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【第二部ダイジェスト】王太子視点
16 緋色の僧衣と黒真珠 (幕間)
しおりを挟むエルドランがまもなく聖堂に到着するという。
彼は教皇特使として、教皇の密命を帯びてやってくる。
つまり、ランスの大司教位に、教皇の手下をつけるのが目的でやってくるのだ。
そのために教皇のカルタまで持たされている。
よほどのことがない限り、この書状が効力を発して、教皇の手下が大司教の座につくだろう。
――そう、よほどのことがない限り。
クァイツにできるのは、これへの反論に使える法的根拠を用意しておくことと、できる限り教皇と参事会を上回る資金を調達してゴリ押しをしきってしまうことぐらいだ。
エルドランから事前におおまかな中身を知らされていたから、お抱えの法学者集団に検討させる時間も十分にあったし、資金についてもまあまあどうにかなりそうだ。
学者たちはいい仕事をしてくれた、と思う。
なによりも彼らのやる気が違った。
男ならば誰でも権威に対するあこがれは持っているものだ。
王子の嫁だか愛人だかの正統性についてああだこうだ言い合うよりも、司教座の叙任権を左右する、といったような、スケールの大きい謀略話のほうが、彼らにとっても夢があって面白いらしい。
――あの王太子、ただのアホじゃなかったんだ、よかった!
そんな声なき声さえ聞こえたような気がした。
さておき。
エルドランが聖堂入りする前日、外で待ち合わせた。
「ようやくお会いできるのですね。私の魔女さまと」
開口一番にそう言われた。
「いえ、書状さえいただければもう用済みですから、お帰りください」
冗談で返すと、彼は何でもないという風に笑った。
「つれないことを言うな」
「お土産はたくさん持たせてあげますね。教皇と一緒に召しあがってください。鮮度が落ちてはことですから一刻も早くご出発なさることをおすすめします」
「私が持ち帰りたい宝石は一粒だけだ」
クァイツは眉をひそめる。
冗談を言い始めたのは自分のくせに、同じく冗談で返しただけのエルドランの発言には、早々に耐えられなくなった。
「先に言っておきますが、彼女はもう私のものですから。あなたがたは罪もない人を裁くのに『異端は魂の姦淫』だとかなんだとかよく詭弁を弄してますが、現実の姦淫は私にも裁きを下せますから」
「分かっている」
「分かってないでしょう!」
エルドランはすこし笑った。
「盗られる心配をしているのか。友よ。君はこの国の至宝というべきあの黒い真珠に、通し穴をうがって繋いでおかなかったのかな。紐をしっかりと結んでおけば心配はいらないだろう。うまくできないのなら、通し方から教えてあげてもいいが」
クァイツはこれまで、どんなに屈辱的なことを言われても表面上は笑って受け流すぐらいの駆け引きはできるつもりだった。
なのに、もう取りつくろえる段階を過ぎている。
「ご心配なく。とっくに繋いでありますから」
不機嫌なのを隠せないまま、衝動的に言い返した。
「それよりも今は話し合うことがあるのではないかな」
冷静に返されてしまって、クァイツはさらにイラだった。
エルドランはなんだか笑いをかみ殺しきれていないようだし、確実に遊ばれている。
「……まず教皇の書状を確認させてください。写しを取って王宮に送りますから」
クァイツが頼むと、彼はそれ以上何も言わず、書状だけを無造作に放ってよこした。
「猊下のご尽力に感謝いたします」
どれほど悔しくてもけじめはつけなければならない。
クァイツがわざわざ立ち上がってかかとを合わせて敬礼をすると、エルドランは腰かけていた椅子にひじを乗せて、足を優雅に組み替えた。
「礼には及ばない。私は君をかしずかせるために力を貸しているのではないからね」
では、何のために彼がここまでしてくれているのか――
言われるまでもないことだったが、クァイツはあえて無視をした。
そんな扱いを受けても、エルドランは顔色ひとつ変えず、クァイツを責めもしない。
ごく当たり前の友人のように接する彼に、ただひたすら、強い劣等感を煽られた。
エルドランの余裕は自信から来るものだ。
サフィージャの恋人がクァイツであろうと、なんの障害にもならないと本気で思っているのだろう。むしろ少しくらいは紆余曲折があったほうが楽しいとさえ思っていそうだ。
まったく不愉快な男だった。
***
作業員が封蝋を壊さないよう慎重にはがして、わきに置いた。
これは書状の写しを取り終わったらもう一度同じ封蝋でふたをするためだ。
きれいにはがして、貼り直す技術というのがあるのである。
これで書状は未開封の状態を保てる。
カルタの内容に目を通す。
『空位の総大司教座、大司教座、そこに付随する司教座・教会・司祭館・修道院・小修道院、およびその位階と俸禄。聖堂参事会員職・聖堂参事会員の聖職禄。
それらすべての叙階にまつわる全権利、全采配権を、聖ペテロの権威に委ねられるものとして留保する。
それが在俗のものであるか、あるいは修道会に属するものであるかは問わず、さらにまた、選挙の選出によって占有されていても、その正当性に関わらず、われらの権威の同意なくしては誰も聖職者に聖別されるべきではない』
クァイツは神学の素養がないのでそちらはさっぱりだが、権力機構のぶつかり合いや法関係なら多少は行間が読める。
つまりこれは、教皇の許可がなければ勝手に聖職者を叙任してはいけない、という意味だ。
この書簡のどこらへんがまずいかというと、まず、現在あるいは未来のすべてにおいてこの書状は有効だ、という、カルタにはお決まりの例の一文が書いてあるところと。
さらに、こちらのほうが重要だが――
対象がランス管区に限ったことではない、というところに尽きる。
この書状一枚でも、理論上は世界中の聖職すべてに対して叙任権を主張できる。
いくらでも拡大解釈可能なのである。
この厄介な書状をどうやって攻略するかだが――
宮廷に文面の写しを届けさせれば、あとは学者たちがなんとかしてくれる。
クァイツは向こうからの連絡を待つだけだ。
その間に、別のことを片付けてしまわなければ。
***
クァイツは蝋板の中央に縦線を引いた。
――先日、市参事会から資金を引き出す約束を取りつけたばかりなので、ここらへんで必要そうな金額を再計算しようと思ったのだ。
まずは司教座が保有する財産。
右側に聖堂参事会の収入をガリガリと書き入れていく。質問をして、素直に教えてもらえるようなことでもなし、こればかりは外からおおまかな概算を出すしかない。
思いつく限り記入したあと、今度は左側にマイナスを書き入れていった。一番支出が多く、桁違いの金額がかかっていると思われる大聖堂の建設には市参事会も関わっているし、そちらの帳簿を見ればおおまかな費用は推測がつく。
あとは人件費と雑費だ。
収入から支出を差し引いた金額を見て、クァイツは蝋板を投げ出した。
――やっぱりどうあってもお金が足りない。
市参事会も味方に引き入れたことだし、これだけあればエルドラン抜きで、王宮だけでも選挙を掌握してしまえるかと期待した。
もちろんそんなことはなかった。
あいかわらず王宮はエルドランに頼らなければほとんど何もできない。
その事実が悔しく、はがゆかった。
――取り締まろう。
クァイツはかたく誓った。だいたい職を金で売買するという行為自体が問題だ。聖職売買もそうだが、宮廷の官吏の職も本当はお金でやり取りすべきではない。官吏は能力だけで取り立てるべきだ。
将来玉座についたらそうしよう。絶対にそうしよう。
八つ当たり気味にそう思った。
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