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第一章 プロローグ ~出会いは…~
第1話 前編
しおりを挟む愛する人とずっと一緒にいたいと思うのは
いけないことですか? 許されないことですか?
離れたくない、傍にいたい…
その気持ちは、この先何があっても変わらないのです
永遠に……
俺は、いつでも君の傍にいます
君が、ここに在り続ける限り―――
(あれ? あいつ、まだ座ってる――)
診察を終え、ロビーの会計窓口で処方箋を受け取った晶は、正面玄関から外へ出ようとしてふと立ち止まった。
洋風を基調に仕立てられたエントランス。ギリシャ神殿のそれに似せてデザインされた柱が両側を支える正面玄関横の壁は一面ガラス張りになっており、表の景色がよく見える。
玄関前の車寄せには何台もの車が停まり、外来診察を受けに来る人を降ろしては、ロータリー式に次々と大通りへ出て行く。徒歩で通院する人の為に幅広に敷かれたテラコッタの歩道が、緩やかなカーブを描いて左右に伸びていた。
その歩道の建物側――つまりガラス壁の外側に沿うように設置された木のベンチに、その人は座っていた。肩から掛けた鮮やかなライトグリーンの布カバンが印象的なその人は、先刻、採血の為に晶がロビーを通った時にも、同じくそこにいた。
あれからもう二時間近く過ぎている。ずっとこちらに背を向けている上、デニムの帽子を目深に被っている為顔は見ていないが、あの大きなカバンがやけに記憶に残っている。間違える筈は無い。
(ヒマな奴だな。朝っぱらから一時間も二時間も何やってんだ?)
何となく興味を引かれ、晶は玄関の回転扉を抜けて外へ出た。
後ろ姿を見た限りでは、線は細いが若い男のようだった。恐らく自分と同じくらいの。
歩道の隅の、あのベンチ。真っ先に目に飛び込む、今の季節に合わせたような若草色のカバン。間違いない、あいつだ。
「――あんたさ、ここで何してんの?」
唐突な声に、何か物思いに耽っていたらしいその人はあからさまに驚いて声の出処を追う。すぐに自分の横に突っ立つシェンナー(赤褐色)の髪の少年に気付いて、その顔を見上げた。途端、彼の目が大きく見開かれる。
そのまま沈黙が流れること数秒――
「あのー、もしもし?」
自分を凝視したまま動きも話しもしない彼に晶が訝しげに呼び掛けると、ハッと我に返ったように顔を逸らした。
「…え? …な、何ですか…?」
俯き加減で言う声が、何故か僅かばかり震えていた。
「だからぁ、こんなトコで何やってんだって訊いてんの」
晶は彼の隣にドカッと腰を下ろす。少し慌てたような返事が返ってきた。
「いや、あの…ちょっと考え事を……」
「朝から何時間もか? 俺、ずっと見てたんだぜ」
ピクッと彼の肩が動いたが、気付かない晶は大きく伸びをして続ける。
「ボケーっとここに座っててさ。別に何してるふうでもなかったし、よっぽどヒマ人かなーっと……」
言葉の途中で、突如吹いた一陣の春風に彼の帽子が攫われる。直後、晶の口は次に発するべき言葉を失った。
帽子を飛ばされ、露わになった彼の顔――。大きな灰色の瞳。形良く整った唇。そしてそれらを一層引き立てる色白の肌と、その周りを縁取る、襟足を隠す程度に伸ばされた艶やかな黒髪。静麗とでも形容すればいいのだろうか。派手さは無いが、その静かなる美しさには息を呑むものがある。一見しただけで男も女も見惚れてしまいそうな容貌に、晶の思考は完全に停止していた。
ゼンマイの切れた玩具のように固まったままの晶を余所に、彼はつと立ち上がり、2メートルほど先に落ちた帽子を拾い上げて掌でポンポンと叩く。その姿を、まさしく玩具のロボットさながらの動きでカクッと首を回した晶が見詰める。
年齢はやはり自分と近そうだ。体形も何となく似ている。晶は痩せ気味の方だが、それより少し細いくらいだろう。身長も、180オーバーの自分と比べれば小さく見えてしまうものの、決して低いというわけでは無い。繊細で美しい容姿はそれでも女性と間違わせるようなことは無く、時に凛々しさすら感じさせた。
「…あの…ちょっと訊いてもいいですか…?」
いつの間にか自分の横に戻ってきていた彼の声に、今度は晶が泡を食う。
「…へっ? あ、何?」
「その…初対面ですよね、俺達…。どうしてそんなこと訊くんですか? …っていうより、君は…誰?」
至極当然の質問だ。誰だって、見も知らぬ人間にいきなり「何してるんだ」などと訊かれれば驚くし、戸惑う。しかも晶の場合、『当たり障りのないように伺う』というような程度のものではない。まるで昔からの知り合いのように思い切りタメ口で話し掛け、図々しいことこの上ないのだ。本人も漸くそれに気付いたらしい。
「あ、悪りー悪りー。俺、見た通りのかなりふざけた性格だから、ちっとも気付かなくてよ」
しかしそれでもタメ口は変わらなかった。
「初めましてどころか、名乗ってもいなかったな。――俺は香月晶ってんだ。よろしくな」
差し出された手に困惑していると、勝手に掴まれブンブンと強引に握手される。大きく視界が上下してブレてしまった目の焦点を合わせながら考えた。相手が名乗っているのだから、自分もそうするのが筋だろう。晶の顔に視線を置き、ポツリと言う。
「…俺、和泉直人…です」
「ふーん、直人か。でな、直人。あんたのそのカバンがやけに目に付いてさ。朝見掛けた時と同じ所に同じカッコで座ってんだもん。何してんのか気になっちまってよ」
既に呼び捨て状態。
だが、呼ばれた当人はそれを気にする様子も無く、自分のカバンに目を落とす。
「ああ、これ? そんなに目立ちますか?」
「いや。目立つってほどでもねぇけど、かなり色明るいじゃん、それ。結構デケぇし――。何入ってんの?」
直人はカバンを開け、中の物を取り出す。それはB4サイズのスケッチブックだった。紙の端々が変色して捲れ上がり、随分と使い込まれていることが分かる。
「仕事で絵を描いているんです。ここの前庭も、植栽が綺麗でよく題材に使うんですけど、今日は構図を考えてるうちに時間が経っちゃって」
晶はスケッチブックを直人の手の上に置いたまま、中の紙だけをパラパラと捲った。白いケント紙の上に植物や小動物の単体のデッサンが踊っている。少し大きめの習作も幾つかあった。いずれも、直人の手の器用さが窺える見事なものだった。
「絵、上手いんだな」
スケッチブックの上に身を乗り出すようにしていた晶は、感心して呟きながら斜め上方にある直人の顔を見上げた。と、再びその動きが止まる。
――直人は穏やかに微笑んでいた。大きな瞳が細められ、薄桃色の唇の端が緩く持ち上がっている。それは晶の褒め言葉に対するものであったのか――。
零れ落ちてくる精美な笑みを受け止めて、晶は目を瞬かせた。
「…? どうしたんですか?」
「あ…いや、何でもねぇ…」
不思議そうに尋ねる直人に首を振って上体を起こすと、ベンチの背凭れに凭れ掛かった。カバンにスケッチブックを仕舞う直人の動き一つ一つを目で追う。
(こんな男、見たことねぇよ…)
「…なぁ、あんた何歳?」
カバンの留め具を嵌め終えた直人に問い掛ける。
「19ですけど…」
「マジ? 俺18だから、1コしか違わねぇじゃん」
晶はガバッと身体を起こした。
「中学、どこだった?」
「えっと…平川第二」
「なんだ、隣の校区じゃねぇか。俺、大宮中だもん。――高校は?」
「高校には…行ってませんけど」
「へぇ、奇遇だな。俺も一年で辞めちまったから行ってねぇも同然だし」
「…香月君…もですか?」
直人の言葉遣いに溜息をついて、晶は頭をガリガリと掻いた。
「あのさぁ、そのまどろっこしい喋り方やめねぇ? 年近いんだし、タメでいい、タメで。第一、お前の方が1コ上じゃねぇかよ。名前も晶って呼び捨てでいいって」
年が上だとか下だとか、それを無視していたのは晶だったような気がするが。しかも、いつの間にやら「あんた」が「お前」に変わっている。
「中学ん時にさ、野中って数学の先公が大宮から転任してこなかったか?」
「野中? ――あ、憶えてる。背が高くて、ちょっと外国人っぽい顔立ちの――」
「そうそう、そいつ。俺が一年の時の副担でさ、泳げねぇくせに見栄張って、水泳大会で溺れたんだぜ。女子にメチャメチャ人気あったんだけど、それ以来、『水野中』ってあだ名付けられてやんの」
「本当に? そう言えば…水の話は嫌いだって噂があったけど、その所為かな」
二人は顔を見合わせて笑った。
今日初めて会ったばかりだというのに、何故か次から次へと話に花が咲く。笑いも絶えない。最初に晶が声を掛けてから一時間後には、すっかり意気投合していた。
★★★次回予告★★★
第一話にて既にかなりのいい加減さを見せてくれた晶君。後編では綺麗な直人相手にとんでもないことを言い出します。乞うご期待!
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