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(32)カエルはつぶれ泣く王子
しおりを挟む(──ここは……?)
──グスッ、グスッ、グスッ……!
誰かが泣いている──また、イアンだろうか。
「アンリ! アンリ──!! 死ぬな、アンリ──!!!」
ああ、そうだ。私は崖から馬車と落ちてぺちゃんこになったんだった。
そうか、死んでしまったのか……。
おもちゃだから大丈夫だと、死ぬことはないだろうと高を括っていたが、そんなことはなかったらしい。
「まだ好きだって言えてないのにっ!!」
号泣している。このしゃくり上げる時にちょっと震えるこの泣き声は、やはりイアンだ。
もしかして私のために泣いてくれているのだろうか?
何だか嬉しい。
それに、好きだって……。
──えっ?
私を? イアンが?
『……』
いやいやいや!
イアンはラーラが好きなはずだ。
だって、ラーラと結婚するために私と婚約破棄をしたんだもんね?
彼が私のことを好きなのはきっと家族に対する親愛の情と同じで──……。
違ったらいいなとは思うけれど、そんなはずはない。
「アンリ……愛してる! お願いだから僕を置いていくな!! あ゛あ゛ぁ゛──っ!!!!」
その私の考えを打ち消すかのように、イアンの悲痛な、胸を締めつけるような苦しげな叫び声が響き渡った。
──イアンが、私を、アイシテル……?
いやいやいや!!
そんなことあるはずが──……。
「頼む、動いてくれ! まだ消えないでくれっ!!」
じゃあ、ひょっとして。
苦手なカエルのおもちゃなのに、ずっと側に置いてくれていたのも。
ピンチにはいつも助けてくれたのも。
ずっと親愛の情からだと思ってた……でも、そうじゃなかったってこと……?
──本当に? 本当にイアンが私のことを好きなの?
何だか胸がポカポカとしだす。
『……嬉しい』
嬉しいのだ、私は。
だって、私もずっとイアンのことが好きだったから。
ははは……死んでいるのに踊り出したくなるってどういうことだろうね──……ちょっと待って。意識があるってことは、まだ死んではいないんじゃないだろうか?
でも、身体は動かない。
ああ、泣きじゃくっているイアンの鼻水と涙を拭いてあげたい。
抱きしめてあげたい。
大丈夫だよって言ってあげたい!
けれど、手が動かない。腕が上がらない。
おもちゃのカエルは壊れてしまったらしい。
『今の私、どうなっているんだろう……?』
改めて自分の身体を確認してみる──やはり、ひどく壊れているようだ。
動かせないのも道理だ。腕の先も足の先も全部引きちぎれてどこかにいってしまっている。
本体は馬車に押しつぶされてぺちゃんこになっているし、さらにはあちこちの革の破れ目から中の綿が飛び出している状態だ。
いやぁ……実物だったらグロだったよね。おもちゃでよかった! ──いや、よくないんだけど!!
いくら名うてのおもちゃ職人でも、これを修復することは不可能だと思う。買い替えを勧めるに違いない。
そして、新しく購入したおもちゃのカエルをかわいがるイアンを想像したら──何だかモヤモヤした。
はは……おもちゃに嫉妬するっておかしいよね?
そう。おかしいんだけど。
イアンの側にいていいおもちゃのカエルは私だけだ! って、私の中の私が叫んでる。
まだ見もしない未来のおもちゃに、対抗心がムクムクとわきあがって──って、それどころじゃなかった。
もしかしてこれは、おもちゃの『死』だろうか?
だって、もう全く動けないんだもん。
「ああ、これは完全にいっちゃってますね」
イアンの背後から気の毒そうなシンの声がした。
でも、イアンはふるふると首を横に振った。
「まだ……まだだ。僕は必ずアンリを直してみせる。国中──いや、世界中のおもちゃ屋を集めてでも!! 待っててアンリ──っ!!!」
イアンの目から滂沱の涙がこぼれ落ち、落ちた涙がカエルだったものを濡らしていく。土埃ですっかり汚れてしまったそれに、次々と丸い染みを作っていく。
「なぜそんなにこのカエルに執着するんですかね?
俺は、自分の主におかしな趣味があってもちゃあんと認めてあげられる、寛容な臣下のつもりですがね。最近はそれが正しいことなのか、ちょっと自信なくなってきましたよ。
それにこれ、もとはといえばチャーリー様のおもちゃでしょう? なんでこんなところに落ちてるんですかね?」
シンはチャーリーの名前が刺繍された場所を指さして言う。
そう、おもちゃのカエルである私は、本来チャーリーのもの。
「アンリはチャーリーのものなんかじゃないっ!! ひぐぅっ!!!」
あ、イアンが泣きながら怒ってる。器用だなぁ。
シンはそれを見て呆れたように肩を竦めた。
「ああ、もう。弟のおもちゃに婚約者の名前つけるとか本当に意味不明なんですが──それより、本物の婚約者殿を探さなくていいんですか?」
その言葉にハッとしたイアンが、壊れたおもちゃのカエル(というか、もはやただの革の塊)を大事そうにポケットにしまって立ち上がった。
婚約破棄されたから、『元』婚約者だけどね。
「アンリ──アンリの身体はっ?!」
「ちょ、殿下、言い方!」
「アンリの身体はどこだ?!」
「もしかしてあそこでは──?!」
「──っ!!」
イアンが慌てて駆け寄ってくる。
駆け寄って──駆け寄っ……。
『あれっ?』
私、もしかしてカエルじゃ……ないのかな?
その時初めて、視点がおかしいことに気づいた。
イアンはさっき、壊れたおもちゃのカエルをポケットにしまったはずだ。そしてそのカエルは私のはずで。
それなのに、私に見えているのはいつものポケットからの光景じゃなかった。
──そうか。
もしかしたら、あのカエルが壊れてしまったから、肉体がなくなったと判断して魂が離れたのかもしれない──そう思ったのだけれど。
肉体のない魂は徐々にすり減り、やがて消えてしまう──イアンのいぬ間にこっそり読んだあの禁書に書いてあったことを思い出してゾッとする。
いやだ。
そんなのいやだ!
やっとイアンと両想いになれると思ったのに!
壊れたおもちゃのカエルでもいい。いいから、私をあそこに──イアンの側に戻してよ!
イアンの側にいられるのならば、もうずっとおもちゃのカエルでもいいから!!
私は彼のポケットへ向かおうとした。しかし、やはり身体が動かない。
──どうして……?
「アンリ──……」
「ああ、よかった、息がある! 何とか生きてるみたいですよ、殿下!
あんなところから落ちたっていうのに、ケガはしてないようですね。馬車は粉々になっているのに……フェルズ嬢は身体が鋼か何かでできてるのかな? ま、それはいいとして、身体が土でひどく汚れちゃってますねぇ、特に髪が茶色くなって……」
いつもながら失礼な侍従兼護衛だ。
私は元々その髪色なのよ!
しかも、鋼でできているわけがないだろ!
言葉にならない叫びという名のツッコミの声をあげそうになった、その時──。
ふわっと身体が浮き上がるような感覚がした。
『えっ……?』
私の身体を持ち上げたのはイアンだった。
『──んんっ?』
私、今持ち上がってる?
イアンに持ち上げられてる?
──と、いうことは……。
私、もしかして自分の身体に戻ってるんじゃない?!
『やったぁ!!!』
脳内で万歳三唱のコーラスが鳴り響く。
そうか、強い衝撃なんだ──これが。
壁にたたきつけても踏みつけても壊れない、丈夫な王家のおもちゃ。そんなおもちゃが一瞬でボロボロになるほどの衝撃──それはまさに強い衝撃以外の何物でもない。
これが遠い東の国の言葉で言うところの、棚からぼたもち? ──いや、嬉しい誤算というやつだ。
早く起き上がってイアンに「ただいま」って言おう。そうしたら「おかえり」って言ってくれるかな。
私が元の身体に戻ったこと、喜んでくれるかな?
『……あれっ?』
けれど、私はそれを、自分の身体を、ほんの少しも──一ミリたりとも動かすことができなかった。
『動けっ!』
「山賊の方は?」
「俺たちが連れてきた騎士団の奴らが一網打尽にしてるはずです。どうも本物の山賊じゃなさげですがねぇ……馬車を襲撃するために山賊に扮した、街のゴロツキってところでしょうかね。
ああ! そういえば途中に転がっていたコレ、どうします?」
『動けったらっ!』
「腕とか肋とかの骨が何本か折れちゃってるみたいですけど……」
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「興味ないものはないんだから仕方ないだろ。だけど……そうだな。色々聞きたいことはあるから、まぁ死なないようにはしておいてよ」
「はいはい。じゃあ、コレは俺が持って帰りますよ?」
『──動かない……』
イアンとシンが何事かを話し合っている中、私は必死に身体を動かそうとしていた──全然動かなかったけど。
本当に全っ然、全く動かせない。指一つ。
「アンリの身体は僕が連れていくから」
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「そうだね、その辺はシンに任せるよ」
「殿下、そういう丸投げはホントよくないです。もう少しちゃんと他のことにも興味持ってくださいね」
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「えっ……ああ、それもそうか。なるほど、カエルは医者に診てもらえばいいのか……!」
「「『はぁぁ…………』」」
三人の長いため息が、空気に溶ける。
いったい全体、どういう状態なのだろう、これは……?
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