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愛して欲しいとは思いません
私 夢を見たような気がします
しおりを挟む「僕は自分勝手に自分の気持ちを押し付けてばかりいた。反省しているよ」
「そうして貰えないと困るわ」
『皆に叱られて大変だったのよ』と零すとマックスはフフッと小さな笑い声を上げた。
「僕もだよ。フローラの求心力は本当に凄いね。僕はすっかり孤立無援で寂しいものだ。誰一人味方がいないんだから」
皆から責められ針のムシロだったんだろう、その言い方には計り知れない実感がこもっていた。何だか気の毒になって思わず身体を起こすと、マックスは背中を支えて寄り掛かれるように枕を積み重ね、そしてまた離れていった。
『ありがとう』と言うとマックスは淋しげに微笑んでふるりと首を横に振った。
「ずっと側にいてくれたんでしょう?気が付くといつもマックスが私の手を握っていたわ。それに魘される度に抱き抱えてくれたってマイヤが……」
「僕にはそれしかできなかったからね」
それきりマックスはぼんやりとランプを眺め、私はそんなマックスの横顔をじっと見ていた。どれくらいそうしていただろう。不意に顔を上げたマックスの瞳は揺らぐ気持ちを表すように暗く陰っていた。
「ねぇフローラ、一つ聞きたいんだけど。けれども話したくなければ無理しなくて良い」
「何のこと?」
「君、泣いていたんだよ……ラベンダーは危ないって。お母様は知らなかったって。あれは単なる夢だったの?」
……そう言えば、そんな夢を見たような気がする。お母様が死んでしまったあの時の夢を。
「なんて言うか、夢といえば夢を見たんだわ。まだ小さい頃の夢……」
「体験したことを夢でなぞった、そういうことかな?」
私はこくりと頷いた。
「本当にラベンダーのせいなのか、はっきりしたことは知らないわ」
それでもお母様の最後を思う時、私は必ずあの香りを思い起こすのだ。お母様の部屋に立ち込めていたラベンダーの香りを。
∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗
小さかった私はこんなものだと思っていたが、お父様は留守がちな人でたまにしか家に居なかった。『それなのにこの頃ずっとおうちにいるのは何故だろう』と不思議に思ったのも束の間、またお父様は元通り家に居着かなくなった。そしてお母様がこっそりと涙を流すようになったけれど私にはその理由は判らなかった。
そのうちお母様は体調が悪いとお休みになることが増え、私は乳母から『お嬢様の弟様か妹様がお腹においでなのですよ』と教えられた。嬉しくてはしゃぐ私を見つめた乳母は、何故か哀しげに微笑んでいた。それだけではなくてお見舞いにいらしたライラおば様は何かに怒っていらした。そしてお母様はまた泣き腫らした目をするようになった。
そんなある日だった。
お部屋に会いに行くといつもは辛そうに青い顔をしていたお母様がにっこりと笑って私を抱き締めてくれた。
『お父様がラベンダーの香油を送って下さったの。気分が良くなるようにって』
そう言って指差した先には沢山のアロマランプに火が灯されていて、リボンをほどき中を覗かせてくれた枕元のサシェには紫色の小さな蕾がぎっしり詰まっている。
『これがラベンダーのお花。爽やかでとっても良い香りね。それにラベンダーのハーブティも有るわ。水を飲むのにも苦労していたのにこれは喉ごしが良いから助かるのよ』
爽やかで良い香り、お母様はそう言うけれど私はあまりにも強いその香りに頭がくらくらしていた。お母様は慌てて私を外に連れていくように乳母に頼み、最後に私をぎゅっと抱き締めた。
私が大好きだったお母様の香りはラベンダーに覆い尽くされて消えてしまっている。外に出た私はそれが悲しくて泣きじゃくりながらお母様のお部屋の窓を見上げていた。
それでも気分の良さそうなお母様の様子に安心した私はその夜はぐっすり眠った。大変な事が起きていたなんてまるで知らずに。
『お腹の赤ちゃんはお空に帰ってしまわれたんですよ』
いつもよりずっと遅い時間に私を起こしにきた乳母からそう言われ、私は首を傾げながら窓の外に広がる空を見上げた。そこには白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
「赤ちゃんはあの雲の上に乗っているのかしらね?」
私の頭を撫でながら乳母はさりげなく涙を拭った。『安らかにお休みになっておいでですよ』と言いながら。
∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗
「偶然……知ったのよ。妊娠初期はラベンダーは控えた方が良いって」
本当は偶然なんかじゃない。二度の懐妊、その時に届けられたラベンダーの香油で私はあのお母様のお部屋の香りを思い出したのだ。
香りと記憶は結びつき易いと聞いたことがある。初めにラベンダーの香りを嗅いだ私はお母様の事を思いだし、本能的に遠ざけたくなって直ぐに処分するように頼んだ。二度目は瓶を開けることすらもなくマイヤに渡した。だから私が流産してしまったのはきっとラベンダーとは無関係だ。
でもお母様はどうだろう?
ラベンダーの作用だったかどうかはわからない。その後の巻き戻りで散々調べてみたけれど危険だという見方も有れば問題ないというものもあった。けれどもあの部屋に満ちていたラベンダーの香りには明らかな悪意が込められていたのだ。
『お父様が贈って下さった』とお母様は言った。でも愛人の元に居たお父様はそんなことはしていなかった。
あのラベンダーは、お父様の名を騙って送りつけられたものだったのだ。
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