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致死的幻想【水編/side ソウ】
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降り始めた雪は夜半には止み、次の日の朝みぞれに変わった。
TFCへ向かう途中、観月のアパートの方を回って行き、“あいつ” がいないか確認するのが俺の日課になっている。
しかし一度顔を合わせて警戒しているのか、向こうもそうそう姿を見せてくれない。
あいつの代わりに、アパート前の歩道にできた水溜まりから、腐敗臭が漂ってきた。朝だというのに、異形の水の従者が湧いている。
従者はじっと水溜まりに身を潜め、様子を窺っていた。どうやら、あいつが残した邪気に誘発されて現れたらしい。
落ちてくる雨粒は、水属性の魔にとって、力を活性化させる天からの贈り物だ。
濡れて額に張り付いた前髪をかき上げ、俺は水溜まりの方へ掌を向けた。
ところが、ちょうどその時玄関ドアが開き、傘を持った観月が外へ出て来た。腕時計を確認すれば、間が悪いことに、彼女の出勤時刻。
建物の階段の陰に隠れた俺は、観月が行ってしまうのを待つ。が、先に従者の方が動いた。
「やっ!」
観月の口から小さく声が上がる。黒い腐肉もどきの従者は、威嚇するように水のかまいたちを飛ばし、彼女は広げた傘で防いだ。
(いい反射神経だ)
思わず感心しつつ、俺は二撃目が来る前に彼女の前に出て、放たれた水の刃を己の身で受けた。この程度の鈍い刃では話にならない。とはいえ、観月に怪我をさせるのはまずい。
「ソウさん……!?」
「じっとしてろ」
観月の頭を胸に押し付け、彼女の視界を塞ぐ。俺は従者に向けて伸ばした左掌に力を集め、一つ二つと真空の刃を作り出した。切れ味は従者のかまいたちの比ではない。
見えない刃が従者を襲い、肉を切る音が大気を震わせる。四散した従者の断片は、掃除に手を煩わせずに済むよう、すべて異空間へと吸い込ませた。
「つッ……!」
後始末を終えた途端、左腕に激しい痛みが走る。吹き出した脂汗が雨と混じって顎から滴り落ちた。
観月に知られたくなくて、俺は漏れそうになる呻きをなんとか抑え込む。雑魚相手に力を使っただけでもこのザマとは。
「ちょっと待ってて」
そう言って、観月が部屋へ引き返した。すぐさま戻って来た彼女はタオルと傘を手にしている。
俺に傘を渡そうとするけれど、既にたっぷりと水を含んだ服や髪には今更だ。
「腕、怪我したの?」
平常を保っていたつもりが、痛みを耐えているのが観月にばれてしまった。心配そうな眼差しを向けられ、どうにも居心地が悪い。
「……いや。持病みたいなもの。じき治まるから……、構うな」
「ちょっと頭下げててね」
「おい! いいから……」
強めに拒否すると、あろうことか、彼女はこちらの頭を押さえ付け、強引にタオルをかぶせてきた。お節介なのはともかくとして、警戒心がなさすぎる。
俺は苦笑を漏らし、仕方なくされるがまま姿勢を低くした。
そのうち波が引くように激痛が和らぎ、詰めていた息を吐き出す。いつもならもっと時間が掛かるのに、今日は不思議と回復が早い。
(観月がいるせいか)
彼女はまだ自分の破魔の力を意識的に使えない。ただ無意識に発する力が周囲に影響を及ぼす。以前、児童公園の従者が一時的に人の心を取り戻したのはそれ故。
彼女は魔を退けると同時に魔を癒す。つまり、俺たちからすれば、毒でも薬でもある。
「観月も結構濡れてる」
「あ、いいよ! 自分で拭く」
俺は渡されたタオルで軽く頭を拭った後、水滴を落している観月の頭を押さえた。髪を拭く傍ら、ある意図をもって指先を動かす。
術を施すには絶好の機会だった。本人の了承なく行うのは禁じられているものの、そんなものは建前にすぎない。
蒼の湖の鬼門を閉じるため、そして俺自身の目的のために、観月には破魔の力を制御できるようになってもらわねばならない。
指先に気を集中させ、彼女の潜在意識に働きかける。表層から深層への経路を開き、アストラル体を強化する施術。
観月本人は頭を指圧され、マッサージをされているくらいの感覚だろう。気持ち良さげに目を細める彼女に、悪戯心が湧いた。
「知ってる? 頭には相手を意のままに動かす操心のツボがある」
「え、そんなのがあるの!?」
「あるわけない」
本気で慌てふためく様が可笑しくて、くっくっと笑ってしまう。そんな都合のいいものがあったら、とっくに使っている。くるくる変わる観月の表情は、見ていて飽きない。
やがて歩道を走って来る高神の姿が目に留まり、案外遅かったな、と俺は肩を竦めた。
高神は観月の周囲に常に結界を張り巡らせ、センサー代わりにしている。司門といいこの男といい、彼女に対してやたら過保護だ。
「……小夜から離れろ、ソウ」
保護者の片割れは、今にも殴り掛からんばかりの怒りを滲ませた視線で俺を睨み付けた。口先だけは立派だが、昨日従者とやり合った上、雨天の影響もあり今の高神の力は弱い。
高神が水を嫌う因果について、観月はどの程度知らされているのか。ハスターとの契約により、奴が老いることなく半世紀以上生きていることを、きっと彼女は知らない。
「風邪引くなよ、観月」
観月が高神に思いを寄せているのは、誰の目にも明らかだった。けれど、もはや人間でない高神は、彼女の気持ちに応えられまい。同じ身の上としては、同情しないでもないが。
唯一の希望は、観月の破魔の力。彼女の力がこちらの期待通りなら、高神も元の体に戻れる可能性がある。もっとも高神がそれを望めば、の話。
自らの意志で人の道を外れた以上、奴にも果たすべき目的があるだろう。己の身や心を犠牲にしても、譲れない決意が。
雪とも雨とも言えないけぶった天候の中、あれこれの感情に蓋をして、俺は二人の前から走り去った。
TFCへ向かう途中、観月のアパートの方を回って行き、“あいつ” がいないか確認するのが俺の日課になっている。
しかし一度顔を合わせて警戒しているのか、向こうもそうそう姿を見せてくれない。
あいつの代わりに、アパート前の歩道にできた水溜まりから、腐敗臭が漂ってきた。朝だというのに、異形の水の従者が湧いている。
従者はじっと水溜まりに身を潜め、様子を窺っていた。どうやら、あいつが残した邪気に誘発されて現れたらしい。
落ちてくる雨粒は、水属性の魔にとって、力を活性化させる天からの贈り物だ。
濡れて額に張り付いた前髪をかき上げ、俺は水溜まりの方へ掌を向けた。
ところが、ちょうどその時玄関ドアが開き、傘を持った観月が外へ出て来た。腕時計を確認すれば、間が悪いことに、彼女の出勤時刻。
建物の階段の陰に隠れた俺は、観月が行ってしまうのを待つ。が、先に従者の方が動いた。
「やっ!」
観月の口から小さく声が上がる。黒い腐肉もどきの従者は、威嚇するように水のかまいたちを飛ばし、彼女は広げた傘で防いだ。
(いい反射神経だ)
思わず感心しつつ、俺は二撃目が来る前に彼女の前に出て、放たれた水の刃を己の身で受けた。この程度の鈍い刃では話にならない。とはいえ、観月に怪我をさせるのはまずい。
「ソウさん……!?」
「じっとしてろ」
観月の頭を胸に押し付け、彼女の視界を塞ぐ。俺は従者に向けて伸ばした左掌に力を集め、一つ二つと真空の刃を作り出した。切れ味は従者のかまいたちの比ではない。
見えない刃が従者を襲い、肉を切る音が大気を震わせる。四散した従者の断片は、掃除に手を煩わせずに済むよう、すべて異空間へと吸い込ませた。
「つッ……!」
後始末を終えた途端、左腕に激しい痛みが走る。吹き出した脂汗が雨と混じって顎から滴り落ちた。
観月に知られたくなくて、俺は漏れそうになる呻きをなんとか抑え込む。雑魚相手に力を使っただけでもこのザマとは。
「ちょっと待ってて」
そう言って、観月が部屋へ引き返した。すぐさま戻って来た彼女はタオルと傘を手にしている。
俺に傘を渡そうとするけれど、既にたっぷりと水を含んだ服や髪には今更だ。
「腕、怪我したの?」
平常を保っていたつもりが、痛みを耐えているのが観月にばれてしまった。心配そうな眼差しを向けられ、どうにも居心地が悪い。
「……いや。持病みたいなもの。じき治まるから……、構うな」
「ちょっと頭下げててね」
「おい! いいから……」
強めに拒否すると、あろうことか、彼女はこちらの頭を押さえ付け、強引にタオルをかぶせてきた。お節介なのはともかくとして、警戒心がなさすぎる。
俺は苦笑を漏らし、仕方なくされるがまま姿勢を低くした。
そのうち波が引くように激痛が和らぎ、詰めていた息を吐き出す。いつもならもっと時間が掛かるのに、今日は不思議と回復が早い。
(観月がいるせいか)
彼女はまだ自分の破魔の力を意識的に使えない。ただ無意識に発する力が周囲に影響を及ぼす。以前、児童公園の従者が一時的に人の心を取り戻したのはそれ故。
彼女は魔を退けると同時に魔を癒す。つまり、俺たちからすれば、毒でも薬でもある。
「観月も結構濡れてる」
「あ、いいよ! 自分で拭く」
俺は渡されたタオルで軽く頭を拭った後、水滴を落している観月の頭を押さえた。髪を拭く傍ら、ある意図をもって指先を動かす。
術を施すには絶好の機会だった。本人の了承なく行うのは禁じられているものの、そんなものは建前にすぎない。
蒼の湖の鬼門を閉じるため、そして俺自身の目的のために、観月には破魔の力を制御できるようになってもらわねばならない。
指先に気を集中させ、彼女の潜在意識に働きかける。表層から深層への経路を開き、アストラル体を強化する施術。
観月本人は頭を指圧され、マッサージをされているくらいの感覚だろう。気持ち良さげに目を細める彼女に、悪戯心が湧いた。
「知ってる? 頭には相手を意のままに動かす操心のツボがある」
「え、そんなのがあるの!?」
「あるわけない」
本気で慌てふためく様が可笑しくて、くっくっと笑ってしまう。そんな都合のいいものがあったら、とっくに使っている。くるくる変わる観月の表情は、見ていて飽きない。
やがて歩道を走って来る高神の姿が目に留まり、案外遅かったな、と俺は肩を竦めた。
高神は観月の周囲に常に結界を張り巡らせ、センサー代わりにしている。司門といいこの男といい、彼女に対してやたら過保護だ。
「……小夜から離れろ、ソウ」
保護者の片割れは、今にも殴り掛からんばかりの怒りを滲ませた視線で俺を睨み付けた。口先だけは立派だが、昨日従者とやり合った上、雨天の影響もあり今の高神の力は弱い。
高神が水を嫌う因果について、観月はどの程度知らされているのか。ハスターとの契約により、奴が老いることなく半世紀以上生きていることを、きっと彼女は知らない。
「風邪引くなよ、観月」
観月が高神に思いを寄せているのは、誰の目にも明らかだった。けれど、もはや人間でない高神は、彼女の気持ちに応えられまい。同じ身の上としては、同情しないでもないが。
唯一の希望は、観月の破魔の力。彼女の力がこちらの期待通りなら、高神も元の体に戻れる可能性がある。もっとも高神がそれを望めば、の話。
自らの意志で人の道を外れた以上、奴にも果たすべき目的があるだろう。己の身や心を犠牲にしても、譲れない決意が。
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