逃げる以外に道はない

イングリッシュパーラー

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水編/訪問者は午後に

37.スタンブル・オン

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 誰もいない事務所で、私はあくびをかみ殺しながら、暇つぶしにタウン誌のページをめくった。
 来さんも視矢くんも危険区域の警戒に当たり、私は一人で留守番。二人に付いて行っても、かえって足手まといになる。事務関係の雑務はすべて片付いているし、依頼客の来訪も途絶え、するべき仕事がない。

(買い物にでも行こうかな)

 時間が余った午後は、帰りが遅い二人の為に夕食を作っておくことにしている。頼まれたわけではないけれど、暇すぎるのは辛い。食材の買い出しも、最近はほぼ私の担当だった。
 私はコートを羽織って外に出ると、『Out of Office』のサインを事務所のドアノブに掛けた。

 マンション・クラフトから、一番近いスーパーまで徒歩ニ十分。ここしばらく仕事が忙しく運動不足気味だったので、ウォーキングにちょうどいい。高級住宅が立ち並ぶ近隣に大きな店はなく、区立図書館の荘厳な建物が唯一のランドマークだ。

 帰りがけに本でも借りて行こうかと図書館の方に目をやる。ちょうどその時、建物から見知った人達が出て来たのに気付き、私は驚いて街路樹の後ろに隠れた。というのも、あまりにも二人の取り合わせが意外だったから。
 図書館から歩いて来たのは、来さんともう一人。ネクタイを締めたスーツ姿の来さんの横で、その人は風になびく長めの白い髪を鬱陶しそうにかき上げた。

(どうして、来さんとソウさんが……)

 ソウさんはスポンサーであるTFCの人で、事務所の担当者。会うこと自体不思議はなくとも、場所が図書館なんて明らかにおかしい。予定があれば、来さんは教えてくれるはず。第一来さんはソウさんを嫌っているのに。
 向こうからは垣根に遮られ、多分こちらの姿は見えていない。私は街路樹の後ろにじっとしたまま、近付いてくる二人の声に耳を傾けた。

「ノルウェーね。確実、それ?」
「TFCの極秘情報」
「ふーん」

 聞き取れたのはこれぐらい。雰囲気と口調から、ソウさんと会話していたのは来さんではなくナイだと分かり、ますます謎が深まってしまう。二人は図書館を出るとそれぞれ別方向へ向かい、私には漏れ聞こえたのが何についての話か見当もつかなかった。

 仕事のやり取りは来さんがメインで、こちらが呼ばない限りナイが出てくることはまずない。先日ソウさんが事務所を訪れた時も、ナイは表に現れなかった。

 邪神としての力の差ゆえに、ナイは来さんに気付かれず単独行動できる。たとえば内緒でナイがインターネットで高級スイーツを注文し、後で来さんにこっぴどく叱られたことも、これまで度々あった。

(もしかして、密談……?)

 今日ここでナイとソウさんが会っていたことを、来さんは知っているのだろうか。ナイが黙って何かをやっているのかもしれない。
 もやもやした疑念が頭に浮かび、図書館の前に立ち尽くす。そのうちに時計台が時刻を告げる音を聞いて、私ははっと当初の予定を思い出した。買い物をしてそれから食事の支度。事務所を長時間空けてはおけない。

 慌てて歩道を駆け出した途端、曲がり角で誰かとぶつかりそうになる。私は咄嗟に身を翻し、あわや正面衝突を避けた。

「す、すみません!」
「立ち聞きはよくないんじゃない?」

 すぐさま頭を下げると、聞き覚えのある声が上から降って来た。ぎくりとして顔を上げれば、ぶつかりかけた相手は先程図書館から出て来た人物の一人。
 ナイは赤味がかった瞳を向け、にやにや笑いを浮かべている。

「ご、ごめん」

 先程の謝罪と別の謝罪が私の口から滑り出た。覗き見していたことを認めるようなものだけど、嘘を吐いたところで元邪神に隠し事ができるはずもない。

「小夜は、なんでボクがソウと会ってたか、気になるんでしょ」

 言葉にしていないのに、心の声までしっかり聞こえてしまっている。取り繕っても仕方ないので、教えて欲しい、と私は正直に頷いた。

「とりあえず、買い物行こう。遅くなっちゃうでしょ。ボクも付き合うから」

 ナイは強引に手を引っ張って歩き出す。はぐらかすつもりなのか、いくら聞いても「あとあと」と言うばかり。私も追及を諦めて買い物を先にすることにした。
 足早に向かったスーパーの店内は、夕方のタイムバーゲンの真っ最中。レジ前にできた長い列をものともせず、ナイは平然と買い物カゴを手にして売り場へ入って行く。人混みが苦手な来さんと違い、ナイの方は世慣れている。

「甘いもの欲しいな」
「晩ご飯が先だってば」

 チョコレートやクッキーといったお菓子を欲しがるだけで、夕食のメニューを決めるのにナイの意見は参考にならない。

「麻婆豆腐はどう?」
「辛いのは、ヤだ」
「シチューは?」
「ホワイトソースならいい。具は野菜だけ」

 来さんは何でも食べてくれるけど、ナイは魚や肉は嫌いだと言って口を付けなかった。それゆえ食事の時は大抵、来さんが表に出ることになる。
 偏食が過ぎるとはいえ、肉類を嫌うのは邪神だった頃のおぞましい記憶のせいだと知ってしまったため、叱るわけにもいかない。

 私が野菜売り場でジャガイモや人参を吟味しているうちに、いつの間にか買い物カゴに大きなオレンジが四個入っていた。これはマーマレードを作って欲しいという、ナイの意思表示。

「今日は、作ってる時間ないよ」
「じゃあ、明日でいい」

 カゴの中のオレンジを指で突き、子供のように無邪気な表情を見せた。もっともこの無邪気さが曲者で、同時に子供の残酷さも持ち合わせている。

「ソウさんと会ってた理由、教えてくれたらね」
「ヒドイな、小夜は。いつもボクにばっか冷たいんだもん」

 私の交換条件に、ナイは口を尖らせて抗議する。冷酷な一面はあっても、今の彼は邪神ではなく、簡単に人間に危害を加えたりしない。従来のナイアーラトテップにこんな態度を取ったなら、おそらく瞬殺だろうけど。

 どうにか買い物を済ませてスーパーの外へ出ると、手から買い物袋がすっと奪われた。目を見張る私にナイが苦笑する。

「持ってあげる。普通は男が持つものなんでしょ?」
「……ありがと」

 邪神寄りの存在といっても、時折優しい。こんな風に気遣ってくれるところは、人間の男性と同じだ。
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