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第二章
5.彼に会うために
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「あっ、いた! 倫、こっちこっちー!」
「七海! ごめんね、お待たせ!」
七海の家の最寄駅に着いたときには、すでに夜の十時を過ぎていた。そんな遅い時間にも関わらず、七海は駅まで迎えに来てくれた。
「ごめん、遅くに来ちゃって……それに急だったし」
「何言ってんの、あたしと倫の仲でしょ! それより、遠くから来てくれて嬉しいよ」
駅の改札を出てから、駅前の少し賑やかな商店街を抜ける。
七海の住むこの街は、私たちの地元より少し都会だ。でも高層ビルが建ち並ぶような大都会でもなく、ほどほどに栄えているくらいで暮らしやすいと言っていた。
そんな街の中を七海と二人で歩いて、十分弱で七海のアパートに着いた。新築のワンルームで、部屋の中は七海の好きそうな可愛らしい家具で揃えられている。
荷物を置かせてもらってから初めて来る七海の家をきょろきょろと見渡していると、七海が冷たい麦茶を運んで持ってきてくれた。
「ありがと」
「いいえー、何もおもてなしできませんが。それより、倫。何があったの? 平原さん絡み?」
「あ……うん。さすが、よく分かってるね」
「そりゃそうよ、何年友達やってると思ってんの? それで、何? 見つかったの?」
莉子といい七海といい、やっぱり長く一緒にいると何があったのか分かるものらしい。確かに、もし莉子や七海に何かあったとしたらきっと私もすぐに気付くだろう。というより、気付けるようでありたいと思っている。
「ううん、見つかったわけじゃないんだけど……これ見て」
そう言って私は、七海にスマートフォンの画面を見せた。昼間莉子の家で見つけた、医療機器メーカー・ヘイゲンの企業サイトだ。
新幹線に乗っている間、このヘイゲンという会社についていろいろと調べてみた。
平原大和という名前は出てこなかったけれど、元々は平原工業という小さな町工場から始まったこと、現社長の平原隼人氏は会長の平原義人氏の息子であること、その義人氏の父が創業者であること、そしてその創業者夫人はドイツの老舗医療機器メーカーの娘であったことが分かった。おばあちゃんがドイツ人だった、という平原さんの言葉とも合致する。
しかしサイトに載っている社長の写真を見せると、七海は眉間に皺を寄せてまじまじとそれを見つめた。
「うーん、確かに苗字は平原だし、顔もちょっと似てるけど……じゃあ平原さんは、この社長の兄弟ってこと?」
「かもしれない、と思って。年齢で言えば平原さんの方が年下だから、この社長は平原さんのお兄さんなんじゃないかと思ったの」
「なるほどねぇ」
「それに私、この社長の隼人って人に会ったことあるかもしれない。二年前、家の近くで」
「ええっ!? それ本当なの? 倫の家の近くって、なんでまた……」
「それも分かんない。でもあの人が本当にこの社長だったとしたら、平原さんに会いに行ったのかもしれないし、もしかしたら私と平原さんの関係も知ってたのかも」
可能性は低いが、あり得ることだった。
あの時会った派手な格好をした男性は、どう見たって平凡な住宅街にそぐわない見た目をしていたから、私もよく覚えている。考えれば考えるほど、あの人とこの社長が同一人物としか思えなくなっていた。
しかし、七海は難しい顔をして唸る。
「でも倫、どうするつもり? 小さい町工場とかだったら直接話聞けるかもしれないけど、ヘイゲンってすごい大きい会社だよ。あたしらみたいなのが行って、いきなり社長に会いたいなんて言っても会えるとは思えないんだけど」
「そうなんだよねー……」
それについても新幹線の中で考えたけれど、良い案は浮かばなかった。
就活生を装って社内に入ろうかとも考えたが、それではせいぜい人事担当者くらいにしか会えないだろう。それに、嘘がばれて警察でも呼ばれたら二度とこの会社には近づけない。
「駄目元で、社長に会いたいって言ってみる。無理だって言われたら、平原大和さんはいますか、って聞く」
「でもそういうのってすぐ教えてくれるのかなぁ? 本当に平原さんがこの会社の人だったとしても、今はプライバシーがどうのこうのって言って部外者には教えてくれないんじゃ……」
「全部言うよ。平原大和の婚約者なんですけど、って」
「ぶっ!!」
七海が急に飲んでいた麦茶を吹き出した。慌ててティッシュを取って七海に渡すと、ごほごほと咳込みながら七海が驚いたように目を見開いて私に言う。
「こっ、婚約者って大胆な! あんた、そんな嘘じゃ……!」
そういえば、結局七海にも平原さんと結婚の約束をしたことは言っていなかった。
平原さんと普通にお付き合いしている間は気が早すぎると思われそうで黙っていたし、彼がいなくなってからは七海に聞かれない限り彼の話はしていなかったから。
「……嘘じゃないよ。ただの口約束だけど、確かに約束したの。結婚しよう、ずっと一緒にいよう、って」
「倫……」
苗字が同じなのも、顔が似ているのも、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。
もしこの会社が平原さんと繋がるものであったとしても、彼が私に会ってくれるかどうかは分からない。だって、黙って消えてしまったのだ。何らかの事情があって実家に帰ることになったのだとしても、私に何も言わないで去ってしまうなんておかしい。
だとしたら、私と別れるために何も告げずに消えたのか、私に知られたくないことがあったとしか考えられなかった。
「明日この会社に行ってみたい。七海と遊ぶ予定だったのに、ごめんね」
「水くさいこと言わないでよ。倫、平原さんがいなくなってからずっと悲しい顔してたけど、今日はしてない。やる気に満ち溢れてるって感じ」
「え……そう?」
「そうだよぉ。それがちょっと嬉しい。でも倫、もしこれでハズレだったとしても落ち込まないでよね」
「うん、大丈夫」
笑顔で頷くと、七海もほっとしたように笑った。
次の日、私と七海は株式会社ヘイゲンの本社ビルに来ていた。
七海のアパートからバスで三十分ほどの場所にあるこのビルは、全面ガラス張りの大きな建物だ。そのビルの目の前まで来て、その威圧感に少しだけ怖気づく。
「だ、大丈夫かなぁ? 警備員の人とかにつまみ出されそう……」
「大丈夫……だと思いたいんだけど。七海は待ってて、私行ってくる」
「何言ってんの! あたしも一緒に行くよ、二人だったら怖くないでしょ?」
「あ……うん! ありがとう」
二人で顔を見合わせて頷いてから、スーツ姿の人たちが出入りする自動ドアから中に入った。いざ出陣、といった気分である。
中に入ると、広いロビーの中央に受付があった。制服を着た綺麗なお姉さん二人がにこやかに来客に応対している。この人たちにだったら、びびらずに話せそうだ。
「あの、すみません!」
「はい、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
受付のお姉さんは、明らかにこの場から浮いている大学生の私たち相手にも愛想よく接してくれた。一安心して、早速本題を切り出す。
「あ、の……社長の、平原隼人さんにお会いしたいんですが」
「社長、ですか? 失礼ですが、アポイントメントの方は……」
「な、ないです」
「申し訳ありません、アポイントメントがありませんと社長との面会は難しいと思われます」
「あ……やっぱり、そうですよね……」
予想通り、いきなり来て社長に会いたいなんて言っても無理そうだ。これだけ大きな会社の社長なんだから、きっと多忙を極めているのだろう。それに私みたいな部外者を簡単に会わせていては何があるか分からない。
隣に立つ七海に目配せして、作戦その二に移行することにした。
「それではあの、お聞きしたいんですが、こちらの会社に平原大和さんという方はいらっしゃいますか?」
「えっ……」
半ば諦めながら平原さんの名前を出すと、受付のお姉さんの動きが止まった。
その反応を見て私は確信する。
いる。
やっぱり、平原さんはこの会社にいる!
「いるんですね!?」
「えっ、あの、失礼ですが、お客様とはどのような御関係でいらっしゃいますか?」
明らかに動揺している受付のお姉さんに詰め寄ると、彼女は慌てたように手元の電話に手を伸ばした。
いる、絶対にいる。これで平原さんと会える!
興奮した私は、受付のカウンターに手をついて大声で言い放った。
「婚約者ですっ! 平原大和さんの婚約者の、大屋倫です!」
私の声に、辺りがしんと静まり返る。
一流企業のロビーで、この女は何を言っているんだという目で見られているのが分かる。周りはみんなスーツを着た大人だ。
でも、そんなことよりも私は平原さんが見つかった喜びでいっぱいだった。
受付のお姉さんは目を丸くしてから、深刻な面持ちで「少々お待ちください」と言って受話器をとってどこかに電話をかけた。
緊張と興奮がない交ぜになったような気持ちで、私は隣に立つ七海を見た。七海が無言で親指を立てる。
やった。これで平原さんと会える。まだ状況はよく分かっていないけれど、確かに平原さんはこの会社にいる。手の届く場所まで、私は辿り着いたのだ。
「どうした、騒がしいな。何かあったのか」
「あっ……しゃ、社長……!」
ふと後ろから低い声がして、私と七海は驚いて振り返った。
そこには何人かのスーツの男性を引き連れた、背の高い男性が立っていた。
色の濃いサングラスに、見るから高そうなスーツ、アクセサリー。そして、鼻の奥に残って抜けないくらいに強い香水の匂い。
「なっ……やっぱり、あの時のっ……!」
二年前の夏の終わり、家の近くで定期入れを落としたと言った、あの人だった。
「……おや。珍しいお客さんだね」
私が思わずそう叫ぶと、社長の平原隼人は一瞬怪訝な顔をしたもののすぐに私に気付いたようだった。
しかしすぐに、嘲るような冷たい笑顔を私たちに向ける。
「お嬢さん、いつぞやは定期入れを拾ってくれてありがとう。それにしても何の用かな? 僕のことが忘れられなくて探していたのかい?」
「違います! 私、平原さん……平原大和さんを探してるんです! どこにいるか、ご存知ですよね!?」
私がそう決めつけて言うと社長はまた、くくっと嘲るように笑った。何がおかしいのだ。こっちは平原さんを探してやっとの思いでここまで来たのに。
しかし、その社長の態度で私は気付き始めていた。全ての元凶は、この人なのではないかと。
「そんなに興奮しないで。確かに僕は大和の居場所を知っている。何て言ったって、たった一人の兄弟だからね」
やっぱりそうか。
でも、平原さんは兄がいるなんて一言も言っていなかった。それはきっと、思い出したくなかったからだ。この人は、家を出たくなるほど平原さんを苦しめた「家族」の一人なのだ。
大げさに「兄弟」と強調する社長に構わず、私は聞く。私が聞きたいのはこの人の話なんかじゃない。平原さん自身の口で、何があったのかを聞きたいのだ。
「平原さんに、会わせてください」
「それはできない。今は僕にとって……いや、この会社にとって大事な時期なんだ。そのために大和が必要でね、君とは会わせられないんだよ」
「どういうことですか!?」
的を得ない社長の言葉に、私は苛立って詰め寄る。しかしそんな私を控えていたスーツ姿の男性たちが取り押さえた。
「申し訳ありませんが、社長はこの後もご予定があります。お帰り下さい」
「嫌です!! 平原さんに会うまで、絶対に帰りません!!」
「あっ、ちょっと……!」
男性たちの手を振り払って、この場から去ろうとした社長の後を追いかける。ここで引き下がるわけにはいかなかった。どうしても、この男から平原さんの居場所を聞き出さなければならない。
「……フッ。二年前より、随分としっかりものを言うようになったんだね?」
「質問に答えてください。平原さんはどこにいるんですか」
「引き下がる気はない、と言ったところか……いいだろう。今日は無理だが、明日なら多少時間を取れる。そこでお話ししよう」
「なっ……」
「明日の十時、またここに来るといい。あまり人に聞かせたくない話もあるから、きみ一人でね。それでは失礼」
そう言い残すと、再び男性たちを引き連れて社長は去って行った。
茫然と立ち尽くす私に七海が駆け寄ってくる。
「倫、大丈夫!?」
「え……」
「もう、びっくりしたよ! あの怖そうな社長に突っかかってくんだもん、ヒヤヒヤしちゃった」
「ご、ごめん……ついカッとなっちゃって」
「とりあえず、ここ出よう。注目浴びてるし」
七海に言われて周りを見ると、確かに大人たちが訝しげにこちらを見ている。あれだけ社長相手に食いかかったのだから、変な目で見られてもおかしくない。
その視線から逃げるように、私たちはビルを後にした。
「はあーっ、さて、どうしたもんかねぇ……」
ヘイゲンの本社を後にした私と七海は、繁華街にあるカフェに来ていた。
冷たいカフェオレを飲みながら、七海が大きくため息をつく。
「あの様子じゃ、明日また行っても平原さんに会わせてくれるかどうか分かんないよ。なんかあの社長いやらしい顔してたし、倫大丈夫?」
「それは大丈夫だと思うけど……でも確かに、平原さんには会わせてくれないかもしれない」
スプーンでミルクティーをかき混ぜながら、私もため息を交えて言った。
平原さんに一歩近づけたのは大きな進歩だが、あの社長は大きな壁だ。しかし、その壁を乗り越えなければ平原さんには会えない。
「ていうかあの社長、ビルの中だってのにサングラスは外さないし香水臭いし、嫌味ったらしい男だったねぇ! 本当に平原さんのお兄ちゃんなのかな」
「私もそう思う。でも……あの人、本当に目が悪いのかもしれない」
「えっ?」
「前、家の近くで会ったとき言ってたの。目が悪いんだって。嘘なのかなって思ってたけど、さっきも周りの人に誘導されてたから本当なのかも」
「そ、そういえば……」
ヘイゲンについてネットで調べたときは、そんな情報は出ていなかった。特に問題なく仕事をしているようだったが、周りの人に誘導してもらうほど目が悪い中仕事をしているのだろうか。それもまた違和感がある。
私と七海が二人で考え込んでいると、カフェの入り口の方から誰かが手を振っているのが見えた。それを見て七海が嬉しそうに手招きする。
「あれ? もしかして坂木くん?」
「うん、今近くにいるって言うから呼んだの! トモヤ、こっち!」
やってきたのは、七海の彼氏の坂木くんだった。
隣のクラスではあったけれど、同じ高校だったから私も何度か話したことがある。今は七海と同じ大学の法学部に通っていると言っていた。
「久しぶりだね、大屋さん」
「久しぶり。元気だった? 七海が迷惑かけてない?」
「ちょっと倫、何よそれ! かけてないもん、ラブラブだよねぇー?」
「まあ、七海に一方的に怒られることはよくあるけど、仲良くやってるよ」
坂木くんは苦笑しながらそう言って、七海の隣の席に座った。
おっとりした性格の坂木くんは、七海の我が儘にものんびり対応してくれている。それに将来は弁護士を目指していると言うし、将来有望な彼氏だ。
「あのね、実は平原さんが見つかりそうなの。でもちょっと問題があって、それでトモヤにも知恵を借りようと思ってさ」
「えっ、本当に? 俺もずっと気にしてはいたんだけど……そうか、見つかりそうなんだ、よかったぁ」
「だからっ、問題が山積みなの! 三人で作戦会議よ!」
なるほど、そのために坂木くんを呼んでくれたらしい。確かに一歩引いた目線で見てくれる人がいれば良い作戦が思い浮かぶかもしれない。
七海と私で現状を話しながら、私たちは平原さんに会うための作戦会議を始めた。
「七海! ごめんね、お待たせ!」
七海の家の最寄駅に着いたときには、すでに夜の十時を過ぎていた。そんな遅い時間にも関わらず、七海は駅まで迎えに来てくれた。
「ごめん、遅くに来ちゃって……それに急だったし」
「何言ってんの、あたしと倫の仲でしょ! それより、遠くから来てくれて嬉しいよ」
駅の改札を出てから、駅前の少し賑やかな商店街を抜ける。
七海の住むこの街は、私たちの地元より少し都会だ。でも高層ビルが建ち並ぶような大都会でもなく、ほどほどに栄えているくらいで暮らしやすいと言っていた。
そんな街の中を七海と二人で歩いて、十分弱で七海のアパートに着いた。新築のワンルームで、部屋の中は七海の好きそうな可愛らしい家具で揃えられている。
荷物を置かせてもらってから初めて来る七海の家をきょろきょろと見渡していると、七海が冷たい麦茶を運んで持ってきてくれた。
「ありがと」
「いいえー、何もおもてなしできませんが。それより、倫。何があったの? 平原さん絡み?」
「あ……うん。さすが、よく分かってるね」
「そりゃそうよ、何年友達やってると思ってんの? それで、何? 見つかったの?」
莉子といい七海といい、やっぱり長く一緒にいると何があったのか分かるものらしい。確かに、もし莉子や七海に何かあったとしたらきっと私もすぐに気付くだろう。というより、気付けるようでありたいと思っている。
「ううん、見つかったわけじゃないんだけど……これ見て」
そう言って私は、七海にスマートフォンの画面を見せた。昼間莉子の家で見つけた、医療機器メーカー・ヘイゲンの企業サイトだ。
新幹線に乗っている間、このヘイゲンという会社についていろいろと調べてみた。
平原大和という名前は出てこなかったけれど、元々は平原工業という小さな町工場から始まったこと、現社長の平原隼人氏は会長の平原義人氏の息子であること、その義人氏の父が創業者であること、そしてその創業者夫人はドイツの老舗医療機器メーカーの娘であったことが分かった。おばあちゃんがドイツ人だった、という平原さんの言葉とも合致する。
しかしサイトに載っている社長の写真を見せると、七海は眉間に皺を寄せてまじまじとそれを見つめた。
「うーん、確かに苗字は平原だし、顔もちょっと似てるけど……じゃあ平原さんは、この社長の兄弟ってこと?」
「かもしれない、と思って。年齢で言えば平原さんの方が年下だから、この社長は平原さんのお兄さんなんじゃないかと思ったの」
「なるほどねぇ」
「それに私、この社長の隼人って人に会ったことあるかもしれない。二年前、家の近くで」
「ええっ!? それ本当なの? 倫の家の近くって、なんでまた……」
「それも分かんない。でもあの人が本当にこの社長だったとしたら、平原さんに会いに行ったのかもしれないし、もしかしたら私と平原さんの関係も知ってたのかも」
可能性は低いが、あり得ることだった。
あの時会った派手な格好をした男性は、どう見たって平凡な住宅街にそぐわない見た目をしていたから、私もよく覚えている。考えれば考えるほど、あの人とこの社長が同一人物としか思えなくなっていた。
しかし、七海は難しい顔をして唸る。
「でも倫、どうするつもり? 小さい町工場とかだったら直接話聞けるかもしれないけど、ヘイゲンってすごい大きい会社だよ。あたしらみたいなのが行って、いきなり社長に会いたいなんて言っても会えるとは思えないんだけど」
「そうなんだよねー……」
それについても新幹線の中で考えたけれど、良い案は浮かばなかった。
就活生を装って社内に入ろうかとも考えたが、それではせいぜい人事担当者くらいにしか会えないだろう。それに、嘘がばれて警察でも呼ばれたら二度とこの会社には近づけない。
「駄目元で、社長に会いたいって言ってみる。無理だって言われたら、平原大和さんはいますか、って聞く」
「でもそういうのってすぐ教えてくれるのかなぁ? 本当に平原さんがこの会社の人だったとしても、今はプライバシーがどうのこうのって言って部外者には教えてくれないんじゃ……」
「全部言うよ。平原大和の婚約者なんですけど、って」
「ぶっ!!」
七海が急に飲んでいた麦茶を吹き出した。慌ててティッシュを取って七海に渡すと、ごほごほと咳込みながら七海が驚いたように目を見開いて私に言う。
「こっ、婚約者って大胆な! あんた、そんな嘘じゃ……!」
そういえば、結局七海にも平原さんと結婚の約束をしたことは言っていなかった。
平原さんと普通にお付き合いしている間は気が早すぎると思われそうで黙っていたし、彼がいなくなってからは七海に聞かれない限り彼の話はしていなかったから。
「……嘘じゃないよ。ただの口約束だけど、確かに約束したの。結婚しよう、ずっと一緒にいよう、って」
「倫……」
苗字が同じなのも、顔が似ているのも、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。
もしこの会社が平原さんと繋がるものであったとしても、彼が私に会ってくれるかどうかは分からない。だって、黙って消えてしまったのだ。何らかの事情があって実家に帰ることになったのだとしても、私に何も言わないで去ってしまうなんておかしい。
だとしたら、私と別れるために何も告げずに消えたのか、私に知られたくないことがあったとしか考えられなかった。
「明日この会社に行ってみたい。七海と遊ぶ予定だったのに、ごめんね」
「水くさいこと言わないでよ。倫、平原さんがいなくなってからずっと悲しい顔してたけど、今日はしてない。やる気に満ち溢れてるって感じ」
「え……そう?」
「そうだよぉ。それがちょっと嬉しい。でも倫、もしこれでハズレだったとしても落ち込まないでよね」
「うん、大丈夫」
笑顔で頷くと、七海もほっとしたように笑った。
次の日、私と七海は株式会社ヘイゲンの本社ビルに来ていた。
七海のアパートからバスで三十分ほどの場所にあるこのビルは、全面ガラス張りの大きな建物だ。そのビルの目の前まで来て、その威圧感に少しだけ怖気づく。
「だ、大丈夫かなぁ? 警備員の人とかにつまみ出されそう……」
「大丈夫……だと思いたいんだけど。七海は待ってて、私行ってくる」
「何言ってんの! あたしも一緒に行くよ、二人だったら怖くないでしょ?」
「あ……うん! ありがとう」
二人で顔を見合わせて頷いてから、スーツ姿の人たちが出入りする自動ドアから中に入った。いざ出陣、といった気分である。
中に入ると、広いロビーの中央に受付があった。制服を着た綺麗なお姉さん二人がにこやかに来客に応対している。この人たちにだったら、びびらずに話せそうだ。
「あの、すみません!」
「はい、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
受付のお姉さんは、明らかにこの場から浮いている大学生の私たち相手にも愛想よく接してくれた。一安心して、早速本題を切り出す。
「あ、の……社長の、平原隼人さんにお会いしたいんですが」
「社長、ですか? 失礼ですが、アポイントメントの方は……」
「な、ないです」
「申し訳ありません、アポイントメントがありませんと社長との面会は難しいと思われます」
「あ……やっぱり、そうですよね……」
予想通り、いきなり来て社長に会いたいなんて言っても無理そうだ。これだけ大きな会社の社長なんだから、きっと多忙を極めているのだろう。それに私みたいな部外者を簡単に会わせていては何があるか分からない。
隣に立つ七海に目配せして、作戦その二に移行することにした。
「それではあの、お聞きしたいんですが、こちらの会社に平原大和さんという方はいらっしゃいますか?」
「えっ……」
半ば諦めながら平原さんの名前を出すと、受付のお姉さんの動きが止まった。
その反応を見て私は確信する。
いる。
やっぱり、平原さんはこの会社にいる!
「いるんですね!?」
「えっ、あの、失礼ですが、お客様とはどのような御関係でいらっしゃいますか?」
明らかに動揺している受付のお姉さんに詰め寄ると、彼女は慌てたように手元の電話に手を伸ばした。
いる、絶対にいる。これで平原さんと会える!
興奮した私は、受付のカウンターに手をついて大声で言い放った。
「婚約者ですっ! 平原大和さんの婚約者の、大屋倫です!」
私の声に、辺りがしんと静まり返る。
一流企業のロビーで、この女は何を言っているんだという目で見られているのが分かる。周りはみんなスーツを着た大人だ。
でも、そんなことよりも私は平原さんが見つかった喜びでいっぱいだった。
受付のお姉さんは目を丸くしてから、深刻な面持ちで「少々お待ちください」と言って受話器をとってどこかに電話をかけた。
緊張と興奮がない交ぜになったような気持ちで、私は隣に立つ七海を見た。七海が無言で親指を立てる。
やった。これで平原さんと会える。まだ状況はよく分かっていないけれど、確かに平原さんはこの会社にいる。手の届く場所まで、私は辿り着いたのだ。
「どうした、騒がしいな。何かあったのか」
「あっ……しゃ、社長……!」
ふと後ろから低い声がして、私と七海は驚いて振り返った。
そこには何人かのスーツの男性を引き連れた、背の高い男性が立っていた。
色の濃いサングラスに、見るから高そうなスーツ、アクセサリー。そして、鼻の奥に残って抜けないくらいに強い香水の匂い。
「なっ……やっぱり、あの時のっ……!」
二年前の夏の終わり、家の近くで定期入れを落としたと言った、あの人だった。
「……おや。珍しいお客さんだね」
私が思わずそう叫ぶと、社長の平原隼人は一瞬怪訝な顔をしたもののすぐに私に気付いたようだった。
しかしすぐに、嘲るような冷たい笑顔を私たちに向ける。
「お嬢さん、いつぞやは定期入れを拾ってくれてありがとう。それにしても何の用かな? 僕のことが忘れられなくて探していたのかい?」
「違います! 私、平原さん……平原大和さんを探してるんです! どこにいるか、ご存知ですよね!?」
私がそう決めつけて言うと社長はまた、くくっと嘲るように笑った。何がおかしいのだ。こっちは平原さんを探してやっとの思いでここまで来たのに。
しかし、その社長の態度で私は気付き始めていた。全ての元凶は、この人なのではないかと。
「そんなに興奮しないで。確かに僕は大和の居場所を知っている。何て言ったって、たった一人の兄弟だからね」
やっぱりそうか。
でも、平原さんは兄がいるなんて一言も言っていなかった。それはきっと、思い出したくなかったからだ。この人は、家を出たくなるほど平原さんを苦しめた「家族」の一人なのだ。
大げさに「兄弟」と強調する社長に構わず、私は聞く。私が聞きたいのはこの人の話なんかじゃない。平原さん自身の口で、何があったのかを聞きたいのだ。
「平原さんに、会わせてください」
「それはできない。今は僕にとって……いや、この会社にとって大事な時期なんだ。そのために大和が必要でね、君とは会わせられないんだよ」
「どういうことですか!?」
的を得ない社長の言葉に、私は苛立って詰め寄る。しかしそんな私を控えていたスーツ姿の男性たちが取り押さえた。
「申し訳ありませんが、社長はこの後もご予定があります。お帰り下さい」
「嫌です!! 平原さんに会うまで、絶対に帰りません!!」
「あっ、ちょっと……!」
男性たちの手を振り払って、この場から去ろうとした社長の後を追いかける。ここで引き下がるわけにはいかなかった。どうしても、この男から平原さんの居場所を聞き出さなければならない。
「……フッ。二年前より、随分としっかりものを言うようになったんだね?」
「質問に答えてください。平原さんはどこにいるんですか」
「引き下がる気はない、と言ったところか……いいだろう。今日は無理だが、明日なら多少時間を取れる。そこでお話ししよう」
「なっ……」
「明日の十時、またここに来るといい。あまり人に聞かせたくない話もあるから、きみ一人でね。それでは失礼」
そう言い残すと、再び男性たちを引き連れて社長は去って行った。
茫然と立ち尽くす私に七海が駆け寄ってくる。
「倫、大丈夫!?」
「え……」
「もう、びっくりしたよ! あの怖そうな社長に突っかかってくんだもん、ヒヤヒヤしちゃった」
「ご、ごめん……ついカッとなっちゃって」
「とりあえず、ここ出よう。注目浴びてるし」
七海に言われて周りを見ると、確かに大人たちが訝しげにこちらを見ている。あれだけ社長相手に食いかかったのだから、変な目で見られてもおかしくない。
その視線から逃げるように、私たちはビルを後にした。
「はあーっ、さて、どうしたもんかねぇ……」
ヘイゲンの本社を後にした私と七海は、繁華街にあるカフェに来ていた。
冷たいカフェオレを飲みながら、七海が大きくため息をつく。
「あの様子じゃ、明日また行っても平原さんに会わせてくれるかどうか分かんないよ。なんかあの社長いやらしい顔してたし、倫大丈夫?」
「それは大丈夫だと思うけど……でも確かに、平原さんには会わせてくれないかもしれない」
スプーンでミルクティーをかき混ぜながら、私もため息を交えて言った。
平原さんに一歩近づけたのは大きな進歩だが、あの社長は大きな壁だ。しかし、その壁を乗り越えなければ平原さんには会えない。
「ていうかあの社長、ビルの中だってのにサングラスは外さないし香水臭いし、嫌味ったらしい男だったねぇ! 本当に平原さんのお兄ちゃんなのかな」
「私もそう思う。でも……あの人、本当に目が悪いのかもしれない」
「えっ?」
「前、家の近くで会ったとき言ってたの。目が悪いんだって。嘘なのかなって思ってたけど、さっきも周りの人に誘導されてたから本当なのかも」
「そ、そういえば……」
ヘイゲンについてネットで調べたときは、そんな情報は出ていなかった。特に問題なく仕事をしているようだったが、周りの人に誘導してもらうほど目が悪い中仕事をしているのだろうか。それもまた違和感がある。
私と七海が二人で考え込んでいると、カフェの入り口の方から誰かが手を振っているのが見えた。それを見て七海が嬉しそうに手招きする。
「あれ? もしかして坂木くん?」
「うん、今近くにいるって言うから呼んだの! トモヤ、こっち!」
やってきたのは、七海の彼氏の坂木くんだった。
隣のクラスではあったけれど、同じ高校だったから私も何度か話したことがある。今は七海と同じ大学の法学部に通っていると言っていた。
「久しぶりだね、大屋さん」
「久しぶり。元気だった? 七海が迷惑かけてない?」
「ちょっと倫、何よそれ! かけてないもん、ラブラブだよねぇー?」
「まあ、七海に一方的に怒られることはよくあるけど、仲良くやってるよ」
坂木くんは苦笑しながらそう言って、七海の隣の席に座った。
おっとりした性格の坂木くんは、七海の我が儘にものんびり対応してくれている。それに将来は弁護士を目指していると言うし、将来有望な彼氏だ。
「あのね、実は平原さんが見つかりそうなの。でもちょっと問題があって、それでトモヤにも知恵を借りようと思ってさ」
「えっ、本当に? 俺もずっと気にしてはいたんだけど……そうか、見つかりそうなんだ、よかったぁ」
「だからっ、問題が山積みなの! 三人で作戦会議よ!」
なるほど、そのために坂木くんを呼んでくれたらしい。確かに一歩引いた目線で見てくれる人がいれば良い作戦が思い浮かぶかもしれない。
七海と私で現状を話しながら、私たちは平原さんに会うための作戦会議を始めた。
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2人の出会いを描いた作品はこちら
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2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
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https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
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