ――久遠真刃と、火緋神杠葉。

 彼らを遮っているのは、とても薄い布だけだ。
 だが、それは、途方もなく強固な隔たりだった。

 杠葉の力を以てしても。
 決して破れない互いの世界の境界だった。

 本当は、叫びたい。
 泣き叫んで、彼の背中に飛びつきたい。
 無様なのは分かっている。
 その資格がないことも理解している。
 けれど、今ここで、心からの想いを告げれば――。
 きっと、彼は受け止めてくれる。

 何を敵にしても。
 いかなる過去や、しがらみがあろうとも。

 彼は、強く抱きしめてくれる。
 杠葉が愛した久遠真刃とは、そういう人だった。
 それが分かっていても、彼女はそれ以上、動けなかった。

(………あ)

 杠葉は、自分の両手を見た。
 そこには、彼女にだけ見える黒い鎖があった。
 奇しくも真刃に繋がれた、かの《制約》の鎖のように。
 それらが、杠葉が動くことを許さない。
 その場から、全く動けなくする。
 杠葉は、強く瞳を閉ざした。

 そうして、

『……今日はお会いできて光栄でした』

 彼女の唇は、火緋神の長としての言葉を紡ぐ。

『またお会いできることを、楽しみしております』

 真刃はそれには明瞭には答えず、「では、失礼する」とだけ告げて退室した。
 杠葉の涙が頬を伝う。

 百年に渡り、火緋神家に囚われた姫君。
 その四肢と、心を縛り付ける後悔と懺悔の鎖。
 それが打ち砕かれる日がいつなのか、それは誰も知らない。
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