逃げる以外に道はない

イングリッシュパーラー

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炎編/因果の鎖

29.さまよえば

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 ナイに手を引かれつつ、小夜は何度も視矢の方を振り返った。四、五メートル離れてしまえば、結界の影響で視矢と従者の姿はおぼろげになる。公園の入り口から目を凝らしても、濃い影を落とす遊具の向こうで何が起きているのかまったく分からない。

「どうなってるの? 視矢くんは無事?」
「慌てなくていいよ。シヤは平気」

 心配顔の小夜にナイは面白くなさそうに答えた。

「ああ、終わったみたい」

 先程までいた方角をナイが顎でしゃくるが、公園の奥には依然夜の闇しか見えなかった。駆け出そうとする小夜の腕を素早く掴んで、ナイは首を横に振る。

「『扉』が開いてるうちは、近づいちゃ駄目だよ。巻き込まれちゃう」
「扉って?」
「異空間へ通じる道。従者を片付ける時に使うんだけど……」

 ふと言葉を止め、ナイが眉を寄せた。公園の奥ばかりに気を取られていた小夜は、彼の射るような視線の先に目を向け、はっと息を飲む。
 公園の入り口には立ち入り禁止のロープが張られている。近隣の住人さえ避けて通る公園沿いの歩道を、若い女性が一人ハイヒールの足音を響かせて歩いて来た。

「こんばんは。観月さん、司門さん」

 真夜中にも関わらず、まるで散歩の途中といわんばかりの気楽さで、九流弥生が愛想良く挨拶する。小夜は仏頂面のナイをちらりと見てから、躊躇いがちに尋ねた。

「……九流さん、どうしてこんなところに?」
「あら、そちらこそ。もしかして、お二人のデートを邪魔しちゃったのかしら」
「デ、デートじゃないです!」

 即座に否定する小夜の横で、ナイはますますむっと顔をしかめた。弥生は彼の不機嫌さなど気にも留めず、公園の砂場の方角を眺めている。

「今夜は、寝付けなくて。少し外出したい気分だったものだから」
「ふーん。深夜に、わざわざ不気味な公園へ?」

 ようやくナイが口を開いたと思えば、あからさまに挑発的な態度で喧嘩を売る。必死に小夜が脇腹を肘で小突いても、やめる様子はなかった。

「いつまで猫被るつもりか知らないけどさ。面倒なの嫌いなんだ、ボク」
「司門さん、この前お会いした時と言葉遣いが違うのね」
「戯れはうんざり」

 元邪神は白々しい言葉を並べる女の左腕を取り、万力のごとき握力で締め上げた。

「ボクのことは知ってるよね。かつてのナイアーラトテップ。敵に回すと、怖いよ?」
「私は従者じゃないわ。それでも殺せる?」

 弥生は美しい顔を痛みに歪めながらも、強気の姿勢を崩さない。ナイアーラトテップの名を出して尚怯まない女にナイはさらに表情を厳しくした。
 立ち上る怒りの気は小夜にも痛い程感じられる。以前カフェ・オーガストで、女子大生たちはナイに一睨みされただけで震え上がった。やはり弥生は邪神の崇拝者で、普通の女性と違い、瘴気に耐性がある。

「試してみようか……」
「ダメ! やめなさい、ナイ!」

 さすがにナイも本気で殺す気はなかったに違いない。だとしても、やっていい事と悪い事がある。考える前に身体が動き、小夜はナイの反対側の手首を取って下へ捩じっていた。力で及ばない相手にも有効な護身術の一つだ。

「たっ……!? いた、痛いよ! 小夜!」

 びっくりして弥生から手を放したナイは涙目になって訴える。邪神にも効くのね、と小夜は妙な感慨を覚えた。
 小夜の行動に驚いたのは弥生も同じだった。掴まれて痕が付いた腕を押さえ、ただ唖然とする。庇われる筋合いのない相手に庇われては、居心地の悪い事この上ない。

「今夜は退散するわ」

 毒気を抜かれたように軽く肩を竦め、弥生はスマートフォンを取り出す。すると公園の近くで待機していたのか、脇道から黒塗りの乗用車が現れ、黒スーツを着たボディガードとも思われる風体の男が運転席から出て来た。
 運転手は小夜たちを一瞥しただけで、口を開くことなく従順に車のドアを開く。弥生を車に乗せた車は、あっという間に走り去り夜の暗がりに溶けた。

「ヒドイじゃない、小夜。なんでボクにばっかり、そんな厳しいの」
「ひどいのはナイの方だよ。女の人に暴力なんて」
「ちょっと脅しただけなのに」

 ナイは不貞腐れた顔で公園の入り口の杭にどすんと腰掛ける。それ以上反論しないところを見ると、本人もやり過ぎたという自覚はあるのかもしれない。
 やがて結界を解く空気の振動と共に、視矢が姿を見せた。木刀を肩に担ぎ、二人に笑い掛けて、よっ、と手を上げる。

(よかった……)

 視矢に伝わらない小夜の心の呟きは、ナイの耳にだけは届いていた。





「お疲れ、シヤ」
「え? なんか、あったんか?」

 不本意を満面に押し出しながらも、ナイに労いの言葉を掛けられるというあまりに珍しい状況に俺は思わず身構えた。

「九流さんが来たんだよ、さっき」

 以前と違い吹っ切れた面持ちで観月が言う。ぎくりとしたけれど、彼女の声音にわだかまりは感じられなかった。反して、ナイはいやに機嫌が悪い。

 九流と観月たちの間でどんなやりとりがあったかはともかく、あの女が公園へ来た目的は聞かなくとも見当が付く。従者の様子見だ。残留する思念の様相で、今夜従者が深淵へ旅立ったことを察したろう。
 九流からすれば、俺は肉親を殺した仇。悲しみと憎しみの連鎖は果てがなく、常に復讐に帰結する。恨まれるのは覚悟しているものの、今後信者がどう出るかを考えると気が重い。

「視矢くん、もしかして怪我とかしてる?」
「近ぇって! 別に怪我はねえ!」

 無防備に覗き込んでくる観月の顔はすぐ間近にあり、少し動けば唇に触れてしまう。焦って顔を逸らし、俺は一呼吸置いてから再度警告を交え確認した。

「観月、もう一度言う。今ここで記憶を消した方がいい。これで終わったわけじゃねえんだ」

 とりあえず片が付いたとはいえ、この先狙われる危険は皆無ではない。従者に襲われる恐怖は観月も身に染みて分かったはず。それでも彼女は迷う素振りさえ見せなかった。

「記憶は、消して欲しくない」

(……頑固者)

 引き下がるどころか、以前よりはっきりと意思を告げる。半ば予想通りの答えに、俺は複雑な思いで溜息を吐いた。

「あなたに一つ提案がある」

 いやに静かだと思ったら、いつの間にかナイは引っ込んでしまったらしい。穏やかな口調から、来に変わったのだと気付いた。こうなれば、観月の記憶を消す算段は完全にお流れ。

「私たちの事務所で働く気はないだろうか。事務の人手が足りない」
「は? 聞いてねえぞ!」

 観月当人より先に俺の方が驚いて問い返す。来の話は完全に不意打ちだった。社員の採用に関してはスポンサーの許可が要るわけで、こちらに一言の相談もなく黙って根回しをしていたのがどうも釈然としない。もっとも俺が反対するに決まっているからこそ、何も言わなかったとも考えられる。

「観月が身内に入れば、私たちも守りやすい」
 
 そんな提案ができるのは、ナイと同じく来も彼女を守り通せる自信があるゆえだ。観月の方は正社員という待遇に惹かれたようで、すこぶる乗り気で目を輝かせていた。
 難色を示す俺の存在はまったくスルーされ、とんとん拍子に話が進む。スポンサーが付いているため、給料面は確かに一般の事務職に比べてかなり良いとは思うが。

「簡単に決めんな。危ねえ仕事だぞ」
「大丈夫。体力には自信あるよ」

 体力うんぬんではなく、邪神と積極的に関わり続けることに問題はないのだろうか。そう問いたくても、張り切る彼女に水を差すのは躊躇してしまう。
 今のバイトもすぐには辞められないだろうから、と具体的な入社日の打ち合わせをする社長様の横で、俺はずっと蚊帳の外だった。

 無理矢理渋面を作ってみても、結局のところ俺も意志が弱い。観月と離れずに済んだことを、心の底では喜んでいた。
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