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第二章 海にて
第4話 後編
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太陽はぐんぐん昇り、いつの間にか南中に差し掛かっている。真上から降り注ぐ日差しに、腕時計で時間を確認した晶が直人の脚を突いた。
「直人ー、昼過ぎてるぜ。腹減ったぁ」
「え? あ、本当だ。もう少しなんだけど…。晶、先に食べてて」
そう言って先程のキオスクの袋を渡す。中には、鮮やかなフィルムに包まれたおにぎりが六個。
すぐ終わらせるからと言い置いて、直人は手を速める。言葉通り、ほどなく最後の一枚が仕上がった。
描き上げた下書きは、焦点を変えた海の絵が全部で十枚。それを見直してスケッチブックを閉じた直人は、横を見て目を丸くした。袋から出したおにぎりを捻くり回して、晶が唸っていたからだ。フィルムはまだ剥がされていない。
「…? 晶? 先に食べてって言ったのに、どうしたの?」
「直人。これ…どうやって開けるんだ?」
更に丸くなる直人の目。
「食べたこと…ないの?」
「ない。外で買って食う時は、ハンバーガーとかが多いんだ」
「あ、じゃあ、パンの方が良かったかな。どこかその辺で買ってこようか?」
バスを待つ間にキオスクに寄ったのは直人だ。当然、昼食におにぎりを選んだのも。好き嫌いは無いと聞いていたからだが、好みに合わなかったと知って、直人は商店を探そうと立ち上がり掛けた。が、袖を引かれて腰を落とす。
「いいよ、これで。食ったことねぇもん食ってみるのもおもしれぇし。そう思ってさっきから開けようとしてんだけど、上手くいかねぇんだ。フィルムの合わせ目を引っ張ったら、中の海苔まで破れちまうしよ」
「ほら、ここに開け方書いてあるだろ?」
晶の手元を覗き込み、三角形の印刷面の隅を指し示す。
「あー。俺、細かい字読むの苦手なんだよ。面倒臭くてさ」
片手をヒラヒラさせながら言う晶に、直人は苦笑して開け方を教えた。
「――なんだ。聞いてみれば簡単じゃん」
やっと食べられる状態になって現れた三角おにぎりにかぶり付く。そんな晶の横で、直人も自分のおにぎりを頬張った。
「へー。ちょっと冷てぇけど、まあまあいけるな。海苔がパリパリしてて美味ぇし」
開け方を習得した晶は既に三個目に突入している。一個目を食べ終えたばかりの直人は、その速さに呆気に取られながらクスッと笑った。
「本当に…小さな子供みたいだな、晶は」
その言葉に、口いっぱいに詰め込んでいたおにぎりをゴクリと呑み込んで、晶が負けじと言い返す。
「お前がオヤジ過ぎんだよ。あーあ、年は取りたくねぇよなー」
「1コ違いで何言ってんだ」
言い合って、笑い合った。
それは本当に晶にとって、浮世離れしているかと思うほどの楽しい時間。
時の経つのを忘れるくらいに、自分自身を忘れるくらいに、心を放して楽しめる安らぎの時間――。
「ところでさ」
「ん?」
「六個あったってことは三個ずつだよな」
「そのつもりだけど?」
「……」
晶は言い淀んで口籠っている。気付いて直人が言った。
「ひょっとして…足りなかった?」
「…ちょっとな」
「じゃ、俺の分一個あげるよ」
「けど、直人二個しか食ってねぇじゃん。いいのかよ?」
「うん。取り敢えずお腹は膨れたし。気にしないで食べて」
差し出されたおにぎりを受け取って、晶はニッと笑うとすぐにペロリと平らげる。その満足そうな顔を見て、直人は思わず微笑んだ。口元にご飯粒が一つくっついていることに気付いていない晶が、なんだかとても可愛く見える。
「晶。ここ…付いてる」
言いながら取ってやった直人の細い手首を、晶の手が掴んだ。と思うと、直人の指先ごと口の中へ入れてしまう。
「?! ちょ、ちょっと、晶?!」
指先に感じる生温かい感触にぎょっとして右手を引こうとするが、手首を掴む晶の手は緩む気配が無い。為す術の無いまま十秒ほど経っただろうか。すぽっという感じで直人の指は解放された。晶の舌で弄ばれていたそれは、第二関節近くまで濡れて光っている。
「…いきなり何するんだよっ」
頬を赤くして怒る直人に、いつも通りのケロッとした表情で晶は答える。
「折角直人がくれたのに、一粒でも残しちゃ勿体ねぇだろ?」
「…そっ、それにしたって、なんで指まで――」
「あ、そーだ」
責めの言葉を直人が最後まで言い終わらぬうちに、晶はわざとらしく手をポンと叩いて何か思い出したふうを装うと、ずいっと直人の顔に自分のそれを近付ける。考える間も与えられず無防備に晒されていた唇へ、晶の一瞬の口付けが舞い降りて、去った。
「…な…?」
何をされたのか理解するのに、若干の間があった。それがキスであったと分かった瞬間、直人の面は火を噴いたように真っ赤に染まる。指のことなど、既に頭から飛んでいた。
あまりにも純粋な反応に笑いを堪え切れず、晶の喉の奥でクックックと抑えたような声が漏れる。
「今のはおにぎりくれたお返しだよ。――にしても、お前ってほんっとに可愛い反応すんのな」
気付くと、顔を伏せた直人の肩がワナワナと震えている。
(あー。こりゃ、やべーかも)
晶はそーっと堤防から砂浜に飛び降りる。しかし、依然その顔は笑みを湛えたまま。
「…あーきーらーっ!!」
その声に走り出す晶の後を、これまた砂浜に降りた直人が追う。
「何が『お返し』だっ。ふざけるのもいい加減にしろよ!」
「いーじゃねぇかよ、キスくらい。減るもんじゃなし」
「そういう問題じゃないっっ!!」
砂浜を走る二人の顔は、どちらも綻んでいる。分かっているのだ。笑いながら逃げる晶には、自分を追う直人が本気で怒っていないことが。声を荒げる振りをして追う直人には、前を逃げる晶が自分を馬鹿にしてふざけているのでは無いことが。
ふざけ半分で始まった関係。だからこそ分かる。迷いもこだわりも無く、その気持ちだけを晒すことが出来る。それが、今の二人にとっての幸せ。――その幸せは、この先いつまで続けていけるのだろう。いや、一体いつまで、これが幸せだと思えるのだろう。
二人の道のりは、まだ始まったばかり――。
★★★次回予告★★★
第三章、第四章は前中後の三部構成。
三章前編では梶原先生が登場。彼と晶が交わす謎のセリフにご注目!
「直人ー、昼過ぎてるぜ。腹減ったぁ」
「え? あ、本当だ。もう少しなんだけど…。晶、先に食べてて」
そう言って先程のキオスクの袋を渡す。中には、鮮やかなフィルムに包まれたおにぎりが六個。
すぐ終わらせるからと言い置いて、直人は手を速める。言葉通り、ほどなく最後の一枚が仕上がった。
描き上げた下書きは、焦点を変えた海の絵が全部で十枚。それを見直してスケッチブックを閉じた直人は、横を見て目を丸くした。袋から出したおにぎりを捻くり回して、晶が唸っていたからだ。フィルムはまだ剥がされていない。
「…? 晶? 先に食べてって言ったのに、どうしたの?」
「直人。これ…どうやって開けるんだ?」
更に丸くなる直人の目。
「食べたこと…ないの?」
「ない。外で買って食う時は、ハンバーガーとかが多いんだ」
「あ、じゃあ、パンの方が良かったかな。どこかその辺で買ってこようか?」
バスを待つ間にキオスクに寄ったのは直人だ。当然、昼食におにぎりを選んだのも。好き嫌いは無いと聞いていたからだが、好みに合わなかったと知って、直人は商店を探そうと立ち上がり掛けた。が、袖を引かれて腰を落とす。
「いいよ、これで。食ったことねぇもん食ってみるのもおもしれぇし。そう思ってさっきから開けようとしてんだけど、上手くいかねぇんだ。フィルムの合わせ目を引っ張ったら、中の海苔まで破れちまうしよ」
「ほら、ここに開け方書いてあるだろ?」
晶の手元を覗き込み、三角形の印刷面の隅を指し示す。
「あー。俺、細かい字読むの苦手なんだよ。面倒臭くてさ」
片手をヒラヒラさせながら言う晶に、直人は苦笑して開け方を教えた。
「――なんだ。聞いてみれば簡単じゃん」
やっと食べられる状態になって現れた三角おにぎりにかぶり付く。そんな晶の横で、直人も自分のおにぎりを頬張った。
「へー。ちょっと冷てぇけど、まあまあいけるな。海苔がパリパリしてて美味ぇし」
開け方を習得した晶は既に三個目に突入している。一個目を食べ終えたばかりの直人は、その速さに呆気に取られながらクスッと笑った。
「本当に…小さな子供みたいだな、晶は」
その言葉に、口いっぱいに詰め込んでいたおにぎりをゴクリと呑み込んで、晶が負けじと言い返す。
「お前がオヤジ過ぎんだよ。あーあ、年は取りたくねぇよなー」
「1コ違いで何言ってんだ」
言い合って、笑い合った。
それは本当に晶にとって、浮世離れしているかと思うほどの楽しい時間。
時の経つのを忘れるくらいに、自分自身を忘れるくらいに、心を放して楽しめる安らぎの時間――。
「ところでさ」
「ん?」
「六個あったってことは三個ずつだよな」
「そのつもりだけど?」
「……」
晶は言い淀んで口籠っている。気付いて直人が言った。
「ひょっとして…足りなかった?」
「…ちょっとな」
「じゃ、俺の分一個あげるよ」
「けど、直人二個しか食ってねぇじゃん。いいのかよ?」
「うん。取り敢えずお腹は膨れたし。気にしないで食べて」
差し出されたおにぎりを受け取って、晶はニッと笑うとすぐにペロリと平らげる。その満足そうな顔を見て、直人は思わず微笑んだ。口元にご飯粒が一つくっついていることに気付いていない晶が、なんだかとても可愛く見える。
「晶。ここ…付いてる」
言いながら取ってやった直人の細い手首を、晶の手が掴んだ。と思うと、直人の指先ごと口の中へ入れてしまう。
「?! ちょ、ちょっと、晶?!」
指先に感じる生温かい感触にぎょっとして右手を引こうとするが、手首を掴む晶の手は緩む気配が無い。為す術の無いまま十秒ほど経っただろうか。すぽっという感じで直人の指は解放された。晶の舌で弄ばれていたそれは、第二関節近くまで濡れて光っている。
「…いきなり何するんだよっ」
頬を赤くして怒る直人に、いつも通りのケロッとした表情で晶は答える。
「折角直人がくれたのに、一粒でも残しちゃ勿体ねぇだろ?」
「…そっ、それにしたって、なんで指まで――」
「あ、そーだ」
責めの言葉を直人が最後まで言い終わらぬうちに、晶はわざとらしく手をポンと叩いて何か思い出したふうを装うと、ずいっと直人の顔に自分のそれを近付ける。考える間も与えられず無防備に晒されていた唇へ、晶の一瞬の口付けが舞い降りて、去った。
「…な…?」
何をされたのか理解するのに、若干の間があった。それがキスであったと分かった瞬間、直人の面は火を噴いたように真っ赤に染まる。指のことなど、既に頭から飛んでいた。
あまりにも純粋な反応に笑いを堪え切れず、晶の喉の奥でクックックと抑えたような声が漏れる。
「今のはおにぎりくれたお返しだよ。――にしても、お前ってほんっとに可愛い反応すんのな」
気付くと、顔を伏せた直人の肩がワナワナと震えている。
(あー。こりゃ、やべーかも)
晶はそーっと堤防から砂浜に飛び降りる。しかし、依然その顔は笑みを湛えたまま。
「…あーきーらーっ!!」
その声に走り出す晶の後を、これまた砂浜に降りた直人が追う。
「何が『お返し』だっ。ふざけるのもいい加減にしろよ!」
「いーじゃねぇかよ、キスくらい。減るもんじゃなし」
「そういう問題じゃないっっ!!」
砂浜を走る二人の顔は、どちらも綻んでいる。分かっているのだ。笑いながら逃げる晶には、自分を追う直人が本気で怒っていないことが。声を荒げる振りをして追う直人には、前を逃げる晶が自分を馬鹿にしてふざけているのでは無いことが。
ふざけ半分で始まった関係。だからこそ分かる。迷いもこだわりも無く、その気持ちだけを晒すことが出来る。それが、今の二人にとっての幸せ。――その幸せは、この先いつまで続けていけるのだろう。いや、一体いつまで、これが幸せだと思えるのだろう。
二人の道のりは、まだ始まったばかり――。
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