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(14)泣き虫王子の両手には花
しおりを挟む「イアン様っ!」
「リスト嬢……なぜここに……」
「イアン様」
「あ、アンリ……」
ほうほう、俗に言う両手に花とはこういうことを言うんですかねぇ。
──というか、なんでこんな状況になっているのだろうか?
ねぇ、オウジサマ?
──────────
「とりあえず、部屋につくまではポケットの中に入っててもらうね。このままだと、チャーリーのおもちゃを僕が横取りしたみたいでかっこ悪いから……」
イアンは言いわけをしながら、私を上着のポケットに突っこんだ。
『あったかい……』
彼ののポケットの中は温かくて、何だかほっとした。
折しもイアンは自室に戻る途中で、歩くたびにふわふわと揺れるポケットの中で私は、うとうとし始めた。
「イアン様っ!」
『っ?!』
突然廊下に響いた声に驚いて、思わず飛び上がりそうになる。イアンも同じだったようで、ビクッと身体が一瞬硬直したのがわかった。一瞬、敵襲でもあったのかと思ったら、さっき王妃から紹介されたラーラという令嬢の声がした──ある意味、敵襲?
「え……り、リスト嬢?! なぜここに……?」
戸惑ったようなイアンの声。
ポケットの中からでは様子をうかがえなくてもどかしい。
「帰る途中で迷ってしまったんですぅ。イアン様にお会いできてよかったぁ」
耳をすませると聞こえてきたのは、ラーラの鼻につくような甘ったるい声。
それにしても謁見の間から帰る途中で迷子になったってこと?
謁見の間は王族専用の棟と一般用の棟のちょうど中間に位置する。王族の専用棟は暗殺やスパイ対策で複雑なつくりになっているが、一般棟はそうではないはずだ。いくら王宮に来たのが初めての人と言えども、迷うような帰り道ではないはずだが──ひょっとすると彼女は極度の方向音痴なのかもしれないな。
それに──。
「案内係がいたと思うんだけど?」
その通りだ。例え王妃の客だとしても、よく知りもしない人間を一人きりにしたりはしないだろう。案内係という名の監視がついたはずである。
現に一人でこうやって一般に迷いこんでしまっている。これが単に迷いこむだけならまだしも、他国のスパイや王族の命を狙う不届き者だったとしたら笑えない。
「あー……えーっと……案内係の人はぁ、うろうろしてるうちにどっか行っちゃいましたぁ。一人で迷子になってめちゃくちゃ心細かったですぅ」
「じゃあ、今から誰か人を呼ぶから少しそこで待っててくれるかな?」
「えぇー……そこは僕の部屋に寄って休んでいこうって言うところじゃないの? ああ、でもまだ溺愛ルートに入ったわけじゃないから仕方がないのかな。こっちから誘ってみる? でも、あんまり早く進めすぎてシナリオがバグっても怖いしなぁ……」
「え? 何か言った?」
「ううん、なんでもないですぅーえへへ……ところで、イアン様のお部屋ってこの辺りなんですよね? 迷ってたくさん歩いたから、ちょっと一休みしたいなぁ~なんて」
「えっ……」
確かに、イアンの自室はこの近くのはずだ。今まさに彼はそこへ向かっていたところなのだから。だがなぜ王宮に来たばかりの人間がそれを知っているのだろう……怖い怖い!
「いや、とにかく人を呼ぶから!」
それに、未婚の男女が供もつけずに二人きりで部屋で過ごすのはよくないと、礼儀作法の先生が言っていた。貴族令嬢ならば自分の身を守るためにも必ず守るべきこととして、口を酸っぱくして何度も。
「えぇ……じゃ、じゃあ! イアンが案内してください!」
「……はぁ」
見なくてもわかる! イアンは頭を抱えているのだろう。
っていうか今、イアンのことを呼び捨てにしなかった?!
「わかった。でも、誰か見かけたら案内は替わるからね」
「はぁーい」
さらに、仮にも一国の王子に案内係をさせるなんて、怖いものなしだ。大丈夫かな、この子──こんな調子で貴族社会でやっていけるのだろうか? いや、すでに落伍者である私には心配するような権利はないか。
「えへへっ! お願いしまぁす!」
無邪気な声でラーラがそう返事をすると、イアンの腕にずしっと重みが加わったのがわかった。多分、彼女がイアンの腕につかまったんだろう。
「えっ、ちょっと! こういうのは困るんだけど?! 余計な誤解をさせたくないから離れてくれないかな?」
「離れたら迷子になっちゃうかもしれないじゃないですかぁ! それに、別に誤解なんかじゃないから大丈夫ですよぉ。そのうち事実になるんですしぃ~」
「……はぁぁぁ」
さっきよりため息が長くなってますよ、イアンさん?
ラーラはさっきから、貴族令嬢にしてはどうにも理解しづらい行動ばかりとっている。しかも、よくわからないことも口走っているから、ため息つきたくなっちゃうのもわかる。
それでも、早く解放されたいという思いの方が強かったのだろう。それ以上言及することは諦めて、さっさと彼女を帰らせることにしたらしい。イアンは、彼女の手をふり解いたりすることなく歩き始めた。「誤解しないでよ、アンリ……」とか何とかつぶやいてるけど、私が何を誤解するんだろうね?
「イアン様」
すると、そこへ新たな声が加わった。それはよく聞き覚えがあり、なおかつ馴染みのありすぎる声──つまりは私(=アンリエール)の声だ。
イアンはうろたえているようで、心音が速くなる。
「あ、アンリ? 君は公爵家で療養中だったんじゃ……なぜここに……?」
「王妃殿下に呼ばれましたので。それより……何をなさっているのですか?」
「何をって……コホン」
イアンは咳払いを一つすると、ラーラの腕からするっと抜け出したようだ。
「り……リスト嬢が迷ったと言うので、帰り道を案内してただけだよ」
声からも鼓動からも、彼がかなり動揺しているのがわかる。私から話を聞いてはいたが、実際に私の身体が動いているのを見て混乱しているのに違いない。
私だって、自分がここにいるのに自分が動いているのが気持ち悪くてしょうがない。
──ひょっとしたら、私は本当におもちゃのカエルであっちが本物なのかもしれない。
そんなことはないといくら言い聞かせても、思考が止まらない。
おもちゃのカエルが人間に憧れすぎて、人間だと思いこむ夢でもみているのだろうか?
「リスト嬢……?」
怪訝そうなアンリエール──自分で言ってて混乱するから便宜上偽アンリと呼ぶことにしよう──の声。
「えっ……うそ……アンリってことは、この人が悪役令嬢のアンリエール?! でも、アンリエールってこんな地味な顔だったっけ? もっと派手派手メイクだった気がするんだけど?」
一方、ラーラの方も突然の偽アンリの登場に気をとられていたらしい。イアンが腕から抜け出したことにも気づかなかったようで、何事かをブツブツとつぶやいている──私にはしっかり聞こえてるんだけど。
地味な顔で悪かったわね!?
いや、それ以前に私はラーラと面識があっただろうか? どう考えても思い当たらない。
そもそも、悪夢のお茶会以来、同じ歳くらいの貴族の子どもとは全くと言っていいほどつき合いのない私。
ああ、ひょっとしてあのお茶会に参加してたとか──しかしリストの家名は聞き覚えがない。
それに、お茶会を主催した家も参加した者たちも、その後父と兄に徹底的にやりこめられていた。少しほとぼりが冷めたとしても、王宮に出てこられるほどは回復してないはず。それなりに後暗いところがある貴族が多かったようなので、追いこむのに苦労しなかったと父は笑っていたが。
では、他で出会ったのに私が忘れているだけだろうか。まぁ、自分の記憶力に自信があるわけではないので、そういうこともあるのかもしれないが。何だか薄気味悪さを覚えたまま、私は彼らの会話を聞いていた。
「わたくしという婚約者がおりながら、他の女性と親しげに腕を組まれるのはいかがなものでしょうね?」
偽アンリの言葉は冷ややかで皮肉げだった。
客観的に聞くとずいぶん冷たい声だ。私、こんな声だったんだ。
何だかいたたまれなくなって、身動ぎをしてしまった。すると、温かい何かがポケットの上から私の存在を確認するようになでた。
これは、イアンの手だ。
「アンリ……アンリエール、さっきも言ったけど、僕は彼女を案内していただけだよ。また迷子になると困ると言うので腕を貸しただけだ」
「そうですよぉ~。それにあたし、王妃様に聞いて知ってるんですよ? あなたはイアンの婚約者といっても名ばかりの、仮の婚約者なんでしょう?! そんな人が私のイアンに口出ししないでくださいっ!」
いや、いつお前のイアンになったんだ……。
思わず心の中で突っこんでしまう。イアンは予想外のできごとにすっかり固まってしまっているようだ。
「なっ……あなた、わたくしがフェルズ公爵家の娘だとご存知ですの?!」
「ええ、知ってますよぉ~。婚約者きどりの公爵令嬢サマ? 聞いたところ、あなたは王妃様に嫌われてるらしいじゃないですか? 見た目も地味だし、イアンにはふさわしくないんじゃないですか? 断罪されないうちに、早めの婚約解消をおすすめしますぅ~」
これは──これはまさか、噂に聞くキャットファイトというやつでは……?
二人の女性が言い争う声を聞きながら私は、そんなことを考えていた。
「格下の貴族風情が、よくも、このわたくしにそんな侮辱を──っ!!!?」
あ、偽アンリの手が出る──!
そう思った瞬間、イアンが小さく息を呑んで動いた。
バシッと何かを叩いたような音がして、彼の腕に衝撃が走る。どうやらラーラを叩こうとした偽アンリの手をつかんで止めたらしい。
「ダメだよ、アンリエール」
「離してくださいましっ! イアン様はこのような無礼な娘の味方をされるのですかっ?!」
「彼女はまだ田舎から出てきたばかりで貴族のしきたりに慣れていないんだ。ここは僕の顔に免じて大目に見てあげてくれるかな? ……ね?」
イアンが微笑んだ気配がした。いや、確実に微笑んだ! 見なくても私にはわかるのだ!
だって、ラーラも偽アンリもハッと息を呑んだまま黙ってしまったし。君たちはきっと今、イアンの微笑みに見とれているんだよね?
わかる、わかるよ~。イアンの微笑みは破壊力抜群だからねぇ。不意打ちで微笑まれると、ホントに凶器なのだ。
「ま、まぁ、イアン様がそう仰るのでしたら……今回のことは水に流して差し上げてもよくてよ!」
偽アンリはすっかり毒気を抜かれてしまったようだった。それにしても自分の声を自分の耳で聞くっていうのは、本当に妙な心地だ。
「次に会うまでにその生意気な態度を改めなさい。またわたくしに向かって無礼な口をきいたら、二度とその口を開けないようにして差しあげるから覚えておくのね!」
「あなたの方こそ、未来の王妃に向かってそんなな口きいていいと思っ……!?」
「リスト嬢、ちょっと黙ってくれるかな? 僕はアンリエールと話をしてるんだ」
ラーラが激昂して何かを叫ぼうとしたところで、イアンの低い低い声が彼女をたしなめた。
まぁ、偽アンリはそれほど的外れなことを言っているわけではない。
貴族間でも身分の差というものは確実に存在している。偽アンリの言葉はきついかもしれないが、いくら王妃のお気に入りとはいえ男爵家の一令嬢が、遥か格上の公爵家の娘にきいていいような口ではないことは確かだ。
「それより、アンリエールは体調が悪いのにこんなところにいて大丈夫なの? 公爵が心配してるんじゃないかな?」
「……わたくしも帰るところだったのです」
「そう。 じゃあ僕たちと一緒に行こうか」
「え、ええ……」
偽アンリに向かって手を差し出すイアン。彼女は当然その手をとって……。
──モヤッ……。
何だろう?
さっきまでと違う気持ち悪さがわきあがって、胸の中を黒く覆う。
「あっ、ちょっと!? イアンは私をエスコートしてる途中だったのに!」
「悪いね、リスト嬢。君は後をついてきてもらえるかな? くれぐれも迷子にならないようにね」
「──そんなっ!」
「身分が上の者を優先するのは当然のことですわ」
ふんっと鼻を鳴らしながら偽アンリが言った。
「まぁ、そういうことだね」
イアンが苦笑しながら同調する。それ以上はイアンも取り合わなかったため、ラーラも渋々従うことにしたらしい。
彼女はブツブツと小さな声でひとり言を言いながらも、大人しく二人の後をついてきた。
「こんなのおかしいわ。イアンルートでは高慢で高飛車な態度のアンリエールをうとましく思ってるはずなのに!
もしかして悪役令嬢も転生者だったりするのかしら……じゃあ、二次創作みたいにヒロインが逆ざまぁされるのもありえるってこと?!
待って──私はまだ学園に入学してないからゲームは始まってないはずだわ。ゲームが始まったらきっとシナリオ通りになるはずよ。でも心配だから、帰ったらもう一回イアンルートのおさらいをしてみなくちゃ。悪役令嬢なんかにイアンは絶対渡すもんですか」
結局、その後は誰も一言も発しないまま、イアンは二人を馬車まで送り届けた。
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