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第11部
幕間二 老人たちは語る
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その日。
最年少の長老であるライガ=ムラサメは、焔魔堂の本殿に訪れていた。
焔魔堂の里の総本山。
始祖の黒刀が奉じられている屋敷である。
アロン様式のその屋敷は、板張りの通路であり、歩くたびにキシキシと軋む。
しばらくして、ライガは一つの部屋に辿り着いた。
木材と紙で造られた『襖』と呼ばれる扉だ。
「……ムラサメです」
「……うむ。入るがよい」
室内から、声が返ってきた。
ライガは、片手で襖を開けた。
室内は暗く、広い。
蝋燭の光で照らされた板張りの部屋だ。
部屋には円を描く位置で、十七人の老人が座っていた。
全員の額に一本角がある。焔魔堂十八家の長老たちである。
全員が和装。そして、全員が六十代を越えているのだが、そうは思えないほどに揃って体格がよく、覇気に満ちていた。
長老衆と名乗ってはいるが、実際は歴戦の傭兵団といった趣だった。
彼らが座るのは、藁で編んだ丸型の敷物。一つだけ空座がある。
ライガは室内に入ると、空座に腰を下ろした。
「よく来てくれた。ムラサメよ」
長老の一人が言う。
「今は大事な時期というのに呼び出してすまぬな」
「……いえ」
ライガはかぶりを振った。
「あれには、よく言い聞かしておりますゆえ」
「……そうか」
別の長老が呟く。
「ならば、お主の意志と奥方に甘えさせてもらうことにしよう」
「……どういうことでしょうか? クヌギ殿」
ライガは、最年長の長老――クヌギ家の当主に目をやった。
クヌギは腕を組み、「うむ」と頷いた。
「ムラサメよ。お主は長老衆となって十年目だったな」
「……はい」
ライガは瞳を細めた。
「先代……父が亡くなり、ムラサメの跡を継いで十年目となります」
「お主はまだ四十になったばかり。我らの中では最も若い」
別の長老――オオシロ家の当主が言う。
「しかし、数々の任務を実直にこなし、お主は、すでに長老衆の一員として恥じぬ者へと成長したと言えよう」
「有難き言葉です。オオシロ殿」
ライガは頭を垂れた。
長老衆は、互いの顔を見合わせて静かに頷いた。
「ムラサメよ」
クヌギが告げる。
「お主に告げよう。お主には資格がある。我らの祖にまつわる伝承の真実を」
「……祖の伝承ですと?」
ライガは眉をひそめた。クヌギは「……うむ」と頷く。
「伝承では、焔魔さまはいずれ蘇ると伝えられている。だが、それは違うのだ。はっきり言うぞ。焔魔さまご自身は蘇らぬ」
「なん、ですと?」
ライガは目を見開いた。
ライガは、長老衆の中でも最も信心深い男だった。
祖に対する忠義は、長老衆随一とも言えた。
「――馬鹿な!」
思わず声が荒ぶるが、クヌギはそれを、手を突き付けて制した。
「話は最後まで聞け。ムラサメよ」
クヌギは話を続ける。
「焔魔さまの肉体は蘇らぬ。されど魂は違う。焔魔さまの大いなる御霊は、王の御子さまの牙として蘇るのだ」
「……王の御子さま、ですと?」
ライガは、再び眉をひそめた。
「うむ」クヌギは首肯する。
「我ら焔魔堂は忠義の一族。それは祖である焔魔さまも変わらぬ。焔魔さまには、全霊をかけてお仕えする偉大なる王がおられたのだ」
「……それはもしや」
「うむ。伝承にある、星々さえも打ち砕く、勇猛なる御方だ。そして御子さまとは、王の現世における代行者たる御方」
一拍おいて、
「我が祖先。四代前のクヌギの長が残した予言。それは、御子さまがお生まれになる時期を示したものなのだ」
「……なんと」
ライガは、我知らず身を乗り出した。
「では、御子さまはすでに現世に? 御子さまは一体どこに御座すのです!」
「それは分からぬ」
別の長老――フウゲツ家の当主がかぶりを振った。
「だが、我らは御子さまが、すでにお生まれになられていることを確信している。その根拠がアヤメなのだ」
「……アヤメですと?」
不意に出て来た弟子の名に、ライガは眉根を寄せた。
その独白には、クヌギが答えた。
「お側女役の役割は、四代前よりすでに変わっておるのだ。お側女役は、焔魔さまではなく、御子さまの寵愛を賜るために存在するのだ」
静かに両腕を組む。
「およそ二百年目にして生まれた二本角。その上、相手の本質を見抜く《心意眼》。御子さまの寵愛を賜るのは今代のお側女役。アヤメ以外ではあり得ぬ」
「……それは」
ライガは、言葉を詰まらせた。
それは、ただの符号のように思える。
だが、偶然にしては、出来過ぎているような気もした。
アヤメの異能は、まるで御子さまを探し出すためにあるようで――。
「すべては、まだ符号に過ぎぬ」
クヌギは言う。
「そこでだ。ムラサメよ。お主には一つ任務を託したい」
「……なるほど」
ライガは察した。
「御子さまの捜索ですな」
「その通りだ。そして捜索にはアヤメを連れていけ。恐らく、お側女役でなければ、御子さまを見つけることは叶わぬであろう」
「……異例中の異例ですな」
ライガはそう呟いた。
歴代のお側女役で、焔魔堂の里から出た者はいない。
今回の処置は、あまりにも異例であった。
「それほどまでにこれは重要なのだ。そして我らは確信しておる」
クヌギの言葉に、長老たちも頷く。
「しかし、アヤメには、御子さまの捜索任務は隠せ。あの娘は、御子さまはおろか、焔魔さまに対してまで懐疑的だ。反感を覚えよう。表向きの任務を与える」
言って、クヌギは、懐から一つの巻物を取り出した。
それをライガに向けて放った。パシッとライガが受け取る。
「これは?」
「グレイシア皇国のアノースログ学園についての資料だ」
クヌギは説明する。
「任務は『花嫁』の選別と奪取。あえて長期任務を選んだ。皇国は広く、多くの人が集まる地だ。そこならば御子さまも見つかるかも知れん」
「……なるほど」
ライガは巻物を解き、中を一瞥した。
「……済まぬな。ムラサメの」
オオシロが言う。
「長期任務。お主はしばらく里を離れることになる。身重の妻がいる身で……」
「気遣いなく。オオシロ殿」
ライガは、かぶりを振った。
「あれは出来た女です。それよりも今は……」
ライガは、巻物を懐にしまった。
そして、
「……必ずや」
両腕を床に付けて、ライガは厳かな声で応じた。
「この任務を果たします。我らが御子さまを探し出してみせましょうぞ」
最年少の長老であるライガ=ムラサメは、焔魔堂の本殿に訪れていた。
焔魔堂の里の総本山。
始祖の黒刀が奉じられている屋敷である。
アロン様式のその屋敷は、板張りの通路であり、歩くたびにキシキシと軋む。
しばらくして、ライガは一つの部屋に辿り着いた。
木材と紙で造られた『襖』と呼ばれる扉だ。
「……ムラサメです」
「……うむ。入るがよい」
室内から、声が返ってきた。
ライガは、片手で襖を開けた。
室内は暗く、広い。
蝋燭の光で照らされた板張りの部屋だ。
部屋には円を描く位置で、十七人の老人が座っていた。
全員の額に一本角がある。焔魔堂十八家の長老たちである。
全員が和装。そして、全員が六十代を越えているのだが、そうは思えないほどに揃って体格がよく、覇気に満ちていた。
長老衆と名乗ってはいるが、実際は歴戦の傭兵団といった趣だった。
彼らが座るのは、藁で編んだ丸型の敷物。一つだけ空座がある。
ライガは室内に入ると、空座に腰を下ろした。
「よく来てくれた。ムラサメよ」
長老の一人が言う。
「今は大事な時期というのに呼び出してすまぬな」
「……いえ」
ライガはかぶりを振った。
「あれには、よく言い聞かしておりますゆえ」
「……そうか」
別の長老が呟く。
「ならば、お主の意志と奥方に甘えさせてもらうことにしよう」
「……どういうことでしょうか? クヌギ殿」
ライガは、最年長の長老――クヌギ家の当主に目をやった。
クヌギは腕を組み、「うむ」と頷いた。
「ムラサメよ。お主は長老衆となって十年目だったな」
「……はい」
ライガは瞳を細めた。
「先代……父が亡くなり、ムラサメの跡を継いで十年目となります」
「お主はまだ四十になったばかり。我らの中では最も若い」
別の長老――オオシロ家の当主が言う。
「しかし、数々の任務を実直にこなし、お主は、すでに長老衆の一員として恥じぬ者へと成長したと言えよう」
「有難き言葉です。オオシロ殿」
ライガは頭を垂れた。
長老衆は、互いの顔を見合わせて静かに頷いた。
「ムラサメよ」
クヌギが告げる。
「お主に告げよう。お主には資格がある。我らの祖にまつわる伝承の真実を」
「……祖の伝承ですと?」
ライガは眉をひそめた。クヌギは「……うむ」と頷く。
「伝承では、焔魔さまはいずれ蘇ると伝えられている。だが、それは違うのだ。はっきり言うぞ。焔魔さまご自身は蘇らぬ」
「なん、ですと?」
ライガは目を見開いた。
ライガは、長老衆の中でも最も信心深い男だった。
祖に対する忠義は、長老衆随一とも言えた。
「――馬鹿な!」
思わず声が荒ぶるが、クヌギはそれを、手を突き付けて制した。
「話は最後まで聞け。ムラサメよ」
クヌギは話を続ける。
「焔魔さまの肉体は蘇らぬ。されど魂は違う。焔魔さまの大いなる御霊は、王の御子さまの牙として蘇るのだ」
「……王の御子さま、ですと?」
ライガは、再び眉をひそめた。
「うむ」クヌギは首肯する。
「我ら焔魔堂は忠義の一族。それは祖である焔魔さまも変わらぬ。焔魔さまには、全霊をかけてお仕えする偉大なる王がおられたのだ」
「……それはもしや」
「うむ。伝承にある、星々さえも打ち砕く、勇猛なる御方だ。そして御子さまとは、王の現世における代行者たる御方」
一拍おいて、
「我が祖先。四代前のクヌギの長が残した予言。それは、御子さまがお生まれになる時期を示したものなのだ」
「……なんと」
ライガは、我知らず身を乗り出した。
「では、御子さまはすでに現世に? 御子さまは一体どこに御座すのです!」
「それは分からぬ」
別の長老――フウゲツ家の当主がかぶりを振った。
「だが、我らは御子さまが、すでにお生まれになられていることを確信している。その根拠がアヤメなのだ」
「……アヤメですと?」
不意に出て来た弟子の名に、ライガは眉根を寄せた。
その独白には、クヌギが答えた。
「お側女役の役割は、四代前よりすでに変わっておるのだ。お側女役は、焔魔さまではなく、御子さまの寵愛を賜るために存在するのだ」
静かに両腕を組む。
「およそ二百年目にして生まれた二本角。その上、相手の本質を見抜く《心意眼》。御子さまの寵愛を賜るのは今代のお側女役。アヤメ以外ではあり得ぬ」
「……それは」
ライガは、言葉を詰まらせた。
それは、ただの符号のように思える。
だが、偶然にしては、出来過ぎているような気もした。
アヤメの異能は、まるで御子さまを探し出すためにあるようで――。
「すべては、まだ符号に過ぎぬ」
クヌギは言う。
「そこでだ。ムラサメよ。お主には一つ任務を託したい」
「……なるほど」
ライガは察した。
「御子さまの捜索ですな」
「その通りだ。そして捜索にはアヤメを連れていけ。恐らく、お側女役でなければ、御子さまを見つけることは叶わぬであろう」
「……異例中の異例ですな」
ライガはそう呟いた。
歴代のお側女役で、焔魔堂の里から出た者はいない。
今回の処置は、あまりにも異例であった。
「それほどまでにこれは重要なのだ。そして我らは確信しておる」
クヌギの言葉に、長老たちも頷く。
「しかし、アヤメには、御子さまの捜索任務は隠せ。あの娘は、御子さまはおろか、焔魔さまに対してまで懐疑的だ。反感を覚えよう。表向きの任務を与える」
言って、クヌギは、懐から一つの巻物を取り出した。
それをライガに向けて放った。パシッとライガが受け取る。
「これは?」
「グレイシア皇国のアノースログ学園についての資料だ」
クヌギは説明する。
「任務は『花嫁』の選別と奪取。あえて長期任務を選んだ。皇国は広く、多くの人が集まる地だ。そこならば御子さまも見つかるかも知れん」
「……なるほど」
ライガは巻物を解き、中を一瞥した。
「……済まぬな。ムラサメの」
オオシロが言う。
「長期任務。お主はしばらく里を離れることになる。身重の妻がいる身で……」
「気遣いなく。オオシロ殿」
ライガは、かぶりを振った。
「あれは出来た女です。それよりも今は……」
ライガは、巻物を懐にしまった。
そして、
「……必ずや」
両腕を床に付けて、ライガは厳かな声で応じた。
「この任務を果たします。我らが御子さまを探し出してみせましょうぞ」
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