骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第5部

第八章 王の審判⑥

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 その瞬間、鮮血が散った。
 熱い液体が、幾滴か頬にかかる。
 それが血だと気付いた時、篠宮瑞希は、はっきりと意識を取り戻した。

「せん、せい……?」

 自分の肩を支えてくれる老紳士の服を掴む。

「――先生ッ!」

「怪我はありませんか? 瑞希君」

 老紳士――山岡辰彦は、穏やかに笑う。

「先生! 怪我を!」

 瑞希の顔が青ざめる。
 山岡は、右肩から血を流していた。
 杭のように鋭利な指先で貫かれていたからだ。
 一瞬後、その指先は引き抜かれた。山岡は、瑞希にこれ以上、血をかけてしまわないように手で肩を押さえた。

「先生ッ!」

 瑞希が涙目になった。
 そんな彼女に、山岡は変わらず笑みを向ける。

「致命傷ではありません。私なら大丈夫です」

 そう告げて、瑞希をその場に座らせた。
 両膝をつき、足首を外に広げる座り方だ。
 瑞希はすぐに立ち上がろうとしたが、全身に力が入らなかった。
 疲労や負傷のせいというよりも、何かしらの毒物の影響かも知れない。

「先生! 僕を置いて逃げて――」

「出来るはずもないでしょう」

 山岡は嘆息して、瑞希の頭を軽く小突いた。

「ここであなたを見捨てるのは、私の心に死ねと言っているようなものです。老い先短いこの身ですが、誇りを失った余生など御免ですな」

 そう言って、山岡は立ち上がった。

「それならば、ここで命を燃やし尽くす方がいい」

「――先生ッ!」

 瑞希に背を向けて歩き出す山岡を、彼女は追おうとする。
 しかし、体が言うことを聞いてくれず、その場から動けなかった。

「大丈夫です。瑞希君」

 山岡は、歪なピエロと対峙して拳を構えた。

「私は勝ちますので」

『……へえ』

 一方、ピエロは、カクンと首を傾げた。

『致命傷はギリギリ避けたみたいだけど、その肩の傷は深いよ。それで、オイラとまだ戦えるのかな?』

「傷が深い? それがどうかしましたか?」

 山岡は、双眸を細めた。

「私の拳はまだ動きます。何より私の後ろには守るべき者がいる」

 コオオ、と呼気を吐く。

「戦う理由は十二分。戦わない理由など皆無です」

「――先生ッ!」

 瑞希が、悲痛な叫びを上げた。
 いじましく這ってでも、彼の元へと行こうとしている。
 その様子に、ピエロは片手で顔を覆った。

 ――嗚呼、素晴らしい。
 なんて、なんて美しいんだ……。

 人の絆の強さ。最も観たかったモノがここにある。

(……嗚呼、人間は本当に綺麗だ……)

 主人たる《宝石蒐集家トイコレクター》の感動を受け取って、ピエロ人形は体を震わせた。

『……やっぱり山岡さんを主演に選んで正解だったよ』

 と、切り出して、

『オイラたち、名付きネームド我霊エゴスは、趣向っていうか、演出のタイプが二種類に分かれるんだ。一つはリアリティ……いや、ドキュメンタリーっていうのが正しいのかな? とにかく、なまの舞台を観るために閉幕まで一切容赦しない連中』

「………?」山岡は眉根を寄せた。「何の話です?」

『身内話かな?』

 ピエロは、人差し指を立てた。

『それでもう一つは演出重視の人たち。メインシーンが観れたら、ちょっと感情移入しちゃってつい手心を加えちゃうんだ。ハッピーエンド派とも呼ばれているよ』

「本当に何の話をしているのですか?」

 山岡は、隙なく身構えたまま困惑する。

『ああ。ごめん』

 それに対し、ピエロは肩を竦めた。

『本当に身内にだけ通じる話だったね。まあ、結論として言うと、オイラはどっちかというと後者になるんだけど、今回は別ってこと』

 ピエロは生々しい舌を出して、瑞希を見やる。
 その視線に悪寒を感じてか、瑞希が微かに体を震わせた。

『ここは見逃して、数年ぐらい期間を空ければもっと良いモノも観れそうだけど、今回はサフィもGETしたいからね。悪いけど山岡さんには死んでもらうよ』

 ゆらりと舌を揺らして、クツクツと笑う。

『その上で、サフィの反応やそこから堕ちていく様を見るのも楽しみだしね。今回は、あえてバッドエンドにさせてもらうことにしたよ』

「相変わらず、不明なことばかりをいう方ですね」

 山岡は嘆息する。

「ともあれ、殺意だけは伝わりました。私も相応の覚悟で迎えましょう」

『ふふ。なら、山岡さんの人生の最終幕と行こうか』

 ピエロが手足を大きく振って、行進でもするかのように近づいてくる。
 対する山岡は拳を構えたまま、微動だにしない。
 瑞希は、両手をフロアについて、彼の背中を凝視していた。
 ここに至っては、声を掛けることさえ、師の集中の邪魔になるからだ。
 山岡とピエロは、互いの手の届く間合いで対峙した。

 そして――。

『バイバイ。山岡さん』

 言って、ピエロは右腕を動かした。
 その速度はこれまでの比ではない。腕は掻き消え、その指先は銃弾の速さで伸びる。狙いは山岡の右眼だ。それを脳ごと貫くつもりだった。
 人には反応できない速度。
宝石蒐集家トイコレクター》は勝利を確信していた。
 ――が、

『――――な』

 ピエロが驚きの声を零す。
 不可避の攻撃を山岡は、ただ首を傾けるだけで回避したのだ。

(読まれていた!)

 人の反射神経では、銃弾の速度はかわせない。
 最初から、山岡は最後の攻撃が右眼に来ると予測していたのである。

「あなたの攻撃は、会話と違って実に分かりやすい」

 そう告げて、山岡は拳を、トスンとピエロの胸板に置いた。
 直後、

 ――ズドンッッ!
 両足から、腰、右腕へと連結した体躯が螺旋の力を発し、ピエロへと打ち込まれる!
 ピエロ人形は吹き飛び、壁へと叩きつけられた。
 しかも跳ね返らない。その場で弾け飛ぶように五体が砕け散った。
 老拳士渾身の一撃だった。

「……ふう」

 腕を突き出したまま、山岡は息を大きく吐き出した。
 次いで、ふらりと後方に姿勢を傾けた。
 ――と、

「先生ッ!」

 柔らかい腕と双丘で、背中を支えられた。
 彼の後ろには瑞希がいた。

「ああ、瑞希君……」

 ふらつく体に気合いを入れ直し、山岡は立つ。

「大丈夫なのですか? 体は?」

「僕なら大丈夫だよ」

 老拳士の肩を支えて、瑞希は言う。

「《電子妖精ルナトロン》で直接神経と筋肉を操ったんだ。これなら歩くことぐらいは」

「……無茶なことを……」

 山岡が瑞希を見つめてそう呟くと、

「無茶なのは先生の方じゃないか!」

 瑞希は、ボロボロと涙を零しながら、山岡を睨み据えた。

「先生は引導師ボーダーじゃないのに! 名付きネームド我霊エゴスと殴り合うなんて馬鹿なの!」

「はは。確かに」

 山岡は苦笑を零した。

「老体にはいささか酷でしたな」

「――もうッ! 先生の馬鹿あッ!」

 瑞希は不満そうに叫んだ。
 その瞳には、まだ涙が溢れている。
 山岡は、不意に懐かしい気持ちになった。
 痛いことが苦手なこの子は、修練の時もよく涙を見せていた。

「見違えるほどに大人びたというのに、泣き虫なところは変わりませんね」

 言って、ハンカチを取り出して彼女の涙を拭った。
 瑞希は気恥ずかしそうに顔を赤くするが、拒絶はしない。

「……む。これは……」

 拭い終えてハンカチをしまった時、山岡はふと気付く。
 瑞希の頬に、うっすらと傷があることに。

「傷を負ってますね。あの男にやられましたか。失礼。瑞希君」

「え」

 傷の深さを確認するために、山岡は瑞希の両頬を手で押さえた。
 瑞希は目を丸くした。
 山岡は顔を近づけて、傷口を診察する。
 瑞希の肌がみるみる赤みを帯び、「……あ」と吐息を零す。

「ふむ。深くはない。これなら痕には残りませんな」

 安堵した声で山岡が呟く。
 瑞希は潤んだ瞳で、山岡を見つめていた。

「……先生。先生、僕は……」

 と、その時だった。


『うん。山岡さん。そこは抱き寄せてキスじゃないかな?』


 不意に、その声が響いた。
 山岡と、瑞希の表情が瞬時に険しくなる。

「しぶといですな。あなたは……」

 山岡がそう言うと、

『アハハ。しぶとくないなら、名付きネームド我霊エゴスになんてなってないよ』

 ピエロはそう返した。
 首だけになったピエロである。だが、すぐに首から枝が生え、四方に散った五体を繋ぎ合わせる。数秒後には、ピエロは二本の足で立っていた。

『うわあ、もうガタガタだね』

 自分の体を見やり、ピエロが呟く。
 どうにか五体を繋ぎ合わせたが、損傷は激しく、関節は軋んでいる。
 復元機能にもガタが来ているようだ。全身の亀裂がこれ以上復元する様子はない。

『流石に限界かな。だけど、あと一戦ぐらいなら持つよね』

 そう呟く。

「本当にしぶとい」

 山岡が、瑞希を庇って前へと踏み出した。

「良いでしょう。もう一戦お付き合いしましょうか」

 そう告げた時。

『否。それには及ばぬゆえ』

 それは唐突に。
 唐突に割って入る声がした。初めて聞く女性の声だった。
 山岡と瑞希、ピエロまで驚いた表情を見せた。

益荒男ますらおよ。見事な戦いであった。このいくさ、すでにそなたの勝利じゃ』

 その声は、山岡とピエロの中間点辺りから聞こえてきていた。
 声はさらに告げる。

『後は我が君に託されて休まれよ。その乙女をゆるりと愛でてやるがよい』

 そうして、ボボボッと鬼火が現れる。

「ッ! もしや!」

 山岡が目を見開く。この現象には見覚えがあった。
 鬼火は床に沈み込むと、みるみるとその姿を形作っていった。
 見事の肢体を覆った純白の巫女装束。無数の狐の尾のような髪飾りをつけた狐面。口元は解放されており、血よりも赤い紅が引かれていた。

「やはり、あなたは久遠さまの……」

 山岡がそう呟くと、瑞希が「え?」と目を瞬かせた。

『いかにも!』

 どこからともなく大きな赤い鉄扇を取り出し、

『我が君の従霊が一士。賜りし名は白狐びゃっこという! 尊き名じゃ! 見知りおくがよい!』

 たゆんっと。
 思わず瑞希が「むむ」と唸るほどの双丘を揺らして名乗った。

『……うわあ』

 唐突な闖入者に、ピエロはうんざりした声を零した。

『なになに? 今更になって他の引導師ボーダーの式神ってこと? このクライマックスに登場って、どれだけ空気が読めていないんだい?』

『む。失礼な奴じゃな』

 狐面の巫女は、赤い鉄扇をピエロに向けた。

『確かにわらわは同胞からは天然とか呼ばれるが、そなたほど節穴な目はしとらん』

『いやいや。そっちこそ、いきなり現れて節穴は酷くない?』

 そう返して、肩を竦めるピエロ人形に対し、

『ふん。未だ山岡殿に固執している時点で節穴じゃ』

 白狐は、口元を鉄扇で隠して告げる。

おのが舞台ばかりに目が入って、天地を揺るがす我が君のお怒りにも気付かぬとはな。人形に閉じ籠る道化よ。耳を澄ませ。心を向けよ。おのしんまなこにて世界を見よ』

 神託のごとく、狐面の巫女がそう告げた時、
 ――ズズンッッ!
 巨大な振動が、大地を揺るがした。

「えッ!? 地震!?」

 瑞希がそう叫ぶが、それは一定間隔で何度も続いた。

『ふむ。この部屋には窓がないのが残念じゃのう』

 パタパタと、白狐が鉄扇を扇ぐ。

『愛しき我が君のご雄姿が拝見できぬ』

 無念そうにそう呟く。

『一体、何を……』

 ピエロ――《宝石蒐集家トイコレクター》は困惑しつつも、意識を本体へと向けた。
 何か異常事態が起きている。それだけは感じたからだ。
 そして、

『―――――な』

 思わず、唖然とした声を零す。
 本体を通じて見たそいつ・・・の姿に戦慄する。

『何なんだよッ!? あれ・・はッ!?』

 カカっと白狐は笑う。

『そなたのまなこに映りしそれこそが、愛しき我が君の憤怒の御姿。災厄の王の現身うつしみよ。それより良いのか道化よ。我が君が向かう先に心当たりはないのかのう?』

『……向かう先?』

 ピエロは反芻して、ハッとする。

『クソッ! どうしてここ・・が!』

 そう叫んで、ピエロ人形は倒れ込んだ。まさしく糸が切れた人形だ。
 山岡と、瑞希は目を瞬かせた。

『ふむ。急ぎ本体へと帰還したか。じゃが』

 鉄扇で口元を隠しつつ、狐面の巫女は妖艶に微笑んだ。 

『もはや遅い。我らが王の審判の時ぞ』


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