水面の下で、魔法少女

冬木 誠

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第一章 少女と澱

第七話 割れた仮面の前で

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 放課後のショッピングモール。 
 ちょうど下校ラッシュの時間帯、学生や親子連れが賑わうフードコートの奥。 
 
 空気が、ふっと“逆流”した。 
 
 誰かが転んだ。 
 誰かが叫んだ。 
 誰かが、動けなくなった。
 
 そして、真ん中に“穴”のように存在していた。 
 ――澱(おり)。
 
 それは人型に近かった。
 でも顔がない。体はまるで何かが溶けたように揺れている。
 何より異様だったのは、すでに数人の一般人が動かなくなっていることだった。
 橘天音は、はっと息をのんだ。
 すぐ近くにいた女子高生が、白目を剥いて倒れていた。
 黒い影のようなものが、彼女の口元から抜けていた。
 
「っ、くる……!」
 
 バッグの中から、小さく折りたたんだ盾を取り出す。
  開くと、それは硬質な金属の音を立てて展開した。
  
 前に出る。
 演じる。 
 
「落ち着いて。私なら、大丈夫――“私が、みんなを守る”」 
 
 演技が始まる。
 身体の奥で、魔力が展開する。
 “その役を演じている限り”、彼女はその力を得る。
 
 盾が、異常な反射率で光を弾いた。
 澱が飛ばした黒い槍のような攻撃が、盾にぶつかる――が、 まるで“弾かれたことになった”ように、空間から消える。 
 
(今は、“何も通さない守護者”を演じている。だから通させない)
 
 だが、澱の力は強かった。
 
 攻撃の質が変わる。
 黒い鞭のようなものが天音の背後から回り込む。
 一瞬、演技が揺らぐ――足元を裂くように攻撃が走った。
 
「くっ……!」
 
 盾を立て直す。
 でも、演技の中に“躊躇”が混じれば、力は不安定になる。

(ヤバい。いけるふりをしてるだけじゃ、もたない)
 
 足が、わずかに下がった。
 
 そのときだった。
 
 風が吹いた。
 
 ぬるく、何かを断ち切るような感触が横を通り抜け―― 澱の首元に、細く鋭い線が走った。
 
 血は出ない。 けれど、空気が一瞬にして裂けた。
 
「……下がって。あなたが、傷つく必要はない」
 
 その声は、天音の横からだった。
 
 見ると、そこにいたのは――黒髪の少女。 知らない顔。記憶にない制服。 短剣を手にして、まるで影のように立っている。

「……え……あなた、誰……?」
 
 天音がそう言ったとき、澪音は何も答えなかった。
 ただ、もう一歩前へと踏み出す。
 
 その動きは、まるで重力が歪んでいるような静かさだった。
 
 澱が吠えるように空気を振動させる。
 澪音は、それに向かって――一切の“気配”を消して走り出した。
 
 短剣が、澱の足を裂く。
 反応が遅れる。視認できない。
 
 もう一撃。
 澪音は飛び込むように回り込み、斜めに深く切り裂いた。

(見えない……私ですら、今、彼女が“どこ”にいるのか……)
 
 天音は、震えていた。
 恐怖ではない。
 ただ、自分の“守る演技”が完全に無力に思えた。
 
 そして、そのとき。
 澱の本体が、最後の力を込めて澪音に向けて鞭のような腕を振り上げた。
 
 天音の足が、反射で動く。
 
 盾を掲げた。
 
「やめて……!君が傷つくのは、違う!」

 澪音の目が、ほんの少しだけ揺れた。
 
 そして――
 天音の盾が、音をたてて“その瞬間の衝撃を押し返した”。
 
 その場に、“役割”が生まれた。
  “守る人間”と“戦う人間”――天音がそれを“演じた”とき、魔法が完成した。
  
 黒い腕が砕け、 澱の体が、一瞬だけ崩れた。
 
 澪音が突き、貫いた。
 
 風が止む。
 
 澱が、霧のように崩れていく。
 
 そして、静寂が戻った。
 
 息をつく天音の前で、澪音が短剣を収めて、背を向ける。

「……ありがとう、あなたがいてくれて」 
 
 天音がそう声をかけたとき―― 澪音は、やはり振り返らなかった。

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