水面の下で、魔法少女

冬木 誠

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第一章 少女と澱

第八話 声が届いてしまった日

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 放課後の帰り道。
 陽が傾いて、歩道の影が長く伸びていた。

 遠野澪音は、いつもと変わらない歩幅で歩いていた。
 誰にも気づかれず、誰の記憶にも残らず。
 ただ、空気の隙間をすり抜けるように。

 今日は戦いがなかった。
 “澱”は現れなかった。
 それでも、胸の奥が痛む。

 体の中心にある“魔力の核”が、
 少しずつ、ひび割れているような感覚。

 昨日の戦いが、重かった。

 魔法を使えば使うほど、
「気配を消す」という力は、自分という存在そのものを薄めていく。

 横断歩道の手前で、誰かが声をかけてきた。

「……あなた、もしかしてこの前……」

 振り返ると、そこには橘天音がいた。

 制服が違う。彼女の学校はもう少し駅寄りのはず。
 きっと偶然、下校ルートが重なっただけ。

 澪音は何も言わない。
 天音が続ける。

「この前、助けてくれた……よね。あの化け物から」

 やっぱり覚えていた。
 でも、どこか**“舞台で演じているような”声**だった。

「君、すごく強かった。あんな風に動ける人、初めて見た」

「……そう?」

 澪音は、それだけ答えた。
 心が波立つのを、表に出さない。

 けれど天音は、そのまま隣に並んで歩き出す。

「なんか、ごめんね。名前も聞かずに、勝手に助けられて」

「……遠野、澪音」

「澪音ちゃん。うん、いい名前」

 たぶん、何気ない言葉だった。
 でも澪音にとって、それは**何年ぶりかの、“名を呼ばれた実感”**だった。

 ふたりは数百メートルだけ並んで歩いた。

 会話は少なかった。
 でも――天音の笑顔は、舞台の上のそれではなく、
 どこか素のままに近かった。

 角を曲がった先で、天音は別れた。

「じゃあ、また。……気をつけてね、澪音ちゃん」

 軽く手を振って、去っていく。

 澪音は、黙って見送った。

 その後、ふと気づく。

 足取りが、少しだけ軽くなっていた。

 でも、同時に――
 何かが“ほどけた”ような感覚。

 夜。

 部屋の中で、鏡を見ていた。
 そこには確かに自分がいる。
 でも、輪郭がぼやけていた。

 影が、まとまらない。
 魔力が、反応しない。

「存在が薄くなる力」は、“孤独”によって成り立つ。

 誰にも覚えられない。
 誰にも見つからない。
 それが“力”だった。

 けれど。

 たった一言、
「またね、澪音ちゃん」と言われたことで――
 その力の核が、崩れかけていた。

(私は……このままでよかったのに)

 その感情が、心に浮かんだ瞬間。
 澪音の体が、ふっと傾いだ。

 強烈な吐き気。
 手足の感覚が、薄れていく。
 目の前の景色が、暗く沈む。

 魔力が、逆流していた。
 抑えきれない拒絶反応。
 “感情”というノイズが、能力の回路を破壊し始めていた。

 澪音は、床に膝をついた。
 息ができない。
 世界が、ぼやける。

 “あの子”の声が、まだ胸に残っている。
 温かくて、優しくて――

 それが、いちばん毒だった。
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