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(6)王妃とおかしなお茶会
しおりを挟む目の前がぐにゃりと歪んで。
身体が平衡を保てなくなって。
いやにゆっくりと床が近づいてくる。
そして、口元に笑みを張りつけた王妃とその侍女の顔が視界に入った時、やっとわかった。
私はどうやら毒を盛られたらしい。
それに気づいた時はすでに遅くて、毒が仕込まれていたであろうお茶を吐きだすこともできなかった。
ものすごく身体が熱い。物理的に胸が痛い。何かが身体の中で暴れているように。
これは多分死ぬ。
おかしいと思ったのだ、王妃からお茶会の招待だなんて。
王妃は美しいものが大好きで、普段私のことは視界にも入れたくもない様子だったのに。
イアンの不在に呼ばれた王妃のお茶会。つまりはこういうことだったのだ。でもきっと、警戒を怠った私が悪い。すすめられたお茶を何の疑いもなく口にしてしまった私が。
──ああ、死んでしまうのか。
そう思ったらなんだか急に泣きたくなった。
こんなことになって、久しく泣いていないことを思い出した。まぁ、十五歳にもなって泣くような場面がそもそもないか──イアンを除いてだけど。
そういえば十歳くらいからはあまり泣いたような覚えがない。イアンが泣いていると、私は涙が引っこんで泣けなかったのだ。
お父様、お母様、こんなふうに死んでしまうなんて──何のお役にも立てず、最後まで親不孝な娘でごめんなさい。兄様、社交は全部兄様任せの意気地なしな妹でごめんなさい。
でも、みんなと家族になれたことだけが幸せな人生だった……。
「うぐっ」
痛いのが治まったと思ったら、ものすごく気持ち悪くなった。
そうして段々と意識が薄れていく。
イアンは私がいなくても大丈夫かな?
ちゃんと泣ける場所はあるのだろうか?
泣くイアンはとても綺麗で、見ていると心が癒されるんだ。できればあの涙の価値がわかる人がいるといいなぁ。
いまさらだけど、イアンの婚約者は私には荷が勝ちすぎだった。
婚約はいずれ解消されると聞いていたし、王太子妃なんて夢にも見たこともない。
けれど婚約解消後に、友人としてならば将来重責を抱えるだろう彼を支えることはできると思っていた。
利害なく弱味を見せることができる人間がいると、ずいぶん楽になるものだ。
私とイアンはそういう類の仲だった。
どうか彼が私以外に心を許せる人間と出会えますように。
いや、私が祈らなくてもきっと彼は自分で見つけられる。そんなに弱い人間ではないのだから。私がいなくなったらしばらくは寂しいかもしれないけれど、きっと大丈夫。
イアンを支えながらそれを見ることができないのだけは心残りかもしれないな。
考えている間に、痛みも苦しみも薄れはじめた。意識を薄いモヤのようなものが覆い始めて──。
そのうち、完全に意識がとぎれて何も見えなくなってしまった。
「──ずっと目ざわりだったのよね」
「死んだのでしょうか?」
「まだ死んではいないはずよ──肉体はね。
倒れてしばらくしてから、白いモヤが立ちのぼったでしょう? あれがその娘の魂なの。
肉体と魂のつながりを断ち切る……これは、そういう薬だから。切り離された魂は、近くに移るための空の器がなければそのまま消えてしまうはず。魂の消滅はある意味『死んだ』ともいえるかもしれないけれど。
本当に哀れなこと。
イアンがあなたを婚約者として選びさえしなければ、このように死ななくとも済んだものを。恨むのならばわたくしではなくあなたを婚約者として選んだイアンを恨んでちょうだいね。
わたくしもあの子のおかげでせっかくの計画が水の泡になるところだったのだから──でも、これが上手くいけばあの子も陛下も婚約破棄に納得するはずよ。
そして、美しい婚約者を迎えて幸せになれるのだからわたくしに感謝するでしょう。
それにしてもに身体を奪う代わり、せめて苦しまずに死なせてあげようと思ってたのだけれど……思っていたより苦痛を感じていたみたいね」
「『呪薬』でございましたっけ?」
「ええ。呪い師の血を引くわたくしにしか扱えない薬だけどね。
さぁエマ、その汚れ物をそこの長椅子の上に乗せてちょうだい……そう。
まったく。倒れるなら綺麗に椅子の上に倒れればいいものを。床に倒れこむなんて──その汚らしい娘にはお似合いだけど。
エマ、部屋の前で待っているお嬢さんを呼んできてちょうだい。護衛にはくれぐれも部屋の中をのぞかれないようにしてね」
「はい、お嬢様」
「……エマ?」
「失礼いたししました、王妃殿下」
「わたくしはいつまでもただの伯爵家の娘ではないのよ?」
「も、申し訳ございません!」
「いいわ、早く呼んでちょうだい。魂が抜けてすぐだからまだ死んでいないだけで、このまま放置すれば肉体もダメになってしまうに違いないから」
「はいっ」
「…………」
「…………」
声が聞こえる。
「婚約破棄になったら、本当に私を新しい婚約者として推薦してくださるのですよね?」
知らない声。
「二度も同じことを言わせないでくれるかしら?」
これは王妃の声。
「あっ……申し訳ございません」
何が起こったのかわからないが、身体がひどく重く動かない。
何が起こったのかって──毒入りのお茶を飲まされて殺されそうになってなかったっけ、私?
──勘違いだろうか。もしかして実は毒じゃなくてただの睡眠薬だったとかだろうか。
いや、現に動けなくなってるから毒には違いないだろう。
また、王妃の声がする。
仕方がないからそのまま聞き耳を立てることにした。NOT盗み聞き! これは聞こえてきただけなんだからね。
「まぁいいわ。今は気分がいいから答えてあげる。さっき話した通りよ。その娘を首尾よくここから追い払えたら、あなたを婚約者に推薦してあげるわ」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「結果が出てからの話よ?」
「もちろんです! それで、その……あの……その……入れかわるという薬に危険性はないのですよね?」
「ああ、その心配なら必要ないわ。さっきそこの娘で実験してみたから。魂と肉体を切り離す時に少しだけ苦しいかもしれないけれど」
「え……? 苦しいのですか?」
「ええ。でも、それくらいの苦しみで美しい婚約者と将来の王妃の座が手に入ると思ったら安いものじゃなくて?
あなた、ずっとイアンのことが好きだったのでしょう? 最初から婚約者に名乗りをあげていたのに、認めてもらえなかったんですってね。かわいそうに……わたくしはどこの馬の骨ともわからないこの娘よりも、あなたの方がイアンの婚約者にふさわしいと思っていてよ?」
「……は、はい……」
「だから、これは大きなチャンスだと思ってちょうだい」
「も……元の身体には戻れるのですよね?」
「ふふっ。大丈夫よ、かわいこちゃん。わたくしがちゃんと元の身体に戻して差しあげるから」
「わ、わかりました」
「エマ。お茶をこれに」
「はい、王妃様。さぁ、こちらをどうぞ」
この声も知ってる。王妃の侍女であるエマ何とかって人だ。エマーソン? エマニュエル? ま、今はどうでもいいか。
元は王妃の実家である伯爵家のメイドで、王妃の嫁入りの際に一緒についてきた人のはず。常に王妃と一緒にいて、私とすれ違う時に彼女と全く同じ侮蔑の視線を送ってくる。
美しい王妃の側仕えだけあって、彼女も大変美しかった覚えがある。
「さぁ! これを一気に飲むのよ!」
何の話をしているのかよくわからなかったが、よくない話なのは確かだ。あの王妃の話がいい話であった試しがない。
まさか、声の主が王妃にそそのかされて飲もうとしているのは、私が飲まされた薬と同じものじゃないだろうか。
どなたかは存じ上げないがそこの人! そのお茶は飲んじゃダメだ!
そう思うのに、身体が動かない。
「…………」
「何をためらっているの? 一気に飲まないとよけいに苦しいわよ?」
「…………っ!」
止めたいのに身体がピクリともしない。
やがて、コクコクと液体を飲み干す音が響いた。
「が……っ! うう……あぁ……く、くるし……!」
「大丈夫よ、あなたは死ぬことはないから。すぐに新しい身体で目が覚めるわ」
遅かった。声の主は王妃の毒入り茶を飲んでしまったらしい。
とても苦しそうな声がする。
でも、毒が入ってるとわかっていてなぜ飲むのだろうか。普通は断るだろうに──まぁでも、王妃のプレッシャーがすごかったし。何か弱味を握られて脅されていたのかもしれないし。
『…………』
いや、でもなんで飲んじゃうの?!
そう思ったが、そもそもあっさり飲んでしまった私には、そのことで他人をどうこう言う資格がないことに気がついたのだった。
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