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第一話 家宝は寝て持て!
二人の思惑
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長山権兵衛は寺田文右衛門を覚えてはいなかった。通りで一度だけ会った人物、挨拶を交したといっても、それほど関心がない相手には記憶の抽斗にしまうことはまずないであろう。
だから、権兵衛はなにも言わない、言えない。
「なんだぁ、剣の師匠といったのは、やはり嘘だったのだな」
浪人の面接を担当している山口が叫んだ。
すると、文右衛門はその大声にびくついたようにひょろひょろと前のめりに倒れそうになって、それを支えた権兵衛の耳元で、
「佐吉さんに頼まれた」
と、囁やいた。
「お……お、お師匠」
権兵衛がぼそりと言った。“佐吉”の名が出た以上、話を合わせねばと、即断したようである。直観であったろう。しかも権兵衛は、もともとほとんど喋らない人物である。平野屋に雇われてのちも、それは変わらなかった。それが功を奏したのか、山口も、
「なんだ……長山さんの師匠なら、雇うにやぶさかではないが、給金は半額だぞ。なにぶん、年寄りだからな」
と、条件付きでしぶしぶ承諾した。
文右衛門は、長屋の最奥の部屋をあてがわれた。むろん、権兵衛と同室である。
五人ほどは横に並んで寝られる広さだ。
山口の説明では、昼間の用心棒ではなく、夜間、蔵のなかで家宝を胸に抱いて横になる仕事のほうだ。
「長山さんから、段取りを聴いて、夕刻までよく休んでおけ」
山口は何度も念を押した。
二人きりになると、文右衛門は、
「ひゃあ、助かったわい」
と、苦笑した。
けれども権兵衛は何も発しない。
相手が“佐吉”の名を出した以上、用向きの何たるかは容易に推測がつく。佐吉の娘の珠がすべてを察して告げたのだろうと権兵衛にもわかる。けれど、それこそ余計なお世話というものだと、胸中では憤慨すらしていたのだ。
「……こんな爺に、のこのこやって来られては迷惑至極……というところですかの」
いきなり文右衛門が言った。
「・・・・・・」
「そう警戒なさることはござらぬぞ。拙者は藩の者ではない、重臣の屋敷に仕える用人にすぎぬゆえ」
「・・・・・・」
「そなたがここで何を為さんとしても、拙者には関係なきこと。じゃが、ざっとしか聴いてはおらぬが、お珠さんの仇討ちを為さんとなれば、そなた一人では、いささか歯が立たぬようじゃが、なにかいい手立てを思案したのかの」
「・・・・・・」
一方的に文右衛門は喋り続け、権兵衛はただじっと聴いている。
「ざっとみたところ、浪人衆のなかには相当に腕の立つ者もおるようだ。そなたがしのげるとはおもえんのじゃよ」
「さ、よ、う、で、あ、り、ますか」
やっと権兵衛が口を開いた。一語を絞り出すような間延びした、なにかを謡うような階調が文右衛門には可笑しくてならなかった。
「さて、ひとつ教えてくださらぬか。家宝を寝て持つ仕事とは、いかなることでござろうか、の」
おもむろに文右衛門は訊《き》いた。
すると、権兵衛は、
「わしが、そう仕向けたのだ」
と、言った。
「仕向けた? とは?」
「この地に流れ着いたのは、平野屋に一矢報いんがため」
「ほ、怨みがござったのか?」
「長年、浪々の身、海沿いに鳥取までやってきたとき、親が病で倒れた。わしはまだもっと若かったが、なんの縁もゆかりもない我ら親子を、廻船問屋の主人が拾ってくださってな、長屋を与えられ、わしはそこで船荷を卸し、近隣へ運ぶ手伝いをしておった。おかげでいのちをつなぐことができた……」
……その恩ある商家が、借財をした平野屋に事実上乗っ取られてしまった、という。病死した権兵衛の両親の弔いを終えた矢先であった、そうである。
「……まことにあくどいやりようじゃ。その廻船問屋だけではない、他にも多くの店が、同じ手口でやられたようだ。共同でやらないかと大きな商いを持ちかけ、そのための出資を出させ、商いを頓挫させる……まことに、許しがたい所業……」
権兵衛はほとんど喋らない人物だと聴いていた文右衛門は、筋道立てて滔々と喋るかれの豹変ぶりに驚いていた。けれど、まだ“何を仕向けた”のか、それがわからない。
「さきほど、仕向けた……と申されたが?」
「さよう、わしは力仕事……荷を運んだり、かついだりするのには慣れておるが、おまえ様が見抜いたとおり、からきし剣は遣えぬ。そこで……」
……この地に来てから、平野屋の様子を探り、不定期に脅迫状を投げ込んだ、らしかった。お宝の書画、掛け軸だけでなく契約書のような文書、証文などを盗んでやると……。
「……すると、平野屋はそれらを抱えて寝るための浪人を雇うようになったのだ。いずれ、雇われて、証文などを燃やしてやろうと思っていたところ、平野屋の客人のなかに、極悪人がいるとお珠さんから聴かされ……」
「なるほど、ようやく合点がまいりましたぞ。ご自身の復讐事が先行していたおりに、お珠どのの一件があって……ということですな。顔に疵のある男……だと、佐吉さんから聴きました。奴はまだ逗留しているのでござるな」
「ええ、ただ、近いうちに離れると……平野屋の本店は岡山にあり、そこへ……」
「ならば、急がねばなりますまいの」
「ご助力いただけるのか?」
「そのつもりで、雇われましたので」
文右衛門は答えてから、
「ゴンさん……こうお呼びしてよろしいかの」
と、言った。
「ええ、なんとでも。寺田……どの?」
「いや、こちらも、テラモン……と渾名があります」
「では、テラさんと呼ぶことに……」
「そこで、これからの段取りですが……」
文右衛門が話し出すと、権兵衛は身を乗り出してふんふんと何度もうなづいた。
だから、権兵衛はなにも言わない、言えない。
「なんだぁ、剣の師匠といったのは、やはり嘘だったのだな」
浪人の面接を担当している山口が叫んだ。
すると、文右衛門はその大声にびくついたようにひょろひょろと前のめりに倒れそうになって、それを支えた権兵衛の耳元で、
「佐吉さんに頼まれた」
と、囁やいた。
「お……お、お師匠」
権兵衛がぼそりと言った。“佐吉”の名が出た以上、話を合わせねばと、即断したようである。直観であったろう。しかも権兵衛は、もともとほとんど喋らない人物である。平野屋に雇われてのちも、それは変わらなかった。それが功を奏したのか、山口も、
「なんだ……長山さんの師匠なら、雇うにやぶさかではないが、給金は半額だぞ。なにぶん、年寄りだからな」
と、条件付きでしぶしぶ承諾した。
文右衛門は、長屋の最奥の部屋をあてがわれた。むろん、権兵衛と同室である。
五人ほどは横に並んで寝られる広さだ。
山口の説明では、昼間の用心棒ではなく、夜間、蔵のなかで家宝を胸に抱いて横になる仕事のほうだ。
「長山さんから、段取りを聴いて、夕刻までよく休んでおけ」
山口は何度も念を押した。
二人きりになると、文右衛門は、
「ひゃあ、助かったわい」
と、苦笑した。
けれども権兵衛は何も発しない。
相手が“佐吉”の名を出した以上、用向きの何たるかは容易に推測がつく。佐吉の娘の珠がすべてを察して告げたのだろうと権兵衛にもわかる。けれど、それこそ余計なお世話というものだと、胸中では憤慨すらしていたのだ。
「……こんな爺に、のこのこやって来られては迷惑至極……というところですかの」
いきなり文右衛門が言った。
「・・・・・・」
「そう警戒なさることはござらぬぞ。拙者は藩の者ではない、重臣の屋敷に仕える用人にすぎぬゆえ」
「・・・・・・」
「そなたがここで何を為さんとしても、拙者には関係なきこと。じゃが、ざっとしか聴いてはおらぬが、お珠さんの仇討ちを為さんとなれば、そなた一人では、いささか歯が立たぬようじゃが、なにかいい手立てを思案したのかの」
「・・・・・・」
一方的に文右衛門は喋り続け、権兵衛はただじっと聴いている。
「ざっとみたところ、浪人衆のなかには相当に腕の立つ者もおるようだ。そなたがしのげるとはおもえんのじゃよ」
「さ、よ、う、で、あ、り、ますか」
やっと権兵衛が口を開いた。一語を絞り出すような間延びした、なにかを謡うような階調が文右衛門には可笑しくてならなかった。
「さて、ひとつ教えてくださらぬか。家宝を寝て持つ仕事とは、いかなることでござろうか、の」
おもむろに文右衛門は訊《き》いた。
すると、権兵衛は、
「わしが、そう仕向けたのだ」
と、言った。
「仕向けた? とは?」
「この地に流れ着いたのは、平野屋に一矢報いんがため」
「ほ、怨みがござったのか?」
「長年、浪々の身、海沿いに鳥取までやってきたとき、親が病で倒れた。わしはまだもっと若かったが、なんの縁もゆかりもない我ら親子を、廻船問屋の主人が拾ってくださってな、長屋を与えられ、わしはそこで船荷を卸し、近隣へ運ぶ手伝いをしておった。おかげでいのちをつなぐことができた……」
……その恩ある商家が、借財をした平野屋に事実上乗っ取られてしまった、という。病死した権兵衛の両親の弔いを終えた矢先であった、そうである。
「……まことにあくどいやりようじゃ。その廻船問屋だけではない、他にも多くの店が、同じ手口でやられたようだ。共同でやらないかと大きな商いを持ちかけ、そのための出資を出させ、商いを頓挫させる……まことに、許しがたい所業……」
権兵衛はほとんど喋らない人物だと聴いていた文右衛門は、筋道立てて滔々と喋るかれの豹変ぶりに驚いていた。けれど、まだ“何を仕向けた”のか、それがわからない。
「さきほど、仕向けた……と申されたが?」
「さよう、わしは力仕事……荷を運んだり、かついだりするのには慣れておるが、おまえ様が見抜いたとおり、からきし剣は遣えぬ。そこで……」
……この地に来てから、平野屋の様子を探り、不定期に脅迫状を投げ込んだ、らしかった。お宝の書画、掛け軸だけでなく契約書のような文書、証文などを盗んでやると……。
「……すると、平野屋はそれらを抱えて寝るための浪人を雇うようになったのだ。いずれ、雇われて、証文などを燃やしてやろうと思っていたところ、平野屋の客人のなかに、極悪人がいるとお珠さんから聴かされ……」
「なるほど、ようやく合点がまいりましたぞ。ご自身の復讐事が先行していたおりに、お珠どのの一件があって……ということですな。顔に疵のある男……だと、佐吉さんから聴きました。奴はまだ逗留しているのでござるな」
「ええ、ただ、近いうちに離れると……平野屋の本店は岡山にあり、そこへ……」
「ならば、急がねばなりますまいの」
「ご助力いただけるのか?」
「そのつもりで、雇われましたので」
文右衛門は答えてから、
「ゴンさん……こうお呼びしてよろしいかの」
と、言った。
「ええ、なんとでも。寺田……どの?」
「いや、こちらも、テラモン……と渾名があります」
「では、テラさんと呼ぶことに……」
「そこで、これからの段取りですが……」
文右衛門が話し出すと、権兵衛は身を乗り出してふんふんと何度もうなづいた。
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