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閉幕
7 王子、引きこもる
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きっかけは些細なことだった。
クラウスの相談に乗っているリリアナがいじめを受けていると聞かされた。しかもいじめの首謀者はエリーヌだと。
まさかそんな、とクラウスは笑い飛ばした。エリーヌはプライドの高い女だ。いじめのような幼い真似をするわけがない。
しばらくすると今度は、リリアナの身の回りのものが不自然に消えている、という話を聞かされた。リリアナを悪意をもって攻撃している者がいる。だが、エリーヌのやり方ではない。
ここにきてクラウスはエリーヌの動向に注意を払うようになった。だが彼女に普段と変わったところは見受けられなかった。
リリアナへの悪意は日増しに強くなっていった。なんとかしてやりたくて、クラウスはエリーヌに直接話を聞くことにした。
エリーヌを疑ったつもりはない。だが結果として疑うような言動をとったクラウスを、エリーヌは無表情に嘲笑った。
小さな男だと、言われたような気がした。それからだ。エリーヌのなにもかもが疑わしく思えた。
リリアナが階段から落ちた時、集まった野次馬の中にエリーヌの姿があった。彼女はリリアナと、彼女に駆け寄ったクラウスの姿を見て、ひっそりと嘲笑った。
エリーヌがそういうつもりなら、もういい。
クラウスは越えてはいけない一線を踏み越える事にした。
いや、踏み越えようとして、エリーヌにこてんぱんにやっつけられた。
男としての自信の全てを失ってしまうほど、あの敗北はクラウスに強い敗北感を植えつけた。
具体的にいうと、呆然としたまま部屋に引きこもってしまった。
あれからどれだけの日数が経ったのか、クラウスにはよく分からない。一日なのか、一週間なのか。
そしていま。誰も開けてはならぬと命じていたはずの扉を開き、クラウスにリリアナの動向を囁いていた男が立っていた。
なぜこのタイミングなのか。
立ち上がる力をすっかり失ったクラウスの前に現れるのがなぜ彼なのか。
動かない頭でクラウスは考え始めた。
考えてみると、おかしなことばかりだ。
クラウスが見る限り、エリーヌはなにもしていなかった。
だが囁きは続いた。まるで、クラウスの心をエリーヌから引き離そうとでもいうように。
「リーン」
公爵令息、リーン・フェネガン。名宰相と謳われたジーン・フェネガンの忘れ形見。
氷のように冷たい美貌と、切れすぎるほどに鋭い頭脳をもつ男。
生徒会の副会長。
クラウスの、側近となるはずだった彼に、クラウスは疑いを持った。
「リーン。お前が仕組んだのか」
「人は、信じたいものを信じ、見たいもののみを見る生き物だそうです。殿下は、俺が仕組んだと思われますか」
「…いや。言葉が過ぎた」
すまない、と謝ろうとしたクラウスを、リーンが止める。
「やはり殿下はお甘い。疑わしきものを許してはなりません。この先の未来を殿下と共にすることは叶いませんが、最後の忠告です。殿下に近寄るもの全てをお疑いください。玉座を目指すなら、恋などはお捨て下さい」
「まさか」
そのために、と聞きかけ、言葉にする前にやめる。リーンはよく出来ました、というように口角を上げ微笑んだ。
「それでは。御前、失礼いたします」
リーンが退室の挨拶を告げた。その時になって、クラウスは初めて思い出した。公にはなっていないが、リーンはルゼッタ公爵の後継者だ。エリーヌに婚約破棄を宣言し、ルゼッタを敵に回したクラウスは、リーンの敵にもなったのだ。
かける言葉を失ったクラウスに見事な一礼をして、リーンは姿を消した。
婚約破棄事件から数日後。
決闘に負けたショックで部屋に引きこもっていた王子は、引きこもりを止め父王を訪ねた。
いつものように、王の執務室には人がいない。クラウスは父が文官を使って仕事をしているのを見たことがなかった。
いつか立派な騎士になって父王をお助けする。
それがクラウスにとって大事な目標だったのだが、いまその未来は色褪せていた。
「父上。決闘でエリーヌに負けました」
学園内の事とはいえ、その情報が国王に届いていないはずはなかったが、クラウスはあえて口にした。
「そうだろうな。エリーヌは決闘慣れしている」
「ご存知だったのですか」
クラウスが驚くと、父王は珍しく笑った。
「エリーヌの父であるルゼッタ公爵とは学園生活を共にした仲だ。エリーヌは父親に似たんだろうな。在学中にめぼしい人材に声をかけ、従わない相手は決闘で配下に下したと聞いている」
父親そっくりだ、とぼやく国王は父親の顔をしていた。
クラウスは意外に思う。そんな顔をする人だとは思わなかった。
エリーヌのことも、父と同じように、知っているつもりでよく知らないのかもしれない。
エリーヌがあんなに強いとは知らなかった。気は強いが所詮は深窓のご令嬢。王子の婚約者の立場を利用して周りを従えているのだと思っていた。
そのくせクラウスより周囲に対して影響力があるのが気に入らなかったのだが、それも間違っていたらしい。エリーヌの強さも知らず、噂に踊らされていた。
「悔しいです」
「いい勉強になったと思う事だな。相手がルシドラなら決闘などと生易しい手段は取らず、下らんことを言うなと婚約者を叩き潰していたところだろう」
三つ上の姉王女の名前を聞いて、クラウスは恐怖におののいた。彼女ならやりかねない。
幼いクラウスが毒殺されかけた時、彼女は疑わしいものを全て叩き潰していった。
当時、宮廷は王位継承権を持つ子ども達を駒に派閥争いが激化していたが、ルシドラの暴挙のおかげで表面上派閥争いは沈黙した。
あれがなければクラウスはのんびり学園になど行ってはいられなかっただろう。
いま思えば学園は、王城という箱庭のような世界に育ったクラウスに様々なことを教え、様々な出会いをくれた。いいものばかりではなかったが、そのどれもが貴重な体験だったと思える。
学園に行かなければ、リリアナに会うこともなかった。
「父上も、僕がくだらない事を言ったとお思いですか」
国王に呆れ果てた顔で見られ、クラウスは赤面した。多分父は、最初からクラウスの愚かさを承知していたのだろう。
無駄な事かもしれないが、クラウスにとって自分の愚かさを確認する事は必要な事だった。
クラウスの相談に乗っているリリアナがいじめを受けていると聞かされた。しかもいじめの首謀者はエリーヌだと。
まさかそんな、とクラウスは笑い飛ばした。エリーヌはプライドの高い女だ。いじめのような幼い真似をするわけがない。
しばらくすると今度は、リリアナの身の回りのものが不自然に消えている、という話を聞かされた。リリアナを悪意をもって攻撃している者がいる。だが、エリーヌのやり方ではない。
ここにきてクラウスはエリーヌの動向に注意を払うようになった。だが彼女に普段と変わったところは見受けられなかった。
リリアナへの悪意は日増しに強くなっていった。なんとかしてやりたくて、クラウスはエリーヌに直接話を聞くことにした。
エリーヌを疑ったつもりはない。だが結果として疑うような言動をとったクラウスを、エリーヌは無表情に嘲笑った。
小さな男だと、言われたような気がした。それからだ。エリーヌのなにもかもが疑わしく思えた。
リリアナが階段から落ちた時、集まった野次馬の中にエリーヌの姿があった。彼女はリリアナと、彼女に駆け寄ったクラウスの姿を見て、ひっそりと嘲笑った。
エリーヌがそういうつもりなら、もういい。
クラウスは越えてはいけない一線を踏み越える事にした。
いや、踏み越えようとして、エリーヌにこてんぱんにやっつけられた。
男としての自信の全てを失ってしまうほど、あの敗北はクラウスに強い敗北感を植えつけた。
具体的にいうと、呆然としたまま部屋に引きこもってしまった。
あれからどれだけの日数が経ったのか、クラウスにはよく分からない。一日なのか、一週間なのか。
そしていま。誰も開けてはならぬと命じていたはずの扉を開き、クラウスにリリアナの動向を囁いていた男が立っていた。
なぜこのタイミングなのか。
立ち上がる力をすっかり失ったクラウスの前に現れるのがなぜ彼なのか。
動かない頭でクラウスは考え始めた。
考えてみると、おかしなことばかりだ。
クラウスが見る限り、エリーヌはなにもしていなかった。
だが囁きは続いた。まるで、クラウスの心をエリーヌから引き離そうとでもいうように。
「リーン」
公爵令息、リーン・フェネガン。名宰相と謳われたジーン・フェネガンの忘れ形見。
氷のように冷たい美貌と、切れすぎるほどに鋭い頭脳をもつ男。
生徒会の副会長。
クラウスの、側近となるはずだった彼に、クラウスは疑いを持った。
「リーン。お前が仕組んだのか」
「人は、信じたいものを信じ、見たいもののみを見る生き物だそうです。殿下は、俺が仕組んだと思われますか」
「…いや。言葉が過ぎた」
すまない、と謝ろうとしたクラウスを、リーンが止める。
「やはり殿下はお甘い。疑わしきものを許してはなりません。この先の未来を殿下と共にすることは叶いませんが、最後の忠告です。殿下に近寄るもの全てをお疑いください。玉座を目指すなら、恋などはお捨て下さい」
「まさか」
そのために、と聞きかけ、言葉にする前にやめる。リーンはよく出来ました、というように口角を上げ微笑んだ。
「それでは。御前、失礼いたします」
リーンが退室の挨拶を告げた。その時になって、クラウスは初めて思い出した。公にはなっていないが、リーンはルゼッタ公爵の後継者だ。エリーヌに婚約破棄を宣言し、ルゼッタを敵に回したクラウスは、リーンの敵にもなったのだ。
かける言葉を失ったクラウスに見事な一礼をして、リーンは姿を消した。
婚約破棄事件から数日後。
決闘に負けたショックで部屋に引きこもっていた王子は、引きこもりを止め父王を訪ねた。
いつものように、王の執務室には人がいない。クラウスは父が文官を使って仕事をしているのを見たことがなかった。
いつか立派な騎士になって父王をお助けする。
それがクラウスにとって大事な目標だったのだが、いまその未来は色褪せていた。
「父上。決闘でエリーヌに負けました」
学園内の事とはいえ、その情報が国王に届いていないはずはなかったが、クラウスはあえて口にした。
「そうだろうな。エリーヌは決闘慣れしている」
「ご存知だったのですか」
クラウスが驚くと、父王は珍しく笑った。
「エリーヌの父であるルゼッタ公爵とは学園生活を共にした仲だ。エリーヌは父親に似たんだろうな。在学中にめぼしい人材に声をかけ、従わない相手は決闘で配下に下したと聞いている」
父親そっくりだ、とぼやく国王は父親の顔をしていた。
クラウスは意外に思う。そんな顔をする人だとは思わなかった。
エリーヌのことも、父と同じように、知っているつもりでよく知らないのかもしれない。
エリーヌがあんなに強いとは知らなかった。気は強いが所詮は深窓のご令嬢。王子の婚約者の立場を利用して周りを従えているのだと思っていた。
そのくせクラウスより周囲に対して影響力があるのが気に入らなかったのだが、それも間違っていたらしい。エリーヌの強さも知らず、噂に踊らされていた。
「悔しいです」
「いい勉強になったと思う事だな。相手がルシドラなら決闘などと生易しい手段は取らず、下らんことを言うなと婚約者を叩き潰していたところだろう」
三つ上の姉王女の名前を聞いて、クラウスは恐怖におののいた。彼女ならやりかねない。
幼いクラウスが毒殺されかけた時、彼女は疑わしいものを全て叩き潰していった。
当時、宮廷は王位継承権を持つ子ども達を駒に派閥争いが激化していたが、ルシドラの暴挙のおかげで表面上派閥争いは沈黙した。
あれがなければクラウスはのんびり学園になど行ってはいられなかっただろう。
いま思えば学園は、王城という箱庭のような世界に育ったクラウスに様々なことを教え、様々な出会いをくれた。いいものばかりではなかったが、そのどれもが貴重な体験だったと思える。
学園に行かなければ、リリアナに会うこともなかった。
「父上も、僕がくだらない事を言ったとお思いですか」
国王に呆れ果てた顔で見られ、クラウスは赤面した。多分父は、最初からクラウスの愚かさを承知していたのだろう。
無駄な事かもしれないが、クラウスにとって自分の愚かさを確認する事は必要な事だった。
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