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アンネリーゼ
月明かり
しおりを挟む唇を引き結んだリードが見ているのは私の目でも鼻でもない、口より顎より首よりももっと下……
「妃殿下ッ!ほ、ほらほら、冷えてまいりましたから一枚羽織りましょう。ね、ねっ!」
リリアに包み込むようにガバっとガウンを被せられ、ようやく私は自分がどういう姿なのかに思い当たった。スッケスケ……ではないけれどそこそこ薄くて柔らかい布地のキャミソール型のナイトウエア。リードの視線が停止していたのは露出控え目の服ばかり着ているせいで公になった事なんて一度もなかった胸元、というよりもピンポイントに実は結構くっきりはっきり存在している胸の谷間で……
カクシュールではなく丸襟で可愛らしいデザインのガウンの襟元をきっちりとリボンで止め、更にリボンをぐぐっと絞めてからリリアは一礼してその場を離れた。そして自分の視線が何処に向いていたのかほぼほぼ間違いなくバレていると察知したリードは、白々しくそらした視線を彷徨わせている。
胸の谷間なんてグランドキャニオン級のエレナ様のお持ち物を毎日毎日見飽きるほどご覧になっているでしょうに、それなのに何故かリードは見る見ると顔を赤らめて横を向いてしまい、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか唇を噛み締めたまま黙ってしまった。
私は訝しげな顔で『この人は何しに来たのかしら?』と声には出さずに尋ねたが、リリアも『さぁ?』と首を捻っていた。
「あの……どうかなさいまして?」
と聞いてはみるけれどもよ?『どうしてエレナを追い返した!』とか言われるんだよね……と身構えていたんだけど、リードは黙って私を見つめている。
いつかどこかで見たことのある悲しい縋りつくような瞳は……
馬車の中だと気が付いたのとリードが私の手首を掴んだのは同時で、リードはグイグイ私を引っ張ってバルコニーに出ると追ってきたリリア達を追い払うようにガラスの扉を閉めた。そしてまた手首に力を込められた私は連行されているみたいな心境で手摺の前まで連れて行かれた。
くるんと向きを変え手摺を背にして私を立たせたリードは荒っぽい音を立てて私の両脇の手摺に手を付き鼻がくっつきそうな距離まで顔を寄せながら言った。
「この場所で二人で月を見たことを覚えている?」
「…………えぇ、まぁ……」
ち、近い。近すぎる。同じ超絶美型でも兄さまなら何ともないのに、それにアルブレヒト様だってほぼほぼ同レベルのクオリティでは有るのに。それでもあの二人ならどんなに接近しようとだからどうしただけど、何故か今私の心拍数が跳ね上がっている。
とにかくこの距離感を修整しなければと両手でリードの胸を押してみようとしたんだけれど、一ミリたりともどうにもならず自分が仰け反っただけで非常に苦しい。
「満月の約束は?」
「……えぇまぁ……殿下が帰国されるまでは毎月欠かさずに……履行していました」「履行?」
声に温度があるのならこの一言はいきなりの氷点下だと思う。今まで聞いたことがない甘ったるく生温い声からの氷点下。
「まるで義務みたいな言い方だな。目に浮かぶようだ、リセが少しの感情の起伏もなく冷静に観察でもするみたいに冷たい目で月を見上げている姿が」
「そんなことは……」
「だったら僕のことを思ってくれていたの?」
リードはまた私の瞳の中に何かを探している。そして私は漸くリードの様子のおかしさがただ事ではない理由に思い当たった。月明かりだけのバルコニー。リードは今『悪魔の鏡』の枷から外れ自分を取り戻しているんだ。
と、いうことは、兄さまが言った通りこれが本当のリードで今でも……。
私は返事の代わりに目を逸した。離れていた四年間、満月の夜になるとあの夜と同じ時間にここで月を見上げた私はリードのことを思っていた。それは嘘偽りなく断言できる。でもそれでもやっぱり……
『見つからないわ……』
リードを想うわたしの胸の中に何があったのか、私の心の何処を見回しても見当たらない。代わりに見えるのはあの弱々しい線香花火みたいな淡い火花だけで、私の胸は得体の知れない切なさでキュウキュウと音を立てて軋んだ。
フラりと力を無くした私の身体をリードが支え、そのまま腕の中に包み込む。そして私の頭に頬を押し当てた。
「リセ、僕は嬉しかった。理由なんかどうでも良いんだ、リセが僕の側を離れない、そう決意してくれたってことが。王太子妃としての義務と責任で決めたのは解ってる。でもそれが全てじゃないって……僕の……リセを悲しませ苦しめているばかりのこんな僕の為でもある……エタイはそう言っていた」
リードの声が沸騰してしまいそうな激しい熱を帯び、抜け出そうともがいた私を抱き締めている腕に力が込められた。
「リセ。君は間違っている。もしもいつか誰かが僕の心臓に刺さった鏡の欠片を溶かしたとしても、僕が愛するのは君だけだ」
「でも……でも私は」
「良いんだ。何かを封印したしたのはリセを苦しめた僕を拒絶するためだったんだろう?リセに愛されないのも自業自得だ」
私の頭を抱え込むようにしたリードは耳元に口を寄せて囁いた。
「だけどね、リセ。僕は君には想像すらつかないくらい執着心の強い人間だ。僕は何があってもリセを手放したりしない。いや、できないんだ。だって僕は君なしには生きていけないんだから」
「リードは良いの?それで貴方は幸せなの?私にはそうは思えない。リードを幸せにできるのはいつかその鏡の欠片を溶かしてくれる人よ。貴方を想い貴方の為に涙を流し私にはできない奇跡を起こす人がきっと現れる。それまでは私が側にいるわ。だけど鏡の欠片が溶けたなら」「リセ!」
リードはより一層腕に力を込め、咄嗟に息を呑み言葉を無くした私の耳にはまるで自分をせせら笑うようなリードの力ない笑い声が聞こえてきた。
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