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蟻退治編

【第4話】一宿一飯の礼

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「あっ! 人がいるぞ」
途中、カギのかかった分厚い木の扉の鉄格子から中を覗き込んでいたハヤテが、素っ頓狂な声を上げた。

「なぁに、また山賊の一味? それとも人に化けた魔物?」
ミリィがうんざりしたように言う。
広間からここに至る間にも、何体もの魔物と戦闘してきたのだ。

「いや、ちょっと見てくれ」
そう言ってハヤテはミリィを後ろから抱き上げた。

「あら、女の子じゃない」
確かに、暗い小部屋の片隅で今のミリィと同じ位の背格好の少女が、ボロを纏った姿で膝を抱えて座っている。

「ハヤテ、このドア開けてくれる?」
「ああ」
ハヤテがカタナを一閃すると、扉は真っ二つになって床に落ちた。

「ねえ、大丈夫?」
部屋に入ったミリィが声をかけると、少女は全身を恐怖に震わせながら言った。

「キャア! お願い、私を食べないで」

「大丈夫、安心して。私はミリィっていうの。あっちはハヤテ。あなた、お名前は?」

少女は困惑と沈黙の後に答えた。
「......メグ」

「お?」
後ろでハヤテが声を上げる。

「メグちゃん、良かったわ。ここから出してあげる」

「本当?」
ミリィが笑顔を作って頷くと、しばらく硬直していた少女は、倒れこむようにミリィにすがり付いた。

「怖い思いをしたのね」
ミリィは優しく少女の頭を撫でた。

「ねえ、もう少しだけここで待っていてくれる? 私とこのお兄ちゃんが、悪いヤツをやっつけてくるから」

「絶対、また戻って来てくれる?」

「絶対。約束する」
そう言ってミリィは、小指を立てた。

メグに見送られて小部屋を出た二人は、まもなく最深部の扉の前に辿り着いた。

「ここね」
「ああ」
頑丈そうな鉄の扉の隙間から、明らかに禍々しい強大な魔力マナが漏れ出ている。

ハヤテは両腕を伸ばし、全身の力を込めて扉を押した。
だが、扉はまるで魔術で施錠されているかの如く、びくともしない。
ハヤテは重心を落とし、更に力を込めた。
「ぐ......ぐっ......」
食いしばる歯の奥から、声が漏れる。

そんなハヤテを見て、ミリィが言った。
「ねえ、引くんじゃない?」

「え?  ああ、そうか」
ハヤテが取っ手を握り軽く引くと、ガラガラと鈍い音がして扉は開かれた。

「さあ、開いたぞ」
何故かひと仕事終えてさっぱりしたような顔のハヤテを横目に、ミリィは扉の内側へ足を踏み入れた。

扉の中は、先程の広間の倍以上もある想像していた以上の大広間だった。
片隅に人骨と思われる大量の骨がうず高く積まれており、その傍らにはルーディン正規兵の甲冑が無造作に転がっている。

そして最奥には、玉座を模したような白い粘着性の糸で作られたイスの上に、これまで倒してきた連中の倍はあろうかという巨大な蟻の魔物がでっぷりと座っている。

わらわの子供たちをったのは、お前たちかえ?」
魔物の声が洞窟内の壁や天井に当たって反響した。

「お前がここの主だな」
ハヤテはズカズカと無造作に近づいて行った。

その後ろ姿にミリィが叫ぶ。
「ハヤテ!」

その瞬間、切断されたハヤテの左腕の肘から先が宙に飛んだ。

切断面から、ドロリとした青い血が飛び散る。

「くっ! まだ他にもいたのか」

「ギギッ! 女王様の御前であるぞ」 
「無礼者が」

膝を付いたハヤテの眼前には、今までの蟻の魔物と比べて、姿は変わらないがやや赤身を帯びた体色の2体の魔物が、見下ろすように立ち塞がっていた。

「なるほど、ではお前たちは兵隊蟻って訳か」
ハヤテは不敵に笑った。

ハヤテは残った右手で"月光"を抜くと、素早く横に薙ぎ払った。

「ギギッ」
2体は同時に飛び下がってかわすと、息の合った連携攻撃を繰り出した。

「くっ!」
ハヤテの剣が辛うじてそれを受け止める。

乾いた無数の金属音と共に、ハヤテと2体の兵隊蟻が飛び交い、ぶつかり合う。

「ラミナード・メイルーラ・ゲラルシャズワ・カタングナ・シャンガイルシュ・ゲ・ガズン......」

やがてハヤテの耳にミリィの詠唱が聞こえてきた。

その瞬間、2体の兵隊蟻のうちの1体が、突如方角を変えミリィに向かって飛び跳ねた。

ガツッ!
ミリィは辛うじて手にしたロッドで辛うじて兵隊蟻の攻撃を食い止めると、素早く銀のナイフを鞘から抜き放って攻撃に転じた。

「ギギッ」
兵隊蟻は嘲笑うかのようにナイフを跳ね上げると、「終わりだ」という声と共にミリィの脳天めがけて鎌状の右腕を振り下ろした。

その腕を、慌てて駆け寄ったハヤテが弾き返したが、その隙を突かれもう1体の兵隊蟻によって背中を大きく割られてしまった。

「ぐわっ!」
ハヤテはたたらを踏みつつも追撃を払いのけ、ミリィを襲った兵隊蟻の攻撃をかわしつつその3本の左腕を斬り飛ばした。

「ギャーッ!」
兵隊蟻の悲鳴を聞きながら、ハヤテが叫ぶ。
「ミリィ、詠唱の続きを!」

言われるまでもなく、ミリィはすでに詠唱を終えていた。
「......暗渠に灯る漆黒の炎、燃ゆる闇、揺らめく焔。我が手に宿りてその仇灰塵に帰さん」

その時、突如玉座の女王がけたたましい叫び声を上げた。

「キョオオオオオオオオエエエエエエエ!!」
その声のあまりの凄まじさに、ミリィは思わずロッドを取り落として耳を塞いだ。

「くっ、このっ!」
詠唱によって高められたミリィの魔力マナは完全に掻き消された。

その間も、兵隊蟻とハヤテの攻防は続く。
「おおおおっ!」
背中と左腕から青い血を吹きこぼしながら、ハヤテの振るった月光は、向かって左の兵隊蟻に受け止められた。
その隙を見逃さず、3本の腕を失った兵隊蟻が、正確にハヤテの首を狙って残された右腕を振り抜いた。

「死ねーっ!」
だが、その腕がハヤテの首に届く直前、ズルズルという音とともに再生したハヤテの左腕が素早く腰の疾風迅雷を引き抜くと、その開いたままの口に突き刺した。

「ギャーッ!」
左腕の無い兵隊蟻は、脳天まで貫かれ絶命した。

「き、貴様!」
残された1体は一気に間合いを詰めると、ほとんど体当たりのようにして、ハヤテの腹を両腕でえぐった。

「ぐっ!」
口から血を溢れさせながら、ハヤテはおもむろに兵隊蟻にしがみついた。

「は、離せ!」
ハヤテを振りほどこうともがく兵隊蟻の首を、ミリィは拾い上げた銀のナイフで切断した。
鮮血がミリィの顔を濡らす。

「ギギ......」
力を失いもたれ掛かる兵隊蟻を払いのけて、ハヤテはよろめきながら立ち上がった。

「ハヤテ、大丈夫?」
「ああ、まだ戦えるさ」

2人は同時に女王に向き直った。

女王はゆっくりと玉座から立ち上がる。

「行くわよ」
「ああ」

ハヤテは一直線に間合いを詰めた。
目前に迫った女王の巨大な胸から、突如4本の触手が飛び出した。
「なに!?」
触手はハヤテの四肢を絡め取ると、自らの元へ引きずり込んだ。

「くっ!」
ハヤテは抵抗を試みるが、容易に振りほどけない。
さらに大きく縦に裂けた胸から肋骨のような固い突起物が現れ、引きずり込んだハヤテを噛み砕くように挟み込んだ。

「ぐわっ!」
全身の骨が砕け、ハヤテは苦痛の呻き声をあげた。

「ホホーッ。妾に立ち向かうとは愚かものめが」
ズルズルと胸で直接ハヤテを飲み込みつつ、女王は再び超高音の叫び声を上げた。

堪えきれず耳を塞ぐミリィに、触手が襲いかかる。
「さあ、お前も食ってやる。もっと近くに来よ......」
そう言いかけた口に、唯一胸から飛び出ていたハヤテの右腕に握られたままの"月光"が突き刺さった。

「ギャーッ!」
大きく仰け反る女王の隙を見逃さず、ミリィは呪文の詠唱を始めた。

「ゲッペルロドモル•アウグスドゥル•ヘゲエゲ•ガンジャ•ゲッパ......死を司る冥府の番人、振りかざせ大いなる鎌。『死神の鎌ゼンゼマンズ•シーチェル』!」

「貴様......!」
詠唱の完了とともに、宙空に現れた巨大な鎌が一閃し、女王の首を掻き飛ばした。
大量の鮮血を吹き上げながら、女王はスローモーションのように後方へと倒れ落ちた。

「ハヤテ、大丈夫?」
女王の死を見届けたミリィは、胸から突き出たハヤテの右腕を引っ張った。

「ガハッ!」
やがて口から血を吐きつつ、ハヤテの顔が姿を現した。

「痛てて」
ハヤテは全身ズタボロになりながら、女王の腹から転がり出た。

「やったわよ。よく頑張ったわね」
「そう言ってもらえてよかった」
お互いに顔を見合わせて、微笑んだ。
「さあ、それじゃ帰るわよ」


その夜、ザカ村のミトは玄関のドアがトントンと鳴る音を聞いた。
「......」
なにやら声らしき物音も聞こえる。
ベッドに横たわっていたミトは起き上がると、錆びたナタを手に玄関へと向かった。
慎重にドアノブに手を掛けたミトは、ようやくハッキリと聞こえた声を耳にすると、ナタを放り投げ、ドアを破壊しかねない勢いで跳ね開けた。
「メグ!」

「お父さん!」
「メグ...... メグ!」
ミトは愛娘を力一杯抱き締めた。

「お父さん、痛いよ」
「あははは。すまん、すまん」
ミトは大粒の涙を流しながら笑った。
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