逃げる以外に道はない

イングリッシュパーラー

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致死的幻想【水編/side ソウ】

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 司門たちの事務所は、高級賃貸物件の一つマンション・クラフトの五階にある。TFCが決して安くない賃料を肩代わりし、連中を買い殺しにしている。

 俺は約束の時間より二時間余り遅れて、『司門特殊警備保全請負株式会社』のインターホンを鳴らした。
 もとより歓迎は期待していないものの、しばらくぶりの対面にも関わらず、司門はこちらに対する猜疑心の塊だった。もっとも以前に比べ、感情を見せるようになっただけましとも言える。

 あからさまに嫌悪に満ちた目を向ける高神は、相も変わらず。当然ながら、連中の外見は昔と同じまま。むしろ、二十七になった俺の方が年上に見える。
 時間の経過が感じられない事務所で、過去との大きな相違点を挙げるとすれば、新入社員の女がいることか。

「あなたは……」
「今日は二度目だな。そんなふうに驚かれるのは」

 アパートで会った不審者がTFCの一員だと分かり、観月は驚きと戸惑いの表情を浮かべた。

「小夜を知っているのか? ソウ」
「午前中に会ったばかり」

 さらりと答えると、司門が険しい目つきでこちらを睨む。かつては人形のように無表情だった男が、変われば変わるものだ。

「聞き捨てならねえな。抜け駆けして、それで遅れたってか」

 高神もまた嫉妬丸出しで、突っ掛かってくる始末。どうやら二人共、観月に好意を持っているらしい。
 確かにそこそこ可愛い容姿だが、特別美人というわけじゃない。おそらく二人を惹き付けるのは、彼女が纏う光の気だろう。
 本人が認識しているかどうかはともかく、彼女の内には魔を祓う力がある。闇に片足を突っ込んだ者なら、温かな光に焦がれるのは当然の性だ。

「悪かった。これは詫びだ」

 お怒りの男どもにクルムカカの入った紙袋を放ってやれば、観月も興味津々に見入っている。
 クレープを巻いたような形の焼き菓子クルムカカ。ノルウェーにいた頃、甘党の弟によく作ってやっていた。急いで焼いたにしては我ながら上出来で、まだ料理の腕は衰えていない。

「北欧のお菓子なんですね。クル……何でしたっけ」
「クルムカカ。気に入った?」
「はい」

 幸せそうにクルムカカを口に運ぶ観月に、こちらも気持ちが和む。一方で司門と高神の機嫌は下り坂の一途を辿った。
 連中はTFCについて、彼女にほとんど何も教えていなかった。情報までシャットアウトとは、過保護にも程がある。

「俺の呼び名は、ソウ」

 仕方なく俺は自己紹介から始めた。ソウという呼称も、シンもエイもコードネーム。TFCでは本名は明かさないことになっている。

「それから、敬語は使わなくていい」
「はあ……」

 敬語で壁を作られてもやりにくい。俺の提案に観月は曖昧な返事をし、その横から高神が口を挟んできた。
 
「ソウ! 小夜にちょっかい出すのはやめろって」
「話が進まない。私情を持ち込むな、高神」

 逐一食って掛かる保護者ぶりが、いい加減煩わしい。
 一喝すると高神は不承不承ようやく押し黙り、俺はやれやれと心の中で溜息を吐いた。

 水の従者が関わった今回の件を高神に任せるのは、ある意味危険だ。ただでさえ単純な頭が、クトゥルフ絡みとなれば、沸騰して暴走しかねない。
 それでもTFCになるべく介入して欲しくないので、司門と高神に動いてもらうしかなかった。

 漆戸良公園の『蒼の湖』に異界とつながる鬼門が開き、瘴気が流れ込んでいる。瘴気の影響で従者が街中のあちこちに湧き、クトゥルフの眷属もこちら側にやって来るようになった。
 今のところ湖周辺は結界で抑えられるとはいえ、鬼門を閉じないことには解決にならない。そして最大の問題は、鬼門を閉じる術がない点だった。

「なぜあなたが動く? わざわざノルウェーから帰国してまで」
「上からの辞令」

 司門は俺が日本に戻った理由を執拗に問う。裏があると察しているあたり、さすがに鋭い。
 至極もっともな俺の返答に、反論しないまでも納得はしていまい。

 司門はまだいい。しかし司門と別に存在する人格、ナイアーラトテップの力を受け継いだ化身の方は、こちらの魂胆などお見通しのはず。
 ナイは既に心を読んでいるだろう。反対する気ならすぐにも表に出て来そうだが、司門と入れ替わらないところを見ると、俺の目的に手を貸すつもりかもしれない。

(協力を感謝する、ナイ)

 口に出さずとも、頭で考えるだけでナイに伝わる。
 司門と高神が知ったら、反対するのは確実。事を進めるには時間が要る。





 漆戸良公園の鬼門に対して、俺ができるのは従者や眷属を外へ出さないよう結界を張る程度。外部に現れる従者までは手が回らないため、事務所に危険区域の警戒を要請した。
 邪神の眷属は、高神では手に余る。当面は俺が鬼門を抑えるとして、その後どうするかだ。

 取るべき策が定まらないまま、深夜日付が変わる頃、俺は漆戸良公園へ足を踏み入れた。
 昼間は人の多い公園も、夜は閑散としている。暖かい季節なら、木々の後ろで絡み合う男女をしばしば目撃する羽目になるけれど、この季節に薄着は無理で、徘徊する浮浪者もいない。

 冷たい大気の中、澄み通った蒼の湖はまだ美しかった。
 ここも放っておけば、ひと月持たずに湖水も瘴気でどす黒く変色する。

(高神も調査済みか。上等)

 周囲に漂う残留思念が、高神が湖付近を訪れたことを告げていた。水が苦手なくせに、よく近くまで来れたものだ。文句を言いつつ、すぐ動くところは信頼に足る。
 依頼を掛けた手前、こちらとしてもできるだけの仕事はしておかないと。

「出て来たら? いるだけ全て」

 俺の言葉を受け、湖水からボコリ、ボコリと黒い影が浮かび上がった。先日掃討したばかりだというのに、早くも三体いる。
 鱗のある肌と、カエルにも似た特異な面相を持つクトゥルフの眷属。『深きものども』と呼ばれる水棲種族だ。

 水の神性の力が強まったせいで、深きものどもも余計な力を与えられている。大きく裂けた口にぬめぬめとした赤い舌が蠢き、半人半魚の生物は人の言語ではない鳴き声を上げた。
 従順なクトゥルフの眷属は、敵に対して容赦がない。湖面から無数の針状の刃を作り出すと、弾幕のように刃をこちらに向けて一斉に放った。

 高周波の風切り音が、続けざまに唸る。俺は両腕を体の前で組み、浴びせられる針を薙ぎ払った。到底避けきれる数ではなく、全身を鋭い刃が突き刺し切り刻んでいく。
 生身の人間なら、骨まで貫通する水の針で体の内部から切断され、今頃肉片となって水中に沈んでいるに違いない。

「第一の門を抜けて、来たれ」

 上に伸ばした左手を深きものどもの方へ向け、俺は掌の先に門を開いた。
 体を襲う負荷に耐え、虹色の怪物を召喚し解き放つ。忌まわしい異形は深きものどもを覆い、ボリボリと音を立て残骸も残さず貪り食っていく。
 ものの数秒で食事を終えた虹色のものは、瞬く間に混沌の中へ還った。

 凄惨な殺戮を俺は眉一つ動かさず見つめていた。何度も目にした光景に感情は少しも揺らがない。代わりに、肉をこそぎ取られるような激痛が左腕に走った。

 立っていられなくなり、低く呻いて膝を折る。額から滴り落ちる汗が地に吸い込まれて消えた。
 身に着けた衣服はぼろきれ同然でも、体からは一滴の血も流れていなかった。どう足掻こうが力を使えば使うだけ、このざまだ。

 耐え難い痛みは徐々に引いていき、俺は安堵の息を漏らして立ち上がった。やるべきことを終えてからでないと、死ぬわけにもいかない。
 ふと司門の事務所に入った新入社員の顔が頭に浮かぶ。俺が目的を遂げるのに、彼女は役立ってくれるだろう。
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