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【其の八「行水と罪状記しの墨汁と名指しの朱筆」】
天誅殺師 鴉ノ記
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「……首筋」
笑いをこらえながら、新谷が戀夏の左右の首筋を、交互に舌先でちろちろと舐め上げた。
「んっ、くふっ」
布団の上に組み敷かれた戀夏は新谷の両肩を押さえ、彼の顔を引き離そうとしたが、何故かいつもの尋常でない腕力が発揮出来ない。
「そいと……」
すすっ、と右の人差し指で戀夏の鎖骨から胸の谷間、へその下まで撫で下ろした。
「ひんっ!」
両腕が自由であれば、戀夏は両腕で体の前を両腕で必死にかばっただろうが、両手首を抑えつけられた戀夏の体は、背中を波打たせて、びくびくとうねっている。
「姐さん、意外と敏感やったとですね」
「あ、あたしが……不感症だとでも、思ってた……かよ……」
これもまた、精一杯の強がりだ。
「そげんこつやなかです。姐さんば、まうごつ百戦錬磨の身で、大しておなごと寝たこつばなかおいが、えっと触れたり舐めたりした程度で、こぎゃん反応すっとっとは、ばりうったまぐったけん」
「言いやがったなァ、てめぇ」
そのとき、戀夏が突然新谷に口づけをした。
それは軽く唇を軽く重ねた程度に過ぎなかったが、新谷は不測の事態に怯み、思わず戀夏の両手首から左右の手を離してしまった。
形勢逆転ーー。
ようやく元の腕力が戻った戀夏は新谷を押し倒し、宣言した。
「次は相舐めだよ、新谷ァ」
「あ、あい、なめ?」
新谷の頭には、魚のアイナメしか浮かばなかった。
「したことねェか? 椋鳥とか、巴どりとも言うんだけどさ、こういうのだよーー」
布団の上で仰向けになった新谷の上で、戀夏が体勢を入れ変えた。
「あぁ、おなごば上んなって、さかとんぼになるやつとですか。こいば、一度しかしたこつなかです……」
「さて、あたしがイくのと、あんたがどぴゅっとやるか、どっちが先かねェ?」
言うが早いが、戀夏は既に亀頭から先走りの透明な汁が滲んだ、新谷の、今まで見た有象無象の客の平均よりひとまわりは大きい男根を、一口に根元まで咥え込んだ。
「うっ、あ、姐さっ!」
戀夏はただ、舐めているのではない。
亀頭がのどに当たり、何度もつつかれるまで深く咥え込み、左右の頬で吸い上げ、顔と口腔を上下させながら、舌先で尿道をつつき、先走りの汁をすすっているのだ。
そのうえ、陰嚢を左右交互に指先で柔らかく揉み、ときにそれを唇に含んで転がすという、離れ技までやってのける。
しかし、新谷も男だ。さらに九州男児である。
新谷は、とっさに左唇を噛み締めた。
女に、戀夏に負けたくないーーというより、自分の方がより強い戀夏に悦楽を与え、よがりまくらせたうえで、先にイかせたい、という気持ちの方が勝っていた。
「姐さんのぼぼば、ばり濡れとっとですたい。ばってん……まだまだ、えーったこつ、なかばい」
【たっぷり濡れているが、まだまだこの程度では物足りない】の意味だ。
新谷は、戀夏の陰部に顔を寄せ、包皮が剥けて充血し、密やかに勃起した肉粒を唇にふみ、舌先で吸った。
「っ!?」
女のいちぱん敏感な場所をいきなり責めらられ、戀夏の下半身がびくんと跳ね上がった。
しかし新谷はぎゅっとくびれ、真っ平らな下腹ごと、戀夏の細腰を両腕いっぱいに抱え込み、顔の前に固定した。
「あ……らや、あんた……には、ぜってェ……負けねぇ……から……な、あたし……」
不甲斐なく、新谷の男根から口も手も外して鋭敏に反応してしまっても、戀夏は歯を食いしばって強がった。
もちろんそれは、自分が十三の歳から、夜鷹として舟饅頭として、長年に渡って身につけた、娼婦としての修行の成果の如き性技を、破られるわけには行かないという理由からではなかった。
戀夏もまた、自分の性技を駆使して新谷に悦楽の限りを与え、自分より先に射精して欲しいという、相手を愛しく思うあまり、口を
突いて出た台詞だった。
「ん……ふぅ……」
戀夏は口を解放し、その豊満な乳房で新谷の男根を左右からはさみ、柔肉と、ときに尖った乳首でこすり上げ、舌先で雁太を執拗に責め始める。
きっと、彼がこれまで寝た女達からは与えられたこともなく、感じたこともないだろう快楽を与えたくて。
ーーそれと同時に、次第にせり上がって来る射精感に耐えられず、新谷は無我夢中に戀夏の女の部分を責めた。
その気持ちは、戀夏と同じだ。
太く骨ばった右掌の指を、人差し指から挿れ、中指、薬指、小指と挿れ、激しく抜き挿しする。
残った親指は、その指の腹で肉粒を繰り返しこすり、刺激してーー。
「ん、ぁ、ぃ、イ、イく、イッちゃっ……」
声を押し殺して、先に絶頂に達したのは、戀夏の方だった。
しかし満足して気が緩み、そのわずか数秒後に、新谷は意図せずして、自分の男根を握り締めた戀夏の顔面いっぱいに、大量の濃い精液をぶちまけていた。
新谷は、ちり紙で自分の白濁の汚液にまみれ、胡座をかいた自分のひざの上に横向きに乗り、くたっとして左肩にもたれかかる戀夏の顔を丁重に拭いてやった。
「姐さんすまんとです、顔ば汚したうえに、その……続き、出来る余裕ば、なかたい……」
刻は既に、戌の刻、五ツ半間近。
根岸の寮に集まらねばならない、亥の刻四ツまでには、一回だけでも本番をする余裕は、ふたりーーというより、新谷にはなかった。
そしてふたりは忍び足で階段を降り、戀夏は裸に襦袢一枚を羽織っただけ、新谷は褌一丁という姿で、戀夏が一階の四畳半前にあるふたりの履物を両手に携え、勝手口から外に出た。
その直後、兎知平が暗闇の中で目を覚ました。
(へへっ、若けぇってのはいいねぇ、男と女の事後の匂いが、ぷんぷんしてやがった)
すぐ隣で寝ているお松を起こさぬよう、くくくっ、と笑いを押し殺した。
(しっかし、本番してくれねぇで助かったよぉ。この安普請の古屋で床ぁギシギシされてあはんうふんやられちゃ、わっちもまだ枯れちゃいねぇ身、堪ったもんじゃねぇ。ましてお松に喘ぎ声なんぞ聞かれた日にゃ、もうよぅ)
そのとき、お松がむにゃむにゃつぶやいて、掛け布団から派手にはみ出した。
(ははっ、寝相が悪りぃとこも、母親譲りだなぁ、おのぶよ)
兎知平は布団からはみ出したお松を布団の中に戻すのではなく、わざわざ娘の方に寄り添い、腕枕をし直すと、しっかり掛け布団を肩まで掛けてやった。
(さぁて、頼んますよ、新谷にお戀さんーー)
その頃、新谷と戀夏は裏庭の井戸端にいた。
ふたりの着物や帯は、井戸の隣の物干し竿にかけてある。
戀夏が先に井戸から汲んだ水で、新谷の精液がどっぷりかかった顔を洗い、汗と唾液にまみれた体を清め、愛液にまみれた股間から粘り気がなくなるまで、指を使って念入りに洗い落とした。
仕上げに、頭からざばりとひと浴び。
「ふぅっ」
下ろした濡れ髪をひと振りしてから、髪をねじって水気を絞ると、戀夏は黒ぽっくりを履き、全裸で井戸端に腰かけ、煙管を吸い始めた。
紅を指していなくともほの赤い、形のいい唇から、立て続けに紫煙が吐き出される。
しかも右足を井戸端に乗せ、左足を前に伸ばした恰好で、金色の恥毛も秘部も丸出しだ。
「あー、美味ェ。しかも夜風が気持ちいいや~~」
「姐さん、そげな恰好で体も拭かんとーー」
新谷が苦言を呈したが、彼自身も全裸だ。
「手拭いで拭くと、すぐ手拭いがびしょびしょになっちまって、気持ち悪りィんだよ。こうして夜風に吹かれてる方が、早く乾くんだ。あァ~こんなの、あたしが首尾の松を火場所(縄張り)に、舟遊びの客がヤってるとこ覗きに来てせんずりこいてる連中やら、客待ちの船頭相手に舟饅頭やってて『隅田の禰々子』って名乗ってたとき以来だねェ、こんなの」
「……」
井戸から汲み上げた水を浴びつつ、戀夏の昔語りを聞く新谷は、正直、心中穏やかではなかった。
首尾の松、とは、浅草御米蔵の五番堀と六番堀の間にある、隅田川辺りの松の呼び名だ。
花街の柳橋や、深川からわざわざ舟で吉原に通う富裕層の者、舟遊びの客達が多くこの川を利用し、中でも、舟遊びの男女客が床をともにしている間は舟から船頭を下ろし、その間、この松に舟を綱いでいるなど、艶めいた場所だ。
ちなみに『禰々子』とは、かつて常陸から下総を流れる利根川一帯を根城にし、関東中の河童達を配下に置いていたとされる、女河童の首領の名である。
「あんたさァ、水垢離でもしてんの? そんなに何度も何度も、気合い入れるみてェに水浴びてーー」
まさか、これまで戀夏の取った有象無象の客達に対して沸き上がってしまった嫉妬心を抑えるためだとは、口が裂けても言えない。
それにまだ、戀夏の肉体を征服していないことへの執着と、未練がましい肉欲が断ち切れない。
「……違うとです。黯の奴、盲な分、鼻と耳ばまうごつ利きますけん。汗と、姐さんの股露と、おいの精の匂いば消しとかんと、後で黯から、やっちゃせびらかされるったい」
ーー本来の目的はそれだったから、まったくの嘘ではない。
結局、十回以上も水浴びしてようやく煩悩を流し切った新谷は、手拭いで全身を拭き、物干し竿にかけていた褌を締めて、いつもの雲竜柄の着物を、きっちりと身にまとい、二本差しの姿に戻った。
しかし、戀夏はいまだ全裸のまま、煙管を噴かし続けていた。
「姐さん!」
「あいあい」
見るに見かねた新谷が一言強い口調で言うと、戀夏はようやく裸体に衣類を身にまとい始めた。
ーー薄桃色の着物を尻端折りにし、黒い股引を履き。
素足に、着物と同じ薄桃色の鼻緒の黒いぽっくり。夜風で乾いた茶色に金の筋が幾本も入った髪は右側に高く結い上げ、縮緬の切れ端で、きつく蝶結びに結んだ。
かたわらにいる新谷と手を繋ぎ、連れ立って根岸の寮へ向かおうとして、戀夏の右掌は虚空を握った。
「ん? 新谷ァ!?」
「申し訳なかですが、今夜ば、姐さんとは別ん道、行かせてもらうとです」
「はァ? あんでだよ」
「……な、何して、て……姐さんと一緒に行くんは……」
六尺もの身の丈の大男にはまるで似合わな過ぎる、左右の指先をこすり合わせ、うつむき加減にもじもじさせ、さらに顔を赤らめて、新谷はようよう口にした。
「こっぺの悪か、です……」
「は? こっぺ? 何それ?」
「長崎(くに)ん言葉で、『決まりの悪い』やら『こっ恥ずかしい』って意味ですたい」
その瞬間、新谷以上に戀夏の顔の方がより真っ赤になった。
「で、でけェ図体して、んなことでいちいち恥ずかしがって遠慮して、顔赤くしてんじゃねェよ! バーカ!」
新谷の返答に、戀夏は相変わらずの口の悪さを発揮すると、腕を伸ばして左手で新谷の髷をつかみ、右手でその頭をひっぱたいた。
そして、自分の顔の位置まで顔を持ってくると、紺青の瑠璃色に近い両眼を見開いたまま、新谷の唇にきつく吸い付き、素早く突き放した。
「じゃ、あたしはこっちから行くから! あんたはあっちから!」
言うなり、戀夏は【於多福屋】の裏木戸を飛び出した。
しばし走ったところで足を止め、胸の真ん中に右掌を置いた。
「ふざけんな、あの野郎……」
いつになく激しく胸の鼓動が高鳴っていたのは、実は新谷も同じだった。
新谷もまた、戀夏と同じ動作をしながら、彼は女慣れし過ぎていない自分の不甲斐なさを、ひどく恥じ、道端にしゃがみ込んで、頭を抱えていた。
しかし、今はこんな個人的な思いに悶々としている暇はない。
戀夏は右手の人差し指と親指の先を咥え、ヒューーィっと指笛を鳴らした。
寸分の間を置いて、芝居の黒子姿の男ふたりが前後を担いだ簡素な駕籠が、何処からともなく現れた。
黒子達は無言で戀夏にひざまずくと、戀夏もまた無言でうなずき、駕籠に乗り込んだ。
「ねェ黒子ちゃん達、あたし、上野広小路の『くわっちぃ』って琉球料理屋に野暮用があるんだよ。悪りィけど、いつもよりちょっと頑張ってくんない?」
戀夏の頼みに、黒子の駕籠かき達は途端に足を速めた。
そして新谷も、別方向から根岸に向かう駕籠に乗り込んだーー。
「戌の刻、五ツ半よりやや早し。誠に以て善きかな、善きかな」
根岸の寮に、【上野喰内サの四番】の組子達が、定刻より幾分早く集まった。
寮の門前で駕籠から降ろされると、黒子達は黒い紙製の人形(ひとがた)と化し、駕籠は一枚紙で作られた緻密な折り紙に姿を変えて、その場で自ら、跡形もなく燃え尽きてしまう。
人形を作るのは鴉、折り紙は暁の巫女。
そこにかりそめの命を吹き込むのは鴉であり、動力は巫女が、招集した組子らが寮に到着するまでの間ずっと唱え続ける、「トホカミエミタメ」の祝詞だ。
彼らを迎えるのは、門に寄りかかって腕組みし、片足をひざに絡ませて立っている鴉であった。
しかもこの男、四季を問わず一年を通して、組子らが来るまでの間、ひとりで手持ち花火を楽しむという、少々風変わりな趣味がある。
今晩もまた門の内側に、花火の火種にする蝋燭を乗せた笹舟を浮かばせた、たっぷり水を溜めた桶の中に、大量の花火の残骸が浮いていた。
【上野喰代サの四番】の壱、弐、参である滅黯、戀夏、新谷はーーこれは彼ら以外の組子達全員が、共通してそうなのだがーー鴉を先頭に、巫女を待つ、八畳の「下りの間」に通される。
下りの間の前と右には御簾がかけられ、左と後ろは縁端になっている。
三人が座っているのは、後方の縁端近くで、鴉は前の御簾の右側に座している。
縁端から見て、滅黯、戀夏、新谷という並びだが、襟を正して正座している男三人と対照的に、戀夏の右足は立てひざをつき、左足は胡座、さらに右掌を畳の上についているという姿だ。
だが、男達は誰もたしなめない。そうしたところで、戀夏がそれを直すことはないからだ。
ーーと、下りの間と上り(のぼり)の間の御簾が、内からも外からも誰の手にも触れられずに、すぅと上がった。
六畳の上りの間には神棚を前にして、暁に祈る巫女が、上は白、下は赤の袴という典型的な巫女装束で座していた。
そして、巫女の前には右に三段の取っ手がついた抽斗が備わった、縦二尺、横三尺ほどの文机の上に、鴉が丁重に摺った黒の墨汁と、朱色の墨が硯の墨池に深く湛えられた二枚の硯が横並びに置かれ、それぞれその横に、筆の根元まで真っ黒に染まった太筆、朱に染まった大筆が置かれていた。
「よう参った、上野喰代サの四番の組子ら。妾が顔を見やれ」
暁の巫女の顔には、両眼の真下から左右の頬にかけて、生きた黒いアゲハ蝶がその肌の中に貼りついていた。
ーー【うらみすだま】の憑依の証しだ。
「我ら第二が主、暁に祈る巫女様、御尊顔奉りまする」
滅黯が、巫女に向かって三つ指をついた。
そして続けて、
「『上野喰代サの四番』が組子。壱、弐、参。全員臨集(りんじゅう)にてございまする」
「宜しい」
「もったいぶってねェで、さっさとやっちまってくださいよ、巫女様ァ。あたしは今イラついてんでねェ!」
「姐さん!」
新谷が真っ先に戀夏の不機嫌丸出しな戀夏を制したが、戀夏は口を尖らせてそっぽを向いた。
しかし滅黯は無言で、巫女もまたいつもどおりの無表情を貫いたまま、戀夏のに気分を害する様子を微塵も見せす、鴉に至っては、実にひょうひょうとしている風だ。
不意に立ち上がった鴉が無言でその場を離れると、彼はどこからか、三枚の無地の屏風を持ってきた。
そして滅黯達が座す下りの間の中央に起き、三人を下りの間の御簾の下手に移動させると、鴉は下りの間の御簾の上手に移動し、右ひざを立て、左足は正座という恰好になり、左右のひざの上にそれぞれ掌を乗せ、さらに居住まいを正した。
「ではこれより【うらみすだま】が生前に怨み辛みを与えられし者どもの罪状記しと、指名の朱筆の記しの儀を始めるーー」
鴉が一言宣言すると、暁の巫女は鈴を鳴らすような声で、しかし朗々と唱え始めた。
「大祓詞」を。
「高天原に 神留まり坐す
皇が親 神漏岐 神漏美の命もちて
八百万の神たちを 神集へに
集へたまひーー」
その瞬間、黒く染まった筆が文机から浮き、墨汁の溜まった墨池に斜めに立ち、墨汁を吸うと、筆から墨汁を一滴もしたたらせることなく、すぅーーと、巫女が前方に突き出した右の人差し指と中指に操られ、一枚目の屏風に、恐ろしく達筆な文字をまっすぐにしたため始めた。
【うらみすだまが主 俗名 せん 齢十六 女】
「!?」
その一行に、戀夏が思わず身を乗り出した。
下谷山崎町ぜにごけ長屋在 縊死
生前に与えられし苦痛
其の壱 左の通り
武家の娘達
四人がかりの熱湯がけ 針刺し 裸踊り
犬追い の 責め苦
壱、首領 圓山安江 旗本家
弐、大鞆照代 御家人
参、畝崎蔵子 譜代席
肆、米堀弓 二半場
今宵 四人とも 根岸の寮内に在り
「言問ひし磐根 樹根立
草の片葉も言止めて
天の磐座放ち 天の八重雲を
伊頭の千別に 千別きて
天降し依さし 奉りきーー」
うらみすだま 生前に与えられし苦痛
其の弐 左の通り
四人がかりの輪姦 強姦 肛門姦 膣内肛門射精
壱、首領 本濱余三郎 御家人
弐、野平重太郎
参、村尾慎之介
肆、元岡祐之進
本濱余三郎 、野平、村尾、元岡、以上四名 今宵 上野広小路にて 酒盛り
尚 本濱余三郎は 小川町の拝領屋敷に帰宅
野平重太郎、村尾慎之介、元岡祐之進らは上野広小路より
蔵前へ梯子酒に参る
「新谷、なァこれ、おせんのことだろ? 何て書いてあんだよ!? おせんの一番の仇って、誰だよ!?」
文盲に近い戀夏は、いつも罪状記しを新谷に代読してもらっているが、それはいつも、罪状記しが終わり、さらに標的が朱筆で各自に定められた後のことだ。
「姐さん……それは……いつも通りに……」
「いいから読めっつってんだよ! 特に、おせんをいちばん酷い目に合わせた奴ら!」
まだ祝詞の途中だというのに、戀夏はすっくと立ち上がり、怒鳴りつけた。
暁の巫女は無表情のまま、ぴたりと唱えを止めた。
しかし、鴉にそれを咎める様子は微塵もない。
「お、おせんさんば、いちばん酷か目に合わせたとは……根岸の寮におる、武家の娘御どもですばい……」
「てめぇ、それ嘘じゃねェだろうなァ?」
自分の胸倉をつかみ上げ、真正面から問う戀夏に、新谷は強くうなずいた。
暁の巫女が、ふっと朱筆を浮かせた。
戀夏は文机に駆け寄って筆を奪い取ると、
「今宵 四人とも 根岸の寮内に在り」
と、
「うらみすだま 生前に与えられし苦痛 其の弐 左の通り」
の隙間に、れんげ、と書きなぐるや否や、朱筆を畳に叩きつけ、下りの間の御簾の手前から、無言で外へ飛び出して行った。
ーー上りの間と下りの間に、沈黙が流れた。
「新谷よ。妾はこの【うらみすだま】を最も辱め、痛めつけたは本濱なる者どもを初めとした男衆だと思うがの? 何ゆえに? あの雪血華の女を危険に晒しとうなくて、偽りを申したのかえ?」
あどけないのに、常に無表情な顔からさらに感情が失われたような顔つきで、暁の巫女が新谷に問うた。
「天に誓うて、それだけはなかとです、巫女様。ばってん、おいばーー」
新谷は、巫女に土下座しながら述べた。
「おいば男ですけん、ようわからんとですが、おなごにはおなごにしかわからん痛みばあると思うとです。やけん、姐さーーいえ、上野喰代サの四番ば組子、弐に託したとです。もし出過ぎた真似ばしたと思われたとなら、罰ば、おいが引き受けますばい、やけん、姐さんにば、姐さんにばーー」
「頭を上げよ、新谷」
鴉が、あっさりと言い放った。
「確かに、おなごの罪状人にはおなごにしかわからぬ痛みや苦しみを与える天誅殺を下すが、もっとも善きかも知れぬーーうかつであったの」
「目には目を、歯には歯を。おなごにはおなごの天誅殺師をーーでございまするか、巫女様」
「ふふふ、まさしくそれよ、鴉ぇ」
ふたりのやり取りに、背筋に薄ら寒いものを感じながらも、新谷はすぐさま身を起こし、ふたたび襟を正し、正座の体勢に戻った。
そのとき、それまで無言を貫いていた滅黯が、新谷に継いで頭を下げた。
「巫女様、お師匠様、申し訳ありゃぁせんが、筆硯をいっときお貸し願えませんでしょうか。出来れば、半紙を一枚頂戴致したくーー」
「よい。許してつかわす」
巫女が文机に座したまま、取っ手に手もかけず抽斗を開けると、そこから一枚の半紙を滅黯の前に置いた。
そして、すいと黒筆を滅黯の手元近くに移動させると、滅黯が何やらつぶやくと同時に、黒筆はその穂先で、口述筆記を始めた。
それが終わると同時に、赤い影が二筋、縁端から流星の如き勢いで下りの間に飛び込んで来たかと思うと、それは何かを綴った一枚の半紙を奪い取り、縁端からふたたび飛び去って行った。
そして暁の巫女は、大祓詞の祝詞の続きを、ふたたび朗々と唱え始めたーー。
その頃、戀夏は途方に暮れていた。
義憤に駆られて寮を飛び出したはいいが、肝心の目的地がわからない。
「んあーーっ、ちきしょっ!」
戀夏は、黒ぽっくりの底で地面を何度も踏んだ。
まるやまやすえ、なる旗本の娘がおせんの仇とはわかったが、行き先がわからない。
寮など、根岸には有象無象にある。
それにもまして、表札を出している寮など数少ない。
表札を出していたとしても、すべて漢字である。
文盲に近い戀夏に読むことは不可能だ。
「どこだよ、まるやまやすえって、ざぁけた女の居場所はっ!」
頭を抱えて、しゃがみ込む。
茶色に金の筋が入った頭髪をかきむしりそうになった寸前、戀夏の頭頂に、何か微妙に固い感触が降りた。
「ふぁ? って、九十九! 絽嬪!?」
反射的に立ち上がった戀夏の前で、二羽は小さな翼を羽ばたかせながら、嘴に咥えた、一枚の半紙を破ったものを戀夏に見せつけた。
「あねさんへ
まるやまやすえと
そのたのざいじょうにんの
いる りょうは
もんの みぎと ひだりにある
おおきな まつのきと
さかきと さざんかの かきねを
めじるしに
ひょうさつに 圓山 なる じ あり
めつあん」
「黯!」
圓山、という字は戀夏の目には記号か絵のようにしか見えないが、充分な手がかりだった。
「ありがと! あんたらの御主人様、すんばらしいお人だねェ~」
戀夏は九十九と絽嬪を左腕に止まらせ、二羽の赤い頭をまとめて頬ずりした。
「てか、鳥のあんたらに頼むのもアレだけど
ォ……あたし鳥目で、夜道ダメなんだわ。案内、頼める?」
それでしたら、我々がご案内致します、とばかりに、絽嬪が闇に煌々と光る夜光石を括りつけた組紐を嘴を使って後ろにまわし、戀夏の灯り代わりにして、二羽は戀夏の前を飛び始めた。
(門の左右にある大きな松……榊と山茶花の垣根……圓山……)
ーーその頃。何も知らない安江達は、寮の茶室で簡素な茶会を開いていた。
言うまでもなく、亭主は安江である。
正客は家柄順にお照、次客はお蔵、末客がお弓である。
扇子に席入り、床、釜の拝見も一切省略し、席中には瓶掛に鉄瓶を据えられ、鉄瓶の蓋は向こうを少し切ってある。
鉄瓶と安江の間に置かれた盆の上には、抹茶をはいた棗、茶巾、茶筅、茶杓を仕組んだ茶碗が乗り、安江はそこで薄茶を点ていた。
薄茶なので菓子は当然干菓子だが、干菓子を盛った器は溜塗の高杯であり、干菓子は安江が父にねだって、加賀藩御用司の店「森八」から取り寄せた、「長生殿」という高級品である。
末客であるお弓が薄茶を飲み終えると、右手の人差し指と親指で茶碗の飲み口を軽く拭うと、その指先を懐紙で拭き清めた。
そして茶碗を手前から向こう側へ二度戻すと、畳の緣(へり)の外に置き、拝見してから亭主の安江に返した。
「結構なお点前でございました、安江様のお点前には、いつも感服仕りまする」
四人を代表するように、正客のお照が述べると同時に、お蔵、お弓も揃って頭を下げた。
「ふふふ、私の祝言も間近。こうして四人で楽しめるのも、残りわずか。名残り惜しゅうてならぬわえ」
「あら、そのように申されましてもーー余三郎様との間では、秘密の御条約を交わしておられるのでございましょう?」
お蔵が、口元に袖を当てて忍び笑いを漏らした。
「それを言いやるか、お蔵。確かに、いずれ余三郎様との間にややが出来て、私が疲労した場合の休息の場として残してくれると約束して頂けたが……ふふっ」
「あら、いったい何でございます? 安江様。その含み笑いは」
お弓が不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく尋ねた。
「決まっておろうが、私は余三郎様を許嫁として、近く夫となる殿方として心よりお慕い申しておるが、余三郎様も私も、祝言を済ませ、夫婦(めおと)になろうと、夫と妻、ひとりの男と女相手では満足出来ぬ、放蕩と淫蕩の身ーー」
「『拙者以外の男の子胤を決して宿さず、姦通罪に問われぬ限りは、どこの誰と寝ようとて、いっこうに構わぬ』とは、何と懐のお深い殿方でございましょうか、本濱様は」
続けて、お照が褒めそやすと、
「何しろ、余三郎様は御家人の三男坊にして、唯一の御子息。御本人より、本濱のお義父様とお義母様の方が、御家の為になりふりかまっておられぬのよ。余三郎様が旗本家の婿に収まってしまえば、後家人の本濱家は縁戚の男子を養子に迎え、跡を継がせるとのこと。嫡男の兄上は病弱で幼い頃に亡くなられ、確か、次男に当たる兄上がおられると余三郎様からお聞きしたことがあるが、この兄上と言うのがーー」
ぷっ、くふふ、と、安江は笑いを堪え切れず、畳の上に手をついた。
「お義父様がお家の庭で試し切りの藁の束や畳を斬るのに、刃を晒せば怖いと泣き、武術の稽古をつければ、お義父様に投げられ足をかけられては転び、弟の余三郎様にさえ、敗れて泣いてばかり。町人の悪童にさえ喧嘩で勝てず、学問所から泣いて帰って来るなど、日常茶飯事だったとーー」
まぁ、とお照が笑い出すと、お蔵、お弓も立て続けに笑い出した。
「いつもお部屋に閉じこもって本を読んでばかり。それ以外はまるでおなごのように草花を育てることにしか御興味がなかったと。
そもそもその次男の兄上は、よき縁談に恵まれるようにと、娘が欲しいと願って産んだのにまた男とは、と失望され、確か、要らぬ、しくじった、をもじった名を付けられたとかでーーえぇと、何と申したか……」
「まさか、その次男の兄上様は、まだ本濱の家で冷や飯食いのままなのでございますか?」
正客の場から、安江にすす、とすり寄り、彼女の左腕にしがみついたお照が、媚びるように安江に尋ねた。
「それが、お義父様とお義母様、余三郎様が、何時からか次兄の兄上の存在そのものが疎ましいと辛く当たっていたら、気づいたら本ばかりを持って、書き置きひとつ残さず逐電していたと」
安江は、お照に両眼を見開いたまま、唇を軽く重ね、抱き寄せた。
お照の口から、はぁ、と軽いながらも艶めかしい吐息が漏れ、お照は安江に軽い口づけを何度も繰り返した。
「ーーお義父様お義母様も余三郎様も、後腐れなく消えてくれて助かったと申しておられた。私もそのような女々しい義兄を持たずに済み、助かったわえ」
「安江様ーーお照は濃茶やお高い菓子より、早くあのお道具を頂きとう存じまする」
「私も」
「……わたくしめも」
秘密めいた会話を交わすお照、お蔵、お弓は、それぞれ頬を染めていた。
「ほほほ、気持ちはようわかるが、皆、まだ気が早いぞえ。濃茶を飲むことで己の心身を昂らせてからの方が、うんと盛り上がると言い渡しておるにーー」
お照が、点前畳の奥に特別に造られた、小さな二枚の襖で閉じた物入れに、足をつま立て、両足のかかとを揃えると、右ひざから姿勢よく立ち上がって向かった。
まず襖の右側を開け、その中に置かれていた、畳紙に菊文様の蓋の、漆絵文箱を取り出した。
二重になっているその文箱の中には雲形の金梨子地の細工が施されており、その中からは、互形ーー女ふたりが閨で使う四ツ目道具がふたつ、よく磨き上げられて、細長い座布団のような敷きものの上に置かれていた。
そして、お照は右側の襖をきちんと閉めてから左側の襖を開け、そこから牡丹に小鳥文様の蓋の、大きな漆塗りの堆朱箱を取り出した。
御丁寧に、深い蓋の周囲には花菱文が二段に渡って彫り込まれている。
そのごうしゃ、蓋を開けると、そこからさらに、本来なら先端が二本の互形の先端を四本にした、竿の部分をやや長くした、特製の互形が現れた。
「我が大鞆家の年増の下女に金子を握らせ、内密に、代理で両国橋西詰の薬研堀は四ツ目屋長兵衛に通わせて造らせた、特注の品でございましてよ。あぁ、まず安江様と私、お蔵様とお弓様、安江は順にお蔵様とお弓様を貫いて、それから私はお蔵様とお弓様と。そして、最後は四人揃ってーー」
通常の互形と、変形互形を使った女同士の睦み合いを想像し、すでにお照の陰部は、愛液でどっぷりと潤み、腰をくねらせた。
お照ほどではないが、お蔵とお弓も、客畳に正座しながら、落ち着きなく腰をもじもじさせていた。
間違いなく彼女らの股も、じっとり濡れていることだろう。
ーーそこへ、薄茶点前の道具一式を水屋で片付け終えた安江が茶道口から現れ、、両手に濃茶点前用の、青地に瓢箪と烏瓜の葉と蔦が大胆に描かれた大ぶりな菓子器を持ち、貴人席の畳の緣の前に置いた。
お照は慌てることなく、しかしすべて元通りに、三種類の四ツ目道具を文箱と堆朱箱にしまい直すと、音を立てずに襖を閉めた。
決して慌てず早足になることなく、己が特等席である貴人席の畳の上に座した。
厳かに、静かに、濃茶の点前が始まった。
安江が濃茶を点て、その茶碗がお照に差し出された。
濃茶が出されれば、正客が茶碗を取ると、正客を筆頭に他の客達は総礼する作法に則り、お照を筆頭に、お蔵とお弓も、揃って亭主たる安江に総礼した。
お照が右手で茶碗を取ると、左掌に乗せて右手を添え、押しいただいた。
右手で濃茶を湛えた茶碗を二回右にまわし、後のお蔵とお弓の配分のため、四口半で濃茶を飲んだ。
「腹加減は如何ぞ、お照」
「結構でございます」
お照は左手のみ行につくと、残りの二口半を飲み終えた。
そうして、お照は茶碗を緣内に置くと、小茶巾で飲み口を拭い、丁寧に拭き清める。
ーー抹茶の緑の汚れが付いた小茶巾を左袖にそっと納めてから、お照は飲んだときと反対に、左に茶碗をまわした。
この間に、お照の次客のお蔵は既に、末客に当たるお弓に対し、
「お先に」
の挨拶を済ませ、お弓は頭を下げて、お蔵への返答に代えていた。
決して人目に触れることのない残虐な振る舞いを陰でどれだけ行っていようと、皮肉にも、育ちの良さは隠せないのだ。
お照が茶碗を左掌に乗せたまま、次客のお蔵に対して茶碗の正面が向くように手渡すと、お蔵は実に慣れた所作で、そのまま茶碗を左掌に乗せ、右掌を添えて、茶碗を両掌の内に携えた。
厳かに、静かに。恐ろしく性悪な武家娘達の茶席は夜の静寂(しじま)の中で、ゆったりと進んで行くはずだった。
だが、彼女らは夢にも思っていない。
その頃、巫女と鴉が控える寮の屋根の上で結跏趺坐をした鴉が、素早く九字印を組み、
「不動明王を讃える御真言にはーー」
前置きするように一言そう唱えてから、鴉は「不動明王御真言火界呪」を、一心不乱に唱え始めたことなど。
そして女に生まれた以上、この世で決して怒らせてはいけない、決して敵にまわしてはならない刺客が、既に身近に迫っていることもーー。
笑いをこらえながら、新谷が戀夏の左右の首筋を、交互に舌先でちろちろと舐め上げた。
「んっ、くふっ」
布団の上に組み敷かれた戀夏は新谷の両肩を押さえ、彼の顔を引き離そうとしたが、何故かいつもの尋常でない腕力が発揮出来ない。
「そいと……」
すすっ、と右の人差し指で戀夏の鎖骨から胸の谷間、へその下まで撫で下ろした。
「ひんっ!」
両腕が自由であれば、戀夏は両腕で体の前を両腕で必死にかばっただろうが、両手首を抑えつけられた戀夏の体は、背中を波打たせて、びくびくとうねっている。
「姐さん、意外と敏感やったとですね」
「あ、あたしが……不感症だとでも、思ってた……かよ……」
これもまた、精一杯の強がりだ。
「そげんこつやなかです。姐さんば、まうごつ百戦錬磨の身で、大しておなごと寝たこつばなかおいが、えっと触れたり舐めたりした程度で、こぎゃん反応すっとっとは、ばりうったまぐったけん」
「言いやがったなァ、てめぇ」
そのとき、戀夏が突然新谷に口づけをした。
それは軽く唇を軽く重ねた程度に過ぎなかったが、新谷は不測の事態に怯み、思わず戀夏の両手首から左右の手を離してしまった。
形勢逆転ーー。
ようやく元の腕力が戻った戀夏は新谷を押し倒し、宣言した。
「次は相舐めだよ、新谷ァ」
「あ、あい、なめ?」
新谷の頭には、魚のアイナメしか浮かばなかった。
「したことねェか? 椋鳥とか、巴どりとも言うんだけどさ、こういうのだよーー」
布団の上で仰向けになった新谷の上で、戀夏が体勢を入れ変えた。
「あぁ、おなごば上んなって、さかとんぼになるやつとですか。こいば、一度しかしたこつなかです……」
「さて、あたしがイくのと、あんたがどぴゅっとやるか、どっちが先かねェ?」
言うが早いが、戀夏は既に亀頭から先走りの透明な汁が滲んだ、新谷の、今まで見た有象無象の客の平均よりひとまわりは大きい男根を、一口に根元まで咥え込んだ。
「うっ、あ、姐さっ!」
戀夏はただ、舐めているのではない。
亀頭がのどに当たり、何度もつつかれるまで深く咥え込み、左右の頬で吸い上げ、顔と口腔を上下させながら、舌先で尿道をつつき、先走りの汁をすすっているのだ。
そのうえ、陰嚢を左右交互に指先で柔らかく揉み、ときにそれを唇に含んで転がすという、離れ技までやってのける。
しかし、新谷も男だ。さらに九州男児である。
新谷は、とっさに左唇を噛み締めた。
女に、戀夏に負けたくないーーというより、自分の方がより強い戀夏に悦楽を与え、よがりまくらせたうえで、先にイかせたい、という気持ちの方が勝っていた。
「姐さんのぼぼば、ばり濡れとっとですたい。ばってん……まだまだ、えーったこつ、なかばい」
【たっぷり濡れているが、まだまだこの程度では物足りない】の意味だ。
新谷は、戀夏の陰部に顔を寄せ、包皮が剥けて充血し、密やかに勃起した肉粒を唇にふみ、舌先で吸った。
「っ!?」
女のいちぱん敏感な場所をいきなり責めらられ、戀夏の下半身がびくんと跳ね上がった。
しかし新谷はぎゅっとくびれ、真っ平らな下腹ごと、戀夏の細腰を両腕いっぱいに抱え込み、顔の前に固定した。
「あ……らや、あんた……には、ぜってェ……負けねぇ……から……な、あたし……」
不甲斐なく、新谷の男根から口も手も外して鋭敏に反応してしまっても、戀夏は歯を食いしばって強がった。
もちろんそれは、自分が十三の歳から、夜鷹として舟饅頭として、長年に渡って身につけた、娼婦としての修行の成果の如き性技を、破られるわけには行かないという理由からではなかった。
戀夏もまた、自分の性技を駆使して新谷に悦楽の限りを与え、自分より先に射精して欲しいという、相手を愛しく思うあまり、口を
突いて出た台詞だった。
「ん……ふぅ……」
戀夏は口を解放し、その豊満な乳房で新谷の男根を左右からはさみ、柔肉と、ときに尖った乳首でこすり上げ、舌先で雁太を執拗に責め始める。
きっと、彼がこれまで寝た女達からは与えられたこともなく、感じたこともないだろう快楽を与えたくて。
ーーそれと同時に、次第にせり上がって来る射精感に耐えられず、新谷は無我夢中に戀夏の女の部分を責めた。
その気持ちは、戀夏と同じだ。
太く骨ばった右掌の指を、人差し指から挿れ、中指、薬指、小指と挿れ、激しく抜き挿しする。
残った親指は、その指の腹で肉粒を繰り返しこすり、刺激してーー。
「ん、ぁ、ぃ、イ、イく、イッちゃっ……」
声を押し殺して、先に絶頂に達したのは、戀夏の方だった。
しかし満足して気が緩み、そのわずか数秒後に、新谷は意図せずして、自分の男根を握り締めた戀夏の顔面いっぱいに、大量の濃い精液をぶちまけていた。
新谷は、ちり紙で自分の白濁の汚液にまみれ、胡座をかいた自分のひざの上に横向きに乗り、くたっとして左肩にもたれかかる戀夏の顔を丁重に拭いてやった。
「姐さんすまんとです、顔ば汚したうえに、その……続き、出来る余裕ば、なかたい……」
刻は既に、戌の刻、五ツ半間近。
根岸の寮に集まらねばならない、亥の刻四ツまでには、一回だけでも本番をする余裕は、ふたりーーというより、新谷にはなかった。
そしてふたりは忍び足で階段を降り、戀夏は裸に襦袢一枚を羽織っただけ、新谷は褌一丁という姿で、戀夏が一階の四畳半前にあるふたりの履物を両手に携え、勝手口から外に出た。
その直後、兎知平が暗闇の中で目を覚ました。
(へへっ、若けぇってのはいいねぇ、男と女の事後の匂いが、ぷんぷんしてやがった)
すぐ隣で寝ているお松を起こさぬよう、くくくっ、と笑いを押し殺した。
(しっかし、本番してくれねぇで助かったよぉ。この安普請の古屋で床ぁギシギシされてあはんうふんやられちゃ、わっちもまだ枯れちゃいねぇ身、堪ったもんじゃねぇ。ましてお松に喘ぎ声なんぞ聞かれた日にゃ、もうよぅ)
そのとき、お松がむにゃむにゃつぶやいて、掛け布団から派手にはみ出した。
(ははっ、寝相が悪りぃとこも、母親譲りだなぁ、おのぶよ)
兎知平は布団からはみ出したお松を布団の中に戻すのではなく、わざわざ娘の方に寄り添い、腕枕をし直すと、しっかり掛け布団を肩まで掛けてやった。
(さぁて、頼んますよ、新谷にお戀さんーー)
その頃、新谷と戀夏は裏庭の井戸端にいた。
ふたりの着物や帯は、井戸の隣の物干し竿にかけてある。
戀夏が先に井戸から汲んだ水で、新谷の精液がどっぷりかかった顔を洗い、汗と唾液にまみれた体を清め、愛液にまみれた股間から粘り気がなくなるまで、指を使って念入りに洗い落とした。
仕上げに、頭からざばりとひと浴び。
「ふぅっ」
下ろした濡れ髪をひと振りしてから、髪をねじって水気を絞ると、戀夏は黒ぽっくりを履き、全裸で井戸端に腰かけ、煙管を吸い始めた。
紅を指していなくともほの赤い、形のいい唇から、立て続けに紫煙が吐き出される。
しかも右足を井戸端に乗せ、左足を前に伸ばした恰好で、金色の恥毛も秘部も丸出しだ。
「あー、美味ェ。しかも夜風が気持ちいいや~~」
「姐さん、そげな恰好で体も拭かんとーー」
新谷が苦言を呈したが、彼自身も全裸だ。
「手拭いで拭くと、すぐ手拭いがびしょびしょになっちまって、気持ち悪りィんだよ。こうして夜風に吹かれてる方が、早く乾くんだ。あァ~こんなの、あたしが首尾の松を火場所(縄張り)に、舟遊びの客がヤってるとこ覗きに来てせんずりこいてる連中やら、客待ちの船頭相手に舟饅頭やってて『隅田の禰々子』って名乗ってたとき以来だねェ、こんなの」
「……」
井戸から汲み上げた水を浴びつつ、戀夏の昔語りを聞く新谷は、正直、心中穏やかではなかった。
首尾の松、とは、浅草御米蔵の五番堀と六番堀の間にある、隅田川辺りの松の呼び名だ。
花街の柳橋や、深川からわざわざ舟で吉原に通う富裕層の者、舟遊びの客達が多くこの川を利用し、中でも、舟遊びの男女客が床をともにしている間は舟から船頭を下ろし、その間、この松に舟を綱いでいるなど、艶めいた場所だ。
ちなみに『禰々子』とは、かつて常陸から下総を流れる利根川一帯を根城にし、関東中の河童達を配下に置いていたとされる、女河童の首領の名である。
「あんたさァ、水垢離でもしてんの? そんなに何度も何度も、気合い入れるみてェに水浴びてーー」
まさか、これまで戀夏の取った有象無象の客達に対して沸き上がってしまった嫉妬心を抑えるためだとは、口が裂けても言えない。
それにまだ、戀夏の肉体を征服していないことへの執着と、未練がましい肉欲が断ち切れない。
「……違うとです。黯の奴、盲な分、鼻と耳ばまうごつ利きますけん。汗と、姐さんの股露と、おいの精の匂いば消しとかんと、後で黯から、やっちゃせびらかされるったい」
ーー本来の目的はそれだったから、まったくの嘘ではない。
結局、十回以上も水浴びしてようやく煩悩を流し切った新谷は、手拭いで全身を拭き、物干し竿にかけていた褌を締めて、いつもの雲竜柄の着物を、きっちりと身にまとい、二本差しの姿に戻った。
しかし、戀夏はいまだ全裸のまま、煙管を噴かし続けていた。
「姐さん!」
「あいあい」
見るに見かねた新谷が一言強い口調で言うと、戀夏はようやく裸体に衣類を身にまとい始めた。
ーー薄桃色の着物を尻端折りにし、黒い股引を履き。
素足に、着物と同じ薄桃色の鼻緒の黒いぽっくり。夜風で乾いた茶色に金の筋が幾本も入った髪は右側に高く結い上げ、縮緬の切れ端で、きつく蝶結びに結んだ。
かたわらにいる新谷と手を繋ぎ、連れ立って根岸の寮へ向かおうとして、戀夏の右掌は虚空を握った。
「ん? 新谷ァ!?」
「申し訳なかですが、今夜ば、姐さんとは別ん道、行かせてもらうとです」
「はァ? あんでだよ」
「……な、何して、て……姐さんと一緒に行くんは……」
六尺もの身の丈の大男にはまるで似合わな過ぎる、左右の指先をこすり合わせ、うつむき加減にもじもじさせ、さらに顔を赤らめて、新谷はようよう口にした。
「こっぺの悪か、です……」
「は? こっぺ? 何それ?」
「長崎(くに)ん言葉で、『決まりの悪い』やら『こっ恥ずかしい』って意味ですたい」
その瞬間、新谷以上に戀夏の顔の方がより真っ赤になった。
「で、でけェ図体して、んなことでいちいち恥ずかしがって遠慮して、顔赤くしてんじゃねェよ! バーカ!」
新谷の返答に、戀夏は相変わらずの口の悪さを発揮すると、腕を伸ばして左手で新谷の髷をつかみ、右手でその頭をひっぱたいた。
そして、自分の顔の位置まで顔を持ってくると、紺青の瑠璃色に近い両眼を見開いたまま、新谷の唇にきつく吸い付き、素早く突き放した。
「じゃ、あたしはこっちから行くから! あんたはあっちから!」
言うなり、戀夏は【於多福屋】の裏木戸を飛び出した。
しばし走ったところで足を止め、胸の真ん中に右掌を置いた。
「ふざけんな、あの野郎……」
いつになく激しく胸の鼓動が高鳴っていたのは、実は新谷も同じだった。
新谷もまた、戀夏と同じ動作をしながら、彼は女慣れし過ぎていない自分の不甲斐なさを、ひどく恥じ、道端にしゃがみ込んで、頭を抱えていた。
しかし、今はこんな個人的な思いに悶々としている暇はない。
戀夏は右手の人差し指と親指の先を咥え、ヒューーィっと指笛を鳴らした。
寸分の間を置いて、芝居の黒子姿の男ふたりが前後を担いだ簡素な駕籠が、何処からともなく現れた。
黒子達は無言で戀夏にひざまずくと、戀夏もまた無言でうなずき、駕籠に乗り込んだ。
「ねェ黒子ちゃん達、あたし、上野広小路の『くわっちぃ』って琉球料理屋に野暮用があるんだよ。悪りィけど、いつもよりちょっと頑張ってくんない?」
戀夏の頼みに、黒子の駕籠かき達は途端に足を速めた。
そして新谷も、別方向から根岸に向かう駕籠に乗り込んだーー。
「戌の刻、五ツ半よりやや早し。誠に以て善きかな、善きかな」
根岸の寮に、【上野喰内サの四番】の組子達が、定刻より幾分早く集まった。
寮の門前で駕籠から降ろされると、黒子達は黒い紙製の人形(ひとがた)と化し、駕籠は一枚紙で作られた緻密な折り紙に姿を変えて、その場で自ら、跡形もなく燃え尽きてしまう。
人形を作るのは鴉、折り紙は暁の巫女。
そこにかりそめの命を吹き込むのは鴉であり、動力は巫女が、招集した組子らが寮に到着するまでの間ずっと唱え続ける、「トホカミエミタメ」の祝詞だ。
彼らを迎えるのは、門に寄りかかって腕組みし、片足をひざに絡ませて立っている鴉であった。
しかもこの男、四季を問わず一年を通して、組子らが来るまでの間、ひとりで手持ち花火を楽しむという、少々風変わりな趣味がある。
今晩もまた門の内側に、花火の火種にする蝋燭を乗せた笹舟を浮かばせた、たっぷり水を溜めた桶の中に、大量の花火の残骸が浮いていた。
【上野喰代サの四番】の壱、弐、参である滅黯、戀夏、新谷はーーこれは彼ら以外の組子達全員が、共通してそうなのだがーー鴉を先頭に、巫女を待つ、八畳の「下りの間」に通される。
下りの間の前と右には御簾がかけられ、左と後ろは縁端になっている。
三人が座っているのは、後方の縁端近くで、鴉は前の御簾の右側に座している。
縁端から見て、滅黯、戀夏、新谷という並びだが、襟を正して正座している男三人と対照的に、戀夏の右足は立てひざをつき、左足は胡座、さらに右掌を畳の上についているという姿だ。
だが、男達は誰もたしなめない。そうしたところで、戀夏がそれを直すことはないからだ。
ーーと、下りの間と上り(のぼり)の間の御簾が、内からも外からも誰の手にも触れられずに、すぅと上がった。
六畳の上りの間には神棚を前にして、暁に祈る巫女が、上は白、下は赤の袴という典型的な巫女装束で座していた。
そして、巫女の前には右に三段の取っ手がついた抽斗が備わった、縦二尺、横三尺ほどの文机の上に、鴉が丁重に摺った黒の墨汁と、朱色の墨が硯の墨池に深く湛えられた二枚の硯が横並びに置かれ、それぞれその横に、筆の根元まで真っ黒に染まった太筆、朱に染まった大筆が置かれていた。
「よう参った、上野喰代サの四番の組子ら。妾が顔を見やれ」
暁の巫女の顔には、両眼の真下から左右の頬にかけて、生きた黒いアゲハ蝶がその肌の中に貼りついていた。
ーー【うらみすだま】の憑依の証しだ。
「我ら第二が主、暁に祈る巫女様、御尊顔奉りまする」
滅黯が、巫女に向かって三つ指をついた。
そして続けて、
「『上野喰代サの四番』が組子。壱、弐、参。全員臨集(りんじゅう)にてございまする」
「宜しい」
「もったいぶってねェで、さっさとやっちまってくださいよ、巫女様ァ。あたしは今イラついてんでねェ!」
「姐さん!」
新谷が真っ先に戀夏の不機嫌丸出しな戀夏を制したが、戀夏は口を尖らせてそっぽを向いた。
しかし滅黯は無言で、巫女もまたいつもどおりの無表情を貫いたまま、戀夏のに気分を害する様子を微塵も見せす、鴉に至っては、実にひょうひょうとしている風だ。
不意に立ち上がった鴉が無言でその場を離れると、彼はどこからか、三枚の無地の屏風を持ってきた。
そして滅黯達が座す下りの間の中央に起き、三人を下りの間の御簾の下手に移動させると、鴉は下りの間の御簾の上手に移動し、右ひざを立て、左足は正座という恰好になり、左右のひざの上にそれぞれ掌を乗せ、さらに居住まいを正した。
「ではこれより【うらみすだま】が生前に怨み辛みを与えられし者どもの罪状記しと、指名の朱筆の記しの儀を始めるーー」
鴉が一言宣言すると、暁の巫女は鈴を鳴らすような声で、しかし朗々と唱え始めた。
「大祓詞」を。
「高天原に 神留まり坐す
皇が親 神漏岐 神漏美の命もちて
八百万の神たちを 神集へに
集へたまひーー」
その瞬間、黒く染まった筆が文机から浮き、墨汁の溜まった墨池に斜めに立ち、墨汁を吸うと、筆から墨汁を一滴もしたたらせることなく、すぅーーと、巫女が前方に突き出した右の人差し指と中指に操られ、一枚目の屏風に、恐ろしく達筆な文字をまっすぐにしたため始めた。
【うらみすだまが主 俗名 せん 齢十六 女】
「!?」
その一行に、戀夏が思わず身を乗り出した。
下谷山崎町ぜにごけ長屋在 縊死
生前に与えられし苦痛
其の壱 左の通り
武家の娘達
四人がかりの熱湯がけ 針刺し 裸踊り
犬追い の 責め苦
壱、首領 圓山安江 旗本家
弐、大鞆照代 御家人
参、畝崎蔵子 譜代席
肆、米堀弓 二半場
今宵 四人とも 根岸の寮内に在り
「言問ひし磐根 樹根立
草の片葉も言止めて
天の磐座放ち 天の八重雲を
伊頭の千別に 千別きて
天降し依さし 奉りきーー」
うらみすだま 生前に与えられし苦痛
其の弐 左の通り
四人がかりの輪姦 強姦 肛門姦 膣内肛門射精
壱、首領 本濱余三郎 御家人
弐、野平重太郎
参、村尾慎之介
肆、元岡祐之進
本濱余三郎 、野平、村尾、元岡、以上四名 今宵 上野広小路にて 酒盛り
尚 本濱余三郎は 小川町の拝領屋敷に帰宅
野平重太郎、村尾慎之介、元岡祐之進らは上野広小路より
蔵前へ梯子酒に参る
「新谷、なァこれ、おせんのことだろ? 何て書いてあんだよ!? おせんの一番の仇って、誰だよ!?」
文盲に近い戀夏は、いつも罪状記しを新谷に代読してもらっているが、それはいつも、罪状記しが終わり、さらに標的が朱筆で各自に定められた後のことだ。
「姐さん……それは……いつも通りに……」
「いいから読めっつってんだよ! 特に、おせんをいちばん酷い目に合わせた奴ら!」
まだ祝詞の途中だというのに、戀夏はすっくと立ち上がり、怒鳴りつけた。
暁の巫女は無表情のまま、ぴたりと唱えを止めた。
しかし、鴉にそれを咎める様子は微塵もない。
「お、おせんさんば、いちばん酷か目に合わせたとは……根岸の寮におる、武家の娘御どもですばい……」
「てめぇ、それ嘘じゃねェだろうなァ?」
自分の胸倉をつかみ上げ、真正面から問う戀夏に、新谷は強くうなずいた。
暁の巫女が、ふっと朱筆を浮かせた。
戀夏は文机に駆け寄って筆を奪い取ると、
「今宵 四人とも 根岸の寮内に在り」
と、
「うらみすだま 生前に与えられし苦痛 其の弐 左の通り」
の隙間に、れんげ、と書きなぐるや否や、朱筆を畳に叩きつけ、下りの間の御簾の手前から、無言で外へ飛び出して行った。
ーー上りの間と下りの間に、沈黙が流れた。
「新谷よ。妾はこの【うらみすだま】を最も辱め、痛めつけたは本濱なる者どもを初めとした男衆だと思うがの? 何ゆえに? あの雪血華の女を危険に晒しとうなくて、偽りを申したのかえ?」
あどけないのに、常に無表情な顔からさらに感情が失われたような顔つきで、暁の巫女が新谷に問うた。
「天に誓うて、それだけはなかとです、巫女様。ばってん、おいばーー」
新谷は、巫女に土下座しながら述べた。
「おいば男ですけん、ようわからんとですが、おなごにはおなごにしかわからん痛みばあると思うとです。やけん、姐さーーいえ、上野喰代サの四番ば組子、弐に託したとです。もし出過ぎた真似ばしたと思われたとなら、罰ば、おいが引き受けますばい、やけん、姐さんにば、姐さんにばーー」
「頭を上げよ、新谷」
鴉が、あっさりと言い放った。
「確かに、おなごの罪状人にはおなごにしかわからぬ痛みや苦しみを与える天誅殺を下すが、もっとも善きかも知れぬーーうかつであったの」
「目には目を、歯には歯を。おなごにはおなごの天誅殺師をーーでございまするか、巫女様」
「ふふふ、まさしくそれよ、鴉ぇ」
ふたりのやり取りに、背筋に薄ら寒いものを感じながらも、新谷はすぐさま身を起こし、ふたたび襟を正し、正座の体勢に戻った。
そのとき、それまで無言を貫いていた滅黯が、新谷に継いで頭を下げた。
「巫女様、お師匠様、申し訳ありゃぁせんが、筆硯をいっときお貸し願えませんでしょうか。出来れば、半紙を一枚頂戴致したくーー」
「よい。許してつかわす」
巫女が文机に座したまま、取っ手に手もかけず抽斗を開けると、そこから一枚の半紙を滅黯の前に置いた。
そして、すいと黒筆を滅黯の手元近くに移動させると、滅黯が何やらつぶやくと同時に、黒筆はその穂先で、口述筆記を始めた。
それが終わると同時に、赤い影が二筋、縁端から流星の如き勢いで下りの間に飛び込んで来たかと思うと、それは何かを綴った一枚の半紙を奪い取り、縁端からふたたび飛び去って行った。
そして暁の巫女は、大祓詞の祝詞の続きを、ふたたび朗々と唱え始めたーー。
その頃、戀夏は途方に暮れていた。
義憤に駆られて寮を飛び出したはいいが、肝心の目的地がわからない。
「んあーーっ、ちきしょっ!」
戀夏は、黒ぽっくりの底で地面を何度も踏んだ。
まるやまやすえ、なる旗本の娘がおせんの仇とはわかったが、行き先がわからない。
寮など、根岸には有象無象にある。
それにもまして、表札を出している寮など数少ない。
表札を出していたとしても、すべて漢字である。
文盲に近い戀夏に読むことは不可能だ。
「どこだよ、まるやまやすえって、ざぁけた女の居場所はっ!」
頭を抱えて、しゃがみ込む。
茶色に金の筋が入った頭髪をかきむしりそうになった寸前、戀夏の頭頂に、何か微妙に固い感触が降りた。
「ふぁ? って、九十九! 絽嬪!?」
反射的に立ち上がった戀夏の前で、二羽は小さな翼を羽ばたかせながら、嘴に咥えた、一枚の半紙を破ったものを戀夏に見せつけた。
「あねさんへ
まるやまやすえと
そのたのざいじょうにんの
いる りょうは
もんの みぎと ひだりにある
おおきな まつのきと
さかきと さざんかの かきねを
めじるしに
ひょうさつに 圓山 なる じ あり
めつあん」
「黯!」
圓山、という字は戀夏の目には記号か絵のようにしか見えないが、充分な手がかりだった。
「ありがと! あんたらの御主人様、すんばらしいお人だねェ~」
戀夏は九十九と絽嬪を左腕に止まらせ、二羽の赤い頭をまとめて頬ずりした。
「てか、鳥のあんたらに頼むのもアレだけど
ォ……あたし鳥目で、夜道ダメなんだわ。案内、頼める?」
それでしたら、我々がご案内致します、とばかりに、絽嬪が闇に煌々と光る夜光石を括りつけた組紐を嘴を使って後ろにまわし、戀夏の灯り代わりにして、二羽は戀夏の前を飛び始めた。
(門の左右にある大きな松……榊と山茶花の垣根……圓山……)
ーーその頃。何も知らない安江達は、寮の茶室で簡素な茶会を開いていた。
言うまでもなく、亭主は安江である。
正客は家柄順にお照、次客はお蔵、末客がお弓である。
扇子に席入り、床、釜の拝見も一切省略し、席中には瓶掛に鉄瓶を据えられ、鉄瓶の蓋は向こうを少し切ってある。
鉄瓶と安江の間に置かれた盆の上には、抹茶をはいた棗、茶巾、茶筅、茶杓を仕組んだ茶碗が乗り、安江はそこで薄茶を点ていた。
薄茶なので菓子は当然干菓子だが、干菓子を盛った器は溜塗の高杯であり、干菓子は安江が父にねだって、加賀藩御用司の店「森八」から取り寄せた、「長生殿」という高級品である。
末客であるお弓が薄茶を飲み終えると、右手の人差し指と親指で茶碗の飲み口を軽く拭うと、その指先を懐紙で拭き清めた。
そして茶碗を手前から向こう側へ二度戻すと、畳の緣(へり)の外に置き、拝見してから亭主の安江に返した。
「結構なお点前でございました、安江様のお点前には、いつも感服仕りまする」
四人を代表するように、正客のお照が述べると同時に、お蔵、お弓も揃って頭を下げた。
「ふふふ、私の祝言も間近。こうして四人で楽しめるのも、残りわずか。名残り惜しゅうてならぬわえ」
「あら、そのように申されましてもーー余三郎様との間では、秘密の御条約を交わしておられるのでございましょう?」
お蔵が、口元に袖を当てて忍び笑いを漏らした。
「それを言いやるか、お蔵。確かに、いずれ余三郎様との間にややが出来て、私が疲労した場合の休息の場として残してくれると約束して頂けたが……ふふっ」
「あら、いったい何でございます? 安江様。その含み笑いは」
お弓が不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく尋ねた。
「決まっておろうが、私は余三郎様を許嫁として、近く夫となる殿方として心よりお慕い申しておるが、余三郎様も私も、祝言を済ませ、夫婦(めおと)になろうと、夫と妻、ひとりの男と女相手では満足出来ぬ、放蕩と淫蕩の身ーー」
「『拙者以外の男の子胤を決して宿さず、姦通罪に問われぬ限りは、どこの誰と寝ようとて、いっこうに構わぬ』とは、何と懐のお深い殿方でございましょうか、本濱様は」
続けて、お照が褒めそやすと、
「何しろ、余三郎様は御家人の三男坊にして、唯一の御子息。御本人より、本濱のお義父様とお義母様の方が、御家の為になりふりかまっておられぬのよ。余三郎様が旗本家の婿に収まってしまえば、後家人の本濱家は縁戚の男子を養子に迎え、跡を継がせるとのこと。嫡男の兄上は病弱で幼い頃に亡くなられ、確か、次男に当たる兄上がおられると余三郎様からお聞きしたことがあるが、この兄上と言うのがーー」
ぷっ、くふふ、と、安江は笑いを堪え切れず、畳の上に手をついた。
「お義父様がお家の庭で試し切りの藁の束や畳を斬るのに、刃を晒せば怖いと泣き、武術の稽古をつければ、お義父様に投げられ足をかけられては転び、弟の余三郎様にさえ、敗れて泣いてばかり。町人の悪童にさえ喧嘩で勝てず、学問所から泣いて帰って来るなど、日常茶飯事だったとーー」
まぁ、とお照が笑い出すと、お蔵、お弓も立て続けに笑い出した。
「いつもお部屋に閉じこもって本を読んでばかり。それ以外はまるでおなごのように草花を育てることにしか御興味がなかったと。
そもそもその次男の兄上は、よき縁談に恵まれるようにと、娘が欲しいと願って産んだのにまた男とは、と失望され、確か、要らぬ、しくじった、をもじった名を付けられたとかでーーえぇと、何と申したか……」
「まさか、その次男の兄上様は、まだ本濱の家で冷や飯食いのままなのでございますか?」
正客の場から、安江にすす、とすり寄り、彼女の左腕にしがみついたお照が、媚びるように安江に尋ねた。
「それが、お義父様とお義母様、余三郎様が、何時からか次兄の兄上の存在そのものが疎ましいと辛く当たっていたら、気づいたら本ばかりを持って、書き置きひとつ残さず逐電していたと」
安江は、お照に両眼を見開いたまま、唇を軽く重ね、抱き寄せた。
お照の口から、はぁ、と軽いながらも艶めかしい吐息が漏れ、お照は安江に軽い口づけを何度も繰り返した。
「ーーお義父様お義母様も余三郎様も、後腐れなく消えてくれて助かったと申しておられた。私もそのような女々しい義兄を持たずに済み、助かったわえ」
「安江様ーーお照は濃茶やお高い菓子より、早くあのお道具を頂きとう存じまする」
「私も」
「……わたくしめも」
秘密めいた会話を交わすお照、お蔵、お弓は、それぞれ頬を染めていた。
「ほほほ、気持ちはようわかるが、皆、まだ気が早いぞえ。濃茶を飲むことで己の心身を昂らせてからの方が、うんと盛り上がると言い渡しておるにーー」
お照が、点前畳の奥に特別に造られた、小さな二枚の襖で閉じた物入れに、足をつま立て、両足のかかとを揃えると、右ひざから姿勢よく立ち上がって向かった。
まず襖の右側を開け、その中に置かれていた、畳紙に菊文様の蓋の、漆絵文箱を取り出した。
二重になっているその文箱の中には雲形の金梨子地の細工が施されており、その中からは、互形ーー女ふたりが閨で使う四ツ目道具がふたつ、よく磨き上げられて、細長い座布団のような敷きものの上に置かれていた。
そして、お照は右側の襖をきちんと閉めてから左側の襖を開け、そこから牡丹に小鳥文様の蓋の、大きな漆塗りの堆朱箱を取り出した。
御丁寧に、深い蓋の周囲には花菱文が二段に渡って彫り込まれている。
そのごうしゃ、蓋を開けると、そこからさらに、本来なら先端が二本の互形の先端を四本にした、竿の部分をやや長くした、特製の互形が現れた。
「我が大鞆家の年増の下女に金子を握らせ、内密に、代理で両国橋西詰の薬研堀は四ツ目屋長兵衛に通わせて造らせた、特注の品でございましてよ。あぁ、まず安江様と私、お蔵様とお弓様、安江は順にお蔵様とお弓様を貫いて、それから私はお蔵様とお弓様と。そして、最後は四人揃ってーー」
通常の互形と、変形互形を使った女同士の睦み合いを想像し、すでにお照の陰部は、愛液でどっぷりと潤み、腰をくねらせた。
お照ほどではないが、お蔵とお弓も、客畳に正座しながら、落ち着きなく腰をもじもじさせていた。
間違いなく彼女らの股も、じっとり濡れていることだろう。
ーーそこへ、薄茶点前の道具一式を水屋で片付け終えた安江が茶道口から現れ、、両手に濃茶点前用の、青地に瓢箪と烏瓜の葉と蔦が大胆に描かれた大ぶりな菓子器を持ち、貴人席の畳の緣の前に置いた。
お照は慌てることなく、しかしすべて元通りに、三種類の四ツ目道具を文箱と堆朱箱にしまい直すと、音を立てずに襖を閉めた。
決して慌てず早足になることなく、己が特等席である貴人席の畳の上に座した。
厳かに、静かに、濃茶の点前が始まった。
安江が濃茶を点て、その茶碗がお照に差し出された。
濃茶が出されれば、正客が茶碗を取ると、正客を筆頭に他の客達は総礼する作法に則り、お照を筆頭に、お蔵とお弓も、揃って亭主たる安江に総礼した。
お照が右手で茶碗を取ると、左掌に乗せて右手を添え、押しいただいた。
右手で濃茶を湛えた茶碗を二回右にまわし、後のお蔵とお弓の配分のため、四口半で濃茶を飲んだ。
「腹加減は如何ぞ、お照」
「結構でございます」
お照は左手のみ行につくと、残りの二口半を飲み終えた。
そうして、お照は茶碗を緣内に置くと、小茶巾で飲み口を拭い、丁寧に拭き清める。
ーー抹茶の緑の汚れが付いた小茶巾を左袖にそっと納めてから、お照は飲んだときと反対に、左に茶碗をまわした。
この間に、お照の次客のお蔵は既に、末客に当たるお弓に対し、
「お先に」
の挨拶を済ませ、お弓は頭を下げて、お蔵への返答に代えていた。
決して人目に触れることのない残虐な振る舞いを陰でどれだけ行っていようと、皮肉にも、育ちの良さは隠せないのだ。
お照が茶碗を左掌に乗せたまま、次客のお蔵に対して茶碗の正面が向くように手渡すと、お蔵は実に慣れた所作で、そのまま茶碗を左掌に乗せ、右掌を添えて、茶碗を両掌の内に携えた。
厳かに、静かに。恐ろしく性悪な武家娘達の茶席は夜の静寂(しじま)の中で、ゆったりと進んで行くはずだった。
だが、彼女らは夢にも思っていない。
その頃、巫女と鴉が控える寮の屋根の上で結跏趺坐をした鴉が、素早く九字印を組み、
「不動明王を讃える御真言にはーー」
前置きするように一言そう唱えてから、鴉は「不動明王御真言火界呪」を、一心不乱に唱え始めたことなど。
そして女に生まれた以上、この世で決して怒らせてはいけない、決して敵にまわしてはならない刺客が、既に身近に迫っていることもーー。
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