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残業
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高原との逢瀬は次の金曜日まで、ほぼ毎日続いた。
高原にとっては勝手知ったる元我が家。
残したベッドを、今は依子と自分が使っていることに、満足していた。
「寝心地いいよね?かなり時間かけて選んだんだ。まさか、すぐに引っ越すことになるとは思ってなかったけど。」
「すっごく気持ちよく眠れますよ。毎日ぐっすりです。」
「そうだね、依子ちゃんはほんと眠りが深いね。」
依子の睡眠が深いのは、今に始まったことではないが、高原は嬉しそうに話すからそのままにしていた。
「ここの部屋、紹介してくれた北見さんとはどういう知り合いなの?」
「友達の父親なんだ。幼馴染ってやつ?男だけどね。最初はそいつに声かけたんだ。俺が帰国するまで住んでてくれないかって。
でも、北見はすぐに結婚しちゃって。
ここじゃ狭いっていうからさ。
時々うちの妹が出入りしてたらしいけど、妹も結婚して。
……ごめん、結婚結婚って。デリカシーないな、俺が……。」
「ううん、気にしないで。ね?それより、高原さん、”俺”って言うのね。ずっと”僕“って言ってたのに。」
「慣れたのかな?依子ちゃんといることに。」
「人見知りなの?」
「あぁ、そうだな。友達は少ない方だし、気に入った子にしか声はかけないな。」
「そう、なんだね。」
「依子ちゃんも、そういうタイプに見えるけど、違う?」
「うん、多分、おんなじかな?高原さんの気持ち、わかる気がするし。」
「やっぱり。一目見て、そうじゃないかなって思った。……身体の相性も、いいよね?」
「う……ん。」
「ハハっ。ごめん、柄にもないことを。一度言ってみたかったんだ。深く考えないで。ね?」
相性……悪くはないと思う。
というよりも、私は諭しか知らないから比べようがない。
ただ、どうしても、何度肌を重ねても、目を閉じれば諭の姿しか浮かばない。
そんな自分が、嫌になる。
酷いことをしている。
わかっているのに、高原さんに求められると、私は応え続けていた。
ある夜、私はいつも以上に仕事が重なり、残業でなかなか帰宅できなかった。
「依子ちゃん、悪いけど、これもお願いできる?」
「あ、部長。これもですか?今日じゃないとダメですか?」
「ごめん、他に頼める人がいなくて。」
「わかりました。時間かかりますが。」
「ありがとう。残業代、しっかりつけとくから。」
渋沢部長は、あれ以来、何故か依子を避けていた。他の若い子達を何度か誘う姿は見たが、依子に声はかからなかった。
それにはかなり救われた。
ひょっとしたら、この職場をも去らなきゃいけない事態になるかと思っていたからだ。
久々の遅い残業。気づけば渋沢部長と2人きり。
照明も必要最小限となり、離れた場所にあるはずの自販機で飲み物を買う音も響く。
とにかく集中し、一字一句資料に抜けがないか確認する。
ほんとは2人でする作業だが、今日に限って早退者がいて、1人で為さねばならなかった。
午後10時。
ようやく全ての資料チェックが終わり、依子は渋沢に報告する。
「お疲れ、依子ちゃん。今日は僕が送るから、心配しないでね。」
渋沢は、少し興奮した声色で依子の肩に手を置いた。
その瞬間、依子は『ビクっ』と引いてしまい、
「あの、有難いことですが、お断りします。ちゃんと帰れますから。」
依子はそう断り、すぐに高原の連絡先にアクセスし、「今どこ?迎えに来て欲しい」と、メールを送った。
約束はしてなかったが、部長からのタダならぬ危険信号を感じる。
助けてもらえるなら誰でもいいが、高原ならきっと来てくれる。
その間、1分経ったか経たないかくらいだが、メールを送って携帯をカバンに入れると同時に、『ガバっ』と、後ろから抱きしめられた。
「誰に連絡したの?旦那?復縁したの?」
冷たい部長の声に、血の気が引いて、震えてくる。
「冷たいなぁ、依子ちゃん。せっかく君を守るために、あいつが来ないよう見張っていたのにさぁ。」
私の肩を顎でスリスリとしながら腹部を弄る手。
絶対絶命のピンチ!
『ピピ、ピピ、ピピ、ピピ』
その時、部長の携帯が鳴った。
「ふん、空気の読めないやつらめ」
と、電話をかけて来た相手に苛立っている。
部長は表示された相手の名前を見て、「しつこいな」と言いながら、電源を切った。
一瞬だが、見えた名前に私は眉を顰めた。
《鴨井あすか》
見間違いじゃない。はっきりとそう表示されていた。
部長は鴨井さんと繋がっている。
私は渾身の力で部長を振り切り、
「きゃーーーー!!!!」
と、柄にもなく大声をあげて逃げ出した。
どうやら、部長は私の力を見くびっていたらしく、尻餅をついたようだ。
申し訳ないが、私は持久力はないが筋力はある。幼い頃から諭と男の子の遊びをしていたせいかもしれない。
とにかく走って逃げた。
もう、ここには居られない。
どんどん私の居場所が無くなっていく。
走って、走って、ようやく正面出入り口に近づいた。
そしてそこで見えたのは、諭と……鴨井さん……。
私は2人を見つけるなり、膝から崩れてしまった。
そんな私に、諭が向かってきているのが見えた。
だが、諭よりも早く、私の肩に触れたのは、高原さんだった。
高原にとっては勝手知ったる元我が家。
残したベッドを、今は依子と自分が使っていることに、満足していた。
「寝心地いいよね?かなり時間かけて選んだんだ。まさか、すぐに引っ越すことになるとは思ってなかったけど。」
「すっごく気持ちよく眠れますよ。毎日ぐっすりです。」
「そうだね、依子ちゃんはほんと眠りが深いね。」
依子の睡眠が深いのは、今に始まったことではないが、高原は嬉しそうに話すからそのままにしていた。
「ここの部屋、紹介してくれた北見さんとはどういう知り合いなの?」
「友達の父親なんだ。幼馴染ってやつ?男だけどね。最初はそいつに声かけたんだ。俺が帰国するまで住んでてくれないかって。
でも、北見はすぐに結婚しちゃって。
ここじゃ狭いっていうからさ。
時々うちの妹が出入りしてたらしいけど、妹も結婚して。
……ごめん、結婚結婚って。デリカシーないな、俺が……。」
「ううん、気にしないで。ね?それより、高原さん、”俺”って言うのね。ずっと”僕“って言ってたのに。」
「慣れたのかな?依子ちゃんといることに。」
「人見知りなの?」
「あぁ、そうだな。友達は少ない方だし、気に入った子にしか声はかけないな。」
「そう、なんだね。」
「依子ちゃんも、そういうタイプに見えるけど、違う?」
「うん、多分、おんなじかな?高原さんの気持ち、わかる気がするし。」
「やっぱり。一目見て、そうじゃないかなって思った。……身体の相性も、いいよね?」
「う……ん。」
「ハハっ。ごめん、柄にもないことを。一度言ってみたかったんだ。深く考えないで。ね?」
相性……悪くはないと思う。
というよりも、私は諭しか知らないから比べようがない。
ただ、どうしても、何度肌を重ねても、目を閉じれば諭の姿しか浮かばない。
そんな自分が、嫌になる。
酷いことをしている。
わかっているのに、高原さんに求められると、私は応え続けていた。
ある夜、私はいつも以上に仕事が重なり、残業でなかなか帰宅できなかった。
「依子ちゃん、悪いけど、これもお願いできる?」
「あ、部長。これもですか?今日じゃないとダメですか?」
「ごめん、他に頼める人がいなくて。」
「わかりました。時間かかりますが。」
「ありがとう。残業代、しっかりつけとくから。」
渋沢部長は、あれ以来、何故か依子を避けていた。他の若い子達を何度か誘う姿は見たが、依子に声はかからなかった。
それにはかなり救われた。
ひょっとしたら、この職場をも去らなきゃいけない事態になるかと思っていたからだ。
久々の遅い残業。気づけば渋沢部長と2人きり。
照明も必要最小限となり、離れた場所にあるはずの自販機で飲み物を買う音も響く。
とにかく集中し、一字一句資料に抜けがないか確認する。
ほんとは2人でする作業だが、今日に限って早退者がいて、1人で為さねばならなかった。
午後10時。
ようやく全ての資料チェックが終わり、依子は渋沢に報告する。
「お疲れ、依子ちゃん。今日は僕が送るから、心配しないでね。」
渋沢は、少し興奮した声色で依子の肩に手を置いた。
その瞬間、依子は『ビクっ』と引いてしまい、
「あの、有難いことですが、お断りします。ちゃんと帰れますから。」
依子はそう断り、すぐに高原の連絡先にアクセスし、「今どこ?迎えに来て欲しい」と、メールを送った。
約束はしてなかったが、部長からのタダならぬ危険信号を感じる。
助けてもらえるなら誰でもいいが、高原ならきっと来てくれる。
その間、1分経ったか経たないかくらいだが、メールを送って携帯をカバンに入れると同時に、『ガバっ』と、後ろから抱きしめられた。
「誰に連絡したの?旦那?復縁したの?」
冷たい部長の声に、血の気が引いて、震えてくる。
「冷たいなぁ、依子ちゃん。せっかく君を守るために、あいつが来ないよう見張っていたのにさぁ。」
私の肩を顎でスリスリとしながら腹部を弄る手。
絶対絶命のピンチ!
『ピピ、ピピ、ピピ、ピピ』
その時、部長の携帯が鳴った。
「ふん、空気の読めないやつらめ」
と、電話をかけて来た相手に苛立っている。
部長は表示された相手の名前を見て、「しつこいな」と言いながら、電源を切った。
一瞬だが、見えた名前に私は眉を顰めた。
《鴨井あすか》
見間違いじゃない。はっきりとそう表示されていた。
部長は鴨井さんと繋がっている。
私は渾身の力で部長を振り切り、
「きゃーーーー!!!!」
と、柄にもなく大声をあげて逃げ出した。
どうやら、部長は私の力を見くびっていたらしく、尻餅をついたようだ。
申し訳ないが、私は持久力はないが筋力はある。幼い頃から諭と男の子の遊びをしていたせいかもしれない。
とにかく走って逃げた。
もう、ここには居られない。
どんどん私の居場所が無くなっていく。
走って、走って、ようやく正面出入り口に近づいた。
そしてそこで見えたのは、諭と……鴨井さん……。
私は2人を見つけるなり、膝から崩れてしまった。
そんな私に、諭が向かってきているのが見えた。
だが、諭よりも早く、私の肩に触れたのは、高原さんだった。
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