前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

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番外編4 背中側の席のないノート

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 ある日、気がついたら、レオンの“背中”を見ない時間の方が長くなっていた。 
 ――それでも私は、昔のクセでつい「背中側の席」を探してしまうのだから、性格は簡単には変わらない。 
 
 ◇◇◇ 
 
 即位から、三年が経った。 
 
 アルノルト王国は大きな戦もなく、 
 地味だけれど堅実な改革と、小さな祝祭を積み重ねる日々を送っている。 
 
 「陛下、本日の公式日程はここまでです」 
 
 国王執務室で、侍従長が一礼した。 
 
 「残りは“非公式日程”ですね」 
 
 レオンが、いたずらを企む子どものような笑みを浮かべる。 
 
 「……嫌な予感しかしないんだけど」 
 
 「ミサ、今日は劇場に行きましょう」 
 
 「劇場?」 
 
 「ええ。 
 
 “庭園劇場での特別公演”、覚えていますか?」 
 
 そこでようやく、 
 今朝届いていた一通の招待状を思い出した。 
 
 “王都劇団による新作劇『背中側の席と、隣の席』初演” 
 
 ――まさかと思って封を開けたら、 
 
 “とある王太子と教育係の物語から着想を得たフィクションです” 
 
 と、しれっと書いてあった。 
 
 (誰がリークしたんだろうなあ、これ……) 
 
 犯人の検討は、おおよそついている。 
 
 「王妃殿下にも、ぜひご覧いただきたく」 
 
 そう言って頭を下げてきたのは、 
 かつて私たちの“劇中劇”にも関わっていた若い劇団長だ。 
 
 「ミサが書き残したノートの一部が、 
 どうやら脚本の参考になったらしくて」 
 
 レオンが、どこか誇らしげに言った。 
 
 「誰に渡したんですか、そんなもの」 
 
 「“概略だけなら”って、前王妃が」 
 
 (母上……) 
 
 私は額を押さえたくなった。 
 
 でも同時に、 
 少しだけ胸が弾む自分もいた。 
 
 ――“背中側の席”から始まった物語が、 
 今度は誰かのための物語として舞台に乗る。 
 
 それはきっと、悪くないことだ。 
 
 ◇◇◇ 
 
 夕暮れ時。 
 
 王宮の庭園劇場は、 
 いつか見たのと同じようでいて、少し違っていた。 
 
 舞台は広くなり、 
 客席の椅子は座りやすく改装され、 
 
 それでも、 
 扉を開けた瞬間の木と石の匂いは 
 あの頃と変わらない。 
 
 「本日は、一般の観客も入っておりますので」 
 
 案内役の侍従が、 
 私たちを舞台に近い、少し端の席へと導く。 
 
 「王と王妃のお席は、こちらに」 
 
 指定されたのは、 
 舞台に向かって中央より少し左寄りの、並びの二席。 
 
 「“背中側の席”じゃないんですね」 
 
 思わず口にすると、 
 侍従がきょとんとした顔をした。 
 
 レオンは、隣でくすっと笑った。 
 
 「今日は、 
 誰の背中も見なくていい日ですから」 
 
 そう言って、 
 彼は先に席に腰を下ろした。 
 
 私は、その右隣に座る。 
 
 ――真正面に並ぶ二つの椅子。 
 
 “背中側”ではなく、 
 完全に“隣同士”の席。 
 
 (こんな日が来るなんて、 
 前世の私が知ったらどう思うかな) 
 
 想像してみて、 
 自分で自分に苦笑した。 
 
 ◇◇◇ 
 
 照明が落ち、 
 舞台に幕が上がる。 
 
 始まったのは、 
 どこか見覚えのある物語だった。 
 
 ――過労で倒れたアラサー女性が、 
 異世界の王宮に転生する。 
 
 ――彼女は、 
 幼い王太子の“教育係”を任される。 
 
 ――王太子と教育係は、 
 物語や芝居を通して“恋愛感情”を学ぶレッスンを重ねていく。 
 
 「だいぶ脚色されてますね」 
 
 隣でレオンが小声で言った。 
 
 「まあ、フィクションって書いてましたし」 
 
 過去の自分たちを見ているようで、 
 でもどこか他人事でもある。 
 
 舞台の上の“王太子”は、 
 うちの本物より少し肩の力が抜けるのが早く、 
 
 “教育係”は、 
 私よりもう少しだけ自分のことを信じるのが上手だった。 
 
 (いいなあ、その性格、少し分けてほしい) 
 
 そんなことを思いながら、 
 私は舞台とレオンを交互に見た。 
 
 ◇◇◇ 
 
 劇のクライマックス。 
 
 成長した王太子が、 
 人々の前で“教育係”に向かって叫ぶ。 
 
 “僕の背中側の席は、もう空いていません。 
 
 だって、ずっと前から 
 あなたが座っていたから――” 
 
 客席から、 
 小さなどよめきが起きる。 
 
 (……言ってない、言ってない、そんな直球は) 
 
 心の中で全力でツッコミを入れつつ、 
 横を見ると、レオンが妙に真剣な顔をしていた。 
 
 舞台の“教育係”は、 
 戸惑いながらも一歩前に出る。 
 
 “背中側の席でよければ、 
 私はもう、ずっとあなたのそばにいました。 
 
 でも――” 
 
 “教育係”の役者が、 
 客席の方を見て微笑む。 
 
 “これからは、 
 私も自分で席を選びたい。 
 
 あなたの背中ではなく、 
 隣の席で笑っていたいと、 
 
 ちゃんと言える自分でいたいのです” 
 
 その台詞は、 
 妙に胸に刺さった。 
 
 (ああ、そうか) 
 
 私は気づく。 
 
 ――私はずっと、 
 “誰かに選ばれる側”の話だと思っていたけれど。 
 
 この物語は、 
 “自分で席を選べるようになるまで”の話でもあったのだと。 
 
 ◇◇◇ 
 
 劇が終わり、 
 拍手が鳴り止まない中。 
 
 観客たちが少しずつ立ち上がっていく。 
 
 私とレオンは、 
 しばらく席に座ったまま、 
 静かに余韻に浸っていた。 
 
 「どうでしたか?」 
 
 レオンが尋ねる。 
 
 「うーん……」 
 
 私は少し考え込んだ。 
 
 「“教育係”の人、 
 前世の私より自信家だったのが悔しいです」 
 
 「そこですか」 
 
 「でも、 
 最後の台詞は、ちょっと羨ましかったかも」 
 
 “自分で席を選びたい” 
 
 あの一言を、 
 私は本当に言えただろうか。 
 
 「ミサなら、言えてましたよ」 
 
 レオンが、当たり前のように言う。 
 
 「“ここにいたい”って、 
 本当に言ってくれたじゃないですか」 
 
 「……あれは半分勢いでした」 
 
 「勢いでもいいんです。 
 
 勢いで一歩前に出たら、 
 あとは一緒にバランスを取ればいい」 
 
 その言い方が、 
 妙に優しくて、 
 少しだけ苦しくなった。 
 
 「ねえ、レオン」 
 
 「はい」 
 
 「今、あなたの“背中側の席”って、どこ?」 
 
 あえて、 
 意地悪な質問をしてみる。 
 
 レオンは、 
 ほんの少しだけ驚いた顔をしたあと、 
 ゆっくりと笑った。 
 
 「さあ」 
 
 「さあ、って」 
 
 「気づいたら、 
 どこに行ってもミサがついてくるので。 
 
 “背中側の席”というより、 
 “周り全部”がミサになってきた気がします」 
 
 「それはさすがに怖いよ」 
 
 思わず吹き出した。 
 
 「でも――」 
 
 レオンは、 
 私の手をそっと取った。 
 
 「もし、“背中側の席”を探したくなったら、 
 たぶん今はここです」 
 
 そう言って、 
 自分の隣の席を指さす。 
 
 「隣の席?」 
 
 「ええ。 
 
 僕が前を向いていても、 
 座り直したくなったらすぐに寄りかかれる場所。 
 
 それって、 
 背中側とそんなに違わないでしょう?」 
 
 (……ずるいなあ) 
 
 その言い方は、 
 ほんとうにずるい。 
 
 ◇◇◇ 
 
 その夜。 
 
 私は新しいノートを取り出した。 
 
 “Shared Seat – Misa & Leon’s Note” 
 
 表紙には、 
 小さくそんな文字が刻まれている。 
 
 「また増やしましたね、ノート」 
 
 寝室のソファに腰掛けたレオンが、 
 お茶を飲みながら笑う。 
 
 「これはもう、“レッスン用”じゃありません」 
 
 私は、表紙を撫でながら言った。 
 
 「“ミサのノート”じゃなくて、 
 “ミサとレオンのノート”です」 
 
 「恐れ多いですね」 
 
 「ちゃんと働いてくれれば、 
 名前を載せてあげます」 
 
 軽口を叩きつつ、 
 私は最初のページにペンを走らせた。 
 
 “PAGE 1:隣の席から始まるノート” 
 
 “前世の私は、 
 
 会議室の席順や、 
 飲み会の席、 
 結婚式の席次表。 
 
 どこに名前があるかで、 
 自分の価値を測っていた。” 
 
 “今世の私は、 
 
 王妃になっても、 
 相変わらず“背中側の席”を探そうとするクセが抜けない。 
 
 でも、隣の人がこう言う。 
 
 “どこに座ってもいい。 
 
 君がいる場所が、 
 僕にとっての“背中側の席”であり、 
 一緒に前を向ける“隣の席”なんだ”と。” 
 
 ペン先が止まる。 
 
 横を見ると、 
 レオンがこちらを見ていた。 
 
 「書きます?」 
 
 ノートを差し出すと、 
 彼は少し驚いた顔をした。 
 
 「いいんですか」 
 
 「“Shared”って書いてあるので」 
 
 レオンは照れくさそうに笑い、 
 ペンを受け取る。 
 
 そして、 
 私の書いた文章の下に、 
 
 “追記: 
 
 このノートの余白が尽きるまで、 
 
 できれば、 
 ずっとこうして隣に座っていてほしい。 
 
 ――レオンハルト・アルノルト” 
 
 と書き足した。 
 
 「……サインいります?」 
 
 「正式書類じゃないからいいです」 
 
 思わず吹き出しながら、 
 私はそのページをそっと閉じた。 
 
 ◇◇◇ 
 
 窓の外では、 
 王都の夜景が静かに瞬いていた。 
 
 王宮の高い塔から見下ろす街の灯りは、 
 前世で見た高層ビル群の夜景とは違うけれど、 
 
 「ああ、今日も一日ちゃんと終わったな」と 
 思わせてくれる温度がある。 
 
 ソファに並んで座りながら、 
 私は小さく息をついた。 
 
 「ねえ、レオン」 
 
 「はい」 
 
 「もし、また私が 
 『どうせ私は選ばれないから』って言い出したら、 
 どうします?」 
 
 「そうですね」 
 
 レオンは少し考えてから、 
 真面目な顔になった。 
 
 「“じゃあ、僕が何度でも選びます”って言います」 
 
 その答えは、 
 ずるくて、優しくて、 
 反則だった。 
 
 「……それなら、 
 たぶん私は何度でも、隣の席に座り直せます」 
 
 そう言って、 
 私は彼の肩にもたれた。 
 
 ――前世で選ばれなかった女が、 
 今、誰かの隣の席を 
 自分の意志で選んでいる。 
 
 その事実を、 
 ちゃんと誇りに思っていいと、 
 
 ようやく心から思えた夜だった。 
 
 “背中側の席のないノート”は、 
 この先のページをどう埋めていくのか、 
 まだ分からない。 
 
 でも一つだけ確かなのは―― 
 
 これからの人生、 
 私はもう“名前のない紙”の端っこには戻らない。 
 
 自分で選んだ席で、 
 選ばれ続ける物語を書いていく。 
 
 その覚悟だけは、 
 もう、誰にも奪わせない。
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