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(31)本物と偽物とさようなら
しおりを挟む馬車は苦手だ。
揺れるから。
しかも、道が悪ければ悪いほど揺れるし、車輪が小石を弾く度に打ちつけられるお尻が痛くなる──あ、カエルの今は別にお尻は痛くならないけど。
高級な馬車にはクッションが敷きつめられていてそんなことがないようになっているが、この馬車はどう考えてもそんなにいい馬車じゃなかった。いい馬車であるはずがないよね、王妃が用意したんだもの!
──やわな公爵令嬢のお尻は無事だろうか?
というわけで、目下のところ馬車に乗っているのだけど。
結局、彼らの話を聞いた私はあの部屋から出るために、エマとかいう侍女のスカートを利用させてもらった。
それは彼女が監視のために、アンリエールの馬車に途中まで同席するという話を聞いたからだ。途中までってどういうことかというと、修道院への道中でアンリエールを『処分』して帰ってくるかららしい。
帰ってきたら侍女を侍女長に取り立ててあげるとか、王妃は彼女にそんな話をしていたような気がする。
スカートの中にいたから二人の様子はうかがえなかったが、侍女の声が嬉しそうに弾んでいたのはわかった。『王宮侍女長』の地位がそんなに嬉しいのだろうか。確かに権力だけでいえば女性の中ではトップ3には入るかもしれないが。
「──ねぇ」
王宮を出てしばらくすると、それまで不気味なほど大人しかった偽アンリが声を発した。
「何でしょうか?」
「あなた、王妃様の侍女でしょう? 何でわたくしと一緒にいるの?」
「……その質問に答える必要性は感じませんが?」
「……わたくしにそんな口をきいていいとでも思ってるの?」
「私の主は王妃様ですので」
「──そう」
慇懃無礼ともいえるその態度に怒るかと思いきや、意外と大人しく引き下がった。
「──ねぇ、王妃様の侍女さん? 修道院まではどのくらいかかるのかしら?」
「ここからですと……一週間ほどでしょうか。それまでご不便でしょうが、馬車の中でお過ごしください」
彼女が二度目の質問をした頃には、王都の外れにさしかかっていた。車内は暗く、彼女たちの表情はわからない。
馬車が王宮を出たのが夜半過ぎ。王宮から二、三時間ほど走れば王都の外れへ辿りつく。
さらに、ここから彼の修道院までは一週間かかるらしい。
しかも、侍女の言葉を額面通り受け取るならば、途中で宿に泊まったりはしないようだ。ここからはひたすら山道が続くから、宿などはないというのが正直なところだろう。
それに、犯罪者なら逃亡の恐れもあるだろうから、車内泊は妥当な扱いなのかもしれないが。
ただ、それにしては荷物が少ないのよね。
護衛も少ないながらに一応いるのに、積みこんだ荷物は中くらいの鞄が一つだけ。一週間この人数で過ごすには何もかも足りなすぎる。
つまり、もとより修道院へ向かうつもりは毛頭ないわけである。
どこでどう『始末』をつけるつもりだろうか?
まぁ、公爵令嬢と言ったって、その仰々しい呼び名をとってしまったらただのか弱い女の子でしかない。右も左もわからない山の中に置き去りにされただけでも、生き残れる確率はほとんどないだろう。
もし本当に山の中に置き去りにされたら、偽アンリと二人──いや一人と一匹で協力しあって何とか生き残ろう、うん。
私は、私の身体を乗っ取った偽アンリに少しだけ同情していた。
今回の計画の実行犯の中でも、彼女は捨て駒も同然の扱いだからかもしれない。何しろ、彼女もまた、戻るべき肉体を失ってしまっているのだから──ただ、そのことを本人はまだ知らないかもしれないけど。
私も、何とか元の身体に戻る希望はまだ捨ててはいないけれど──それが本当に正しい道なのか、もはやわからなくなっている。
──だって。
もし私が元に戻ったら、今、偽アンリの中にいるスザンナという子の魂はどうなってしまうのだろうか。
彼女が戻るべき肉体はすでにこの世にはない。仮にあったとしても、すでに死体となっているに違いない。
私が戻れば、彼女は消えてしまう? ──もしそうなら、死ぬことと何が違うのだろう?
私はもしかして、人を一人殺そうとしているのだろうか──?
彼女の魂が代わりにこのカエルの身体に入れればいいのだろうけど、私みたいなケースは全くのイレギュラーなんだってイアンが言っていたじゃないか。
普通魂は同じ形の肉体にしか宿ることができないものなんだそうだ。死後もまた虫は虫に生まれ変わり、人間は人間に生まれ変わる。
だからカエルの私は来世もカエルに──って、私はおもちゃだったよ!
無機物に魂が宿ること自体が奇跡で神の御業のようなものなんだって。そして「伝説になってもおかしくないよ。さすがアンリだね!」ってよくわからない賛辞を受けたわ、そういえば。
まぁ、そんなわけで彼女の魂と入れ替わることは絶望的と言っても過言ではないだろう。
ならばいっそこのままでも構わないかもしれない。彼女は不本意だろうが私の身体で我慢してもらって、協力してこの危機を乗り越えることにしよう。修道院に入ったとしても、生きてさえいれば何とかなるに違いない。
ゆらゆら揺られてつらつら考えているうちに、馬車は山道に差しかかっていた。
真っ暗だった車内が薄らと明るくなっていた。
そろそろ夜が明けるのだろう。
「ねぇ……この人を修道院まで連れて行ったら私、本当に元の身体に戻れるのよね?」
本日三回目の質問である。
彼女がこの質問をしたのはこの侍女が目の前にいたからだろう。
他の人間には意味をなさない質問。
目の前にいるのが、あの時あの薬入りのお茶を飲んだ時に同席していた侍女だからこそだ。
「王妃様をお疑いになってるんですか?」
「だって……おかしいじゃない。私の実家では葬式を出したって聞いたのよ……そんなの、おかしいじゃない……もし、戻れたとしても私が死んでるだなんて……」
彼女の声は震えていた。
今さらそのことに気がついたようだ。確かにイアンが『ザラスト家は葬式を出した』と彼女に言っていた。
「それに! それに……私の身体は今どうしているの? 見せてもらえたのは最初だけで、最近はお願いしても見せてもらえないじゃない! いったいどういうことなの?! 私は本当に元の身体に戻れるのっ? ねぇっ、答えて──っ?!」
彼女の声と息が段々と荒々しくなっていく。
私が実家を訪問した時と同じだ。荒れ狂う感情の制御ができないのだ。
「落ちついてください、公女様」
言いふくめる侍女は、いやに落ちついている。
それから彼女はふんっと鼻を鳴らした。
「今さらそれを知ってどうなさるんで?」
「──なんですって?! やっぱり元に戻す気はないのね?! 約束したのに!! 馬車を戻してちょうだい! 大人しく修道院へなんて行くものですかっ!!」
「落ちついてくださいと言ってるじゃありませんか。あんまり暴れると危ないですよ」
その時、侍女の手に何か光る物が見えた。
──あれは、ナイフだ!
「きゃぁっ!」
思わず息を呑んだ瞬間、侍女は偽アンリの横へサッと素早く移動してその喉へナイフを突きつけた。
「安心してくださいよ、この馬車は修道院へは向かいませんから。何しろ公女様はここで死んでしまうのですからねっ!」
「なっ……正気なの?! 私が修道院へ到着しなかったら、きっと国から調査が入るわよ?!」
「この馬車は修道院への道中、山賊に襲われてしまうのです。そして私の必死の抵抗も虚しく、憐れ公女様は外へ引きずり出されてしまったのです……おかわいそうに!」
「……最初からそのつもりだったのね」
ナイフを突きつけられた偽アンリはうなるように言った。
侍女の口元が醜く歪む。
「気づくのが遅すぎましたねぇ、公女様」
「こんなことをして……きっと地獄に落ちるわよ」
「あら、私の心配をしてくださるんですかぁ? お優しい公女様っ!」
侍女が力を込めてナイフを横に引こうとした瞬間、私は渾身の力をこめて彼女の足の甲を突き刺した。
「ぎゃあああっ!!!」
侍女はナイフを取り落とし、凄まじい悲鳴を上げながら飛び退いた。
──おもちゃの兵隊さんありがとう!
彼女の甲に突き立てられているのは、鈍く光る鋼の剣──人間から見たら針のようなものかもしれないけど、針でも突き刺されたら無事ではすまないのだ。
「い゛だい゛い゛だい゛!!!」
足を押さえて床に転がる侍女。
おもちゃの力思い知ったか! ──って、いやいや、ドヤ顔してる場合じゃなかった。
私はかっこよく偽アンリの前に飛び出したつもりだったけど、所詮はカエルのおもちゃ。彼女を守りきる力があるとは到底思えない。
──ここからいったいどう逆転したものか……。
──ガタンッ!
「「『……っ?!!』」」
その瞬間、馬車が急に止まった。その反動で床が大きくぐらついた瞬間に誰かの足に踏みつぶされた。
『グエッ!』
──あっ、また女の子にあるまじき野太い悲鳴を上げてしまった……。まぁ、カエルなんだから気にしても仕方がない。
「なんなのよ、この針はいったい!」
侍女は足の甲に刺さった剣を抜いたらしい。足を引きずりながら落ちたナイフを拾い、再び偽アンリに向き合ったその時──。
「うわぁ──っ! 山賊だぁっ!!!」
悲鳴と共に、外の誰かが叫んだ。
「えっ?! 山賊っ?! 本物の? ──どうしてっ」
ナイフを手に呆然と固まる侍女。
「……どうやらあなたもここまでみたいね、王妃様の侍女さん? 一緒に地獄へ落ちましょうよ」
顔面を蒼白にしながらもそう皮肉る偽アンリ。
「そ、そんなっ! 私はあんたと違うのよ! 王宮に戻れば侍女長の座が待ってるんだから! こんなところで死ぬわけにはいかないの」
──ガタンッ!
もう一度大きく馬車が揺れたと思ったら、ガッガッガッという振動が連続で訪れる。
どうやら止まっていた馬車がまた走り出したようだ──いや、これはまさか──。
「馬車が暴走してる……?!」
──えっ?! 暴走?! この山の中で?!
「きゃぁぁぁ──っ!」
「誰か! 誰か助けて──っ!!」
馬車はガタガタと激しく縦に揺れ出し、すぐに立っていられなくなった。
彼女たちはしゃがみこんで馬車の座席にすがりつきながら叫んでいた。
だが、この振動のおかげで私は誰かの靴底の下から解放されることになった。
『いったいどうなってるの?』
急いではい上がり、小窓から御者席を覗いてみる。
車内で極彩色のカエルが動いているというのに、誰一人として気にする者はいない。
はたして、御者はすでにそこにいなかった。自ら逃げたのか、襲撃者に引きずり降ろされたかはわからない。
制御する者がいなくなったことに加えて、突然現れた山賊に驚いた馬が勝手に走り出したのだろうと思われる。
しかし、今彼らが向かうその先は──。
『ああ、なんてこと! そっちに向かったら……っ!』
「こんなところで死んでたまるものですか!」
──ガチャガチャッ!
侍女はひどく揺れる車内で何とか膝立ちになると、馬車の内鍵からナイフを差しこみ、鍵を壊して扉を開けた。
結構たくましいわ、この人!!
「私は戻るのよっ!! 絶対にっ!!!」
──ダンッ!
床板を蹴って、侍女が外へ飛び出した。
馬車は結構なスピードで走っている。飛び降りて無事で済むとは思えないけれど、このままでも死は確実だろう。
彼女は、生存率の少しでも高い方へ賭けたということだ。
──ガタガタガタンッ!!!
その時、馬車が再度跳ねるように揺れた。
これだけの悪路というか道無き道を爆走しているにも関わらず、馬車は壊れる様子はない。王宮の馬車って耐久性高いんだなぁ、と変な感心をしていたら──馬が逃げた。
いや、さっきの振動で、馬と馬車を繋いでいたハーネスがちぎれたのだ。馬はてんでバラバラの方向へ走り去っていく。
しかし、馬車の進路も速度も変わらない。
もう既に道のみの字も見えやしないが、行く手にあるのは崖のように見える。
とっても考えたくなかったが、このまま崖から落ちるのに違いない。
──落ちる!
そう覚悟した瞬間、馬車は横倒しになりながら崖から飛び出した。
一瞬ふわっと浮き上がるような感覚がして、その後すぐに下降する。
馬車が空中に放り出された瞬間、私は偽アンリの身体の下に身を潜りこませた。
自分の身体を救わなきゃとか考えていたわけじゃない。迫りくる恐怖に、ただ身を縮こまらせて震えているその姿を見ていたら、身体が勝手に動いてしまったのだ。
私はおもちゃだからどうなったとしても痛くないし、きっと死にはしない。死に瀕した少女の恐怖を和らげるくらいの役にはたってもいいと思うんだ。
──ん?
彼女、目を開けたまま気絶してるわ……。
「アンリ──っ!!!!」
そして、なぜか幻聴が聞こえる。
最後にイアンの顔が見たかったとちらっと考えたから、神様が叶えてくれたのかもしれないな。神様グッジョブ!
イアンにさよならを言うのはこれで何回目だろう? ──まぁ、減るものじゃないし、何回目でも構わないか。
さようならイアン。
不意に訪れる衝撃と──。
──ぐしゃっと、何かがつぶれる音がした。
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