ねるまえ短編集

cotonoha garden

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待ち合わせ

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"布団の中で、見知らぬ駅のホームに、毎晩「待ち合わせ」している。  
相手の顔も知らないのに、その人がそこにいるだけで、やっと眠れる夜がある。

***

「佐伯さん、ここの数字、違ってるよ」

 パソコンの画面いっぱいに広がったチャットアプリのウィンドウに、上司からのメッセージが浮かんだ。

《至急修正お願いします。先方に送る資料なので、こういうミスは気をつけてください》

 敬語なのに、どこか冷たい。  
 画面の向こうの人の表情を想像して、胸の奥がきゅっと縮む。

「……すみません」

 誰にも届かない声でつぶやきながら、私は数字を直していく。  
 在宅勤務になって、もう一年半。  
 家から一歩も出ない日も珍しくなくなった。

 終業のチャイム代わりに、パソコンの時計が十九時を告げる。  
 上司からの「お疲れさまでした」のスタンプが、グループチャットに一斉送信される。  
 それきり、通知は止まった。

 リビング兼寝室のワンルームに、静けさが落ちる。  
 誰かの笑い声も、雑談も、キーボードを叩く音もない。

 スマホが震えた。  
 同僚のグループラインだ。

《明日、久しぶりに飲み行かない? 駅前の新しい居酒屋!》  
《リモートばっかでストレスやばい~》  
《佐伯さんも来なよ~》

 画面を見つめたまま、指が止まる。  
 「行きたい」という気持ちが、まったくないわけじゃない。  
 でも、頭の中には、うまく笑えない自分とか、会話の輪に入れずにグラスをいじっている自分の姿ばかりが浮かんでしまう。

《ごめん、明日ちょっと朝からバタバタしそうで……また今度誘ってください》

 送信。  
 既読がついて、すぐに返信が返ってくる。

《了解~! また今度ね!》

 軽いスタンプの笑顔を見て、ほっとすると同時に、胸の奥が少しだけ沈む。  
 また今度、って、いつだろう。

 コンビニで買ってきたパスタとサラダを、テレビもつけずに黙々と食べる。  
 食器を洗って、シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かして。  
 気づけば、時計は二十三時半を回っていた。

 布団に潜り込み、部屋の明かりを消す。  
 暗闇の中で、天井を見つめる。  
 眠気は、なかなか降りてこない。

 人と話すのが、怖くなった。  
 オンライン会議の前には、心臓が早くなる。  
 発言を求められると、頭が真っ白になる。  
 飲み会の誘いに「行きたい」と素直に言えない自分に、また自己嫌悪する。

 スマホのロックを外して、なんとなく動画アプリを開く。  
 おすすめに流れてくるのは、料理動画やお笑いの切り抜き、ゲーム実況。  
 どれも、今の気分には少しだけうるさく感じる。

 スクロールしていくと、ふと、目に留まるサムネイルがあった。

《【終電後】おやすみ駅前ライブ #132》

 暗いホームに、白い蛍光灯の光。  
 タイトルの横には、視聴者数「62」と小さく表示されている。

 なんだろう、と思いながらタップすると、画面いっぱいに駅のホームが広がった。

 黄色い点字ブロック。  
 誰もいないベンチ。  
 線路の向こうに、暗い住宅街の輪郭。  
 マイクを通した、少しこもった男性の声が聞こえた。

「こんばんは。きょうも、おやすみ駅前ライブ、始めていきます」

 低くて、落ち着いた声だった。  
 配信者の姿は映っていない。  
 カメラは、ずっとホームの端から、同じアングルで線路を映している。

「終電、さっき行っちゃったので、もうしばらくは何も来ません。きょうも、一日お疲れさまでした」

 コメント欄には、ぽつぽつと文字が流れていく。

《今日も残業でした》  
《明日プレゼンで吐きそう》  
《寝れないので来ました》

 知らない誰かの、疲れた一言。  
 不思議と、うるさく感じない。

「きょうは、風がちょっと強いですね。マイクに風の音入ってたら、ごめんなさい」

 ホームのスピーカーから、かすかにアナウンスの残響が聞こえる。  
 遠くで、電車の走る音がした。  
 私は、スマホを胸の上に置いて、じっと画面を見つめる。

「もしよかったら、きょうあったこととか、愚痴とか、コメントで教えてください。読める範囲で、拾っていきます」

 コメント欄が、少しだけ賑やかになる。  
 でも、誰も長文は書かない。  
 「疲れた」「眠い」「しんどい」  
 短い言葉が、静かに流れていく。

 私の指は、画面のキーボードの上で止まったまま動かない。  
 何か書いてみようか、と一瞬思って、やめる。  
 誰かに見られることを想像するだけで、喉が詰まるような気がした。

「……」

 配信者の声が、ふっと柔らかくなる。

「コメントしなくても、ただ見てるだけでも、全然大丈夫です。ここは、寝る前に、ぼーっとホームを眺めるだけの場所なんで」

 言葉に、少し笑いが混じる。  
 その笑い声に、肩の力が抜けていく。

 あ、と思う。  
 この駅、どこかで見たことがある。

 ホームの柱に貼られた広告。  
 改札へ続く階段の位置。  
 線路の向こうの、小さなスーパーの看板。

 私が、毎朝使っている駅と、よく似ていた。

 似ている、だけ。  
 そう思いながらも、画面から目が離せなくなる。

 ホームには、誰もいない。  
 風が、マイクにかすかに触れて、サーッという音を立てる。  
 配信者の声が、ゆっくりと続く。

「きょうも、ここまで来てくれて、ありがとうございます。寝落ち歓迎なので、眠くなったら、そのまま画面閉じてくださいね」

 瞼が、少しずつ重くなる。  
 スマホの明かりが、ぼやけていく。

 気づいたときには、画面は真っ暗になっていた。  
 久しぶりに、夢も見ずに眠れた。

***

 それから数日、眠れない夜には「おやすみ駅前ライブ」を開くのが、私の習慣になった。

 終電後のホームは、毎晩ほとんど同じ顔をしている。  
 たまに、酔っ払ったサラリーマンがふらふらと通り過ぎたり、清掃員らしき人がモップを押していたりするくらいだ。

 コメント欄には、いつも似たような名前が並ぶ。  
 「ねむいねこ」「OL_つかれた」「受験生A」  
 アイコンも、みんな適当なイラストや風景写真で、誰が誰だかわからない。

 私も、最初はひたすらROM専だった。  
 ただ画面を眺めて、配信者の声を聞いているだけで、なんとなく安心できた。

 でも、ある夜。  
 チャットで上司に細かい指摘をされ続けて、心が擦り切れたみたいになっていたとき。

《在宅勤務ばかりで、人と話すのが怖くなってきました》

 気づいたら、そんな一文を打ち込んで、送信ボタンを押していた。

 送ってしまったあとで、心臓がどくどくと早くなる。  
 やっぱり消せばよかった、と後悔しても、もう遅い。

 数秒の沈黙。  
 画面の向こうのホームは、相変わらず静かだ。

「……あ、コメントありがとうございます」

 配信者の声が、少しだけトーンを落とす。

「在宅勤務ばかりで、人と話すのが怖くなってきた、って」

 読まれた。  
 布団の中で、思わず身を縮める。

「うーん、わかる気がします。僕も、昼間は営業で、人と話しまくってるんですけど……逆に、プライベートで誰かと会うの、ちょっと構えちゃうところあります」

 コメント欄に、《営業さんなんだ》《おつかれさまです》と流れる。

「ここでは、話せるときだけ話せばいいですよ。無理して盛り上げなくても、挨拶だけでも、ROM専でも。『ここにいる』ってだけで、十分だと思うので」

 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 私だけじゃない。  
 そう思えるだけで、少し呼吸が楽になる。

《わかります》《同じです》《人と会うの、怖い》

 他のリスナーたちも、短く相づちを打ってくれる。  
 画面越しの見知らぬ誰かに、「わかる」と言ってもらえることが、こんなに救いになるなんて。

 その日以来、私はときどき、短いコメントを書くようになった。  
 「きょうは会議が多くて疲れました」とか、「コンビニの新作スイーツがおいしかった」とか。  
 大したことのない一言でも、「おつかれさまです」「それ気になってました」と返ってくる。

 そんな夜が、何日か続いた頃。  
 私は、映像の端に、ある「影」があることに気づいた。

 ホームの、少し奥。  
 カメラから見て左側の柱の近く。  
 いつも同じ時間になると、そこに、ひとりの男性の後ろ姿が立っている。

 黒いコート。  
 紺色のマフラー。  
 顔は映らない。  
 でも、姿勢の感じとか、立ち方が、毎回同じに見える。

《あれ、今日もいる》《ホームの人だ》  
《駅員さん?》《幽霊説》

 コメント欄でも、その人のことが話題になり始めた。

「たしかに、よくいますよね、あの方」

 配信者も、少し笑いながら言う。

「駅員さんではないと思うんですけど……寒くないのかな」

 ホームの人は、動かない。  
 ただ、線路の向こうをじっと見ている。

 私は、スマホを握りしめた。  
 あの柱の位置。  
 ホームの奥行き。  
 どれも、見慣れた風景にしか見えない。

 もしかして、本当に、私の最寄り駅なのかもしれない。

***

 その一週間後。  
 私は、小さなミスをして、上司から長文のメッセージを受け取った。

《この前も同じところでミスがあったよね? 自分でチェックした?》  
《在宅だからって気が緩んでいるように見えると、評価にも関わるから気をつけて》

 言葉は、どれも正論だった。  
 でも、「気が緩んでいる」という一文が、心に深く刺さる。

 私は、緩んでなんかいない。  
 むしろ、ずっと張り詰めている。  
 画面越しの視線を勝手に想像して、自分で自分を追い詰めている。

 涙がにじんで、画面が滲む。  
 誰もいない部屋で、声を上げることもできない。

 その夜も、私は布団に潜り込んで、「おやすみ駅前ライブ」を開いた。  
 ホームは、いつものように静かで、終電はすでに行ってしまっている。

「こんばんは、きょうも一日、お疲れさまでした」

 配信者の声が、少しだけいつもより優しく聞こえた。  
 コメント欄には、《おつかれさま》《今日もしんどかった》と、いつもの言葉が並ぶ。

 私は、震える指で、キーボードを叩いた。

《人と会うのが怖くて、でも一人もさみしくて、どうしたらいいかわからないです》

 送信。  
 心臓が、また早くなる。

 数秒の沈黙。  
 ホームの人が、画面の端で、いつものように立っている。

「……」

 配信者が、深く息を吸う音が、マイク越しに聞こえた。

「人と会うのが怖くて、一人もさみしくて、どうしたらいいかわからない、って」

 静かに、読み上げる。

「それ、すごく、正直な気持ちだなって思いました。書いてくれて、ありがとうございます」

 コメント欄に、《わかる》《それな》《つらいよね》と流れる。

「うまいこと言えないんですけど……」

 配信者は、少し言葉を探すように間を置いた。

「ここにいるってだけで、もう十分がんばってると思いますよ。眠れないのに、布団からスマホ出して、ここまで来てくれてるわけですし」

 ホームの蛍光灯が、白く線路を照らす。  
 画面の向こうの冷たい空気を想像して、私は喉の奥が熱くなる。

「僕も、昼間は人に会いまくって、夜は誰にも会いたくないなって思うことあるんですけど……それでも、こうしてホームにカメラを置いてるのは、なんか、ここに来てくれる人たちがいるからで」

 少しだけ笑う気配がした。

「顔も名前も知らないけど、『あ、きょうも来てるな』って思える人がいるのって、けっこう心強いんですよね」

 あのホームの人も、そうなのかな。  
 ふと、そんなことを考える。

 配信者が、ふいに話題を変えた。

「そういえば、コメントでもたまに話題になるんですけど……」

 カメラが、わずかに角度を変えて、ホームの人の方を映す。  
 黒いコートの背中が、画面の中央に来る。

「あのホームの人、実は僕も少し気になっていて」

 コメント欄が、《きた》《ホームの人!》とざわつく。

「もしよかったら、なんですけど」

 配信者の声が、少しだけ緊張を含む。

「明日、同じ時間に、同じ場所に立ってみませんか。この駅を使っている人が、もしかしたらいるかもしれないので」

 画面の端に、「?」の絵文字がいくつも流れる。

《まじで?》《勇者募集》《こわいけど行ってみたい》

 私は、スマホを握りしめた。  
 心臓が、また速くなる。  
 でも、さっきまでの痛みとは、少し違う種類の鼓動だ。

 この駅を使っている人。  
 もしかしたら、同じ沿線に住んでいる誰か。

 私は、震える指で、ゆっくりと文字を打った。

《この駅、多分、私の最寄りです》

 送信ボタンを押す。  
 コメント欄が、一瞬止まったように感じた。

「お、最寄りの方が」

 配信者の声が、少しだけ明るくなる。

「もちろん、無理しなくていいです。でも、もし、行けそうだなって思ったら……五分だけでも、ホームの端で、同じ景色を見てみるのも、悪くないかもしれません」

 同じ景色。

 スマホの画面に映るホームと、私の頭の中のホームが、ぴたりと重なる。  
 あの柱の横に立てば、きっと、カメラに映る。

《ドキドキする》《行けた人レポ頼む》《防寒しっかりね》

 コメント欄の冗談めいた言葉に、少しだけ笑いがこみ上げる。  
 怖い。  
 でも、ほんの少しだけ、行ってみたいと思ってしまった自分がいる。

***

 翌日。  
 仕事中も、心はずっとホームにあった。

 資料を作りながら、ふと「あの柱の横に立つ自分」を想像する。  
 上司からのチャットが飛んできても、昨日ほど心は揺れなかった。  
 「今日が終わったら、夜に予定がある」という感覚が、こんなにも心を支えるなんて。

 終業時間になり、パソコンを閉じる。  
 外は、すっかり暗い。  
 カーテンの向こうに、マンションの向かいの窓がぽつぽつと灯っている。

 スマホには、「おやすみ駅前ライブ」の予約通知。  
 開始時間まで、あと三十分。

 布団に潜り込めば、いつものように画面越しのホームが見られる。  
 コートを羽織れば、冷たい空気の中で、本物のホームに立てる。

 どちらを選んでも、誰も責めない。  
 責めるのは、きっと自分だけだ。

「……五分だけ」

 私は、声に出して言った。  
 五分だけ、行ってみて、無理だと思ったらすぐ帰ればいい。  
 そう自分に言い聞かせて、クローゼットからコートを引っ張り出す。

 マフラーを巻き、ポケットにスマホと家の鍵を入れる。  
 玄関のドアを開けると、冬の始まりの冷たい空気が、頬を刺した。

 普段なら、在宅勤務の日に外に出ることはほとんどない。  
 エレベーターに乗るとき、誰かと一緒になったらどうしようと身構えるけれど、今日は誰もいなかった。

 マンションを出て、駅までの道を歩く。  
 住宅街の街灯が、オレンジ色の光を落としている。  
 コンビニの前を通り過ぎると、レジの音と、誰かの笑い声が漏れ聞こえてきた。

 駅に近づくにつれて、心臓の鼓動が早くなる。  
 改札を通り、階段を降りる。  
 ホームに出ると、ちょうど最後の電車が出ていくところだった。

 風圧とともに、電車が走り去る。  
 ホームのアナウンスが、「本日の運行は終了しました」と告げる。  
 人影が、すっと消えていく。

 やがて、ホームには、私ひとりだけになった。

 スマホを取り出して、「おやすみ駅前ライブ」を開く。  
 画面の中のホームと、目の前のホームが、まるで鏡合わせのように重なった。

 カメラは、ホームの端に立てられている。  
 その少し後ろに、黒いコートの後ろ姿。

 男性が、ゆっくりと振り返った。  
 紺色のマフラー。  
 思っていたより、少しだけ優しい顔。

「あ」

 彼と目が合う。  
 マイク越しではない、生の声で、彼が言った。

「こんばんは」

 少し照れたように笑う。その笑顔に、見覚えはないはずなのに、どこか懐かしさを感じる。

「……こんばんは」

 私は、ぎこちなく頭を下げた。  
 声が、思ったよりもちゃんと出たことに、ほっとする。

「もしかして」

 彼が、マフラーの端を指でいじりながら言う。

「昨日、コメントくれた方、ですか?」

 私は、うなずいた。

「佐伯、遥です。あの、いつも……お世話になってます」

 言ってから、自分でもおかしくなって、ふっと笑ってしまう。  
 配信者に「お世話になってます」なんて、変だ。

 彼も、同じところがツボにはまったのか、声を立てて笑った。

「宮下です。……あ、配信だと『駅前』って名前でやってるんですけど」

「宮下さん」

 名前を口に出してみる。  
 それだけで、画面の向こうの「声の人」が、急に現実の人間になった気がした。

「きょうは、配信お休みなんですか?」

「はい。事前に告知しておきました。『きょうはお休みです』って」

 彼は、立てかけた三脚を指さす。

「カメラだけ、ちょっと回してますけど。アーカイブ用に、ホームの映像だけでも残しておこうかなって」

 ホームの蛍光灯が、二人の影を長く伸ばしている。  
 線路の向こうは、相変わらず静かだ。

「寒くないですか?」

 宮下さんが、私のマフラーをちらりと見て言う。

「ちょっと……でも、思ったよりは」

「よかった。ここ、風が強い日だと、ほんとに耳が痛くなるんで」

 他愛もない会話。  
 それだけなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。

「昼間は、営業のお仕事なんですよね」

 私が言うと、宮下さんは少し驚いた顔をした。

「あ、はい。言ってましたっけ」

「配信で、少し」

「ああ、そうか」

 彼は、ホームのベンチを軽く叩いて、「座りませんか」と目で促した。  
 私は、少し距離をあけて腰を下ろす。

「昼間、人と話しすぎて、夜は誰とも話したくないなって思う日もあって」

 宮下さんは、遠くの線路を見ながら話し始めた。

「でも、完全に一人になると、それはそれで、なんか変な感じがして。だから、誰かがいるかもしれないけど、直接は会わなくていい場所がほしくて、あの配信を始めたんです」

「直接は、会わなくていい場所」

「はい。コメント欄って、ちょうどいい距離感があるじゃないですか。『おつかれさま』って言っても、相手の顔色を読まなくていいし」

 私は、うなずいた。

「わかります。私も、あのコメント欄、好きです」

「ですよね」

 宮下さんが、少しだけこちらを見る。

「でも、こうして実際に会ってみるのも、悪くないなって、今ちょっと思ってます」

 その言葉に、胸がどきりとする。

「私も……」

 うまく言葉が続かない。  
 でも、伝えたい気持ちは、はっきりとある。

「人と会うの、怖いんです。会議とか、飲み会とか。ちゃんと話せるか不安で……」

 指先が冷えて、手袋の中でぎゅっと握りしめる。

「でも、誰とも会わない日が続くと、それはそれで、すごくさみしくて。どうしたらいいかわからなくて」

 ホームの蛍光灯が、少しだけちらつく。  
 沈黙が、二人の間に落ちる。

 でも、その沈黙は、配信で感じていた安心とよく似ていた。  
 何か話さなきゃ、と焦らなくてもいい空気。

「さっきも言いましたけど」

 宮下さんが、ゆっくりと口を開く。

「ここにいるってだけで、十分がんばってると思います。家から出て、こんな時間に駅まで来るの、けっこう大変ですよ」

 私は、思わず笑ってしまう。

「たしかに。五分だけ、って自分に言い聞かせて、ここまで来ました」

「五分、もう過ぎてますよ」

「ほんとだ」

 スマホの時計を見ると、配信が始まってから、もう二十分近く経っていた。

「……帰り、気をつけてくださいね」

 宮下さんが、少し真面目な顔をする。

「また、よかったらですけど。寝る前に、ここで待ち合わせしませんか。週一くらいで」

 待ち合わせ。  
 その言葉が、胸の中で、あたたかく響く。

「また、ここで」

「はい。もちろん、来れそうなときだけでいいので」

 私は、ゆっくりとうなずいた。

「行きます。たぶん、すごく緊張するけど……でも、行きたいです」

 言葉にしてみると、不思議と怖さが少しだけ薄れた気がした。

「それと」

 私は、少し迷ってから、続ける。

「配信、これからも続けてくださいね。画面越しで会いたい人も、きっとたくさんいるから」

 宮下さんは、驚いたように目を瞬かせて、それから笑った。

「はい。やめるつもりは、今のところないです。……たぶん、僕が一番、あの配信に救われてるんで」

***

 家に帰ると、身体の芯まで冷えきっていたはずなのに、どこかぽかぽかしていた。  
 シャワーを浴びて、布団に潜り込む。  
 スマホには、さっき宮下さんが言っていた通りのアーカイブメッセージが表示されていた。

《きょうは配信おやすみでしたが、皆さんもゆっくり休めていますように》

 画面を閉じると、すぐにまぶたが重くなる。  
 久しぶりに、布団に入ってすぐ眠くなった。

 数日後の夜。  
 「おやすみ駅前ライブ」を開くと、いつものホームが映し出された。

「こんばんは。きょうも、一日お疲れさまでした」

 宮下さんの声。  
 コメント欄には、《こんばんは》《おつかれさま》の文字が並ぶ。

 よく見ると、ホームの端に、二つ並んだ影が映り込んでいた。  
 一つは、黒いコート。  
 もう一つは、少し小さめのコート。

《影が増えてる》《なんかいい》《リアル待ち合わせ?》

 コメント欄が、静かにざわめく。

 画面の向こうで、私と宮下さんは、並んで線路を眺めている。  
 沈黙の中で、風の音だけが聞こえる。

 顔も名前も知らない誰かと共有していた「寝る前のホーム」に、現実の誰かと並んで立っている。  
 それだけで、世界がほんの少し、やわらかくなった気がした。

 人とつながることは、怖いだけじゃない。  
 そう思える夜が、たしかにここにある。"
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