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番外編4 背中側の席のないノート
しおりを挟むある日、気がついたら、レオンの“背中”を見ない時間の方が長くなっていた。
――それでも私は、昔のクセでつい「背中側の席」を探してしまうのだから、性格は簡単には変わらない。
◇◇◇
即位から、三年が経った。
アルノルト王国は大きな戦もなく、
地味だけれど堅実な改革と、小さな祝祭を積み重ねる日々を送っている。
「陛下、本日の公式日程はここまでです」
国王執務室で、侍従長が一礼した。
「残りは“非公式日程”ですね」
レオンが、いたずらを企む子どものような笑みを浮かべる。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「ミサ、今日は劇場に行きましょう」
「劇場?」
「ええ。
“庭園劇場での特別公演”、覚えていますか?」
そこでようやく、
今朝届いていた一通の招待状を思い出した。
“王都劇団による新作劇『背中側の席と、隣の席』初演”
――まさかと思って封を開けたら、
“とある王太子と教育係の物語から着想を得たフィクションです”
と、しれっと書いてあった。
(誰がリークしたんだろうなあ、これ……)
犯人の検討は、おおよそついている。
「王妃殿下にも、ぜひご覧いただきたく」
そう言って頭を下げてきたのは、
かつて私たちの“劇中劇”にも関わっていた若い劇団長だ。
「ミサが書き残したノートの一部が、
どうやら脚本の参考になったらしくて」
レオンが、どこか誇らしげに言った。
「誰に渡したんですか、そんなもの」
「“概略だけなら”って、前王妃が」
(母上……)
私は額を押さえたくなった。
でも同時に、
少しだけ胸が弾む自分もいた。
――“背中側の席”から始まった物語が、
今度は誰かのための物語として舞台に乗る。
それはきっと、悪くないことだ。
◇◇◇
夕暮れ時。
王宮の庭園劇場は、
いつか見たのと同じようでいて、少し違っていた。
舞台は広くなり、
客席の椅子は座りやすく改装され、
それでも、
扉を開けた瞬間の木と石の匂いは
あの頃と変わらない。
「本日は、一般の観客も入っておりますので」
案内役の侍従が、
私たちを舞台に近い、少し端の席へと導く。
「王と王妃のお席は、こちらに」
指定されたのは、
舞台に向かって中央より少し左寄りの、並びの二席。
「“背中側の席”じゃないんですね」
思わず口にすると、
侍従がきょとんとした顔をした。
レオンは、隣でくすっと笑った。
「今日は、
誰の背中も見なくていい日ですから」
そう言って、
彼は先に席に腰を下ろした。
私は、その右隣に座る。
――真正面に並ぶ二つの椅子。
“背中側”ではなく、
完全に“隣同士”の席。
(こんな日が来るなんて、
前世の私が知ったらどう思うかな)
想像してみて、
自分で自分に苦笑した。
◇◇◇
照明が落ち、
舞台に幕が上がる。
始まったのは、
どこか見覚えのある物語だった。
――過労で倒れたアラサー女性が、
異世界の王宮に転生する。
――彼女は、
幼い王太子の“教育係”を任される。
――王太子と教育係は、
物語や芝居を通して“恋愛感情”を学ぶレッスンを重ねていく。
「だいぶ脚色されてますね」
隣でレオンが小声で言った。
「まあ、フィクションって書いてましたし」
過去の自分たちを見ているようで、
でもどこか他人事でもある。
舞台の上の“王太子”は、
うちの本物より少し肩の力が抜けるのが早く、
“教育係”は、
私よりもう少しだけ自分のことを信じるのが上手だった。
(いいなあ、その性格、少し分けてほしい)
そんなことを思いながら、
私は舞台とレオンを交互に見た。
◇◇◇
劇のクライマックス。
成長した王太子が、
人々の前で“教育係”に向かって叫ぶ。
“僕の背中側の席は、もう空いていません。
だって、ずっと前から
あなたが座っていたから――”
客席から、
小さなどよめきが起きる。
(……言ってない、言ってない、そんな直球は)
心の中で全力でツッコミを入れつつ、
横を見ると、レオンが妙に真剣な顔をしていた。
舞台の“教育係”は、
戸惑いながらも一歩前に出る。
“背中側の席でよければ、
私はもう、ずっとあなたのそばにいました。
でも――”
“教育係”の役者が、
客席の方を見て微笑む。
“これからは、
私も自分で席を選びたい。
あなたの背中ではなく、
隣の席で笑っていたいと、
ちゃんと言える自分でいたいのです”
その台詞は、
妙に胸に刺さった。
(ああ、そうか)
私は気づく。
――私はずっと、
“誰かに選ばれる側”の話だと思っていたけれど。
この物語は、
“自分で席を選べるようになるまで”の話でもあったのだと。
◇◇◇
劇が終わり、
拍手が鳴り止まない中。
観客たちが少しずつ立ち上がっていく。
私とレオンは、
しばらく席に座ったまま、
静かに余韻に浸っていた。
「どうでしたか?」
レオンが尋ねる。
「うーん……」
私は少し考え込んだ。
「“教育係”の人、
前世の私より自信家だったのが悔しいです」
「そこですか」
「でも、
最後の台詞は、ちょっと羨ましかったかも」
“自分で席を選びたい”
あの一言を、
私は本当に言えただろうか。
「ミサなら、言えてましたよ」
レオンが、当たり前のように言う。
「“ここにいたい”って、
本当に言ってくれたじゃないですか」
「……あれは半分勢いでした」
「勢いでもいいんです。
勢いで一歩前に出たら、
あとは一緒にバランスを取ればいい」
その言い方が、
妙に優しくて、
少しだけ苦しくなった。
「ねえ、レオン」
「はい」
「今、あなたの“背中側の席”って、どこ?」
あえて、
意地悪な質問をしてみる。
レオンは、
ほんの少しだけ驚いた顔をしたあと、
ゆっくりと笑った。
「さあ」
「さあ、って」
「気づいたら、
どこに行ってもミサがついてくるので。
“背中側の席”というより、
“周り全部”がミサになってきた気がします」
「それはさすがに怖いよ」
思わず吹き出した。
「でも――」
レオンは、
私の手をそっと取った。
「もし、“背中側の席”を探したくなったら、
たぶん今はここです」
そう言って、
自分の隣の席を指さす。
「隣の席?」
「ええ。
僕が前を向いていても、
座り直したくなったらすぐに寄りかかれる場所。
それって、
背中側とそんなに違わないでしょう?」
(……ずるいなあ)
その言い方は、
ほんとうにずるい。
◇◇◇
その夜。
私は新しいノートを取り出した。
“Shared Seat – Misa & Leon’s Note”
表紙には、
小さくそんな文字が刻まれている。
「また増やしましたね、ノート」
寝室のソファに腰掛けたレオンが、
お茶を飲みながら笑う。
「これはもう、“レッスン用”じゃありません」
私は、表紙を撫でながら言った。
「“ミサのノート”じゃなくて、
“ミサとレオンのノート”です」
「恐れ多いですね」
「ちゃんと働いてくれれば、
名前を載せてあげます」
軽口を叩きつつ、
私は最初のページにペンを走らせた。
“PAGE 1:隣の席から始まるノート”
“前世の私は、
会議室の席順や、
飲み会の席、
結婚式の席次表。
どこに名前があるかで、
自分の価値を測っていた。”
“今世の私は、
王妃になっても、
相変わらず“背中側の席”を探そうとするクセが抜けない。
でも、隣の人がこう言う。
“どこに座ってもいい。
君がいる場所が、
僕にとっての“背中側の席”であり、
一緒に前を向ける“隣の席”なんだ”と。”
ペン先が止まる。
横を見ると、
レオンがこちらを見ていた。
「書きます?」
ノートを差し出すと、
彼は少し驚いた顔をした。
「いいんですか」
「“Shared”って書いてあるので」
レオンは照れくさそうに笑い、
ペンを受け取る。
そして、
私の書いた文章の下に、
“追記:
このノートの余白が尽きるまで、
できれば、
ずっとこうして隣に座っていてほしい。
――レオンハルト・アルノルト”
と書き足した。
「……サインいります?」
「正式書類じゃないからいいです」
思わず吹き出しながら、
私はそのページをそっと閉じた。
◇◇◇
窓の外では、
王都の夜景が静かに瞬いていた。
王宮の高い塔から見下ろす街の灯りは、
前世で見た高層ビル群の夜景とは違うけれど、
「ああ、今日も一日ちゃんと終わったな」と
思わせてくれる温度がある。
ソファに並んで座りながら、
私は小さく息をついた。
「ねえ、レオン」
「はい」
「もし、また私が
『どうせ私は選ばれないから』って言い出したら、
どうします?」
「そうですね」
レオンは少し考えてから、
真面目な顔になった。
「“じゃあ、僕が何度でも選びます”って言います」
その答えは、
ずるくて、優しくて、
反則だった。
「……それなら、
たぶん私は何度でも、隣の席に座り直せます」
そう言って、
私は彼の肩にもたれた。
――前世で選ばれなかった女が、
今、誰かの隣の席を
自分の意志で選んでいる。
その事実を、
ちゃんと誇りに思っていいと、
ようやく心から思えた夜だった。
“背中側の席のないノート”は、
この先のページをどう埋めていくのか、
まだ分からない。
でも一つだけ確かなのは――
これからの人生、
私はもう“名前のない紙”の端っこには戻らない。
自分で選んだ席で、
選ばれ続ける物語を書いていく。
その覚悟だけは、
もう、誰にも奪わせない。
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