【R18】約束の花を、きみに

染野

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第1章

2.真夜中の来客

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 鍛錬を終えて部屋に戻る。
 紋章魔法は痛いだけで使うのは簡単だと思っていたが、すぐに発動させたり、威力を強めたりするには鍛錬が必要だということが分かってきた。
 汗を吸い込んだ鍛錬着を脱ぎ、着替え終わって一息つくと、小さなノックのあと侍女が部屋に入ってきた。
 
「失礼いたします。陛下、夕餉の用意ができております」
「ありがとう。あれ? あなたは……?」
 
 見慣れない顔に気付いて尋ねると、その侍女はにっこり笑った。ダークブラウンの髪をきっちりと結い上げた彼女は、はきはきと良く通る声で自己紹介をしてくれる。
 
「本日より配属されました、リサと申します。よろしくお願い致します」
「そうだったの。こちらこそよろしくね」
「はい! あの、陛下。こちらの窓を開けさせて頂いてもよろしいですか? 今日は夜風が気持ちいいですよ」
「ほんと? じゃあ、お願いします」
「はい、かしこまりました」
 
 窓を開けに行った彼女を残して、先に食堂に向かう。ここ最近は食事を摂らずに寝てしまうことが多かったが、それがトーヤにばれてひどく怒られた。確かに、食事を摂らなければ体力もつかないし、決闘は二か月後に迫っている。決闘中に倒れたら元も子もない。
 

 
 *
 

 
「ごちそうさまでした」
「陛下、今日はもうゆっくりお休みくださいね」
「うん、分かった。わたしも今日は疲れたし、部屋に帰ったら寝るね」
「はい、ぜひそうなさってください」
 
 食事の時間が終わって、とぼとぼと部屋に戻る。侍女には部屋に帰ったら寝ると言ったものの、まだ体に刻んでいない紋章がある。早く習得してもっと精度を上げないと、皆の役に立てない。

 自室の扉を開けると、涼しい風が吹き抜けた。そういえば、部屋を出る前にリサという侍女が窓を開けてくれていたのを思い出す。こんなに涼しかったらよく眠れそうだなあと、呑気にそんなことを考えながら部屋に入った、そのとき。


「おかえり、ユキちゃん」

 
 誰もいないはずの部屋の暗がりから声がして、驚いて思わず一歩後ずさる。
 警戒しながらよく目を凝らすと、にこにこと笑みをたたえた短髪の青年が、わたしのベッドに腰掛けていた。


「なっ……!」

 
 その青年の顔には見覚えがある。最近は写真でしか見ていなかったが、一瞬で分かってしまう。
 ノースを吸収しようと企み、決闘を申し込んだ張本人。
 
 サウス国王──ソウであった。
 
 悲鳴を上げそうになったその瞬間、いつの間にかソウがわたしの後ろに回っていた。そして大きな手で口を塞がれる。
 
「大きい声出さん方がええよ? もう夜やし、衛兵も少ないやろ」
 
 助けを呼ぼうと思ったが、この男の言う通り今この近くには侍女しかいない。呼んだところで、危険な目に遭わせてしまうだけだ。おとなしくソウの言う通りにすると、彼は満足気に笑った。
 
「ええ子やね。別に誘拐しようとか思てへんし、安心してや」
「そ、それじゃあ、なにをっ……!」
「ユキちゃんにお説教しに」
 
 そう言うと、ソウは一歩離れてわたしのつま先から頭のてっぺんまで舐めるように見回した。そして険しい顔をしながら、わたしに問いかける。
 
「これ、紋章魔法やな?」
「……だったらなに?」
「あかん。もうやめとき。そのうち痛みに耐えられへんようなるで」
 
 何を言うかと思えば、わたしの体を心配するようなソウの発言に、わたしはついかっとなって叫んだ。
 
「あ、あなたがわたしに戦えって言ったからでしょう!?」
「……ああ、そやったなぁ」
 
 苦笑しながらそう呟くと、ソウはいきなり正面からわたしを抱きしめた。細身ながらもがっしりとしたその体に包まれていることを理解したとたん、はからずも顔が赤くなる。
 
「ちょ、ちょっと……!」
「……ごめんな、ユキちゃん」
 
 突然のことに身動きがとれずにただただ驚くわたしに、ソウは優しい声で諭すように語りかけてくる。耳元で囁くソウの吐息が熱い。
 
「これ、今も痛むんやろ。なんでこんなことするん? そこまでして決闘に勝ちたいん?」
「は、離してっ……」
「確かにユキちゃんにも戦え言うたのはボクや。けど、ここまでするとは考えられへんかった……」

 弱々しい声で呟くソウの真意が、さっぱり分からない。わたしがこの紋章の痛みに耐えているのは、ソウに申し込まれた決闘に勝つためなのだ。なのにどうして、そんな悲しげな顔をするのだろう。

「……全部、あなたのせいよ」
「そやな。けど、ユキちゃんがこんなことしてたら意味ないんや」
「ど、どういう意味……?」
 
 本当は、侵入者だと言って叫ばなければならない。なのに、できない。
 今、わたしが最も憎んでいる男に抱きしめられているというのに、心のどこかで安心している自分がいた。幼い頃の記憶がそうさせるのか、それとも、そんな男にも抵抗できないほど自分は弱っているのだろうか。
 
「こうしてると、小さい頃思い出すなぁ」
「……昔のことでしょ」
 
 顔を背けながらそっけなく言うと、つれないなぁとソウが苦笑した。久しぶりに聞くソウの間延びした喋り方に、昔の記憶が一気に蘇る。その独特の言葉遣いは、母の故郷のものなのだと、彼が誇らしげに語っていたことも思い出した。
 
「昔のこと、か。それもそやな。お互い、大きなったしなぁ」
 
 感慨深げに言うソウも、昔のことを思い出しているのだろうか。

 わたしたちがまだ幼い頃、ノースとサウスは友好関係を築いていた。わたしの父と前サウス国王は、長年続いていた「伝統」の敵対関係を解消しようとしたのだ。
 無意味な伝統は取り払い、両国がより豊かになることを両国王は望んだ。そのため、お互いの国を頻繁に行き来し、長い間話し合いを続けていたのだ。
 
 母を早くに亡くしたわたしのことを思ってか、父はどこへ行くにもわたしを連れて行った。サウスとの会談に行く際もわたしを連れて行き、そのたびにわたしは当時サウスの王子であったソウと遊んで過ごした。
 大人たちが難しい話をしている間、ソウと城の中を探検したり、庭で遊んだりするのが一番の楽しみだった。
 
 しかし数年前、ソウの父である前サウス国王が亡くなってから、良好になりつつあった両国の関係は元に戻ってしまった。実はお互い水面下でいがみ合っていたのだとか、わたしの父が呪い殺したのだとか、根も葉もない噂が出回ったが真相は分からない。
 ただ、サウス国王が不慮の事故で亡くなったという報せを聞いた父が、声を殺して泣いていた姿をわたしは覚えている。
 
「……そろそろ帰らなあかん」
 
 え、と声に出しそうになる。ソウが体を離し、まっすぐわたしの目を見据えて言った。
 
「紋章魔法はもう使うたらあかん。今まで刻んだ分も消しとき」
「……無理よ。一度刻んだ紋章は一生消えないの」
「なら、ボクが消したる。そやからこれ以上は……」
 
 ソウの言葉を聞き終わる前に、わたしは平手で彼の頬を叩いていた。
 なぜ叩いてしまったのかは自分でも分からない。今わたしを苦しめている元凶のくせに、ぬけぬけと説教する彼に腹が立ったのか。それとも、真剣にわたしを叱る彼の言葉に、決意が揺らいでしまいそうだったのか。
 自分の掌に残るじんじんとした微かな痛みで、はっと我に返る。ソウは何も言わず、ただ悲しそうな顔で笑っていた。
 
「……ボクはボクのやり方でやる。それで、ユキちゃんにどれだけ恨まれることになっても」
 
 そう言うとソウは、窓辺に向かって歩き出した。
 
「ほな帰るわ。ユキちゃん、鍛錬もええけど、もっと女の子らしくしなあかんよ」
「なっ……!」
「おやすみ、ユキちゃん」
 
 良い夢を。
 そう言いながらソウは開け払ってあった窓から外へ飛び降りた。追いかける気にも、誰かを呼ぶ気にもなれずただその場に立ち尽くす。
 
「……何が、女の子らしくよ」
 
 わたしを苦しめておきながら、紋章魔法はやめろなどとよく言えたものだ。思わずソウの頬を叩いてしまったけれど、わたしを心配そうに見つめる瞳は嘘をついているように見えなかった。それだけが心に引っかかる。

 ノースを、サウスなどに渡してはいけない。本来ならば、ソウを心の底から憎み、何を言われようと紋章魔法を極めるべきだ。それなのに、悲しそうな彼の笑顔がどうしても頭から離れなかった。
 
 


 ***

 

 
 どれだけ恨まれてもいいと言った。
 実際、すでに恨まれるようなことをユキにしてきたし、今さら計画を変えるつもりもない。どれほどユキに恨まれようと、憎まれようと、彼女を幸せにする。この矛盾した願いのために、自分は生きている。
 
 ユキに叩かれた頬をそっと撫でる。今でも痛むくらい強く叩かれたわけではない。けれど。
 
「……ちょっと、堪えるなぁ」
 
 嫌われてもいい。むしろ嫌われた方がいい。自分の計画はうまく進んでいる。
 彼女が紋章魔法を会得していることは想定外であったが、それもどうにかすればいい。一生消えないと彼女は言っていたが、それは紋章による痛みが一生続くという意味でもある。
 
「紋章をどうやって消すか、やな……まぁ、魔術研究所に聞いたら分かるやろ」
 
 サウスには国立の魔術研究所があり、他国から魔術研究者たちが学びに来ることもある。紋章を消す方法は彼らに聞けばおそらく分かるだろう。彼女の身体に刻まれた紋章を消し、決闘に勝利したあと、ノースと合併する。今まで考えてきた計画通りやればいいだけだ。
 自分勝手な計画である。彼女のためと言いながら、結局は自分の願いを叶えるためなのだ。
 
「ユキちゃんに叩かれてもしゃあないわ」
 
 ひとり自嘲して、机に向かう。時計の針は深夜を指しているが、まだまだやることは山積みだ。
 それに、何かしていないと彼女の悲しそうな顔ばかりが浮かんでしまう。彼女のために、どこまでも冷徹な人間になると決めたのに。
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