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炎編/因果の鎖
20.迷い出ずる炎
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おばけ公園と呼ばれる児童公園は、ここしばらく立ち入り禁止となっていた。
深夜二時。若い女一人で出歩くには決して望ましくない時刻ではあるが、毎夜従者の状態を確認しに来る厄介な男の目を避けるためには致し方ない。
女は入口に張られたロープをくぐって公園内に侵入すると、何事か小さく唱え、右腕を頭上に掲げた。その腕の周囲を、たくさんの炎の小球がまとわりつくように飛び交う。
まるで、死者の魂を引き連れた美しき妖女。女が砂場まで来た時、公園の空気がぼうっと霞んだ。続いて、腐肉にも似た悪臭が辺りに立ち込めるけれど、女は構う様子もない。
やがて、闇よりも黒いモノが女の眼前に現れた。
「力を戻してあげる」
女は、姿を見せた黒い異形に優しげに微笑む。
「もう、苦しまなくていいから」
『――ヤ、××、イ、ネ、チャ』
途切れ途切れに漏れる従者の言葉は、音になっていない。従者が何を言おうとしたのかわずかに気になったが、女はすぐに頭を横に振る。会話は不要だ。
「父さんも、私たちにまた会えて嬉しい、って」
合図とともに、炎の小球は緩やかに従者を取り囲む。闇夜に赤い光が踊り、繰り広げられる炎の舞を、九流弥生は目を細めて眺めていた。
従者は従者として役目を全うするしかない。人の意識を中途半端に残したまま生きるぐらいなら、いっそすべて無くした方が楽になれる。後戻りは許されず、この先に待つのは虚無のみだ。
洗礼を終え、従者から離れる炎を精を異界へ還し、弥生は唇を噛んだ。
観月を迎えに行く務めを来に譲り渡してから数日後、バイト帰りの観月が来と一緒に事務所を訪れた。前回の手作りマーマレードは丸ごとナイの胃に収まり、俺が一口も食べられなかったと知って、再度作ってわざわざ持ってきてくれた。
顔が見られて嬉しかったのは言うまでもない。が、目を合わせようとしなかったり、傍に行くとさりげなく距離を置かれたりして、彼女の態度がどうも以前と違う。
「今度は多めに持ってきたんだ。視矢くんも、ナイに食べられないうちに味見してね」
「……サンキュ」
反応が微妙にぎこちないだけで、避けられているわけではなかった。原因はやはり九流の件だろうかと思っても、はっきり確かめる度胸はない。第一確かめたところで、何かが変わるわけじゃない。俺たちは一時的な護衛をしているだけ。今のところ保留状態とはいえ、そのうち観月の記憶を消して見ず知らずの人間になるのに。
「頼まれていた来客用の茶だ」
来が買い物袋から緑色の茶の缶を取り出し、観月のマーマレードの横に置いた。観月に付き添ってスーパーへ寄るついでに煎茶を買ってくるよう頼んだのだが、購入された品はどう見ても違う。
俺はテーブルに置かれたそれを手に取り、缶に表示されている商品名を指で示した。
「俺、『煎茶』って言ったよな? これには『昆布茶』って書いてあるよな?」
「え、お客さん用だったの?」
来を睨んでやると、代わりに観月が驚いた顔で問い返す。
彼女が一緒にいれば、おかしな物は買うまいと高を括ったのが間違っていた。肝心の観月が客に出す茶葉だと知らなかったなら、さもありなん。責めることはできない。
「……まあ、昆布茶が好きな客もいるだろ、多分」
「同じような色なので、いいかと思ったのだが」
「色は同じでも味は違うんだよ」
至極当たり前の一般常識も、来には通じないことが多々ある。社長という肩書に捕らわれず、今後の為に茶の淹れ方くらいは覚えてもらった方がいいかもしれない。
「ごめん! 安売りしてるよって勧めたのは、私で」
「……もういい」
来をフォローする観月の言葉を、片手を上げ、ストップというジェスチャーをして遮った。気分的になんだかひどく疲れてしまった。
来と観月の距離感は、俺と反比例して以前より遥かに縮まったらしい。前世で恋人同士だった二人が仲を深めるのは当然の成り行きか。
(しょうもねえの)
マーマレードと昆布茶の缶を持って、俺は無言でキッチンへ向かい、二人から見えないところで頭をこつんと壁に打ち付けた。上手く消化できない感情が胸の奥で燻っている。
遅かれ早かれこうなるのは分かっていたはずなのに、我ながら女々しい。情けない己の頬を両手でぱんと打った時、追い討ちを掛けるがごとく、リビングに置きっぱなしの俺のスマホが着信音を響かせた。
魂が抜けた表情でリビングに戻った俺に、来がスマホを放って寄越す。呼び出し音を鳴らし続けるそれを恨めしく眺め、大きく溜息を吐いた。液晶の表示で掛けてきた相手が誰か分かったろうに、来は敢えて何も言わない。
「何の用だ、九流」
観月の前で話して誤解されたら困る、と心配する必要はもうなかった。彼女は電話の相手を気にする様子もなく、来と会話を続けている。
俺は二言三言適当な返事をして、九流との通話を終えた。
「出かけるのか」
「親父さんの墓参りに付き合って欲しいんだとさ」
来に答えてから、腕時計に目を落とす。十七時を過ぎたこの時間から墓参りとは、季節外れの肝試しでもあるまい。九流の母親の再婚相手は存命しており、父親というのは三年前に亡くなった実父の九流忠明、クトゥグアの信者だった人物だ。
嫌な予感はするものの、どうせ断れないので行くしかない。まさかまた軟禁されたりはしないだろう。
「来、ちゃんと観月を送ってやれよ。送り狼になんじゃねえぞ」
「お前もだ、視矢」
冗談めかして言えば、同じことを返される。こちらはほんの軽口のつもりでも、来の方は正真正銘の警告。九流を監視しても一線は越えるな、とスポンサーから有難いお達しを受けている。言われるまでもなく、その気はさらさらないけれど。
上着に腕を通し、木刀を手にしてちらりと観月に目をやった。行ってらっしゃい、と笑顔で送り出す彼女に、俺は気持ちは下降の一途を辿ったままだった。
深夜二時。若い女一人で出歩くには決して望ましくない時刻ではあるが、毎夜従者の状態を確認しに来る厄介な男の目を避けるためには致し方ない。
女は入口に張られたロープをくぐって公園内に侵入すると、何事か小さく唱え、右腕を頭上に掲げた。その腕の周囲を、たくさんの炎の小球がまとわりつくように飛び交う。
まるで、死者の魂を引き連れた美しき妖女。女が砂場まで来た時、公園の空気がぼうっと霞んだ。続いて、腐肉にも似た悪臭が辺りに立ち込めるけれど、女は構う様子もない。
やがて、闇よりも黒いモノが女の眼前に現れた。
「力を戻してあげる」
女は、姿を見せた黒い異形に優しげに微笑む。
「もう、苦しまなくていいから」
『――ヤ、××、イ、ネ、チャ』
途切れ途切れに漏れる従者の言葉は、音になっていない。従者が何を言おうとしたのかわずかに気になったが、女はすぐに頭を横に振る。会話は不要だ。
「父さんも、私たちにまた会えて嬉しい、って」
合図とともに、炎の小球は緩やかに従者を取り囲む。闇夜に赤い光が踊り、繰り広げられる炎の舞を、九流弥生は目を細めて眺めていた。
従者は従者として役目を全うするしかない。人の意識を中途半端に残したまま生きるぐらいなら、いっそすべて無くした方が楽になれる。後戻りは許されず、この先に待つのは虚無のみだ。
洗礼を終え、従者から離れる炎を精を異界へ還し、弥生は唇を噛んだ。
観月を迎えに行く務めを来に譲り渡してから数日後、バイト帰りの観月が来と一緒に事務所を訪れた。前回の手作りマーマレードは丸ごとナイの胃に収まり、俺が一口も食べられなかったと知って、再度作ってわざわざ持ってきてくれた。
顔が見られて嬉しかったのは言うまでもない。が、目を合わせようとしなかったり、傍に行くとさりげなく距離を置かれたりして、彼女の態度がどうも以前と違う。
「今度は多めに持ってきたんだ。視矢くんも、ナイに食べられないうちに味見してね」
「……サンキュ」
反応が微妙にぎこちないだけで、避けられているわけではなかった。原因はやはり九流の件だろうかと思っても、はっきり確かめる度胸はない。第一確かめたところで、何かが変わるわけじゃない。俺たちは一時的な護衛をしているだけ。今のところ保留状態とはいえ、そのうち観月の記憶を消して見ず知らずの人間になるのに。
「頼まれていた来客用の茶だ」
来が買い物袋から緑色の茶の缶を取り出し、観月のマーマレードの横に置いた。観月に付き添ってスーパーへ寄るついでに煎茶を買ってくるよう頼んだのだが、購入された品はどう見ても違う。
俺はテーブルに置かれたそれを手に取り、缶に表示されている商品名を指で示した。
「俺、『煎茶』って言ったよな? これには『昆布茶』って書いてあるよな?」
「え、お客さん用だったの?」
来を睨んでやると、代わりに観月が驚いた顔で問い返す。
彼女が一緒にいれば、おかしな物は買うまいと高を括ったのが間違っていた。肝心の観月が客に出す茶葉だと知らなかったなら、さもありなん。責めることはできない。
「……まあ、昆布茶が好きな客もいるだろ、多分」
「同じような色なので、いいかと思ったのだが」
「色は同じでも味は違うんだよ」
至極当たり前の一般常識も、来には通じないことが多々ある。社長という肩書に捕らわれず、今後の為に茶の淹れ方くらいは覚えてもらった方がいいかもしれない。
「ごめん! 安売りしてるよって勧めたのは、私で」
「……もういい」
来をフォローする観月の言葉を、片手を上げ、ストップというジェスチャーをして遮った。気分的になんだかひどく疲れてしまった。
来と観月の距離感は、俺と反比例して以前より遥かに縮まったらしい。前世で恋人同士だった二人が仲を深めるのは当然の成り行きか。
(しょうもねえの)
マーマレードと昆布茶の缶を持って、俺は無言でキッチンへ向かい、二人から見えないところで頭をこつんと壁に打ち付けた。上手く消化できない感情が胸の奥で燻っている。
遅かれ早かれこうなるのは分かっていたはずなのに、我ながら女々しい。情けない己の頬を両手でぱんと打った時、追い討ちを掛けるがごとく、リビングに置きっぱなしの俺のスマホが着信音を響かせた。
魂が抜けた表情でリビングに戻った俺に、来がスマホを放って寄越す。呼び出し音を鳴らし続けるそれを恨めしく眺め、大きく溜息を吐いた。液晶の表示で掛けてきた相手が誰か分かったろうに、来は敢えて何も言わない。
「何の用だ、九流」
観月の前で話して誤解されたら困る、と心配する必要はもうなかった。彼女は電話の相手を気にする様子もなく、来と会話を続けている。
俺は二言三言適当な返事をして、九流との通話を終えた。
「出かけるのか」
「親父さんの墓参りに付き合って欲しいんだとさ」
来に答えてから、腕時計に目を落とす。十七時を過ぎたこの時間から墓参りとは、季節外れの肝試しでもあるまい。九流の母親の再婚相手は存命しており、父親というのは三年前に亡くなった実父の九流忠明、クトゥグアの信者だった人物だ。
嫌な予感はするものの、どうせ断れないので行くしかない。まさかまた軟禁されたりはしないだろう。
「来、ちゃんと観月を送ってやれよ。送り狼になんじゃねえぞ」
「お前もだ、視矢」
冗談めかして言えば、同じことを返される。こちらはほんの軽口のつもりでも、来の方は正真正銘の警告。九流を監視しても一線は越えるな、とスポンサーから有難いお達しを受けている。言われるまでもなく、その気はさらさらないけれど。
上着に腕を通し、木刀を手にしてちらりと観月に目をやった。行ってらっしゃい、と笑顔で送り出す彼女に、俺は気持ちは下降の一途を辿ったままだった。
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