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僕は何度も君を失った

そして僕は抗い続けた

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 僕は直ぐに部屋を飛び出し医者を呼ぶようにマイヤに言った。そして診察を終えた医者は呼び出した僕に『奥様はご懐妊なさっておいでです』と告げた。

 「何か、何か異常はないのでしょうか?子が流れてしまう可能性は?この子は無事に育つのですか?」

 医者はおやおやと言うように片眉を引き上げて僕を見た。

 「確かに可能性がないわけではありません」

 ゴクリと喉を鳴らし頷いた僕に医者は続けた。

 「妊娠初期の流産の原因はほぼ胎児にあるのです。いくら安静にしていても、この時期の胎児というものは非常に不安定でしてね。芽を出した草花が訳もなく萎れ枯れてしまう事があるように。ですが、今からそんなに心配なさっては奥様も気にされてしまいますよ。余計な不安を煽ることは母体にとって良いことではありません。どうぞ心穏やかに」

 諭すようにそう話す医者に僕はぎこちなく笑い返した。

 寝室に戻ると青白い顔の彼女が重ねたクッションに背中を預けている。そう、あの日と同じように。

 「……体調はどうだ?お腹は痛まないか?」

 探るようにそう言う僕を彼女は不思議そうに見返した。

 「痛みなんてないわ。産まれるのはまだまだずっと先だもの」
 「そりゃそうだけれど……」

 僕は大きく息を吐き出しベッドの縁に腰掛けて彼女の手を取った。

 「当分僕の見送りはしなくて良い。出来るだけここで大人しくしているんだ」
 「でもね、先生は吐き気がない時は無理のない程度で動いた方が気分転換になるって仰ったの。だから」「お願いだ!」

 荒々しく言葉を遮った僕を彼女は訝しげに見つめ、『わかったわ』と寂しそうに言った。それからごそごそと身体を丸め頭まですっぽりと毛布を被ってしまう。

 「ゆっくり休んで」

 寝室を出るときに声を掛けた僕に彼女は何も答えなかった。



 それ以来、彼女は殆んどベッドを降りることなく横になっていた。

 ーーこれで大丈夫、お腹の子は無事に大きくなり元気に産まれてくる、そして僕らは今度こそ世界で一番幸せな家族になるんだ

 僕はそう信じることで胸に広がる不安を打ち消そうと必死になっていた。


 それなのに……。

 僕はまた、血塗れのベッドを前にして立ち竦んでいた。
僕は再び彼女を失ってしまったのだった。

 
 
 『リーンドーン……リンドーン……』

 葬儀を終わりを告げる筈の鐘の音。

 聖堂から出た僕の瞳には舞い散る色とりどりの花弁が映っている。

 呆然とする僕に寄り添う彼女はウェディングドレスを纏い、神々しいばかりに美しい。

 ーーまたか……

 僕は汗ばんだ手をぐっと握った。これは幻覚なんかじゃない。僕の時間は間違いなく巻き戻ったのだ。

 
 
 「僕らの結婚に愛は無い。君と気持ちを通わせるつもりも無い。君と結婚したのは公爵夫妻から持ち掛けられた縁談を断れなかった、それだけの事だ」

 寝室で待っていた彼女を見るなり、僕は冷たく言い放った。

 「そんな……」

 見開かれた彼女の目からぽろぽろと涙が溢れ頬を伝い落ちる。でも僕は黙ってそれを見下ろしていた。

 「……跡取りは……どうなさるのです?」

 振り絞るように出された彼女の小さな声に僕はせせら笑った。

 「跡取り?わかっていないのか?跡取りは僕の血が流れてさえいれば良いんだ。誰の腹から生まれて来ようと構わない。母親の名前を君にすれば済む話だ」

 彼女は崩れ落ちるように踞って嗚咽を押し殺していたが、ふと顔を上げ、ポツリと言った。

 「誰かいらっしゃるのね」
 「物わかりが良いのは助かるね。これからもそうしてくれ。グズグズした女は煩わしくて苦手なんだ」

 無表情なまま淡々と話す僕を映す彼女の瞳には絶望が浮かんでいた。ノックする音に僕が応えドアが開けられると、彼女はそこに立っていたマイヤに定まりきらない視線を移した。

 「……客間の用意が整いました」

 マイヤの声は抑えきれない怒りに震えている。だが彼女はそんなマイヤににっこりと笑い掛けた。まるで天使のような優しい笑顔で。

 「ありがとうマイヤ」

 俯いて両手を握りしめたのはその震えを僕に見せまいとしたからなのだろう。そして彼女はふわりと立ち上がり『お休みなさいませ』と言って深々と頭を下げ、マイヤに支えられるようにして出て行った。

 足音が遠ざかると僕はふらふらとベッドに倒れ込んだ。
取り乱し僕を責め罵っても何の不思議もないというのに、こんな扱いを受けているにも関わらず彼女は気丈に振る舞った。そうしながらも彼女はどれ程傷ついてただろうか?どんなに苦しみ悲しんでいただろうか?

 それでも今の僕はこうするしかない。彼女を失わない為にこうするしか。

 それなのに、僕はまた彼女を失った。

 茶会に行った彼女はそのまま戻らず、翌日御者やマイヤと共に変わり果てた姿で見つかった。自分を護るはずの護衛騎士に抱き締められながら。

 騎士は僕に蔑ろにされている彼女を哀れんでいた。それはいつしか愛に変わり、強く彼女を求めるようになっていた。

 とうとう気持ちを隠すことに耐えられず想いを告げた騎士を彼女は拒絶した。だが騎士は諦められなかった。どんな手段でも構わない、自分の物にしたいと望んだ。

 そして彼女は殺された。

 彼女を抱き締めたいという、それだけの理由のために。

 僕はまた、彼女を失ってしまったのだった。

 

 

 

 
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