10 / 10
第一章 少女と澱
第九話 壊れかけたその日、あたしは毒になった
しおりを挟む
中学の夏だった。
蝉の声は濁っていて、風はぬるかった。
台所からガラスの割れる音が聞こえた。
その次に、金属の音。
その次に――母親の、叫ぶような嗚咽。
しずくは、部屋の中でじっとしていた。
呼吸を潜めて、音を数えるように。
それが、自分の身を守る唯一の方法だった。
(また始まった……)
“母”は、壊れかけたラジオのように毎日を繰り返していた。
誰かを責めて、泣いて、寝て、そして朝になったら忘れる。
暴力の中に愛があると信じられたのは、小学生までだった。
その日も同じだったはずだった。
ただ、いつもと違ったのは、“父の写真”が破られたことだった。
何年も前に出ていったきりの男の顔。
母親は、それを泣きながら破った。
しずくは、それを拾おうとした。
ただ、それだけで、
彼女は平手を飛ばした。
世界が、揺れた。
視界が、赤くなった。
「なんであんたがあの人の味方すんのよ!」
違う。
ちがうのに。
でも、言葉は出なかった。
壁に背中をぶつけ、頭が鳴った。
目の前が、ぐらぐらしていた。
(もう、だめかもしれない)
逃げ場はなかった。
学校も、同じだった。
言い返せば面倒が増え、黙れば舐められた。
誰も、自分のことなんて見てなかった。
母も、クラスも、先生も。
だから、しずくは――“人間”をやめたかった。
そのときだった。
空気が、沈んだ。
まるで時間が止まったかのような“間”。
台所の音も、外の蝉も、母の泣き声も、すべてが引き裂かれた。
足元から、黒い霧のようなものが滲んだ。
重たい空気の中に、それが立っていた。
「――限界を超えたか」
声はなかった。けれど、言葉は聞こえた。
心の底で、何かが“繋がった”感触。
「ならば、お前に毒をやろう」
しずくの手に、黒い傘が現れた。
まるでずっと前からそこにあったかのように、馴染んでいた。
部屋の景色が戻ったとき、
母親の顔が変わっていた。
何も見えないような目で、ただしずくを見ていた。
怯えていた。
その瞬間、しずくははじめて笑った。
「……こっちが、正しいでしょ?」
それが花鷹しずくの“始まり”。
毒をまとうことで、世界に反撃できるようになった。
でもそれは、“希望”ではなかった。
しずくにとっての魔法は、
人を遠ざけるための牙であり、
自分を壊さないための皮膚だった。
蝉の声は濁っていて、風はぬるかった。
台所からガラスの割れる音が聞こえた。
その次に、金属の音。
その次に――母親の、叫ぶような嗚咽。
しずくは、部屋の中でじっとしていた。
呼吸を潜めて、音を数えるように。
それが、自分の身を守る唯一の方法だった。
(また始まった……)
“母”は、壊れかけたラジオのように毎日を繰り返していた。
誰かを責めて、泣いて、寝て、そして朝になったら忘れる。
暴力の中に愛があると信じられたのは、小学生までだった。
その日も同じだったはずだった。
ただ、いつもと違ったのは、“父の写真”が破られたことだった。
何年も前に出ていったきりの男の顔。
母親は、それを泣きながら破った。
しずくは、それを拾おうとした。
ただ、それだけで、
彼女は平手を飛ばした。
世界が、揺れた。
視界が、赤くなった。
「なんであんたがあの人の味方すんのよ!」
違う。
ちがうのに。
でも、言葉は出なかった。
壁に背中をぶつけ、頭が鳴った。
目の前が、ぐらぐらしていた。
(もう、だめかもしれない)
逃げ場はなかった。
学校も、同じだった。
言い返せば面倒が増え、黙れば舐められた。
誰も、自分のことなんて見てなかった。
母も、クラスも、先生も。
だから、しずくは――“人間”をやめたかった。
そのときだった。
空気が、沈んだ。
まるで時間が止まったかのような“間”。
台所の音も、外の蝉も、母の泣き声も、すべてが引き裂かれた。
足元から、黒い霧のようなものが滲んだ。
重たい空気の中に、それが立っていた。
「――限界を超えたか」
声はなかった。けれど、言葉は聞こえた。
心の底で、何かが“繋がった”感触。
「ならば、お前に毒をやろう」
しずくの手に、黒い傘が現れた。
まるでずっと前からそこにあったかのように、馴染んでいた。
部屋の景色が戻ったとき、
母親の顔が変わっていた。
何も見えないような目で、ただしずくを見ていた。
怯えていた。
その瞬間、しずくははじめて笑った。
「……こっちが、正しいでしょ?」
それが花鷹しずくの“始まり”。
毒をまとうことで、世界に反撃できるようになった。
でもそれは、“希望”ではなかった。
しずくにとっての魔法は、
人を遠ざけるための牙であり、
自分を壊さないための皮膚だった。
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
縫剣のセネカ
藤花スイ
ファンタジー
「ぬいけんのせねか」と読みます。
--
コルドバ村のセネカは英雄に憧れるお転婆娘だ。
幼馴染のルキウスと共に穏やかな日々を過ごしていた。
ある日、セネカとルキウスの両親は村を守るために戦いに向かった。
訳も分からず見送ったその後、二人は孤児となった。
その経験から、大切なものを守るためには強さが必要だとセネカは思い知った。
二人は力をつけて英雄になるのだと誓った。
しかし、セネカが十歳の時に授かったのは【縫う】という非戦闘系のスキルだった。
一方、ルキウスは破格のスキル【神聖魔法】を得て、王都の教会へと旅立ってゆく。
二人の道は分かれてしまった。
残されたセネカは、ルキウスとの約束を胸に問い続ける。
どうやって戦っていくのか。希望はどこにあるのか⋯⋯。
セネカは剣士で、膨大な魔力を持っている。
でも【縫う】と剣をどう合わせたら良いのか分からなかった。
答えは簡単に出ないけれど、セネカは諦めなかった。
創意を続ければいつしか全ての力が繋がる時が来ると信じていた。
セネカは誰よりも早く冒険者の道を駆け上がる。
天才剣士のルキウスに置いていかれないようにとひた向きに力を磨いていく。
遠い地でルキウスもまた自分の道を歩み始めた。
セネカとの大切な約束を守るために。
そして二人は巻き込まれていく。
あの日、月が瞬いた理由を知ることもなく⋯⋯。
これは、一人の少女が針と糸を使って世界と繋がる物語
(旧題:スキル【縫う】で無双します! 〜ハズレスキルと言われたけれど、努力で当たりにしてみます〜)
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜
KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。
~あらすじ~
世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。
そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。
しかし、その恩恵は平等ではなかった。
富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。
そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。
彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。
あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。
妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。
希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。
英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。
これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。
彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
良かったら読んでください!
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる