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(18)泣き虫王子と街歩き
しおりを挟むイアンとまず来たのは、街で有名らしいクレープ店だった。
今日のイアンはお忍びルックだ。学園から帰る馬車の中で、制服からあらかじめ準備してあった庶民服に着替えた。
茶色のカツラをかぶり、瞳の色を変える眼鏡をかけている。色だけ見れば、もとの私とおそろいだ。しかし、美男子オーラが全く隠しきれていないため、チラチラと視線が飛んでくる。
ただでさえ公の場に出ることがない第一王子の顔は、庶民の間ではほとんど浸透していないこともあり、さすがにバレてはいないようだが。
茶髪茶眼の平凡な色味だろうが、イアンはイアン以外の何者にもなれないようだ。
何だか残念な気持ちでイアンを見上げた。どうやら私はイアンに少し嫉妬をしていたようだ。芸術品と言っても過言ではないイアンも、私と同じ色味をまとえばどうせ平凡な容姿になるに違いないと、思っていたのだ。
いくら変装したところで、イアンが私と同じ平凡な容姿になるはずなどないのに。格の違いを改めて見せつけられたようで凹むわ。
イアンがクレープを買う女の人たちに混じって列に並ぶと──。
「お兄さん、どこからきたの?」
「スイーツ好きなの? おいしいケーキ屋さんがあるんだけど、今度一緒に行かない?」
ほらね。さっそく声をかけられている。
一人でスイーツを食べにくる男子はカモなんだと、侍女のマリッサが言っていた。
普通の男の人は甘いものが苦手な傾向にあるらしく、こういったスイーツの店には誘いづらいのだとか。一人で食べにくる男は、まず相当のスイーツ好きであることは確定で、しかも一緒に食べにくる恋人がいないということに他ならない。(注:マリッサ調べ)
平民に身をやつしていても、美男子オーラが隠しきれない男、イアン。
周囲で見守るお姉さま方も、本当は誘いをかけたくてうずうずしている様子。彼女たちもまた、このお誘いの行方に注目している。おそらくイアンがこのお誘いにどう返すか興味津々なのだろう。
「僕──クレープなんて初めて買いにきたんだ。買い方教えてくれる?」
イアンはそれはそれは見事な上目づかいで、お姉さま方にお願いをした。
「「「…………っ!!!!!」」」
すると、お願いされた方もそうでない方のお姉さま方も、いっせいに口元を押さえて顔をそらした。店員のお姉さまでさえ、クレープを焼く手が止まってしまっている。
でも、その気持ちわかります! 尊さがいきすぎて尊いですよね!
秒で陥落したお姉さま方にクレープの買い方のレクチャーを受けるイアン。その後、なぜか「これもおいしいから食べてみて!」「これも!」「これもよ!」「私も食べて!(?)」と争うように貢がれて、山のようなクレープを持ち帰ることになった。
「おいしかったら料理長にも食べさせてあげよう」とか親切ごかして言ってるけど、そんなことしたら料理長泣いちゃうよ、きっと。それか、次の日からおやつがクレープだらけになるに違いない。
「一度アンリとこのクレープってやつを食べてみたかったんだよね」
お姉さま方の注目を一身に浴びながらフルーツのクレープを買ったイアンが、大変はしゃいでいる。
そんなにクレープが好きだったとは知らなかった。あまりに嬉しそうな顔をするから、クレープなら王宮の料理長でも作れると思うよ? って教えてあげたら少し半目になってた。
なぜかな? 王宮の高級フルーツをふんだんに使ったクレープとか垂涎ものじゃないか。
「そうじゃない。そうじゃないんだ……僕が言いたかったのは、アンリとこうしてお忍びデートしたかったってことで……まぁ、いいや。アンリが鈍いのは今に始まったことじゃないし。泣かなくても側にいてくれるどころか、僕に頼ってくれている。この奇跡を今のうちに満喫しておこう……」
顔をそらして何かブツブツ言っていたけど、ポケットの中からじゃよく聞こえなかった。
イアンは人気の少ない公園まで来ると、ベンチに腰かけて膝にハンカチを敷いた。そしてそのハンカチの上に私を載せた。どうやら私にも好物のクレープをおすそわけしてくれるつもりらしい。顔だけじゃなくて心も天使だな、君。
私は今、おもちゃのカエルだから食べなくても大丈夫だと思うんだけど、イアンは日に三、四回はこうして食べさせてくる。おもちゃの身体でもなぜか食べることはできるようだ。口に入れたものはどこかへ消えてしまうが……。
イアンは「その身体を動かすエネルギーにかわってるんだよ。だって、精神が宿ってるということは生きているのと同じじゃないか」と言っていた。
ふーん、そうなのかな?
生きているのと同じ……ならば私は、生きていると言ってもいいのだろうか。そう考えると、何となく嬉しくなった。
「はい、口開けてアンリ。あーん」
あ、あ、あ、あーん……ぱくっ。
もぐもぐもぐ……おいしい。クリームの甘さとフルーツの酸味がちょうどいい具合に調和している。
なるほど。甘すぎないからイアンも好きなんだな、きっと。
「ほら、もう一回あーん!」
『…………』
もぐもぐもぐもぐ……。
いい歳をした女が食べさせてもらっているのは、大変恥ずかしい。乙女な羞恥心が死ぬ──いや、私は今おもちゃなんだ。気にするな。したら負けだ、多分。
「ふふっクリームついちゃったね」
『ひあ……っ!!』
ペロッて! ペロッてしたぁ──っ!!?
私の口をぬぐったイアンは、指についたそのクリームをペロッとなめとった。
気にしたら負け。気にしたら負けだ!
おもちゃでよかったと初めて思った。顔色が変わらないから。おもちゃじゃなかったら多分全身の血が逆流して真っ赤になってると思う。
そんな姿をイアンに見られたくなかったから。
私は必死に平気なフリをしていた。
だから。
「これでもダメかぁ……意外と手ごわいなぁ」
なんて、イアンのつぶやきは聞こえてなかった。
「さて、今日の本題なんだけど……」
えっ? 本題なんかあったの?
むしろ、気分転換に街へ出てクレープを食べるのが本題かと思ってた!
「うん、まぁそれはそれで目的のひとつではあったんだけどね」
イアンが苦笑する。
「例の禁書の作者が、市場に店を出していたという噂を聞いたからちょっと探してみようと思って」
そうか。
禁書の作者を直接捕まえれば、あの呪薬についてもっと詳しいことがわかるかもしれない。さらには、もしも作者本人が呪い師だった場合、本には書かれていない情報を知ってる可能性がある。
あれ?
例の禁書って確か百年前に書かれたものじゃなかったっけ?
「不思議だよね。情報が間違っている可能性もあるんだけどね……もし、本人が存命なら話が早いし興味深いと思って」
イアンは口角を上げてニヤッとした。
話にしか聞いたことがないけれど、市場には種々雑多な品が多く並ぶという。
私は市場という未知の場所と、何かわかるかもしれないという期待感でワクワクした。
「カエルのアンリもだんだんかわいく見えてきたなぁ。今度、洋服でも着せてみたいな。それから、お散歩用のリードでも買ってつけてみようかな? 宝石のついた首輪とかつけたらきっとかわいいだろうなぁ……」
ん? 何だかうっとりした顔でつぶやいてるけど、何の話?
「ううん。なんでもないよ。見つかるといいんだけどね、あの本の作者」
そうだね。
なんといっても私の生死に関わる大問題だからね。
気合いを入れ直した私を、イアンはつまみ上げてひょいとポケットに放りこんだ。
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