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第8話 支店長ベルノーの本音
しおりを挟む世界を変える大事件より、最初に来るのはたいてい「面倒な打ち合わせ」だ。
――それが異世界でも変わらないあたり、ちょっとだけ笑えて、だいぶ泣ける。
◇◆◇
「……ここ、が俺の席?」
ギルドの事務スペースの一角。
受付カウンターの後ろ、壁際にぽつんと置かれた机と椅子。
卓上にはインク壺と羽ペン、それから小さな札が立ててある。
『臨時顧問(調整役) 相沢啓太』
「……名刺代わりにはなるけど、プレッシャーもすごいな、これ」
思わずつぶやくと、隣で書類を抱えたミナがくすりと笑った。
「プレッシャーくらいないと、すぐ逃げそうな顔してるから、ギルド長なりの配慮よ」
「俺のことなんだと思ってるんだギルド長……」
「“便利な駒”じゃない?」
「本音が過ぎる」
軽口を交わしながらも、ミナの縁の線はほんの少しだけ明るくなっている。
彼女も、この席ができたことで仕事が楽になるのを期待しているのだろう。
「さて、本日最初のお仕事は――ロエル商会スレイル支部との会談ね」
ミナが手帳をめくる。
「昨日ギルド長と話したあと、向こうから正式に“打ち合わせの場を設けたい”って連絡が来たわ」
「向こうから、か」
「ええ。“例のペナルティの件を踏まえた新契約案について相談したい”ってね」
ベルノーらしいと言えばらしい。
あの人は自分の商売を守るためなら、面倒でも話し合いの場を作るタイプだ。
「リシェルは?」
「先に行ってる。護衛ルートと被害状況の資料をまとめて持ってくって」
「仕事が早い……」
相変わらず現場の動きは彼女の方が圧倒的に早い。
俺は俺で、“話し合い”の準備をしないといけない。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「はい。あ、ひとつだけ」
ミナが真顔になる。
「商会本部の動きについては、まだ確かな情報がない。
ベルノーさんも板挟みになってるはずだから、責めすぎないようにしてあげて」
「分かってる。あの人、たぶんこっち側の人だから」
“数字だけ見る上の連中”に、胃を痛めてる人の顔はよく知っている。
それはこの世界でも変わらないらしい。
◇◆◇
ロエル商会スレイル支部の建物は、ギルドから歩いて十分ほどの場所にあった。
白い壁に青い屋根。
大きなガラス窓から、忙しそうに荷を運ぶ人々の姿が見える。
入り口の上には、穂と剣を組み合わせた看板――例の紋章。
(……あれが、本部と繋がる印か)
胸の中に、昨日の戦場で見た男の姿がよぎる。
同じ紋章なのに、そこから伸びる縁の線の色は、ここではずっと穏やかだ。
「おっ、来たな」
扉を開けると、真っ先に気づいたのはベルノーだった。
相変わらず丸い腹だが、顔色は少し悪い。
「相沢さん、ようこそようこそ。いやあ、この前は本当にお世話になりましてねえ」
「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」
軽く会釈すると、ベルノーの縁の線が少しだけ太くなる。
不安と期待が半々、といったところだ。
「リシェルは?」
「奥で書類と格闘中。相変わらず遠慮のない女だ」
ベルノーが肩をすくめる。
「“これとこれとこれ、全部出してください”って、アタシんとこの書類倉庫を丸裸にしていったからねえ」
「仕事熱心で助かってますよ」
「ギルドの男ども、よくあれを制御できてるなあ。……いや、できてないか」
そんなやり取りをしつつ、二階の会議室へ案内される。
窓の外には街並みと、遠くの山並み。
長机の片側にロエル商会の面々、反対側にギルド側メンバーが座る形だ。
すでにリシェルが座っていて、資料を広げていた。
「遅い」
「そんなに遅れてないだろ」
「アタシが退屈になるくらいには遅い」
「それはすみませんでした」
空いていた席に腰を下ろす。
目の前には、ベルノーと、もう一人見知らぬ男性が座っていた。
「こちら、ロエル商会スレイル支部の会計担当、イーダです」
ベルノーが紹介する。
イーダは細身で、いかにも数字に強そうな冷静な目をしていた。
縁の線は薄いが、ベルノーとしっかり結ばれている。
(ベルノーの“右腕”って感じか)
「初めまして。相沢です」
「……よろしくお願いします」
短く頭を下げるが、どこか警戒が含まれている。
新参者の俺を測っている感じだ。
「じゃあ、始めましょうか」
リシェルが手を叩き、場を締める。
「本日の議題は三つ。
一つ、先日の護衛依頼遅延についての精算方法の確認。
二つ、今後一年間の護衛契約の条件見直し。
三つ――」
そこで一度、リシェルはベルノーの顔を見る。
「“護衛依頼を出している商会の本部と、護衛対象を襲っている野盗の紋章が同じだった件”について、情報共有」
会議室の空気が、一瞬ぴりっと固まった。
ベルノーの顔色が、見るからに変わる。
イーダも眉をひそめた。
「……その件については、まだ確かなことは何も」
「ええ。だからこそ“情報共有”です。
こちらも憶測だけで動くつもりはない。ただ、なにかご存じのことがあれば教えてほしい」
リシェルの声音は静かだが、目は真剣だ。
俺は意識を集中させ、「根回し」を起動する。
===========
根回し:事前会話中……
対象A:ベルノー・ロエル
対象B:イーダ
目的:本音の引き出し/情報の端緒を掴む
===========
ベルノーの縁の線が、ギルドと、本部と、部下たちと――四方八方に伸びている。
そのうち、本部に向かう線だけが、黒く重くねじれていた。
「本部が……護衛対象を襲わせている、という話でしょうか?」
イーダが口を開く。
その声には、怒りよりも困惑が滲んでいた。
「俺たちも、そんなバカな話は信じたくない」
ベルノーが低く言う。
「だが、昨日の報告を聞いてから、胸の中で嫌な予感が消えないのは事実だ」
その言葉とともに、ねじれた線がさらに軋む。
ベルノー自身も、薄々なにかに気づいているのだ。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
俺はタイミングを見計らって口を挟んだ。
「最近、本部から“護衛依頼の出し方”について、何か指示が変わったりしていませんか。
例えば、“特定のルートを優先的に使え”とか、“危険情報を書きすぎるな”とか」
イーダの目が、わずかに揺れる。
ベルノーがその変化に気づいて、じろりと横目で睨んだ。
「イーダ。なにかあるな?」
「……いえ、その……」
縁の線が、イーダの胸元でぎゅっと縮こまる。
“言うべきか、言わないべきか”の迷い。
(ここで背中を押すか、放っておくか)
俺は、小さく息を吸った。
「もし言いづらいなら、“誰の耳にも届かないところ”で話す時間を作っても構いません」
ゆっくりと言う。
「でも、今黙ってしまうと、イーダさん自身が一番後悔する気がします。
“あの時言っておけばよかった”って」
自分でも卑怯だと思う。
けれど、それが本音でもあった。
縁値ウィンドウが小さく光る。
===========
共感+未来イメージ提示による発言誘導:+2
===========
「……三ヶ月ほど前からです」
絞り出すように、イーダが言った。
「本部から、“北の山道ルートの護衛依頼を増やせ”と。
通常なら、危険が増えているルートは避けるのが通例ですが、“そちらの方が儲かるから”と」
「儲かる?」
リシェルが眉をひそめる。
「護衛依頼が増えれば、ロエル商会にもギルドにも利益が出るだろう、と。
多少の事故は、“冒険者の不手際”として処理すればいい、というニュアンスも……」
最後の方は、ほとんど聞こえないほど小さな声だった。
ベルノーが歯ぎしりする。
「そんな話、俺は聞いてないぞ!」
「支店長には、“全体の方針”としてしか伝えられていませんでした。
本部の会計部から、直接こちらの帳簿に“このルートの売上を増やせ”と……」
イーダの縁の線が、罪悪感で震えている。
彼自身、これがただの数字合わせではないと分かっていたのだ。
「つまり、本部は“危険なルートだからこそ、護衛依頼が増えて儲かる”と考えている」
俺は唇をかみしめる。
「最悪のケースだと、“野盗とつながって意図的に危険を作ってる”可能性もある」
「相沢」
リシェルが低い声で呼ぶ。
その目は、“言い過ぎじゃないか”と警告していた。
「もちろん、今のはあくまで最悪の仮定です」
慌てて言い添える。
「ただ――護衛依頼が増えるほど、誰が一番得をするかは、考えておくべきだと思います」
ギルド側も、商会も、数字だけ見れば得をする。
失われるのは、道中で命を落とすかもしれない冒険者たちの命と、街の信頼。
縁の線が、会議室全体でざわついているのが分かった。
◇◆◇
「……支店長」
沈黙を破ったのは、イーダだった。
「自分は、本部からの指示に従って、この三ヶ月、北のルートの依頼を優先させてきました。
護衛隊の負担が増えるのも分かっていました。
でも、“それが商会の利益になるなら仕方ない”と……」
「イーダ」
「昨日の報告を聞いて、ようやく怖くなりました。
このままでは、本当に“儲かるから危険を放置する商会”になってしまうと」
イーダの縁の線が、ベルノーに向かって震えている。
叱られる覚悟と、許しへの期待が混ざった線だ。
「……バカ者が」
ベルノーが低く唸る。
「どうしてもっと早く言わんのだ、そんな話を」
「申し訳ありません」
「いや、責めているのはお前だけじゃない。
こういう指示を出す本部にも、何も気づけなかった俺にも、だ」
ベルノーの縁の線が、ぎゅっと締まる。
怒りの矛先は、主に自分自身と、本部に向いている。
「相沢さん」
突然名前を呼ばれ、背筋が伸びた。
「アンタの意見を聞きたい。
ギルドの調整役としてじゃなくて、“一人の現場経験者”として」
真正面から向けられる視線。
逃げ道はない。
「……俺は、数字だけ見て“多少の事故は仕方ない”って決めるやり方が、一番嫌いです」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「元の世界でもそうでした。
納期のために現場を削り、事故が起きたら“運が悪かった”で片付ける。
その“運が悪かった誰か”の顔を知ってるのに、数字だけで話をされるのが、一番きつかった」
会議室の空気が、少しだけ重くなる。
でも、それは逃げてはいけない重さだ。
「だから、俺の提案はシンプルです」
机の上の書類を軽く叩く。
「“北の山道ルートの護衛依頼は、当面の間、危険度Aとして扱う”。
依頼書にもはっきりそう書く。
護衛人数と報酬を増やし、その分、本部にも“危険手当”として割増料金を請求する」
イーダが目を瞬かせる。
「……それでは、商会の利益が減ってしまうのでは」
「短期的には、そうでしょう」
俺は頷く。
「でも、“危険なルートだからこそ、ちゃんと対策してます”って姿勢を見せた方が、長期的には商会の信用が上がる。
事故が減れば、ギルドも商会も“命を雑に扱わない組織”ってことで、もっと大きな取引の話も来るかもしれない」
縁値ウィンドウに、小さな予測が浮かぶ。
===========
提案:北ルート危険度A指定+報酬見直し
短期利益:微減
長期信頼度:上昇予測
===========
「それに」
と、少し声を落とす。
「もし本部の誰かが、本当に野盗とつながっているなら――
“危険度Aで報酬割増”って条件は、そいつらにとって一番おいしくないはずです」
イーダが息を呑む。
ベルノーは目を閉じて、しばらく黙っていた。
「つまり、お前さんはこう言いたいわけだな」
やがて、ベルノーが口を開いた。
「“危険を認めた上で堂々と商売するか、危険を隠して裏で儲けようとするか、どっちか選べ”と」
「ええ。
で、少なくとも俺は、前者と付き合いたいです」
静まり返った会議室。
縁の線が、ゆっくりと揺れを変えていく。
ベルノーが、ぐっと立ち上がった。
「……イーダ」
「はい」
「北ルートの護衛依頼は、次の便から危険度Aとして扱う。
本部への報告書も、“現場の危険が増しているため、護衛体制を強化する”と明記しろ」
「よろしいのですか」
「よろしいも何も、それが“支店長”としての俺の仕事だ」
ベルノーの縁の線が、本部に向かってぐっと太くなる。
ねじれはまだ残っているが、その中に一本だけ、まっすぐな芯が通ったようだった。
「本部がなんと言おうと、この街で商売しているのは俺たちだ。
この街の冒険者とギルドを軽んじるような真似は、見過ごせん」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
(ああ、この人はやっぱり、“こっち側”だ)
数字のためだけじゃなく、ちゃんと目の前の人間を見ている。
「ギルドとしても、その方針に協力します」
リシェルがうなずく。
「危険度Aに見合う護衛体制を組む。そのための調整は、相沢がやるわ」
「結局、全部俺の仕事に回ってくるんだな……」
「当たり前でしょ。調整役なんだから」
苦笑しながらも、その言葉が嫌ではなかった。
◇◆◇
会議が一段落したところで、ベルノーがふと真剣な顔になる。
「……ひとつ、先に言っておかねばならんことがある」
「なんですか」
「三日後だ」
ベルノーは机の上の書類を一枚つまみ上げた。
「ロエル商会本部から、“監査官”が来る」
空気が、再び張りつめる。
「監査官?」
「名目上は、“北ルートの護衛費用増加の理由を確認するため”だ」
ベルノーの口元が歪む。
「だが、実際は――“スレイル支部とギルドが勝手なことをしていないか、目を光らせに来る”ってところだろう」
リシェルが目を細める。
俺の背筋にも、冷たいものが走る。
「その監査官の名前は?」
「クラウス・ロエル。本部でもやり手で通っている男だ。
そして――」
ベルノーが、窓の外に目を向ける。
「野盗の頭がつけていた紋章は、あいつの“私兵部隊”のものに、よく似ている」
縁の線が、一斉にざわりと揺れた気がした。
遠く、街の外れの方角から、見えない糸がこちらへ伸びてくる。
(いよいよ、“上”が動いてくるってわけか)
胃のあたりが、今までで一番きゅっと縮む。
でも、その痛みの奥に、奇妙な静けさもあった。
――ようやく、真正面から話をつける相手が見えてきた。
この街の縁を守るために、俺の根回しがどこまで通用するのか。
その答えを知るには、きっと悪くない相手だ。
「三日後、ですね」
俺はゆっくりと言う。
「なら、その日までに、こっちも“話の段取り”を組んでおきます」
「段取り?」
「ええ。
監査官と商会支部とギルド――三つの立場が、“誰の顔も完全には潰さずに済む落とし所”。
その仮案くらいは、用意しておかないと」
ベルノーが、ふっと笑った。
「やっぱりアンタ、“ただの臨時顧問”じゃ済まないな」
「俺としては、“世界最強の根回し屋”より、“世界一胃薬が減る男”って呼ばれそうで怖いですけどね」
リシェルがくすりと笑う。
緊張と不安の中に、ほんの少しだけ、前向きな空気が混ざった。
会議室の窓から見える空は、少し曇り始めている。
遠く、北の山脈の方角に、薄い雲がかかっていた。
(三日後。
あの雲の向こうからやってくる“監査官”が、この街の縁を切りに来るのか、それとも――)
そこまで考えて、頭を振る。
答えは、その時自分で決めるしかない。
俺の根回しで、縁を結び直すのか、それとも断ち切られるのを黙って見ているのか。
「世界を変える派手な魔法なんて、きっと俺には使えない。
だからせめて――会議室の中で世界の行く末を、少しだけマシな方にねじ曲げてやる」
そんなささやかな決意を胸に、俺は会議室を後にした。
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