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「そういうわけで、お前とはもう終わり」
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「エリザ、何しに来たんだよ」
「な、何って……今日は、フィルの誕生日だから……」
久しぶりに顔を合わせる恋人のフィルから放たれた、冷たい声。
毎年、彼の誕生日は二人でお祝いをするのが恒例となっていた。だから今回も当たり前のようにケーキを焼いて彼の家を訪れた。それなのに彼から出た言葉は“何をしに来た”だった。
まるで迷惑な他人にかけるような言葉を吐かれてエリザは固まってしまう。
(……だって今日は私が来ると分かっていたよね?)
分かっていたはずなのに、どうしてそんなことを言うのかエリザは理解できない。
(毎年あなたの誕生日には私がケーキを焼いて一緒にお祝いするって決まっていたよね? なにより手紙で当日休みが取れたから予定通り誕生日できるよって伝えたよね? それなのにどうしてそんなことを言うの?)
そんな言葉が頭をぐるぐる巡るが、恋人のはずの男が汚いものでも見るような目を向けてくるので、驚きで声が出ない。
「何しに来たんだって言ってんだよ。用がないなら帰ってくれる?」
「え……その……だって、今日フィルの誕生日だから、ケーキを焼いて持ってきたんだけど……」
もしかして、自分の誕生日を忘れているのかと思い、籐かごに入ったケーキを持ち上げて彼の前に出して見せた。
これできっと、ああ誕生日のケーキを持ってきてくれたんだと気付いて笑顔になってくるはずだと淡い期待が膨らむ。きっとちょうど虫の居所が悪かっただけなんだ。誕生日だったと思い出して、忘れていたんだごめんと言ってくれるはずだ。
「ハァ?」
フィルの冷たい表情は緩むことなく、呆れたような声を出して目の前に突き出された籐かごを手で払いのけた。
『ドチャッ』
落ちた衝撃でかごの蓋が開き、ケーキに上に乗っていた苺が飛び出して玄関の外廊下をコロコロと転がっていった。
あまりの暴挙に、エリザが『え? え?』と戸惑っていると、部屋の奥から数名の男女がわらわらと玄関に顔を出してきた。
むっと部屋の中から葉巻の煙と香水の甘ったるい匂いが混じった空気が押し出されてきて、酷い匂いにエリザは顔を歪める。
「フィル、誰か来たのかぁ?」
上半身裸の厳つい男性がフィルを押しのけ前に出てくる。
無遠慮に顔を近づけてくる男に嫌悪感を覚えて一歩引くと、その後ろからしどけない服装の女性が三人が続いて出てきて、玄関の外に立つエリザの姿を見ると全員がどっと笑い出した。
「うわ、これが例の金蔓ちゃん? ほんとに来たんだぁ」
「お金持ってきてくれたのー? せっせと貢いでえらいねー」
「でも彼、もう金蔓ちゃん鬱陶しくなっちゃったみたいよ? 残念だね」
赤い唇から紡がれる言葉はエリザには理解できないものばかりだった。フィルの肩にもたれかかりながらこちらを見る目には、明らかな侮蔑が含まれている。
言われている意味が分からず、助けを求めてフィルのほうを仰ぎ見ると、彼もまた、後ろの人たちと同じように蔑むような笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。
強く香る香水と葉巻の匂いで吐き気をこらえるので精一杯だった。
「もう士官学校も辞めたし、俺こいつらと仕事を始めたから、お前はもう用済みなの。分かる? もうお前に媚びて金もらわなくても良くなったから、せいせいしたわ。つーかいつまで俺の恋人気取りでいるんだよ。もう何カ月も手紙が返ってこない時点で察しろよ」
衝撃的な光景に、衝撃的な言葉。それがどういうことか、分からないはずはないのに脳が理解するのを拒否する。
「え? え? だって……将来一緒になるために士官になるって……待って、この間後期の学費、まとめて渡したばかりなのに」
「うるせえ! お前はただの金蔓なんだって、いい加減気づけよ」
そう言って彼は茫然とするエリザを鬱陶しそうに突き飛ばした。
「えっ? きゃあ!」
まさか彼からこんな酷い言葉を浴びせられるとは思っていなかったため、避けることもできず後ろに倒れてみっともなくしりもちをついてしまう。
「えっ? だって。びっくりしてるじゃん」
「足丸出し。だっさ」
「ヤダ、笑っちゃ可哀そうよ」
無様に転んだ様子がおかしかったのか、彼らは異様なほど笑い転げていた。唾を飛ばして笑うその姿に不気味なものを感じて、そんな彼らを見ているしかできなかった。
「そういうわけで、お前とはもう終わり。金を出しているからってずっと偉そうにしやがって、何様のつもりだよ。二度とお前の顔なんか見たくねーから、金輪際俺に近づくなよ」
フィルはそう言って座り込む私に唾を吐きかけて玄関のドアを閉める。
エリザは一体何が起こったのか理解するのに時間がかかりしばらく動けずその場にへたり込んだままだった。
通りすがりの、同じ長屋に住む他の住民が不審そうにこちらを見て通り過ぎていったので、ようやく我に返り痛む腰をさすりながら立ち上がる。
ノロノロとその場を離れようとした時、通りすがりの住民が一言、
「ちょっと、そのゴミちゃんと片づけていきなさいよ」
と地面にこぼれた苺を指さした。
虫が湧くでしょうと言い捨て、住民は部屋に入って行ったので、エリザはハンカチを取り出してこぼれた苺と地面についたクリームを拭って綺麗にしてからその場を離れた。
「な、何って……今日は、フィルの誕生日だから……」
久しぶりに顔を合わせる恋人のフィルから放たれた、冷たい声。
毎年、彼の誕生日は二人でお祝いをするのが恒例となっていた。だから今回も当たり前のようにケーキを焼いて彼の家を訪れた。それなのに彼から出た言葉は“何をしに来た”だった。
まるで迷惑な他人にかけるような言葉を吐かれてエリザは固まってしまう。
(……だって今日は私が来ると分かっていたよね?)
分かっていたはずなのに、どうしてそんなことを言うのかエリザは理解できない。
(毎年あなたの誕生日には私がケーキを焼いて一緒にお祝いするって決まっていたよね? なにより手紙で当日休みが取れたから予定通り誕生日できるよって伝えたよね? それなのにどうしてそんなことを言うの?)
そんな言葉が頭をぐるぐる巡るが、恋人のはずの男が汚いものでも見るような目を向けてくるので、驚きで声が出ない。
「何しに来たんだって言ってんだよ。用がないなら帰ってくれる?」
「え……その……だって、今日フィルの誕生日だから、ケーキを焼いて持ってきたんだけど……」
もしかして、自分の誕生日を忘れているのかと思い、籐かごに入ったケーキを持ち上げて彼の前に出して見せた。
これできっと、ああ誕生日のケーキを持ってきてくれたんだと気付いて笑顔になってくるはずだと淡い期待が膨らむ。きっとちょうど虫の居所が悪かっただけなんだ。誕生日だったと思い出して、忘れていたんだごめんと言ってくれるはずだ。
「ハァ?」
フィルの冷たい表情は緩むことなく、呆れたような声を出して目の前に突き出された籐かごを手で払いのけた。
『ドチャッ』
落ちた衝撃でかごの蓋が開き、ケーキに上に乗っていた苺が飛び出して玄関の外廊下をコロコロと転がっていった。
あまりの暴挙に、エリザが『え? え?』と戸惑っていると、部屋の奥から数名の男女がわらわらと玄関に顔を出してきた。
むっと部屋の中から葉巻の煙と香水の甘ったるい匂いが混じった空気が押し出されてきて、酷い匂いにエリザは顔を歪める。
「フィル、誰か来たのかぁ?」
上半身裸の厳つい男性がフィルを押しのけ前に出てくる。
無遠慮に顔を近づけてくる男に嫌悪感を覚えて一歩引くと、その後ろからしどけない服装の女性が三人が続いて出てきて、玄関の外に立つエリザの姿を見ると全員がどっと笑い出した。
「うわ、これが例の金蔓ちゃん? ほんとに来たんだぁ」
「お金持ってきてくれたのー? せっせと貢いでえらいねー」
「でも彼、もう金蔓ちゃん鬱陶しくなっちゃったみたいよ? 残念だね」
赤い唇から紡がれる言葉はエリザには理解できないものばかりだった。フィルの肩にもたれかかりながらこちらを見る目には、明らかな侮蔑が含まれている。
言われている意味が分からず、助けを求めてフィルのほうを仰ぎ見ると、彼もまた、後ろの人たちと同じように蔑むような笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。
強く香る香水と葉巻の匂いで吐き気をこらえるので精一杯だった。
「もう士官学校も辞めたし、俺こいつらと仕事を始めたから、お前はもう用済みなの。分かる? もうお前に媚びて金もらわなくても良くなったから、せいせいしたわ。つーかいつまで俺の恋人気取りでいるんだよ。もう何カ月も手紙が返ってこない時点で察しろよ」
衝撃的な光景に、衝撃的な言葉。それがどういうことか、分からないはずはないのに脳が理解するのを拒否する。
「え? え? だって……将来一緒になるために士官になるって……待って、この間後期の学費、まとめて渡したばかりなのに」
「うるせえ! お前はただの金蔓なんだって、いい加減気づけよ」
そう言って彼は茫然とするエリザを鬱陶しそうに突き飛ばした。
「えっ? きゃあ!」
まさか彼からこんな酷い言葉を浴びせられるとは思っていなかったため、避けることもできず後ろに倒れてみっともなくしりもちをついてしまう。
「えっ? だって。びっくりしてるじゃん」
「足丸出し。だっさ」
「ヤダ、笑っちゃ可哀そうよ」
無様に転んだ様子がおかしかったのか、彼らは異様なほど笑い転げていた。唾を飛ばして笑うその姿に不気味なものを感じて、そんな彼らを見ているしかできなかった。
「そういうわけで、お前とはもう終わり。金を出しているからってずっと偉そうにしやがって、何様のつもりだよ。二度とお前の顔なんか見たくねーから、金輪際俺に近づくなよ」
フィルはそう言って座り込む私に唾を吐きかけて玄関のドアを閉める。
エリザは一体何が起こったのか理解するのに時間がかかりしばらく動けずその場にへたり込んだままだった。
通りすがりの、同じ長屋に住む他の住民が不審そうにこちらを見て通り過ぎていったので、ようやく我に返り痛む腰をさすりながら立ち上がる。
ノロノロとその場を離れようとした時、通りすがりの住民が一言、
「ちょっと、そのゴミちゃんと片づけていきなさいよ」
と地面にこぼれた苺を指さした。
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