社畜をクビになった俺、感情がステータスの異世界で最弱と言われたけど、共感スキルで仲間と世界を救う

cotonoha garden

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第24章 新しい線の、いちばん最初のゆらぎ

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 ――デスクが支給された。

「おめでとうございます、悠斗さん。これで晴れて“半分だけ役人”ですね」

 そう言って笑ったのはエリナだった。
 局の一角、倉庫を改装したような小部屋。
 そこに、簡素な机がひとつと、椅子が二脚。
 壁には、王都の地図と、感情グラフの写しが何枚も貼られている。

「……いやぁ、ありがとう……って言うべきなんだろうけどさ」

 俺は、机の上に積まれた分厚い資料の山を眺めて、頭を抱えた。

「この光景、前の世界で一度見たんだよな……
 “これ全部目を通しておいてね、締切は昨日だから”って言われるやつ」

「締切は昨日ではありません」

 エリナがきっぱりと言う。

「“これから未来の線を決めるために必要な資料”です。
 読むのは今日からで構いませんが、読まずに済ませるわけにはいきません」

「ですよねー」

 ため息をつきながら、一番上の束をめくる。

 ――第三下層区画・広場の感情データ推移。
 ――教会への祈りの内容と、観測値の相関。
――王城サロン会議中の〈退屈〉グラフ(思った以上に高い)。

「最後のデータ、絶対いらなかったでしょ」

「いえ、“どこでどんな線を揺らしていいか”を考えるうえで、重要な資料です」

 エリナは真顔で言う。

「“退屈の線が高すぎる場所”ほど、世界の機嫌に悪影響を与える可能性がありますから」

「サロン、世界の害悪扱いされてない?」

「個人の感想です」

 その個人の感想、けっこう真理ついてると思うけど。

◇ ◇ ◇

 この小部屋は、仮称〈調整室〉と呼ばれていた。

 構成メンバーは――

 世界の機嫌取り官(仮):篠原悠斗。
 局の窓口兼頭脳:エリナ。
 教会代表:セレス。
 ギルド代表:ルーク(なぜかマスターじゃなくこっち)。
 そして、必要に応じて王城や大臣たちが顔を出すこともある。

「で、最初にどこから手をつけるか、だよな」

 王都地図の前で腕を組む。

 そこには色ペンで丸が幾つも書かれていた。

 第三下層区画・中央広場。
 教会前の広場。
 ギルド本部。
 王城。

「“国全体の線”をいきなりいじるのは危険です」

 セレスが、椅子に腰かけたまま言う。

「まずは、“この街の中の、小さな線”から試していきましょう」

「だよなあ」

 全部を一度に変えようとすると、ろくなことにならない。
 それは前の世界で嫌というほど学んだ。

「候補は四つ」

 エリナが指を折る。

「一、第三下層区画の広場。
 二、教会前。
 三、ギルド本部。
 四、王城内の一部区画」

「四番目、いきなりハードル高くない?」

「王様のほうが、むしろ乗り気でしたよ」

 エリナは淡々と言う。

「“自分の机の周りの線くらい、自分で揺らしかたを決めたい”と」

「……あの人、ほんとに戻れないところまで行っちゃったな」

 嬉しいような、心配なような。

「順番としては、まず――」

「下層だろ」

 ルークが、地図の前に立って口を挟む。

「“一番底から揺らす”ほうが、上の連中も腹を括りやすい」

「どういう理屈?」

「“最悪、王都の底のやつらがちょっと騒ぐくらいなら”って、
 上は油断するからな」

 あまりにも現実的な理由に、思わず苦笑する。

「でも、“一番底にいるやつらの機嫌”をちょっとマシにできれば――
 世界のどこかで、“最悪だ”って言い張る声を、
 少しだけ減らせるかもしれない」

 自分で言いながら、胸の奥で何かがこくりと頷いた。

「よし、最初の実験は“第三下層区画・中央広場”にしよう」

◇ ◇ ◇

 実験内容はシンプルなものになった。

 一、第三下層区画の広場で、公式に“夕刻市(ゆうこくいち)”を開く。
  ――祭りほど大がかりではないが、露店や芸人が集まる夕市だ。

 二、その時間帯だけ、広場の感情観測の閾値を変える。
  ――〈喜び〉や〈興奮〉の許容上限を上げ、
   〈怒り〉の警戒値をほんの少しだけ上にずらす。

 三、何か起きたときのために、王城・局・ギルド・教会の連絡線を太くする。
  ――つまり、“すぐ相談できる窓口”を複数用意する。

「要は、“揺れていい時間と場所を決めて、その枠の中ではちょっとくらい騒いでもいいよ”ってことだな」

 ルークがまとめる。

「“普段から全部揺らすな”だと窒息するし、
 “いつでもどこでも揺れていい”だと収拾つかねえ。
 まずは“夕方の広場”っていう、箱庭から始めると」

「箱庭実験か……」

 俺は、王都地図のその部分を見つめる。

 きっと、数字だけで見れば、これは些細な変化だ。
 平均値グラフには、ほとんど揺れとして現れないかもしれない。

 それでも。

「“揺れてもいいですよ”って、
 ちゃんと誰かが言葉にしてくれる場所を作るのって――
 案外それだけで、救われるやついるんじゃないかな」

 昔の自分を少しだけ思い出しながら、呟く。

◇ ◇ ◇

 数日後。

 第三下層区画・中央広場には、
 いつもより少しだけ多くの屋台と、
 いつもよりちょっと張り切った芸人たちの姿があった。

「“夕刻市”かあ。そんな洒落た名前つけたの誰だ」

 屋台のおばさんが笑いながら言う。

「上のほうですよ。たぶん」

「上ってのは、たいがい余計なことしかしないけどねぇ」

 口ではそう言いながら、
 おばさんの手つきは楽しそうだ。

「でも、“今日はちょっとくらい騒いでもいい日だよ”って、
 堂々と言われるの、悪くないね」

 その言葉に、俺の胸の奥が少し温かくなる。

 ――局の監視室では、別の意味でざわつきが起きていた。

「〈喜び〉ライン、通常時より15%上昇。
 〈興奮〉も10%増し……」

「警報は?」

「上げていません。
 “夕刻市モード”に切り替えてありますから」

 エリナが、落ち着いた声で答える。

「むしろ、“これくらいの揺れ”を許容した状態で、
 治安がどうなるかを見たいんです」

 リュカは、モニタに映る数字と、
 エリナの横顔を交互に見ていた。

「……おもしろい」

 その一言に、局員たちが顔を見合わせる。

「局長?」

「今までなら“警報レベル”だった数値なのに、
 人々の行動は“祭りの日のそれ”よりむしろ落ち着いている」

 リュカは、水晶に映る広場の映像に目を凝らす。

 笑い声。
 軽い口論。
 踊りに飛び入りする子どもたち。

 確かに、危険な兆候は見えない。

「“揺れがある=すぐ危険”ではない、ということか」

「はい」

 エリナが頷く。

「むしろ、“ここなら揺れていい”と分かっている場所のほうが、
 人は妙な暴走をしないのかもしれません」

「……“禁止された揺れ”が溜まりに溜まった結果が、あの“残響”か」

 リュカの言葉に、エリナは静かに頷いた。

「だとしたら、“揺れていい場所を増やす”のは、
 残響を減らすことにも繋がるかもしれません」

◇ ◇ ◇

 広場の片隅。

 王様とアルが、ひっそりと立っていた。
 もちろんフード付きの外套姿で。

「……今日は、正式に許可された“夕刻市”だぞ、父上」

 アルが、少し笑いながら言う。

「“また勝手な祭りを”とは言われません」

「お前は私をなんだと思っている」

「真面目で心配性な父上です」

 王様は、ため息とも笑いともつかない息を吐いた。

「……悪くないな」

「何がです?」

「“自分が許可を出した場所”で、
 人々が好きに笑っている光景だ」

 王様の頭上で、〈誇り〉と〈不安〉が同時に揺れている。

「“もし何かあったらどうしよう”という恐れが、完全に消えることはない。
 だが――
 それでも、“許そう”と決めたのは自分だ」

 その言葉には、王としての覚悟と、
 ひとりの人間としてのわがままが両方混ざっていた。

「悠斗さん、来ませんね」

 アルが周りを見渡す。

「今日は裏方ですよ」

 と、俺は少し離れた路地の影から様子を見ていた。
 手には、局から貸与された小さな水晶板。

 そこに映るのは、広場の簡易マップと、
 色付きの点――感情の分布図だ。

 〈喜び〉が多い場所は暖色に、
 〈苛立ち〉が増えてくると冷たい色に変わる。

「ふむふむ、“屋台の行列ゾーン”は苛立ちと期待が半々……
 まあこれはいつものことか」

「何をぶつぶつ言っているんだ、機嫌取り官」

 背後から声がして振り返ると、残響――ではなく、ルークだった。

「紛らわしい言い方やめてください」

「様子はどうだ?」

「今のところ、いい感じに“揺れてる”」

 マップを見せる。

「ほら、ここ。
 大道芸人がいるあたり、喜びと驚きが濃い。
 その少し外側で、“置いていかれた気分”のやつらの寂しさがちょっと出てる」

「めんどくせえな、人間の機嫌って」

「だろ?」

 前の世界と変わらない。
 ただ、こっちの世界では、それが数字と色で見えるだけだ。

「……でもさ」

 俺は、広場中央の一点を指さす。

「ここの“揺れ方”、ちょっと好きなんだわ」

 そこには、ひときわ濃い暖色の塊があった。
 屋台のおばさんたちが集まって、
 誰かの愚痴を笑い飛ばしているあたりだ。

「“税がちょっと軽くなったらしいよ”って噂してる」

「お前、耳まで伸ばしてんのかよ」

「そこの屋台のパン、最近焦げ率下がったからね」

 ルークが笑う。

「世界の機嫌取り官も、“パンの焦げ具合”で仕事の成果を測るようになったか」

「分かりやすい指標って大事なんだよ」

 グラフより、パンのほうが、
 世界の機嫌状態を実感しやすいこともある。

◇ ◇ ◇

 夕刻市が無事に終わったころ。

 片付けが済んだ広場に、ひんやりとした風が吹き抜けた。

 ――その風の中に、ほんの僅かな“ざわめき”が混ざる。

(……来た)

 残響だ。

 姿は見えない。
 けれど、声だけが、頭の内側に響く。

『やるじゃないか、愚痴聞き係』

「今日も見てたんですね」

 心の中で返す。

『“揺れていい場所”をひとつ作ったところで、
 世界の機嫌が劇的に良くなるわけではない』

「そりゃそうだ」

『だが、“この場所には行ってみたい”と思うやつは、
 確かに増えただろう』

 風が、少しだけ楽しそうに笑った。

『――さて』

 そこで、空気の温度が、すっと変わる。

『約束どおり、“ひとつ投げてやるぞ”』

「……投げる?」

『世界のどこかで、そろそろ限界が来ている場所がある』

 その瞬間、
 目の前の景色が薄くかすみ、別の光景がちらりと重なった。

 ――灰色の空。
 斜面にへばりつくような、古い家々。
 海の匂い。

『港町だ』

 残響の声が続く。

『ここから南西に三日ほど行ったところにある、小さな港町。
 そこでは、“笑うことを仕事にしている連中”が、
 もう笑えなくなりかけている』

「笑うことを、仕事に」

『詳しくは行って見てこい。
 私は“限界が近い”という信号だけを投げる』

 視界の端で、
 灰色の海に浮かぶ古い船が、
 ぎりぎりと軋んでいるのが見えた気がした。

『――さあ、どうする』

 風が問う。

『王都の線を引き直す仕事は、まだ始まったばかりだ。
 このままここに腰を落ち着けて、“設計室の住人”になるか』

「嫌な言い方するなあ」

『それとも、“世界の機嫌取り官”として、
 王都の外の揺れも見に行くか』

 問いかけとともに、風はすっと消えた。

 気づけば、夕刻市の片付けをしている音だけが、
 広場に残っている。

◇ ◇ ◇

 その夜。

 調整室の小さな机の上に、
 俺は王都の地図の隣に、新しく紙を一枚置いた。

 そこに簡単な世界地図を描く。

 王都を示す丸。
 そこから南西へ向けて矢印。

 矢印の先に、小さく書き込む。

 ――“笑えなくなりかけている港町”。

「……行くしかないよな」

 独り言をこぼす。

 王都の線を引き直す仕事は、途中で放り出すつもりはない。
 でも、“世界の愚痴聞き係”として、
 見に行くべき場所があるなら――

 それを無視して、デスクの山に埋もれている自分は、
 やっぱりちょっと違う気がする。

「王様とアルには、ちゃんと筋を通してからだな」

 王都を離れるなら、
 “王のわがままな線引き”に付き合う役を別の誰かに託す必要がある。
 エリナやセレス、リュカやマスターたちがいれば、
 きっと回るだろう。

「……世界の機嫌取り官、
 “出張”の準備を始めますか」

 そう呟いて、窓の外を見る。

 夜の王都は、相変わらず、
 グラフには出ない細かな光と影で満ちていた。

 そのひとつひとつを完全に救うことはできなくても――

 “昨日よりちょっとマシになった場所”を増やすために、
 明日はまた、王様のところへ報告に行こう。

 そしてその次の日には、
 南西に続く街道を、一歩踏み出してみる。

 世界の機嫌取り官の旅は、
 まだ始まったばかりだ。

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