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(7)カエル公女とおもちゃ箱
しおりを挟むそれから、二、三十分ほどは経っただろうか。
ヒマすぎて羊を数えていたらなんだか眠くなってきた、ちょうどその時侍女の声がした。
「王妃様! 白いモヤが!」
「ああ、いいわね。……そう、そう。いい子ねぇ。隣の身体へ入るのよ」
「あっ……白いモヤが公女の身体に吸いこまれていきます!」
「…………成功したみたいね。少し心配だったけど上手くいってよかったわ。さぁ、外の護衛を呼んでちょうだい。お茶会中に気分が悪くなって倒れてしまった二人を運んでもらうことにしましょう」
「かしこまりました。しかしお嬢様、なぜ二人同時に薬を飲ませてしまわなかったのですか? 公女の身体に入った娘がイアン殿下に婚約破棄を宣言すればいいだけの話では……わざわざこんな手間をかけて別々に呪薬を飲ませる必要はあったのでしょうか?」
「質問が多いわね。まぁ、今は気分がいいから答えてあげてもいいかしら……なぜ同時に飲ませなかったのかですって?
さっきも言ったけれど、あの薬は一生に一度しか使えないの。もしも肉体から離れた魂がまた元の肉体に戻ってしまったら困るでしょう?
それにどんな形にせよ、この娘に生きていられるのもやっぱり困るのよ。イアンは見た目より聡い子よ。中身が入れ替わってることに気づかれるかもしれない」
「入れ替わった後すぐに何か理由づけて監禁してしまえば、イアン殿下と接触できずに入れ替わりの件も伝えられないのでは?」
「それこそ浅慮というものだわね。
エマこそいつまでも伯爵家のメイド気分でいられては困るわ。そんな浅知恵しか浮かばないようでは、王妃の侍女はつとまらなくてよ?
監禁なんかしたらこの子の方が納得しないでしょうよ。自分の身体が監禁されていることを知ったら、素直にこちらの指示に従ってくれなくなる恐れがあるわ。
今回は、イアンの方からこれに婚約破棄を突きつけざるを得ない状況に持っていくのが目的なのだから、この子に頑張ってもらわないと困るのよね」
「はぁ、そんなものですか……では、公女の身体の方は意識が戻ったら家に帰すとしても、抜け殻になってしまった娘の身体はどうしたらいいのでしょう」
「とりあえずわたくしの部屋に運んでもらおうかしら。しばらくはわたくしが丁重に保管しておくわ。時々見せてやったらこの子もいつでも戻れると思って安心するでしょうし。
家族の方から問い合わせがあったら、お茶会からは無事に帰ったけれども、途中で姿を消して行方不明になったということにでもすればいいわね」
「しかしお嬢様……魂が長く切り離されていると肉体も死んでしまうとおっしゃってませんでしたか? ……その……この娘の身体はつまり……」
「そうよ。そのうち死んでしまうわ。どちらにしろこの子は元の身体には戻れないんだもの。問題はないでしょう? あ、でも。保管中に死体が腐りだしたら困るから、できるだけ早く防腐の術を施しておかないとだわねぇ…… 」
「でも、さっき彼女に元に戻れると……」
「戻る方法はないのよ。この呪薬は一生で一度きりしか作用しないから、もう一度薬を使ったところで戻れないわ」
「では…………」
「この子にはこの身体のまま消えてもらう予定だから、どちらにせよ問題はないわね」
「そういうことでしたか。それは名案でございますね」
「誇り高き王家に汚らわしい南蛮人の血を混ぜてなるものですか。美しいものは美しくあらねば罪だわ」
王妃のその言葉を最後に、二人だけの話は終わったらしい。扉が開く音と重めの足音がして、侍女があれこれ指図する声が聞こえてくる。
どうやら王妃の企みで、自分の身に大変なことが起きているのはわかったけど、一体何が起きているのか把握できない。
聞こえてきた中で気になるのが、『入れかわる』『魂と肉体を切り離す薬』『将来の王妃の座と美しい婚約者』『元の身体には戻れない』などの言葉だ。
どうやら私は一服盛られて魂が肉体から切り離された状態らしい──動けないのはそのせいだろうか?
そして、誰かが私に成りかわろうとしているということ。いや、王妃にそうそそのかされたのだろう。
王妃は、私がイアンの婚約者でいることに関して、ずっと陛下に苦言を呈していた。たとえ仮初の婚約者だとしても。美しいイアンの側に私がいることに我慢がならないらしい。
だから、私を排除したかったはずなんだけど。
よく考えてみたら、王宮で、しかも自らのお茶会に呼んだ公爵令嬢に毒を盛るなんて、正気の沙汰じゃないな。すぐバレるだろうし、いくら王妃とはいえ公然と人を殺したら処刑されるに違いない。よくて幽閉とかだろうか。
なるほど。だから『身代わり』を用意したというわけか。王妃のお茶会に参加した私は気分が悪くなって倒れるが、『身代わり』が無事に帰りさえすれば何も問題はない。
こういってはなんだが、同じように薬を飲まされたあの令嬢は、恐らく身分が低いのだろう。身分の低い者が王家に対して声をあげることは難しい。たとえ王宮に行った娘が帰らなかったとしても、親は泣き寝入りせざるを得ない。王宮で何かがあったことの証拠がなければ握りつぶされておしまいだ。
考えていて少しムカついてきた。
人の命を、人生を、いったいなんだと思っているのか。私たちは王妃のおもちゃじゃない。思いどおりにさせてたまるものか!
身体が動くようになったら王妃の顔を思い切りひっぱたいてやりたい。
身体さえ動けば! 私の身体よ動けゴマ!
強く念じるとなんだか不意にスッキリした感覚がした。
上手く言えないけど、まるで身体と精神がつながったような?
『あ』
念じたおかげか、視界が突然クリアになり、部屋の中が見られるようになった。
ついでに、腕も動かせるようだ。
私は腕を持ち上げてみた。
『……はっ?』
腕──私の腕──こんなに黄色かった?
足──私の足──こんなに赤かった?
腕を上げた途端にバンッと目に飛びこんできたのは、大変鮮やかな原色カラーだった。
『えっ? ちょっと? どういうこと?』
私の目がおかしくなったのだろうか。
混乱していると、身体が突然持ち上がった。
『わわわっ!?』
「あら? こんなところにチャーリー様のおもちゃのカエルが落ちてるわ。届けなきゃ」
王妃の侍女とはまた違う声がして、仰向けにぎゅっとつかまれた。
『ぎゃああああー』
別に痛くはない。痛くはないが。
仰向けにわしづかみにされるとか……恥ずかしい! 何この屈辱感?!
そしてそのまま、ゆらゆらと揺られながら運ばれる。馬車酔いはしない方だが、これは酔いそうだ……。
いや。
それよりも。さっき、この侍女は何と言った?
『チャーリー様のおもちゃのカエル』?
えっ? 嘘でしょう?!
私は混乱に混乱を重ねた状態で、とりあえずいったん思考を放棄した。
うん。よくわかんないから後で考えよう。
──────────
『あら、あなた最近見かけなかったけど元気だった?』
『そう、新しいおもちゃがどんどん増えるから、古いのは遊んでもらえないの?』
『おもちゃの世界も競争があって大変なのねぇ……』
現実逃避である。
私の現在地は……チャーリーのおもちゃ箱の中だ。
チャーリーというのは、御年(おんとし)四歳のこの国の第二王子である。十年以上年の離れた兄弟を、イアンはとてもかわいがっていた。実際にお顔も大変かわいらしい。髪色こそ違うもののアメジストの瞳は同じで、出会った頃のイアンを彷彿とさせた。
私もよく一緒に遊んだものだが……チャーリーよりイアンの方が泣く回数が多いことにちょっと驚いた。
箱の中には私にも見覚えのあるおもちゃがいくつかあった。
その中にちょうど鏡を持ったうさぎのぬいぐるみがいて、そこでようやく私は現実と向き合うことができた──否、向き合うことができずに完っ全に逃避した。
あの侍女が呟いた通りだった。鏡に映った私の姿は、赤に青に緑に黄──奇抜な色をしたおもちゃのカエルだった。布製ではなく染めた革で作られた、紛れもなくおもちゃのカエル。
なんでこんなことに──?
同じおもちゃでも、人型に近いものとかあっただろうに、よりによってカエルって……。
ああ、そうか。わかった。元の容姿がカエルレベルってことなのね。と、鏡の前でセルフつっこみを展開してより落ちこんでいた。
カエルの姿なのにはまだ納得がいかない。不幸中の幸いはおもちゃといえども自分で動くことができる点だろうか。
とりあえず私はおもちゃ箱の中をのそのそと歩き回ってみた。
『あなたは、チャーリーの誕生日にイアンからプレゼントされた馬のおもちゃね』
確かイアンに頼まれて、一緒に街のおもちゃ屋で選んだものだ。お腹の横に『チャーリー』と名前が彫ってあるのだ。ちなみにチャーリーのおもちゃは大体もれなく名前が書いてある。
さっきの侍女が私をここまで連れて(持って?)きたのもそのせいだ。きっと自分では見えないどこかに名前が書いてあるのだろう。
でも、この身体の持ち主のおもちゃのカエルには見覚えがない。
このカエルを一度でも目にしていたら忘れないだろう。それほど強烈なカラーリングをしていた。私は特別カエルに詳しいわけでもなんでもないが、こんな色のカエルは現実に存在しないことくらいはわかる。
見覚えがないということは、比較的最近のものかもしれない。
『あら、あなたのお洋服素敵ね!』
おもちゃたちは私が話しかけても、誰も答えてはくれない。当たり前だ。だっておもちゃだもの。
ちょっとは同じ境遇のおもちゃがいてもいいんじゃないかと思ったが、大変期待外れな結果となった。
そういうわけで、私はこのおもちゃ箱から旅立ちの時が近づいていることを知っていた。
私はおもちゃではない。
いや、外見はおもちゃだけど──何を言ってるの
か自分でもわからなくなってきた……。
でも、私はここにいるおもちゃたちとは違うのだ。異質なものが混じってしまうと、その集団のもつアイデンティティが冒されることになってしまう。それは私としても本意ではない。
おもちゃであってもおもちゃでない私は、ここにいるべきではない。
よし、ここから旅立とう。
そう決心した時、肩にコツンと何かが当たった。それは、ブリキの兵隊が持っていたおもちゃの剣だった。
私が動いたためにバランスをくずして当たっただけなのかもしれない。だが私には、彼が『頑張れよ』と話しかけてくれたように感じた。
『ありがとう、早く戻れるように頑張る! そうだ──この剣、少し借りてもいいかしら?』
高級おもちゃの持ち物はやはり高級で、とても精巧な作りになっていた。ピカピカに磨きあげられた真鍮製のそれは、護身用によさそうだった。おもちゃにそんな危険な場面があるかどうかはわからないが……ほら、いたずらっ子に見つかって乱暴に扱われそうになった時とか?
私はおもちゃの兵隊のベルトから、剣を鞘ごと抜きとり、自分のお腹にあるポケットにそれをつっこんだ。
さっき、鏡を見て気がついたのだ。お腹にはフタ付きのポケットがついていて、ちょっとした小物をしまえるようになっている。つまり、私はおもちゃでもありポーチでもあるのだった。
『元の身体に戻れたら必ず返しにくるわ』
ついでにおもちゃたちから少しだけ持ち物を分けてもらう。ずいぶんお腹がパンパンになってしまったが、おもちゃなのだから別に平気だ。
『みんな元気でね! 平等に遊んでもらえるように今度チャーリーに伝えてみるわね──!』
おもちゃ箱から這いだす時に、振り返りながらそう話しかけると、おもちゃたちが一瞬キラッと光ったように見えた。
おもちゃたちにも気持ちがあるのだ。それはきっと私たちとは違った形だけど。
新しいおもちゃがひときわ輝いて見えるのは、これから出会う子どもたちを笑顔にしてあげようというパワーに満ち満ちているからかもしれないな。
ありがとうみんな!
私、もとの身体に戻れるように頑張るね!
この時の私は、おもちゃたちにパワーや持ち物を分けてもらって気が大きくなっていたため、あの部屋での王妃たちの会話や、自分がカエルの姿であるということを半分くらい忘れていたのだった。
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