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炎編/因果の鎖
22.ためらいの代償
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か弱い一般人女性とは程遠い信者であろうと、暗くなってから女一人で夜道に放り出すのは抵抗があった。九流を家まで送り届けたのは、いわば俺の自己満足。
「……すげえ家だな」
「金に飽かして建てたんでしょ」
思わず息を飲む俺に、九流はひどく冷めた目をして答える。
彼女の家は、都会の住宅事情など無関係と言わんばかりの立派な豪邸だった。掲げられた表札は、『九流』ではなく『火前』とある。母親の再婚相手の火前良樹は急成長したIT企業社長で、火前グループとして他業種にも手を広げ始めている。
結構な金持ちなわけだが、彼女はその恩恵を受けつつも、快く思ってはいないらしい。
邸宅に入るや、九流は貞淑な社長令嬢に早変わりした。玄関先に黒スーツの年配の男が立ち、お嬢様、と呼び掛けている。護衛以外に雇われている家事使用人といったものかもしれない。
「送ってくれてありがとう、高神さん」
「どういたしまして」
品定めをするようにこちらに厳しい目を向ける黒スーツの前では、下手な態度は取れない。俺は当たり障りない挨拶だけして、早々に退散した。
今回は正真正銘の墓参りで、九流は特に何かを企んでいる様子はなかった。児童公園の従者は九流の肉親。わざわざ墓所に呼び出したのは、それを話すためだったのだろう。
だが、なぜそんなことを教えたのか。何となく胸騒ぎがして、スマホを取り出した俺は、事務所に戻る前に寄り道をすると来に告げて公園へ向かった。
常に木刀を携えているのは習慣であり、従者が動くと予想していたからじゃない。ただ、こういった不測の事態はしょっちゅう起こる。
公園に一歩入った途端、昨夜までとは異なる違和感があった。空気が澱み、熱風にも似た瘴気がちりちりと肌を焼く。おまけに呼吸がやけに苦しい。
(九流の仕業か)
確信めいた直観に舌打ちし、木刀を構え直す。結界内に漂う瘴気は、従者が魔に戻ったことを告げていた。戻ったどころか、前回対峙した時より格段に強くなっている。
覚悟していたとはいえ、動揺は隠せない。もしかしたらこのまま鎮まるのでは、と夢みたいな期待も持っていたけれど、こうなってしまえば、俺の仕事は一つ。
従者が凄まじい殺気を放ち、こちらを見ている。どこから狙っているのか、公園内に瘴気が充満しているため、姿を隠した従者の気配が定まらない。
(どこに、いやがる)
この力をぶつけられたら、結界は容易く破られる。炎で襲われたら最後だ。
爆発しそうに激しく打つ己の心臓の音。焦るなと自分に言い聞かせ、俺はビヤを召喚する言葉を唱えた。
「イア、イア、ハスター」
大きな羽音が頭上で聞こえ、恐ろし気な巨鳥が傍に降り立つ。と同時に、炎の塊が弾丸のごとく脇腹をかすめて行った。不意を突かれ、結界の防御が間に合わなかった。俺を突き飛ばして、黒い異形は公園の外へ出ようとしている。
「くそっ、ビヤ! 奴を逃がすな!」
主人が命じない限り、ビヤは従者に手を下さない。ビヤは公園を取り巻く結界を強化し、瞬く間に従者の動きを封じた。従者がいかに足掻こうと、ハスターの眷属との差は歴然としている。従者は気配を消して地中深くに身を隠した。
周囲の瘴気が和らぐのを感じ、俺は額の汗を拭ってぐたりとその場にへたり込んだ。咄嗟にかわして直撃は免れたものの、瘴気の余波で焼かれた横腹がずきずき痛む。
結界はもはや役に立たないと見ていい。今夜はビヤのおかげでどうにかなったが、きっと次はない。
従者が九流の身内であれ、事務所として果たすべき務めは何ら変わらない。引っ掛かるのは、その事実を九流が話した理由。もし同情を買うつもりなら、甘く見られたものだ。
色々考えなくてはならないのに、痛みで頭も体もまともに働かなかった。やがて俺の意識はぷつりと途絶えて世界が暗転した。
重い瞼を持ち上げた時、見慣れたマンションの部屋の天井が目に入った。
ソファに横たえられた俺の向かい側に来が腰掛け、ホットミルクを飲んでいる。
「……俺の分は?」
「起きたのか」
いきなり催促の声を上げた俺に、来は眉一つ動かさずキッチンへ向かう。どうやら三時間近く眠っていたようで、壁掛け時計の時刻は午前一時をわずかに回っていた。
気を失った俺をビヤが背に乗せて運んだのだろう。毎度毎度、忠実な眷属は情けない主人を事務所へ連れ帰ってくれる。
「従者が力を戻したらしいな」
「ご明察」
作りたてのホットミルクがテーブルに置かれ、俺はゆっくり体を起こした。来が手当てしてくれたらしく、脇腹には白い包帯が巻かれている。サンキュ、と飲み物と治療の分を合わせて礼を言った。
「従者は人間に戻らないって、この前も言ったよね。何回同じ失敗すれば気が済むの」
唐突に穏やかだった同居人の気が険しくなり、辛辣な言葉が投げられる。いつもながらナイの叱責は容赦がない。反論せず、俺は再度確認を取った。
「ナイ。観月の記憶を消すのは、無理か?」
「無理じゃないけど、やりたくない。小夜はボクが守る」
ナイは断固として首を縦に振らない。半ば予想していたといえど、相も変わらず一切譲らないナイに肩を落として嘆息する。
「バカだね。信者の女に義理立てしてるわけ?」
「ちげーよ」
呆れ顔で言われ、それについては即答した。従者を葬ることに対し、躊躇はもうない。しかし記憶消去が、観月の安全が保証される確実な最善策だ。
従者程度ならともかく、今後さらに上位の眷属が現れた際、ビヤの力を借りても俺の力はたかが知れている。観月を危険に巻き込んだくせに、きっちり守り切れない己の無力さが不甲斐ない。自分の手で観月を守ると豪語できるナイが正直羨ましかった。
「……観月に嫌われて、当然か」
「馬鹿だな、お前も」
元邪神の刺々しい雰囲気が消え、自嘲めいた俺の呟きに淡々とした口調で返された。
無表情な顔と声には感情が籠っていないけれど、来が発した言葉はナイと同程度に辛辣だった。
「……すげえ家だな」
「金に飽かして建てたんでしょ」
思わず息を飲む俺に、九流はひどく冷めた目をして答える。
彼女の家は、都会の住宅事情など無関係と言わんばかりの立派な豪邸だった。掲げられた表札は、『九流』ではなく『火前』とある。母親の再婚相手の火前良樹は急成長したIT企業社長で、火前グループとして他業種にも手を広げ始めている。
結構な金持ちなわけだが、彼女はその恩恵を受けつつも、快く思ってはいないらしい。
邸宅に入るや、九流は貞淑な社長令嬢に早変わりした。玄関先に黒スーツの年配の男が立ち、お嬢様、と呼び掛けている。護衛以外に雇われている家事使用人といったものかもしれない。
「送ってくれてありがとう、高神さん」
「どういたしまして」
品定めをするようにこちらに厳しい目を向ける黒スーツの前では、下手な態度は取れない。俺は当たり障りない挨拶だけして、早々に退散した。
今回は正真正銘の墓参りで、九流は特に何かを企んでいる様子はなかった。児童公園の従者は九流の肉親。わざわざ墓所に呼び出したのは、それを話すためだったのだろう。
だが、なぜそんなことを教えたのか。何となく胸騒ぎがして、スマホを取り出した俺は、事務所に戻る前に寄り道をすると来に告げて公園へ向かった。
常に木刀を携えているのは習慣であり、従者が動くと予想していたからじゃない。ただ、こういった不測の事態はしょっちゅう起こる。
公園に一歩入った途端、昨夜までとは異なる違和感があった。空気が澱み、熱風にも似た瘴気がちりちりと肌を焼く。おまけに呼吸がやけに苦しい。
(九流の仕業か)
確信めいた直観に舌打ちし、木刀を構え直す。結界内に漂う瘴気は、従者が魔に戻ったことを告げていた。戻ったどころか、前回対峙した時より格段に強くなっている。
覚悟していたとはいえ、動揺は隠せない。もしかしたらこのまま鎮まるのでは、と夢みたいな期待も持っていたけれど、こうなってしまえば、俺の仕事は一つ。
従者が凄まじい殺気を放ち、こちらを見ている。どこから狙っているのか、公園内に瘴気が充満しているため、姿を隠した従者の気配が定まらない。
(どこに、いやがる)
この力をぶつけられたら、結界は容易く破られる。炎で襲われたら最後だ。
爆発しそうに激しく打つ己の心臓の音。焦るなと自分に言い聞かせ、俺はビヤを召喚する言葉を唱えた。
「イア、イア、ハスター」
大きな羽音が頭上で聞こえ、恐ろし気な巨鳥が傍に降り立つ。と同時に、炎の塊が弾丸のごとく脇腹をかすめて行った。不意を突かれ、結界の防御が間に合わなかった。俺を突き飛ばして、黒い異形は公園の外へ出ようとしている。
「くそっ、ビヤ! 奴を逃がすな!」
主人が命じない限り、ビヤは従者に手を下さない。ビヤは公園を取り巻く結界を強化し、瞬く間に従者の動きを封じた。従者がいかに足掻こうと、ハスターの眷属との差は歴然としている。従者は気配を消して地中深くに身を隠した。
周囲の瘴気が和らぐのを感じ、俺は額の汗を拭ってぐたりとその場にへたり込んだ。咄嗟にかわして直撃は免れたものの、瘴気の余波で焼かれた横腹がずきずき痛む。
結界はもはや役に立たないと見ていい。今夜はビヤのおかげでどうにかなったが、きっと次はない。
従者が九流の身内であれ、事務所として果たすべき務めは何ら変わらない。引っ掛かるのは、その事実を九流が話した理由。もし同情を買うつもりなら、甘く見られたものだ。
色々考えなくてはならないのに、痛みで頭も体もまともに働かなかった。やがて俺の意識はぷつりと途絶えて世界が暗転した。
重い瞼を持ち上げた時、見慣れたマンションの部屋の天井が目に入った。
ソファに横たえられた俺の向かい側に来が腰掛け、ホットミルクを飲んでいる。
「……俺の分は?」
「起きたのか」
いきなり催促の声を上げた俺に、来は眉一つ動かさずキッチンへ向かう。どうやら三時間近く眠っていたようで、壁掛け時計の時刻は午前一時をわずかに回っていた。
気を失った俺をビヤが背に乗せて運んだのだろう。毎度毎度、忠実な眷属は情けない主人を事務所へ連れ帰ってくれる。
「従者が力を戻したらしいな」
「ご明察」
作りたてのホットミルクがテーブルに置かれ、俺はゆっくり体を起こした。来が手当てしてくれたらしく、脇腹には白い包帯が巻かれている。サンキュ、と飲み物と治療の分を合わせて礼を言った。
「従者は人間に戻らないって、この前も言ったよね。何回同じ失敗すれば気が済むの」
唐突に穏やかだった同居人の気が険しくなり、辛辣な言葉が投げられる。いつもながらナイの叱責は容赦がない。反論せず、俺は再度確認を取った。
「ナイ。観月の記憶を消すのは、無理か?」
「無理じゃないけど、やりたくない。小夜はボクが守る」
ナイは断固として首を縦に振らない。半ば予想していたといえど、相も変わらず一切譲らないナイに肩を落として嘆息する。
「バカだね。信者の女に義理立てしてるわけ?」
「ちげーよ」
呆れ顔で言われ、それについては即答した。従者を葬ることに対し、躊躇はもうない。しかし記憶消去が、観月の安全が保証される確実な最善策だ。
従者程度ならともかく、今後さらに上位の眷属が現れた際、ビヤの力を借りても俺の力はたかが知れている。観月を危険に巻き込んだくせに、きっちり守り切れない己の無力さが不甲斐ない。自分の手で観月を守ると豪語できるナイが正直羨ましかった。
「……観月に嫌われて、当然か」
「馬鹿だな、お前も」
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