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第四話 感謝の対価
直 勘
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寺田文右衛門は、賭けの参加者の動向よりも、むしろ世之介という変人の奥底に潜むなにものかの正体そのものを探りたいとおもっていたのだった。だからこそ、剣を交えることで、世之介の芯奥に迫りたいと考えたのだ。
相討ち……引き分けにおわったが、それはそれで文右衛門の望むところでもあった。
佐々木世之介は、いまは亡き父親と同様、町奉行役宅で同心手代の微役に就き、寝泊まりの巡回も、門番まがいの見番役ですら不満を洩らさずに黙々とこなしている。酒も嗜わず、親しい友もおらず、笑うでもなく、泣くでもなく、他人に群れず媚びず、泰然と日々を送っている姿を垣間見た文右衛門には、世之介がこれまで抱えてきた気概の奥に潜むものを見抜きたかったからに他ならない。
そして……ようやく、わかりかけてきたことがあった。文右衛門がおのが私見を披露した相手は、谷崎家老ではなく、幼少期に世之介と接点があったという種田武雄のほうであった。
「……佐々木氏は、どうやら、おのが腹の内で、なにか別の得体の知れないものと戦っているように見受けられました」
感得したものを淡々と文右衛門は告げた。
「……それは、まさしく、仇持ちのような心境に近いのではないかと存じます……」
「仇持ち、ですか?」
種田武雄は小首を傾げた。文右衛門のいう意味がなかなかわからない、つかめない。すると文右衛門はおなじことを言葉を換えて口にした。
「……しいて申さば、仇討に似て、仇討に非ず、というところでありましょうか」
「ほ、それはまた、含意のありすぎる詞ですな」
種田武雄がつぶやいた。なにか思い当たるところがあったのか、しきりに頷き返しながら、酒を舐めた。
「……しかも、あの佐々木が、世に隠れたる剣客とは……、いや、いまは亡き父者どのは、代々、佐々木家に伝わる剣技の継承者と聴いていたような気もするが・・・それをひそかにやつも修練していたとは……」
「さてもこそ、爺めにはこの齢にして、剣を交えた相手に身の毛がよだつほどの怖れを感じました……」
「ほかになにか気づいたことはなかったでしょうか? 嫁は断じて娶らぬと申しおったのですね」
種田武雄が念を押すように言った。すると文右衛門は、おのが直勘をそのまま伝えた。
「……あの佐々木氏の立ち振る舞いというものは、なにかに似ているとずっと考え続けておりましたが、仇討ちにて仇討ちに非ず、と悟って、ようやく得心いたしました……」
文右衛門が語ったのは、こういうことである。かりに仇討ちという一大目標があれば、すべてはそれが“主”で、他人のことなど“従”でしかなくなる。……おのずと優先順位が他人とは異なるからだ。そんな心境、心構えのようなものが、世之介の芯奥にぽつりと宿り続けているのでは……と、文右衛門は披露した。
「なるほど」と、先に唸ったのは種田武雄であった。
「……テラモンどの、その今の言で、こちらで思い当たったこととが見事に符合しました」
「・・・・・?」
「佐々木が嫁を娶らず、いまの今まで独り身でおる理由に、いま、ようやく思い至りました・・・・爺さまよ、佐々木が恋焦がれておるのは、おそらくは、わが妹、桃華だとおもう」
「げっ、桃華の方様!」
文右衛門は驚いた。種田武雄の妹、桃華は二十七。十年前、藩公の側妾として召された。いまは江戸の藩邸にいるそうである……。
「罪なことをしてしもうた……すっかり忘れ去ってしまっていた……」
種田武雄は何度も同じことを口にした。世之介を“兄者”と呼び親しんでいた幼年の頃、“大きい兄さま”と言ってそばを離れなかったのは、桃華だったはずである。
家にふりかかった不運という名の波にのまれていた往時、みなの気鬱を打ち祓ってくれたのは、純朴な世之介の存在であった・・・・。
「・・・・そのことをすっかり忘れておりました。あの頃、世之介兄に申したのですよ。『兄者が、桃華のことを好いとるのならば、嫁にすればいいだにぃ』と。それだけではなく、なにをおもったのか、世之介兄と約定事まで交してしまった……」
・・・・それは、たわいな、むしろ幼いがゆえの思いつきであったろう。
種田武雄は、そのとき、佐々木世之介にこう言ったそうである。
『この先、兄者が、ひとに言ってはいけないことばを決めよう。うん、そうだ、ありがとう、かたじけない・・・・それを口にしないと誓い、守り通すなら、きっと、桃華は兄者の嫁さまになるよ』
と、いったようなことであった。
あるいは、もっと強い、成人した武士が、互いの刀の鍔と鍔とを打ち合わせて誓詞とする、金打のごとき約定であったかもしれない。
「……そんなことがあったな、と、たった今、テラモンどのとのやりとりのなかで思い出しました……嫁を家付きでも貰わぬ兄者のありさまこそ、さきほど、爺さまが申された“仇持ち”のごときおもいに確かに通じるところがあります。佐々木世之介は、いまなお、あのおりの金打の誓いを、固く堅く硬く守り続けているのでしょう」
深い吐息とともに種田武雄は薄っすらと笑みを浮かべた。
含羞のおもいは文右衛門に伝わり、互いに声無き声で応じた。
「ゆえに……」と、種田武雄は続ける。
「……ここで、世之介兄の呪縛を解いてやらねばならぬと腹を決めました」
「と、申されますると……かの者の立身出世を後押しなされると?」
「なあに、そんなことをしてやっても佐々木にとっては迷惑千万にちがいない。呪縛を解くは、かのおりの金打の誓詞を全うせねばと……」
「ほ……そのようなことができましょうや」
「ここは重臣方を動かし、桃華に、お暇乞いあるべしと、殿様からお申し渡されるべくお願いするしかないでしょう」
種田武雄が企図したことは、なにも奇想天外なことでない。
それどころか先例もある。
側妾の多い奥の事情というものは、ある程度の年齢を経れば、武士でいうなら御役御免といった体裁で、城外に去らしめることで、財政負担を軽減するとともに、外戚の権力を削ぐことで、将来的に発生しかねない次期藩主の座をめぐった御家騒動を未然に防ぐ措置でもあった。
「……まして、桃華は子をなしてはいない。すでに、中年増とよばれる齢に差し掛かったいま、佐々木に再嫁させるほうがいいかもしれぬゆえ……」
どうやら種田武雄は、二十年がかりで往時の約定を果たす決意を固めたようであった。その決意を知って、もうひと働きせねばなるまいなと文右衛門はその先の段取りを思案し出した……。
相討ち……引き分けにおわったが、それはそれで文右衛門の望むところでもあった。
佐々木世之介は、いまは亡き父親と同様、町奉行役宅で同心手代の微役に就き、寝泊まりの巡回も、門番まがいの見番役ですら不満を洩らさずに黙々とこなしている。酒も嗜わず、親しい友もおらず、笑うでもなく、泣くでもなく、他人に群れず媚びず、泰然と日々を送っている姿を垣間見た文右衛門には、世之介がこれまで抱えてきた気概の奥に潜むものを見抜きたかったからに他ならない。
そして……ようやく、わかりかけてきたことがあった。文右衛門がおのが私見を披露した相手は、谷崎家老ではなく、幼少期に世之介と接点があったという種田武雄のほうであった。
「……佐々木氏は、どうやら、おのが腹の内で、なにか別の得体の知れないものと戦っているように見受けられました」
感得したものを淡々と文右衛門は告げた。
「……それは、まさしく、仇持ちのような心境に近いのではないかと存じます……」
「仇持ち、ですか?」
種田武雄は小首を傾げた。文右衛門のいう意味がなかなかわからない、つかめない。すると文右衛門はおなじことを言葉を換えて口にした。
「……しいて申さば、仇討に似て、仇討に非ず、というところでありましょうか」
「ほ、それはまた、含意のありすぎる詞ですな」
種田武雄がつぶやいた。なにか思い当たるところがあったのか、しきりに頷き返しながら、酒を舐めた。
「……しかも、あの佐々木が、世に隠れたる剣客とは……、いや、いまは亡き父者どのは、代々、佐々木家に伝わる剣技の継承者と聴いていたような気もするが・・・それをひそかにやつも修練していたとは……」
「さてもこそ、爺めにはこの齢にして、剣を交えた相手に身の毛がよだつほどの怖れを感じました……」
「ほかになにか気づいたことはなかったでしょうか? 嫁は断じて娶らぬと申しおったのですね」
種田武雄が念を押すように言った。すると文右衛門は、おのが直勘をそのまま伝えた。
「……あの佐々木氏の立ち振る舞いというものは、なにかに似ているとずっと考え続けておりましたが、仇討ちにて仇討ちに非ず、と悟って、ようやく得心いたしました……」
文右衛門が語ったのは、こういうことである。かりに仇討ちという一大目標があれば、すべてはそれが“主”で、他人のことなど“従”でしかなくなる。……おのずと優先順位が他人とは異なるからだ。そんな心境、心構えのようなものが、世之介の芯奥にぽつりと宿り続けているのでは……と、文右衛門は披露した。
「なるほど」と、先に唸ったのは種田武雄であった。
「……テラモンどの、その今の言で、こちらで思い当たったこととが見事に符合しました」
「・・・・・?」
「佐々木が嫁を娶らず、いまの今まで独り身でおる理由に、いま、ようやく思い至りました・・・・爺さまよ、佐々木が恋焦がれておるのは、おそらくは、わが妹、桃華だとおもう」
「げっ、桃華の方様!」
文右衛門は驚いた。種田武雄の妹、桃華は二十七。十年前、藩公の側妾として召された。いまは江戸の藩邸にいるそうである……。
「罪なことをしてしもうた……すっかり忘れ去ってしまっていた……」
種田武雄は何度も同じことを口にした。世之介を“兄者”と呼び親しんでいた幼年の頃、“大きい兄さま”と言ってそばを離れなかったのは、桃華だったはずである。
家にふりかかった不運という名の波にのまれていた往時、みなの気鬱を打ち祓ってくれたのは、純朴な世之介の存在であった・・・・。
「・・・・そのことをすっかり忘れておりました。あの頃、世之介兄に申したのですよ。『兄者が、桃華のことを好いとるのならば、嫁にすればいいだにぃ』と。それだけではなく、なにをおもったのか、世之介兄と約定事まで交してしまった……」
・・・・それは、たわいな、むしろ幼いがゆえの思いつきであったろう。
種田武雄は、そのとき、佐々木世之介にこう言ったそうである。
『この先、兄者が、ひとに言ってはいけないことばを決めよう。うん、そうだ、ありがとう、かたじけない・・・・それを口にしないと誓い、守り通すなら、きっと、桃華は兄者の嫁さまになるよ』
と、いったようなことであった。
あるいは、もっと強い、成人した武士が、互いの刀の鍔と鍔とを打ち合わせて誓詞とする、金打のごとき約定であったかもしれない。
「……そんなことがあったな、と、たった今、テラモンどのとのやりとりのなかで思い出しました……嫁を家付きでも貰わぬ兄者のありさまこそ、さきほど、爺さまが申された“仇持ち”のごときおもいに確かに通じるところがあります。佐々木世之介は、いまなお、あのおりの金打の誓いを、固く堅く硬く守り続けているのでしょう」
深い吐息とともに種田武雄は薄っすらと笑みを浮かべた。
含羞のおもいは文右衛門に伝わり、互いに声無き声で応じた。
「ゆえに……」と、種田武雄は続ける。
「……ここで、世之介兄の呪縛を解いてやらねばならぬと腹を決めました」
「と、申されますると……かの者の立身出世を後押しなされると?」
「なあに、そんなことをしてやっても佐々木にとっては迷惑千万にちがいない。呪縛を解くは、かのおりの金打の誓詞を全うせねばと……」
「ほ……そのようなことができましょうや」
「ここは重臣方を動かし、桃華に、お暇乞いあるべしと、殿様からお申し渡されるべくお願いするしかないでしょう」
種田武雄が企図したことは、なにも奇想天外なことでない。
それどころか先例もある。
側妾の多い奥の事情というものは、ある程度の年齢を経れば、武士でいうなら御役御免といった体裁で、城外に去らしめることで、財政負担を軽減するとともに、外戚の権力を削ぐことで、将来的に発生しかねない次期藩主の座をめぐった御家騒動を未然に防ぐ措置でもあった。
「……まして、桃華は子をなしてはいない。すでに、中年増とよばれる齢に差し掛かったいま、佐々木に再嫁させるほうがいいかもしれぬゆえ……」
どうやら種田武雄は、二十年がかりで往時の約定を果たす決意を固めたようであった。その決意を知って、もうひと働きせねばなるまいなと文右衛門はその先の段取りを思案し出した……。
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